平安時代末期 坂東・海道平氏(平家)と越後(平氏)城氏家臣団のページです。追加・源氏系由利氏。

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 越後守・城ノ資茂(長茂)肖像のつもり

 平ノ清盛の年表と、平家の軍団   平家一門の支配国

 平安時代 源氏の系譜    源ノ義仲(木曾義仲)の家臣団と軍団 

   平家の北陸経営 <平ノ重盛が外戚系の貴族を利用して支配に腐心している様子。>

 内大臣・平ノ重盛卿 肖像のつもり

北陸道支配の代官 *一門衆・準一門  義朝戦死後1160〜1180年の20年の平家政権。

(出羽国人)

藤原尹明 (*)平ノ・兵部権少輔・出羽守。藤原知通の息。母が平ノ忠盛の娘。平家の家人。「平治の乱」に義兄弟・藤原惟方の源氏離反を即す、二条天皇脱出に尽力。清盛の信頼を得る。「壇ノ浦の合戦」に捕縛される。1185年出雲に流罪。<藤原顕経 (*)出羽守。反清盛勢力。1179年11月解官。>

関ノ信兼 (*〜1185)平ノ・判官代・三郎・兵衛・出羽守。出羽国司。鈴鹿関の代官職。平ノ盛兼の息。弟に経隆。1156年「保元の乱」に清盛党とは独立し。平ノ維繁とともに一手一軍の大将。「治承・寿永の乱」に参陣。1180年平ノ知盛に従い近江出陣。息に頼朝のライバル・山木兼隆、兼衡、信衡、兼時。<和泉国の守護か?><1156年「保元の乱」に活躍した父・平ノ盛兼との関係が気になります。>

(越後国人)

⇔↑藤原成親 (1138〜1177越後守・讃岐守・尾張守。鳥羽上皇の寵臣・藤原(中御門)家成の息。平ノ重盛の義兄。1177年「鹿ケ谷事件」に義兄弟・師光(麻植為光の息)が斬首。甥の師高、(近藤)師経、師平も処刑される。

平ノ時実 (1151〜1213)越後守・讃岐守・左近衛中将。平時忠の息。義兄弟に源ノ義経。1185年「壇ノ浦の合戦」に捕虜。1186年上総に配流。1189年赦免され帰京。

(越中) 館氏 (越中国人)宮崎氏、河上氏、石黒氏、疋田氏、水巻氏、高楯氏、野尻氏。

平ノ盛俊 (*)越中守。執事・平ノ盛国の息。<越中守・平ノ業家との関連が気になります。>

館ノ貞保 (*〜1183)平ノ・太郎・貞康・貞安。伊勢平氏流。越中国人。平家家人。越中館荘を所領に持ち館姓とする。1159年「平治の乱」に参陣。1180年「富士川の合戦」従軍。1183年北陸遠征に従軍し戦死。<平家累代の家臣のようです。>

館ノ貞景 (*)平ノ・十郎・貞景。伊勢平氏流。越中国人。平家家人。越中館荘を所領に持ち館姓とする。1159年「平治の乱」に参陣。<平家累代の家臣のようです。>

(能登国人)土田氏、関氏、日置氏。

平ノ教経 (*)能登守

(加賀国人)林氏、倉光氏、富樫氏、安江氏、井家氏、都幡氏、下田氏、太田氏。

藤原保家 (1167〜1210)加賀守・権中納言。公卿。平家準一門。藤原基家の息。母は平ノ頼盛の娘。加賀国司。兄に基宗。<1177年白山との対立を引き起こした加賀守・藤原師高の跡職か。>

(飛騨国人)

伊藤景家 (*)平ノ景家・藤原・伊藤六・飛騨守。平家家人。藤原景綱の息。忠清の弟。1180年以仁王、源ノ頼政の謀反を鎮圧する。北陸遠征軍に従軍。<1156年「保元の乱」に為朝の弓で戦死する伊藤六とは別人。養子か?。>

藤原摂関家領(越前国人)

平ノ重盛 (1138〜1179)中務少輔・遠江守・伊予守・丹後守・越前守・近江権守・左馬権頭・右兵衛督・権大納言・小松殿・小松左大臣。清盛の長男。室は藤原成親の娘。父・清盛は安芸守・播磨守・太宰大弐。「保元(1156)・平治(1159)の乱」に活躍。1179年反清盛勢力。将来を期待されながらも父に先立ち病没する。<藤原季能 (*)越前守。藤原俊盛の息。反清盛勢力。平ノ基盛の娘婿。平ノ重盛の死後に越前守。清盛の反感を買う。1179年11月解官。>

