平和記念公園


現在の平和記念公園及びこの地域一帯は、江戸時代から交通の要衝として栄えてきました。また明治にはいると、広島の政治・行政・商業の拠点となっていきました。
しかし、1945年(昭和20年)8月6日、原子爆弾(リトル・ボーイ)が人類史上初めて広島に投下された。原子爆弾は、平和記念公園からみて北東にある島上院の上空で炸裂し、近隣住民はもとより、当時この付近で疎開作業に従事していた多くの義勇隊や動員学生が望まぬ死と遂げ、街並みも一瞬のうちに一変しました。
この後1949年(昭和24年)8月6日に「広島平和記念都市建設法」が制定され、この地域一帯は丹下健三東大助教授とほか3名の共同設計により、面積は約122,100平方メートル(約37千坪)の現在の平和記念公園へと整備されることになりました。
ここでは、そんな平和記念公園の歴史や公園内外の建造物の意味などをご紹介していきます。

公園内の建造物

本川橋(猫屋橋)
相生橋
元安橋
平和の時計塔
平和の鐘
原爆の子の像


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