広島城


広島の歴史と共にあるモニュメント、それが広島城
初めて広島に来た方はもちろんですが、広島生まれの方も、まずは広島の歴史を知るうえで行ってみたい場所といえば

広島城

ではないでしょうか。
そんな広島城ですが、実際にはどんな場所なんでしょう?(実は、管理人も行くのは初めてでした。。笑)
なので

いってみたいなぁ〜 いってみたいなぁ〜 いってみたいなぁ〜

と思っていましたら、足が勝手に広島城に☆

でも、いざ行くとなると色々ときになりますよね。
どうやっていけばいいの?車?電車?バス?タクシー?
料金はどれくらいかかるの?
そもそもどんなところ?
実際に広島城に行く前の私でさえ、思ったことです。ほとんどの方が考えられるところではないでしょうか?家族と行くにしても、
友達と行くにしても、恋人と行くにしても、あまりムダな時間はつかいたくないものだと思います。(私は、一人旅好きなので、そんな時も楽しみますが笑)

だったらば、作ってしまええぃ!ということで、簡単ではありますが私が実際に行った時の情報を感想も踏まえて、書いていきたいと
思います。
もし、今後広島城を訪れる方の参考にでもなれば幸いです。


広島城の始まりと歴史


天守閣

この広島城(別名:鯉城・在間城・石黒城・御篠城・当麻城)は、天正17年(1589年)に毛利元就(もうり もとなり)の孫である毛利輝元(もうり てるもと)により築城が開始されました。

天正末期より豊臣天下の時代として安定してきとことから、戦に適した郡山城から商業を発展させる目的として、当時の交通の要衝である太田川三角州に、豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい)を模した広島城の築城をすることになりました。

後に、この毛利輝元は、豊臣政権五大老の一人に数えられるまでになりますが、慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦において敗けた西軍の総大将であった毛利輝元は、徳川家康によって「周防・長門」(山口県)へ転封することになります。

その後、毛利輝元の代わりに、福島正則(ふくしま まさのり)が入城することとなりますが、幕府に無断で石垣の修理を行ったことから元和5年(1620年)改易となります。
当時は、元和元年(1615年)に幕府が制定した武家諸法度により、幕府への事前の届出なく普請(建築及び修理のこと)することは禁止とされていました。
※福島氏の改易に直接関連のある、元和三年(1617年)の広島大洪水の際の三の丸までの浸水ですが、実はこの際に福島氏は、幕府執行の本多正純に普請の申請をしているとういう説があります。これに対し正純は将軍に取りつかず、このことより福島氏は居城無断修復(武家諸法度より)の咎により改易されます。管理人としては通説の居城無断修復の件にとても興味をもち地元の利を生かして歴史書を調べたらこの事にたどり着きました。確かに、諸説と同様に断言できるものではありませんが、武将としても将軍としてもこれだけ成果を上げている人がしかも、法律上申請をすればいいだけのものを違反をしてまで行うでしょうか?どちらかというと出世争いや権力争いのなか上記のことを理由に嵌められたと解釈するのが自然ではないでしょうか。

この二人ののちに、浅野長晟(あさの ながあきら)が入城し、廃藩まで在城していました。

そして、明治4年(1871年)の廃藩置県により広島県が成立すると県庁が広島城本丸に設置され、次々に城内には軍事施設が設置されるなどして、次第に江戸時代以前の建築物はその姿を消していったようです。

明治27年(1894年)、日清戦争が始まると明治天皇とともに広島城内には大本営(東京以外で大本営が築かれたのは最初で最後のものとなります)が築かれ、戦争時の最高機関としての役割を担いました。

明治中頃から大正にかけて、広島は都市化の一途を辿りますが、その影響で堀の水は汚れ、またその悪臭から元々、内堀・中堀・外堀の3重の堀で守られていましたが、内堀以外は埋められていくことになります。

時代の流れと共にその姿を変えていく一方で、広島城の史跡としての価値も評価され、昭和6年(1931年)には、天守閣が国宝に指定され、このころになると、江戸時代以前から残っている建物は、天守閣・二の丸の多聞櫓・平櫓・太鼓櫓などくらいになってしまいました。