⇔▽平ノ重景 (1157〜1184)平ノ・興三兵衛・与三兵衛。平ノ重盛の家人。維盛の乳兄弟。維盛と常に行動を共にする。維盛に従い入水自殺。<親子二代に渡り主家に忠節。>

 

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鎌倉初期 源ノ義仲(木曾義仲)の家臣団と軍団 

 

  <越後城氏(国香流平氏)の系譜>阿賀北に勢力をもつ豪族。余五将軍・平ノ維茂の孫から城氏を名乗る。

↓▲平ノ繁盛 (*)散位・陸奥守。平ノ良望(国香)の息。将門を打倒した平ノ貞盛の弟。右大臣・藤原師輔に出仕。986年比叡山への寄進を平ノ忠頼(忠常の父)に妨害される。息に平ノ兼忠。兼忠の子息に平(城)ノ維茂<叔父・貞盛の養子となる>、多気(海道)維幹。

平ノ兼忠 (*)上総介・出羽守。国香・貞盛流平氏。平ノ繁盛の息。藤原道長に出仕。息(養子?)に平ノ維茂(維良)、多気(海道)維幹。

平ノ維茂 (*〜1022)信濃守・出羽介・鎮守府将軍。常陸の海道平氏。将門を打倒した平ノ貞盛の15番目の息(養子とも)。実父は平ノ繁盛。1003年下総国府を焼き討ち。押領使・藤原惟風に追討され越後に逃亡。藤原諸任と抗争する<陸奥の豪族・藤原師種を討つ。諸任=師種は同一人物?>。1014年藤原道長に贈答品を送り鎮守府将軍。のち出羽に派遣され土着。「余五将軍」と武勇を賞賛される。<山城の鬼女を退治した伝説を持つ。><平ノ維良と同一人物とも。>

城ノ重成 (*)平ノ・秋田・出羽城ノ介・繁成・繁茂・重衡。維茂の息。1050年に任官。1051年藤原登任に従い「前九年の役」の前哨戦、出羽から2000兵を率い阿部頼義と戦う。「鬼切部の合戦」に大敗。<維茂と同一人物ではないかという説もあります。1062〜1074年「前九年の役」の陸奥守は源ノ頼義。>

城ノ貞成 (*)平・太郎・秋田城介・城太郎。重成の嫡男。<源ノ頼義の家人で、藤原経清が甥の、出羽豪族・平ノ国妙と同世代か。><清原真衡の養子となる海辺小太郎・成衡は子息とも。>

城ノ康家 (*)平・秋田城介・城太郎・泰家。貞成の嫡男。系統断絶。<清原真衡は1083年に没。1083〜1087年「後三年の役」の陸奥守は源ノ義家>

城ノ永基 (*)平・城二郎・永幹。貞成の次男(家督)。1117年代、越後国国人領主。<1093年出羽守・源ノ信明を攻め滅ぼし、陸奥守・源ノ義綱(義家の弟)に討伐された、平ノ師妙・師季の親子の世代か。当時の陸奥守は藤原基家(1093没)。><世代的に清原真衡の養子となる海辺小太郎・成衡と関連するか?>

⇔↑△城ノ資国 (*)平ノ・九郎・城九郎・助国。越後奥山荘の豪族。城永基の息(三男)。城永家に養育される<嫡流・康家の養子ということでしょうか?>。清原家衡の叔父・清原武衡(*〜1087)の娘婿。息に資職、資茂<世代的に微妙ですが、とりあえず出羽の有力豪族・清原家から室を迎えていたということでしょう。中興の祖という感じです。>

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  <越後城氏(国香流平氏)の系譜> 阿賀北に勢力をもつ豪族。平ノ維茂の孫から城氏を名乗る。

<源平争乱期> 1180年「以仁王の挙兵」。反乱軍・木曽義仲の鎮圧。

城ノ資職 (*〜1181平ノ資職・出羽城介・越後守・助長・助永・資永・資長。城資国の息、長茂の兄。母は清原武衡の娘。越後奥山荘の豪族。瀬波川流域の支配者。木曾義仲追討にあたるが病死する。<白河荘も領有したとも。清原家の様に二家分立支配でしょうか?。兄弟が多くて名前が混乱しているのかもしれませんね。>

 越後守・城ノ資茂(長茂)肖像のつもり

城ノ資茂 (*〜*1201)平ノ資茂・小太郎・四郎・越後守・永茂・長用・永用・長茂・助茂・助職。城助国の四男。資職の弟。兄の跡をついで、出羽・会津の兵を糾合し木曾義仲と戦う。1180年「市原の合戦」に敗北した信濃豪族・笠原頼直を保護。1181年木曾義仲に「横田河原の合戦」信濃国横田河原・千曲川(川中島)で敗れる。頼朝に降服し助命されるが冷遇。1189年「奥州征伐」に従軍。1201年小山朝政を急襲し「建仁の乱」を起こす。吉野にて戦死。<四郎長茂とも。越後鳥坂城の資盛と呼応し再起を図るが敗北し消息不明とも。>

