原爆ドーム

思いを伝えたい、過去から現在へ
今でこそ、ユネスコの世界遺産に登録され毎年国内外からたくさんの人にその姿をみせている原爆ドームですが、見る人によっては様々な思いがあることとおもいます。
しかし、だからこそ今後も多くの人たちにこの原爆ドームを訪れて頂き、平和についてまたは、戦争について考えてもらえれば、この建築物が残された意味があるのではないかと思います。

まずは、この原爆ドームの歴史ですが、1915年に広島県物産陣列館として開館しました。もともとは、日清戦争で大本営が設置されたことを契機に軍都として発展していった広島の経済規模の拡大及び広島県産品の販売開拓が急務となり、その拠点としてチェコの建築家:ヤン・レッツェルにより設計されました。

4年後の1919年には、広島県物産陣列館で開催された「似島独逸俘虜技術工芸品展示会」で株式会社ユーハイムの創業者でドイツ人の菓子職人カール・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ユーハイムにより日本では初めてバウムクーヘンの製造及び販売が行われました。
後の1921年には広島県立商品陣列所と改称し、原爆投下により廃墟となるまでには広島県産業奨励館に改称されました。

広島県にとっては、忘れることができない運命の日となる1945年8月6日、アメリカ軍のB‐29爆撃機(エノラ・ゲイ)により相生橋を目標とし原子爆弾(リトル・ボーイ)が投下されました。原爆ドームより東に160mの位置にある島病院の上空580mの地点で炸裂したこの原子爆弾が広島の街並みを大きく変えることになります。

その後、十数年の長い時を経て広島は回復していき、1960年代には、原爆ドーム取り壊しの流れが高まったが、女子高生(楮山氏)の日記よりこの流れが一変します。
この日記に感銘を受けた平和運動家の河本一郎氏が中心となり保存運動が始まり、1966には広島市議会により永久保存が決定しました。
二度と悲劇を繰り返さないため、起こさないようにするため、戒めや願いを込めて別名、負の世界遺産とも呼ばれています。



広島をゲット!?〜お土産、ご当地名産品、広島限定品など管理人がゲットしたものの中からオススメ品をチラ見せ〜
A広島産の大粒牡蛎を使った「蒸し牡蛎キムチ!!」



トップページ