そして、昭和20年(1945年)8月6日の原子爆弾の投下で、広島城の天守閣は倒壊し、櫓等は焼失してしまいました。

無残な姿になってしまった広島城ですが、終戦後の昭和26年(1951) に開かれた広島県での第6回国民体育大会に伴って、模擬天守が建てられます。

残念ながら大会後に解体されましたが、天守閣再建を求める市民の声を高めるきっかけとなったようです。

その後の昭和28年(1953)には、鉄筋コンクリート製の天守閣を外観復元することになり、4年の後に工事が始まり、翌年には博覧会の会場としてオープンしました。

博覧会終了後には広島城郷土館として開館し、平成元年(1989年)には、展示内容をリニューアルしての現在の広島城に至っています。なので、現在の天守閣は3代目になります。



楽しむためには、まず予習を!
さぁ、広島にようやく着いてこれから・・・・って時に、ここはどこ?ワタシは・・・・迷子(汗)??こんなことにならないように、また、広島城を楽しむために事前に場所と建物は確認しておきましょう。

広島城は、住所でいうと広島県広島市中区基町21-2になり、下の画を見てもらっても分かるように、江戸時代は約100uもの敷地面積誇った広島城も現在では、天守閣・本丸・二の丸(多聞櫓・平櫓・太鼓櫓・表御門)そしてそれを囲むように内堀のみになってしまいました。(黄色塗りつぶし部が広島城史後で、中央の青色内が現在の広島城敷地になります。)

しかし、現在でいうところの八丁堀などは広島城の東側に、南北に長い堀がありその長さが当時で約八丁(1丁=約109m)あったことがその名の由来になっているなど、現在に様々な史跡を残しています。

また、現在では日本百名城の一つとなるなどから、400年以上の時を経て人々に求められる理由がここ広島城にはあるのではないでしょうか?




広島城内にはどんなものがあるの?
それでは、さっそく広島城を見ていきましょう。広島駅から城南通りを通ってくれば、まず最初に敷地内に入って目に飛び込んでくるものは天守閣・・・もあるのですが、二の丸の表御門と内堀になります。

この威風堂々とした佇まいを見るとやっと城にきたんだなと実感します。また位置的には広島の中心地ですが、街中からは少し離れているため、周りの建物とのギャップがありながらも静かで落ち着いたところといった印象を受けます。

そして、表御門の入り口から見て真逆側には、噴水(名:花の枝・・・詳細確認中)があり、春には桜と広島城をバックに、冬には雪の積もった広島城と木々をバックに良い絵が出来そうだと思わせられます。

それでは、さっそく二の丸に入っていきましょう。

     噴水前から見た広島城                              二の丸の表御門

御門橋を渡り、表御門をくぐると右手に見えるのが手前から順に多聞櫓・平櫓・太鼓櫓で左手に見えるのが本丸入り口になります。
(下の写真は、城外見たものなので左から順に表御門・多聞櫓・平櫓・太鼓櫓になります。)

当時の二の丸は攻撃の拠点である馬出しの機能を持ち、本丸の入り口を守る役目を果たしていましたが、現在では内外ともに復元され、表御門を入ってすぐ右手に多聞櫓への入り口があります。

この中は歴史資料館のようになっており、二の丸や当時の広島にあったお城の立体模型・尾が折れた鯱の模造品・当時の歴史書などが多聞櫓や平櫓にはあり、その奥の太鼓櫓には当時の太鼓・・・ではありませんが寄贈されたものが置かれています

。初代広島城では、この太鼓を打ち鳴らして城門の開閉や藩士の登城の合図にしていたようです。たまに、太鼓の音が小さかったり、間違ったりして注意されていたこともあったようですが、それもまた御愛嬌といったカンジがしますね。


  


また、平櫓の中を歩いていると下の写真のような穴を見かけますが、これはいったい何なのでしょう?っと疑問に思われる方もいらっしゃるのではないのでしょうか?これは

狭間(さま)

と言われるものです。なんのために使うかというと、ここから鉄砲や弓矢をだして外の敵を攻撃するためです。

写真のように三角のものや四角のものは鉄砲狭間と言われここから鉄砲を突き出して攻撃し、縦長のものは矢狭間と言われここから弓矢を放ちます。

また、この狭間にはもう一つ工夫がなされており、写真では少し分かりにくいと思いますが、内側から外側にかけて穴が狭くなるように作られているのです。内側からは盾として、外側からは敵から中の様子が見えにくく武器でも狙いにくくなっている。