【板額御前】 (*)坂額・飯角・城ノ板角・はんがく。桓武平氏。城ノ資国の娘。兄弟に資長、資茂。甥の資盛を助けて挙兵。兄に勝る武功を示し幕府軍を悩ませる。藤沢清親に敗北。のち浅利義遠の室となる。息に知義。<浅利氏は甲斐と、出羽国の比内のどちらが本家なのでしょう・・。出羽に主たる影響力を得たいなら板角姫を嫁と望むのもわかるような気がします・・。>

新津* (*〜1201)四郎。城ノ資茂の譜代家人。吉野にて戦死。<戦国時代の上杉謙信家臣の新津氏とつながるか。>

▼城ノ資盛 (*)平・小太郎・助盛。資長の甥(息とも)。1201年「建仁の乱」を起こす。長茂と協力して越後鳥坂城に挙兵。城氏再興に奮戦するが、佐々木盛綱の鎮圧軍に敗北。奥州に逃れるという。<藤沢清親、浅利義遠が城氏討伐の軍功。>

⇔▽恵日寺乗丹坊 (*〜1181)平ノ・城・勝湛房・城丹坊。城氏一門。恵日寺の僧侶。陸奥国会津恵日寺の衆徒頭。1181年「横田河原の合戦」に勝湛房の息が先陣。信濃国横田河原・千曲川(川中島)で敗れ戦死。

<城ノ資茂の家臣団と軍団> 1181年対:木曾義仲「横田河原・千曲川(川中島)の合戦」

浜* (*)小兵太。伴(橋田)太郎とともに筑摩越方面軍の大将。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

津波田宗親 (*)津張・庄司大夫。上田越方面軍の大将。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

平ノ* (*)新大夫。城丹坊の息。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

奥山* (*)権守・石見守。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

▽横ノ伴藤 (*)奥山・新大夫・藤新大夫。奥山権守の息。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

立川* (*)承賀将軍・三郎。陸奥の豪族。坂東別当・里別当の家子。城氏家人。1181年「横田河原の合戦」に参陣。<将軍三郎=清原武衡の子孫か。>

橋田* (*)伴・太郎。浜とともに筑摩越方面軍の大将。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

閑妻* (*)六郎。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

風間* (*)橘五。1181年「横田河原の合戦」に参陣。<子孫は、のちの越後新田党か。>

三河* (*)次郎。城氏家人。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

渋谷* (*)三郎。城氏家人。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

庇野* (*)太郎。城氏家人。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

▽相津* (*)会津。城氏郎党。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

<信濃衆> 信濃の平家派。反木曾義仲。

笠原頼直 (*)平五。平家家人。信濃豪族。上野高山党と合戦。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

笠原* (*)尾津・平四郎。信濃豪族。平五(笠原頼直)の甥。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

保科* (*)星名・源八。信濃豪族。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

富部家俊 (*〜1182)三郎。信濃豪族。上野の西七郎と合戦。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

▽杵淵重光 (*〜1182)小源太。信濃武士。富部家俊の家人。1181年「横田河原の合戦」に参陣。主とともに戦死。

小沢俊景 (*)左衛門尉。信濃豪族。1181年木曽義仲の挙兵に対し信濃征伐先陣。1181年「横田河原の合戦」に参陣。

<鎌倉幕府による城氏の遺領分配>

奥山庄 越後北蒲原郡 →和田義盛の甥・和田宗実。

白河庄 越後北蒲原郡 →白河庄内安田を、伊豆の大見実景の息子・大見(宇佐美)時実。

白河庄 越後北蒲原郡 →白河庄内水原を、伊豆の大見実景の息子・大見(宇佐美)行定。

鵜川庄内安田 →毛利氏。

荒川保 →河村氏。

小泉庄色部 →秩父氏。

加地庄 →佐々木氏。

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  <由利氏の系譜>

⇔大中臣奥生 (*)おくお。朝廷の神官。太政大臣・藤原忠平(880〜949)の命で、930年頃坂東の騒乱の平定を祈願。平ノ将門は藤原忠平の家司、藤原純友は縁戚だった。

大中臣道雄 (*)伊勢権守・伊勢神宮祭主。息に安景、有常、春常、秋常、時常、安則。

▽大中臣安則 (847〜928)伊勢神祇伯。道雄の息。息に完行、密如、述征、茂之、俊行、正行、文行、頼行、光行、佐行。

▽大中臣良臣 (*)伊勢権守・大中臣道雄の縁戚。大中臣一門衆。

⇔▽大中臣完行 (*)下野介。伊勢神祇伯・大中臣安則の息。939年「平ノ将門の乱」に降伏。下野守・藤原弘雅ととも追放される。

大中臣頼基 (886〜958)伊勢神宮祭主。備後掾・輔道の息。息に能宣。

大中臣能宣 (921〜991)伊勢神宮祭主。36歌仙のひとり。藤原清兼の娘婿。息に輔親、輔長、宣理。娘婿に源ノ兼澄(鎮守府将軍・信孝の息)。

大中臣輔親 (954〜1038)息に輔隆、娘婿に高階成順、大中臣守孝。

⇔大中臣宣茂 (*)宣言。1017年出羽守<由利氏の祖が大中臣氏。義家郎党の大中臣良平から始まるとされるが、宣言から在地下していた可能性も。>

大中臣良平 (*)油理・大中臣義衡・(由利良平)。清和源氏頼国流・源ノ行安の婿か。源ノ義家家臣。軍功により由利半郡を領地する。息に惟安。<源氏には熱田神宮などの協力関係もあり、東海道の各神宮神官達が、主力郎党となって奥州征伐に従ったのでしょうか。>

⇔源ノ行安 (*)満仲流。行国の息。由利惟安が跡職を継承。<1067年就任の陸奥守・源ノ頼俊に従うか。>

▽由利惟安 (*)大中臣。藤原家家臣。<源ノ義家の奥州撤退により、鎮守府将軍・清原貞衡に従うか。>

由利惟平 (*〜1190)「中八」・中原・八郎・惟衡。惟安の息。藤原泰衡郎党。1185年源ノ頼朝の「奥州征伐」に備え田河、秋田氏とともに出羽口を守備。1189年河田次郎謀反、藤原泰衡を討つ。降伏し鎌倉御家人となる。橘公業が秋田・小鹿島の領主に就任。1190年「大河兼任の乱」に戦死。息に惟久、惟重(惟政?)。

「鎌倉幕府御家人、由利氏(8陣代4要塞)」1190〜1213年間

由利惟久 (*)(源ノ)・惟友。惟平の息。弟に惟重。1213年「和田義盛の乱」に連座し失脚。息に惟政、惟満。成瀬館城主。

▽由利惟重 (*〜1213)

(8陣代)関、冬師台、田代、軽井沢、荒波、黒瀬、桂根、田原

(4要塞)汐越、平沢大野、羽川

<由利一門衆>

▽由利維義 (*)将監。平沢館城主。   

▽由利維正 (*)志摩介。大野館城主。

▽由利維忠 (*)八百八郎。岩倉館城主。

▽由利維知 (*)弾正。天鷺館城主。

▽由利維晟 (*)根代維晟・大毅。根代館城主。         

▽由利維張 (*)中務。城内館城主。

<由利外様衆>

清原武信  (*)岩谷・監物。岩谷元館城主。<古代氏族・清原氏の系譜か。>  

金剛秀生 (*)新城・蔵人。新城館城主。<奥州藤原氏軍奉行の金剛別当の系譜か。>      

安東維季 (*)大正寺・太郎。大正寺・新波館城主。<日ノ本大将軍・安藤氏の系譜か。>

西城戸高衡 (*)西木戸・桂之助。川大内須山館城主。<清原・藤原氏の分流か。> 

芦名清氏 (*)太郎。下村館城主。<三浦・和田氏の支流、蘆名氏の系譜か。> 

津久井行氏 (*)五郎。曲沢館城主。<三浦・和田氏の支流か。> 

「鎌倉幕府御家人、大井氏」1213〜1285「霜月騒動(秋田城介・安達泰盛)」

【小笠原 大弐局】(*)加賀美遠光の娘。源ノ頼朝の側室。1213年由利郡を与えられる。甥の大井朝光が由利郡を管理。

大井朝光 (*)小笠原(上総)・加賀美朝光・太郎・七郎。小笠原長清の息。母は上総広常の娘。信濃佐久の豪族。大弐局の甥。由利郡代官。1226年浅利七郎、結城七郎が白河関に公暁(将軍家)を討つ。