こういうことを知ってて見たりすると、また一つオモロくなるのではないでしょうか。




それでは、いよいよ本丸へ向かいましょう。

本丸へ入ってはじめに目に入ってくるのは、広島護国神社です。

ここの祭神は第二次世界大戦までの広島県西部(旧安芸国)出身の英霊のほか、原子爆弾投下によって犠牲になった勤労奉仕中の動員学徒および女子挺身隊等で、中国地方の中でも最も多くの初詣客が参拝する場所でもあり、同県の厳島神社に比べても交通の便が良いことから多くの参拝客が訪れます。

また、地元プロ野球球団・広島東洋カープが必勝祈願のためチームとして参拝することでも知られています。
広島護国神社をあとに、天守閣に近づいていくと「史跡広島城跡」と刻まれた石碑が見えてきます。これには、広島城の誕生から今に至るまでの歴史が刻まれています。





続いて、見えてくるのが日清戦争時に最高司令機関として役目を果たした大本営跡です。東京以外で大本営が築かれたのは、これが最初で最後のことらしいです。

また、ここが選ばれた理由としては、宇品港が開港していたことにより大型船が利用できたことや山陽鉄道が広島まで開通していたことにより軍事輸送が容易だったことが挙げられます。
これらが、良くも悪くも広島の経済的な発展の契機になったことは複雑な気がします。




大本営跡を通りさらに奥にいくと、とうとう広島城旅行のメインイベントになる天守閣にたどり着きます。この天守閣は第一層から第五層の五重の層から成り立っており、各層ごとに広島城築城当時の説明や展示物など様々な趣向をこらした内装になっています。ここからは、写真撮影の規制や有料になってきますが、ぜひ一度は・・・・・・いえ、何度でも見に来て頂きたいと思います。


第一層
ここでは、主に広島城の築城からの歴史の解説や関連する史材の展示をしています。城好きな方や武将好きな方や歴史好きな方に観て頂きたいところであり、模型と立体映像で広島城をわかりやすく解説しているコーナーもあるので、幅広い年代層の方に必見です。また、第一層には鎧や兜や着物を試着できる人気の体験コーナーもあるので、ぜひ当時にタイムスリップした気分を味わってはどうでしょうか。
第二層
ここでは、広島の城下町の発展と人々の暮らしをテーマに展示を行っています。城下町の家々の様子や当時の子どもたちの遊び、また、お祭りの様子等を知りたい方にはオススメです。
第三層
ここでは、当時の武具・刀剣・甲冑を展示しています。当時の人はこれらのものを使いこなしていたのでしょうが、現在人としてはあんなに重そうなものを身にまとって戦っていたのを想像すると、スゴイの一言ですね。
第四層
ここでは、期間ごとにテーマを設けて展示を行っています。私が見に行ったときには、当時のオシャレ事情が展示されていました。口紅や簪といったものまた、女性の髪形や服装の最先端(流行)の解説等あり、いつの時代も女性による美の追求というものはとどまるところを知らないものなのだなと感心してしまいました。しかし、当時は歌舞伎役者のように化粧をした男性がモテていたこともあったようです(笑)
第五層
ここは、最上階の展望室になっています。広島城の東西南北が見渡せ、場内をとびこし、南側には原爆ドームや晴れている日には厳島神社のある宮島をみることができます。


広島城には、こんなスゴイやつがいる!
広島城の話をする際には、天守閣や二の丸や広島護国神社が登場しますが、知る人ぞ知るなんてものが広島城にもあります。そうそれが、

被爆樹

です。
被爆樹ってなに?っというような声が聞こえてきそうですね。
被爆樹とは、広島に原子爆弾が投下された際に熱線・爆風・放射線を受けながらも生き続けている樹木のことです。爆心地からおよそ2q以内の55箇所にある約170本の樹木が広島市によって正式に被爆樹として登録されています。この中の3種類の被爆樹が広島城内で生き続けています。その名も

ユーカリ・マルバヤナギ・クロガネモチ

と言います。
爆心地から1qも離れていない場所に生えていたにも関わらず、生き残り今なお生き続けるこの樹木たち。平和記念公園や原爆ドームが平和のシンボルであるのと同等に広島の復興のシンボルと言えなくはないのではないでしょうか。