1260年前後、小野寺経道が雄勝郡に入植。

▽由利頼久 (*)八郎。鎌倉幕府御家人。1291年、1314年に児玉党・本庄(庄ノ)国房と所領を争う。

由利政春 (*〜1334)浜館・鳴沢館城主。由利郡を支配。1334年鳥海弥三郎により討たれる。

鳥海宗盛 (*)(安倍)・仁賀保・弥三郎・宗守。仁賀保の豪族。南北朝期、由利氏と覇権を争う。1334年由利政春を討ち由利郡を支配。

▽進藤* (*)鳥海氏重臣。弥三郎の死後、渡辺氏と抗争。進藤氏後裔は1360年代に所領を失い滅亡。

▽渡辺* (*)鳥海氏重臣。弥三郎の死後、進藤氏と抗争。渡辺氏後裔は1360年代に所領を失い滅亡。

滝沢政久 (*)滝澤・由利政久。

 

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鎌倉初期 源ノ義仲(木曾義仲)の家臣団と軍団 

 

   海道平氏(国香・貞盛流平氏) 平ノ国香→繁盛の系譜。

奥坂東支配の代官   義朝戦死後1160〜1180年の20年の平家政権。

↑▲平ノ繁盛 (*)陸奥守。平ノ良望(国香)の息。将門を打倒した平ノ貞盛の弟。息に兼忠。兼忠の子息に平ノ維茂(城ノ惟茂)<叔父・貞盛の養子となる>、多気(海道)維幹。

↑平ノ兼忠 (*)上総介・出羽守。平ノ繁盛の息。藤原道長に出仕。息に平ノ維茂(維良)、多気(海道)維幹。<平ノ安忠とは義兄弟ということになります。>

(多気家) 常陸平氏・平ノ貞盛流 坂東平氏・平ノ良文流とライバル。

多気維幹 (*)平ノ維幹・(海道)・常陸介・惟基。陸奥守・平ノ繁盛の系統。常陸国筑波郡多気の豪族。平ノ良文流・平氏と敵対関係。源ノ頼信とともに平ノ忠常を攻撃。平ノ惟茂(城ノ惟茂)は兄弟。息に為幹、為賢。

多気為幹 (*)平ノ為幹・多気権大夫。常陸国筑波郡多気の豪族。多気維幹の息。祖父は平ノ繁盛。息に多気繁幹、致幹。1020年常陸守・藤原惟通の館を襲撃し親族を負傷させ、追討される。1021年赦免された。

多気致幹 (*)平ノ致幹・権守・宗基。多気為幹の息。源ノ頼義と同盟。頼義は娘婿。1083年「後三年の役」に娘婿・清原成衡が滅亡。兄弟に(吉田)清幹、(石毛)政幹、宗幹、(小栗)重義。息に直幹。

▽多気直幹 (*)平ノ直幹・常陸大掾。千葉氏の娘婿。多気致幹の息。1083年「後三年の役」に従軍。息に真壁長幹、東条忠幹、下妻弘幹、多気義幹。<平ノ良文流の坂東平氏と結びつきます。>

▽吉田盛幹 (*)平ノ盛幹・多気。(吉田)清幹の息。息に石川家幹、吉田幹清。

▽鹿島成幹 (*)平ノ成幹・多気。(吉田)清幹の息。息に安房親幹、鹿島政幹。

▽行方忠幹 (*)平ノ忠幹・多気。(吉田)清幹の息。息に景幹。

▽小栗重能 (*)平ノ重能・多気。小栗重義の息。息に重成。

(陸奥守・海道平家) 古代氏族・岩城国造の子孫とも。坂東(常陸)平氏と縁を結び同族となるか。

平ノ安忠 (*)菊間・海道・陸奥権守・出羽守・菊満権守・出羽権守。陸奥守・平ノ繁盛の息(養子?)。清原氏と縁戚。陸奥国磐城郡を領する。<平ノ兼忠とは義兄弟ということになります。><鎮守府将軍・平ノ惟茂との関係は不明。>

平ノ則道 (*)海道・次郎大夫。安忠の息。陸奥国磐城郡を領する。<藤原清衡一門の娘婿とされる数世代後の岩城則道は同名の子孫でしょう。>

▽平ノ泰貞 (*)海道・平大夫。則道の息。陸奥国磐城郡を領する。息子が清原家の養子となり家督を継承。息に(清原)成衡、貞衡。<出羽国司とも。>

⇔▽平ノ貞衡 (*)岩城・海道・三郎大夫。則道の息、泰貞の弟。陸奥国磐城郡を領する。息に近衡、道綱。1062年「前九年の役」に源ノ頼義に従う。<『陸奥話記』の平ノ真平と同一人物の様です。><出羽・清原武則と縁戚のようです。>

平ノ繁衡 (*)岩城・海道。貞衡の跡職。陸奥国磐城郡を領する。

平ノ忠衡 (*)岩城・高久・海道・三郎・三郎大夫。平ノ繁衡の跡職。陸奥国磐城郡を領する。<岩城氏の始祖。頼朝の頃は海道太郎・好島清隆。><鳥海忠衡は出羽鳥海の清原忠衡のことではないでしょうか。>