初めて広島城に行かれる方などは、ぜひ探してみてください。そのためあえて地図はのせません(笑)
しかし、二の丸から順番に回ってもらえれば、木々に取り付けてあるプラカードの色が違いますので簡単にみつかるかと思います。


                     ユーカリ


                    マルバヤナギ

 
                    クロガネモチ

兎にも角にも、まずは行き方から
広島城を満喫するにもまずは、たどり着けないとお話になりませんよね。ここでは、公共機関や車で行く場合の役立ち情報をにご案内していきたいと思います。

まず、県内外問わず一番お手軽なのが電車+バスの交通手段だと思います。広島市中区在住の方を除き、以下の流れで行くことをオススメします。

広島駅到着⇒広島駅南口(噴水があるまたは福屋エールエールがある方)のバス乗り場⇒バス乗り場の7番ホーム30に乗る(7番ホームには、3種類のバスがあるため、掲示板を確認しましょう)⇒バスセンターで降りる(バスの経路は、女学院前〜合同舎庁前〜バスセンター。)⇒バスセンターを出て、北側に500mほど歩いていくと地下道への入り口があるので、地下道を通って向かい側の歩道(北側の歩道)に渡ってください。⇒あとは、歩道に沿って東側に歩いていくと二ノ丸が見えてきます。

※他にもバスセンター行きのバスはありますが、ここでは私の乗ったことのあるバスでの説明にさせて頂きます。ちなみに、合同舎庁前を過ぎると、右手に二ノ丸が見えてきます。また、バスセンターを出て北側に歩いていく道の方を向くと二ノ丸が見えますので、ほとんど迷うことはないでしょう。

この間のバス片道の運賃は150円(約10分)です。




次に車での行き方ですが、どこから向かうかによって変わりますので、ここでは割愛させていただき(笑)広島城付近の駐車場及び料金等詳細を記載しておきたいと思います。
オススメの駐車場は広島市中央駐車場(市営駐車場)・基町クレドパーキング・タイムズ基町の3つになります。
広島城内には、バスの駐車場しかないので注意して下さい。


広島市中央駐車場(市営駐車場)
営業時間は6:30〜24:00
電話番号は082-227-2110
料金は180円/30分(最大:2000円)※1泊(0:00〜8:00)は900円
住所は広島県広島市中区基町2
アドバイスポインント
・広島城に行くならこの駐車場が一番近くて、料金も安いのでオススメです。ただし、広島市中央庭球場(テニスコート施設)の地下にありますので、初めての方は分かりずらいかもしれませんので、事前にGoogleマップ等で調べてくることをオススメします。なお、駐車場入り口は広島市中央庭球場の東側にあります。
ここの駐車場は、広島城も近くテニスコート施設の地下にあるということもあって多くの人が利用されることが予想されますので、収容台数は406台と多いですが、極力混まないうちに利用された方が良いかと思います。
・この広島市中央駐車場のみは、広島城天守閣の休館日(12/29〜1/2)以外に天守閣に入場された方に限り駐車料金サービス券を提供していますので駐車券を忘れずに持っていきましょうね。なお、まれに臨時の休館日もあるようなので心配な方は広島城のホームページでチェックしてみて下さい。


基町クレドパーキング(機械式・自走式)
営業時間は7:30〜23:00(自走式のみ〜0:30)
電話番号は082-502-3490
料金は220円/30分※1泊(0:30〜7:30)は1000円
住所は広島県広島市中区基町6−78
アドバイスポイント
・広島市中央駐車場の次に広島城に近く、料金もそこそこになるのはこの基町クレドパーキングです。といっても、他のパーキングと比べると料金も全然安いですし、距離も500mと離れておらず広島城が見えるところにあります。
広島城を見た後で、街中に行くならオススメの駐車場です。


タイムズ基町
営業時間は24時間営業
料金は300円/30分(8:00〜24:00) 100円/60分(00:00〜8:00)※最大300円(00:00〜8:00に限り)
住所は広島県広島市中区基町11−8
アドバイスポイント
・こちらは広島城も行き、街にも行きたい人にオススメです。広島城からも500mくらいで路面電車にも近く移動には問題ないとおもいます。また、近くに原爆ドームや広島平和記念公園もあるのでそちらも一緒に訪れてみるのもいいですね。


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