(陸奥伊具平家)

↑▽平ノ永衡 (*〜1056)伊具・十郎。陸奥国伊具郡を領する。安部頼時に従う。藤原経清とは相婿の義兄弟。1051陸奥守・藤原登任から離反。1056年源ノ頼義に誅殺される。八竜に居す。<貞衡の一門(弟かも)。>

 

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鎌倉初期 源ノ義仲(木曾義仲)の家臣団と軍団 

 

  平ノ清盛の坂東郎党、大庭景親の軍団(1118〜1181) 伊勢平氏。従一位・太政大臣。平家の惣領。

坂東支配の代官   義朝戦死後1160〜1180年の20年の平家政権。

大庭景親 (*)三郎。相模国の豪族。鎌倉党。大庭御厨の領主。1180年3000余騎を率い伊豆平定に向う。鎌倉に入った頼朝破れに河村山に逃亡。

<大庭一門衆>

俣野景久 (*)股野・五郎・景尚。鎌倉党。御厨の俣野郷の豪族。「石橋山合戦」勝利後、甲斐源氏討伐軍に従軍。橘ノ遠茂に従う。

大庭景行 (*)源三。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。

<大庭家与力>

長尾為宗 (*)新五・新五郎。鎌倉党。大庭御厨の長尾郷の豪族。1180年大庭景親に従う。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。

長尾定景 (*)新六。鎌倉党。大庭御厨の長尾郷の豪族。長尾為宗の一門。1180年大庭景親に従う。

八木下正常 (*)五郎。鎌倉党。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。

漢揚* (*)五郎。鎌倉党。

梶原家景 (*)平次。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。

梶原景時 (*〜1200)平三。鎌倉・侍所所司。播磨・美作守護。相模の豪族。父は鎌倉景清(景長)。一族に大庭景親。平氏政権下で京都大番役。1180年頼朝の挙兵に命を助け信任を得る。源ノ頼朝の側近となり、上洛軍の目付。1183年頼朝の命で上総広常を謀殺する。1184年「一ノ谷の合戦」範頼軍、「一ノ谷・生田の森の合戦」に奮戦する。1184年平ノ重衡を鎌倉に護送。四国攻め義経軍副将。1188年越後の城長茂を迎える。1190年頼朝上洛に従う。1194年頼朝主催の北条泰時元服式に列席。1199年頼朝の死により失脚。1200年北条氏に一族滅ぼされる。

矢部景国 (*)権三郎。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。

<平家家人> *先代(義朝・義平)からの源氏御由緒家(譜代郎党)

海老名季貞 (*〜1180)源八・源八権頭・権守・季定。相模国の豪族、海老名基兼の息。源ノ有兼に養育される。横山党。「保元の乱」で源ノ義朝に従う。1180年頼朝挙兵に平家方として出動。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。のち頼朝により誅殺される。息に荻野季重(俊重)。子息六名。<子孫は足利家によりそい生きていくようです。>

荻野季重 (*〜1180)海老名・五郎・俊重・末重・季時。海老名季定の息。荻野忠義の養子。曽我祐信とともに鎌倉に入った頼朝に降伏臣従。頼朝の赦しを得られず舎弟二名ともに処刑される。

荻野秀光 (*)海老名・彦太郎・季光。頼朝に降伏臣従。頼朝の赦しを得られず処刑される。

荻野* (*)海老名・小太郎。

河村能秀 (*)波多野・三郎・義秀。相模の豪族。秀高の息。

波多野* (*)右馬允。

⇔*波多野義常 (*〜1180)羽田野・藤原・右馬允・義経。相模国の豪族。波多野二郎・義通の長男。義通の妹(義常の妹?)は源ノ義朝は妹婿、源ノ朝長(平治の乱に討死)の母(中原氏と再婚し、息に中原久経)。1180年安達盛長に頼朝挙兵の参加を求められるが応じず、鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。下河辺行平に攻撃され自害。大庭景義が子息・有経を預かり養育する。叔父に河村秀高、大友経家(三浦義継の娘婿)。

曾我祐信 (*)太郎・助信。相模国の豪族。曽我荘の領主。1180年頼朝挙兵時は平家方。荻野季重とともに鎌倉に入った頼朝に降伏臣従。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。のち頼朝に臣従。1193年自身養育した曽我祐成・時致の兄弟が工藤祐経を襲撃した事件では、頼朝に罪を許された。

⇔▽佐々木義清 (*)五郎・左衛門尉。母は渋谷重国の娘。渋谷荘で養育され、1180年の頼朝挙兵には外祖父・渋谷重国に従い平家方。のち頼朝に臣従。1184年父・秀義とともに伊賀に平氏を追討する。1189年「奥州征伐」に従軍。1221年「承久の乱」に幕府方、後に出雲守、隠岐守に任命される。

渋谷重国 (*)河崎(河島)・庄司。相模国の豪族、河崎(河島)重家の息。近江佐々木家の親戚。佐々木秀義は娘婿。相模国渋谷庄司の領主。1180年頼朝挙兵時は平家方。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。のち次男・渋谷高重とともに頼朝に臣従。1184年西国遠征に従軍。1185年源範頼軍に属し九州に渡り、豊後に原田種直軍を破る軍功。

山内経俊 (1137〜1225)滝口・首藤・三郎・刑部大夫。山内荘の領主。首藤経通の息、俊綱の弟。父兄は「平治の乱」に戦死。1180年頼朝の挙兵に応じず、頼朝の鎧に一箭を的中させ逆鱗に触れる。母が頼朝乳母のため、先祖の功とその哀訴の為赦免される。1184年波多野泰通、志田義広を伊勢に破る。伊勢守護に任官。1184年伊賀平氏の乱を鎮圧。1185年義経の副将・伊勢義盛を討伐する。1189(文治5)年の「奥州征伐」に従軍。1204年平盛時、平基時ら平家残党に攻撃され逃亡。将軍・実朝に所領を没収される。

山内* (*)四郎。山内俊経の一門。

稲毛重成 (*〜1205)畠山・小山田・三郎・入道。秩父一族。小山田有重の息。父・有重は平家家人として木曽義仲と戦う。北条時政の娘婿。宇都宮朝綱は叔父。畠山重忠(1164〜1205)の従兄弟。1184年「宇治川の合戦」に範頼軍。1184年2月平家追討軍として摂津在陣。1184年「一ノ谷の合戦」範頼軍。1184年「一条忠頼誅殺」に父と弟・榛谷重朝とともに従軍。1189年「奥州征伐」に従軍。1190年頼朝の上洛に従軍。1195年大和東大寺供養の供奉。1199年梶原景時糾弾の連判に署名。1205年従兄弟の「畠山重忠誅殺」に北条時政と共謀したことが発覚し、大河戸行元に討たれる。子息・小沢重政は宇佐美祐村に討たれる。

熊谷直実 (1141〜1208)次郎・蓮生。武蔵国の豪族、熊谷直貞の息。母は久下直光の妹。源ノ義朝に従い「保元の乱」に初陣。源ノ義平に従い「平治の乱」に出陣。源ノ義平に従い内裏東門を守備した17騎のひとり。乱後一族ともに平家の家人となる。1180年頼朝挙兵の際は大庭景親に従う。のち頼朝に臣従。1180年佐竹秀義討伐に従軍。「一ノ谷の合戦」義軍副将3000余騎、平山季重との先陣争い、平ノ敦盛を討取りで有名。武蔵国大里郡熊谷郷。出家遁世し京都東山に没す。68歳。

岡部忠澄 (*)六弥太・六郎・忠純。猪俣党。1159年「平治の乱」に源ノ義平に従う。1184年「一ノ谷の合戦」に平ノ忠度を討取る。1189年頼朝の「奥州征伐」に従軍。

浅間* (*)三郎。

広瀬* (*)太郎。

笠間* (*)三郎。

糟屋盛久 (*)権守。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。<平家追討軍の糟谷藤太・有季の一門か。>

本間* (*)五郎。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。<平家追討軍の本間右馬允・義忠の一門か。>

森ノ景行 (*)毛利・太郎。糟屋荘・毛利荘の領主。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。

原ノ* (*)宗三郎。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。<平家追討軍の原三郎・清益の一門か。>

片平* (*)矢五。鎌倉入りした頼朝の処刑帳に揚げられる、奉行・佐々木五郎。

<離反組み>

飯田家能 (*)渋谷・三郎・五郎。渋谷重国の五男。頼朝軍に寝返り、頼朝を救援。

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 城の女将、板額御前(板角姫)肖像のつもりw。

《個人的感想》 「古代刀」や「日本刀」というものを、どの次期のどれに設定するかで、話の基準がまずズレそうですが、

初期、「蕨手刀」は朝廷方の東征軍が携帯していたものであったなら、たたら技術そのものも付随して、

中国地方の砂鉄製法のものが東北にもたらされていたとしても全然おかしくないとは思います。成分分析しても大和方なら砂鉄でしょう。伝世品もあるでしょうし。鋳なおしての再利用もあるかもしれません。

それから数世代を経て、東北で在地で資源を得て、製作していく際に、どれだけの技術進化を遂げたか。

 東方の刀が優秀だと、評される原因は? 「斬鉄剣」とも呼ばれる硬さの原因は?

その理由は東北の中で良い鉱山があったのか、もしくは北方から特殊な加工技術がもたらされていたかのどちらかなのでは。

 鉄はクロムという物質を加えると「鋼(はがね)」となるそうな・・。

 

秦の始皇帝陵の青銅剣からはクロムメッキという錆びない加工技術がほどこされていたそうな・・。

 人類はクロムの抽出方法をはるか昔から知っている。ということは誤りではなさそう。

 

日本列島の東方に鉄鉱山と、希少なクロム鉱山があったんじゃないですか?

 大日本帝国の「戦争特需」武器製造の資源乱獲により、財閥の鉱山開発により、

 現在は「東北刀」の、その歴史が辿れなくなってしまってるんじゃ?

大日本帝国海軍の戦艦の「黒鉄」やらは、どのような成分構成だったのでしょう・・? 「鋼」だったのかな?

 詳しく知らないので、真実はなんとも言えませんが、

鉱山のそばの登り窯とかは、開発とかの破壊、鉱山の閉山とか、諸般の理由で、発見や調査は難しいのでしょうねえ・・。

 奥州安倍氏が用いていた刀剣「蝦夷刀」を追求するならば、東方の鉄資源を見直していく努力が必要な気がします。

断絶した古代技術というものが、あるような気がします。

古代日本を取り戻すというか、「蝦夷刀」を取り戻す的な表現になるのでしょうか。

 越後守・城ノ資茂(長茂)肖像のつもり

鎌倉時代の北陸・中仙・関東・奥州

室町時代の 東国の守護 

南朝方の大名・豪族の家臣団 

戦国時代の東北の大名・豪族の家臣団

  <奥州日本海側の諸豪族>

鎌倉時代入植

三浦・和田氏⇒中條・黒川氏 

高井道円 (*〜1277)三浦時茂・入道道円。高井重茂の息。出羽国常牧郷(雄勝郡)を領する。1277年領地を三分割し孫に与える。(中條)茂連、(北条)茂長、(南条)義基。

▽和田義長 (*)五郎。兄弟に和田義盛。1278年出羽国常牧郷(雄勝郡)を領する。のち和田氏は執権・北条義時と対立し謀反。息に胤長。

▼和田繁晴 (*)石見・左衛門・蔵人。足利将軍に出羽国山本郡幡江郷内荒居村を安堵される。

松葉(藤原)氏⇒平賀氏 出羽平賀郡ほか、越中国油田条、上総国桜屋郷、安芸国高屋保など。

松葉資宗 (*)壇の浦の合戦に軍功。尾張国古地野を領する。奥州征伐に従い出羽国平鹿郡を領する。息に惟泰、惟時(忠時?)。

平賀惟泰 (*)資宗の息。息に惟長、惟貞(惟致)。

平賀惟致 (*)惟貞。惟泰の息。息に貞泰、惟藤。

平賀惟藤 (*)松葉。尾張の豪族。平賀惟致の息。兄・貞泰の跡職を相続。出羽国平賀郡を領する。

平賀兼宗 (*)息に貞宗。

▼平賀貞宗 (*)平鹿・直宗。足利義詮から出羽平鹿郡を安堵される。

橘氏

橘ノ公員 (*)小鹿島・きんかず。公業の息。1288年北条家と対立し秋田郡の地頭職を放棄。肥後国久米庄に隠居。<先祖伝来の土地を安易に手放す理由とは、在地下した一門ありか。>

 

武藤・成田氏(一門に安保、奈良氏)

成田頼時 (*)鹿角国代。武蔵埼西郡成田郷の豪族。埼西郡司・武藤氏の後裔。北畠顕家により鹿角郡の代官に任命される。大里館城主。

安保* (*)成田一門衆。

奈良* (*)成田一門衆。

宇都宮・秋元氏

秋元* (*)下野国・宇都宮朝綱の後裔。上総国秋元郷を領する。

庄氏(本庄) 坂東八平氏、秩父氏分家

本庄氏 越後国小泉荘 鎌倉時代に入植。城氏の旧領を得る。

佐々木氏

加治氏

大江氏

北条氏

大宝寺氏・大泉氏(大梵字氏)

武藤氏平 (*)藤原。秀郷流。鎌倉時代に庄内地方の地頭となる。初代。

砂越氏 さごしし。出羽国飽塩郡の豪族。鎌倉時代に軍功により入植。

須藤氏 出羽国飽塩郡の豪族。出羽留守職。砂越氏と

 

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