鎌倉時代 東海・近畿・山陰・山陽地方の鎌倉幕府守護大名のページです。

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 若狭守護:惟宗 (島津・津々見)忠季公 肖像のつもり。「承久の乱」に幕府軍として北近畿を席捲。

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<東海地方> 北条氏領地 「承久の乱:1221年」宮方  「文永・弘安の役:1274〜1281年」

 

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 鎌倉幕府の変遷

[美濃国守護大名] 北条直轄

*先代 土岐(源氏) or 山田(源氏) or 八島(源氏)

平賀義信 〈美濃守護*1185-1186〉(1143〜1207)源ノ義信・大内・四郎・武蔵守・入道・義宣。新羅義光系。源ノ盛義の息。室は比企ノ尼の娘。信濃佐久郡の豪族。1159年「平治の乱」に源ノ義朝に従い軍功。武蔵を巡り畠山氏と対立。息に隆信(大内惟義)、朝信、朝雅、小早川景平。

⇔▽土岐光基 (*)源ノ・蔵人・左衛門尉・伊豆守・伊賀守・判官・検非違使。源ノ光信の息。母は藤原佐実の娘。兄弟に光基、光重、光長、光義、国時、信保。1145年に人傷沙汰で検非違使解任。息に(伊賀)頼基、(光行)。養子に甥の(土岐)光衡。娘婿に河内守護・藤原秀宗。外孫に藤原秀康、秀能。

大内惟義 〈美濃守護1187−1195〉(*〜1220*)平賀惟義・源ノ惟義・大内・冠者・相模守。信濃源氏。伊賀・美濃守護。平賀義信の息。母は小早川遠平の娘か。藤原秀宗の妹婿。伊賀国大内荘を領する。源ノ義経の平氏追討軍に参加。「一ノ谷の合戦」に軍功。伊勢羽鳥山に志田義広を追撃する。1185年(文治元)年に頼朝の推薦で後白河院から相模守を拝領<相模守護1185-*>。1189(文治5)年の「奥州征伐」に従軍。1190(建久元)年に頼朝と共に上洛。主に在京し京都の治安維持にあたる。兄弟に隆信、朝信、朝雅、小早川景平。息に惟信、惟親、家信、惟家、義海。娘婿に四条隆綱。<山内首藤氏に代わり伊勢・伊賀守護。>

⇔▽平賀朝雅 〈*〉(*〜1205)源ノ朝雅・武蔵守・右衛門佐・朝政。信濃源氏。新羅義光系。源ノ義信の息(2男)。室は北条時政の娘。信濃佐久郡の豪族。のち1203年京都守護。武蔵を巡り畠山氏と抗争。1205年将軍職を望み、山内首藤通基により討たれる。<北条時政の後妻・牧の方の娘婿。>

▽土岐頼基 (*)伊賀頼基・伊賀冠者。後白河院蔵人。光基の息。弟に(光行)。伊賀の土岐領を相続。惣領職は養子の義弟・光衡が相続。義兄弟に河内守護・藤原秀宗。甥に藤原秀康、秀能。

⇔▽平賀朝信 〈*〉(*〜1205)源ノ朝信・三郎。新羅義光系。源ノ義信の息(3男)。信濃佐久郡の豪族。頼朝に従い「奥州征伐」に従軍。

▽土岐光衡 (1159〜1206)源ノ光衡・三郎・蔵人・左衛門尉・判官。光基の息(養子とも)。光長の息。義兄(叔父)・頼基に代わり美濃土岐家嫡流を相続。義兄に頼基・光長。実兄に国長、光経。清和源氏頼光流。息に(光行)、光時。鶴ヶ城城主。

大内惟信 〈美濃守護*−1221〉(*〜*1221*1230)平賀惟信・源ノ惟信・帯刀長・左衛門尉・検非違使・大内判官。大内惟義の息。1205年「牧の方事件」に連座し叔父・平賀朝雅が失脚。跡職を継承して伊勢・伊賀両国の守護。京都守護も兼任する。1221年「承久の乱」に上皇方。配流される。弟に惟親、家信、惟家、義海。妹婿に四条隆綱。

土岐光時 (*〜1221)判官代。清和源氏頼光流。1221年「承久の乱」に上皇方。

▽土岐光行 (*)信濃守。清和源氏頼光流。土岐郡の豪族。1221年「承久の乱」に幕府方。息に国衡、光俊、国義、光定。<「承久の乱」により家督が動き、光行の系譜がややこしくなるか。>

*〈美濃守護1221−1251〉

 

宇都宮泰綱 〈美濃守護1252−*〉(1202〜1260)(北条)藤原・前下野守・下野前司・弥三郎・宇都宮検校・修理亮。宇都宮頼綱の息。母は北条時政の娘。宇都宮氏第6代。北条朝時の娘婿。1241年下野守、1243年幕府評定衆。執権・北条時宗の命で九州下向。「弘安の役」に軍功。美濃宇都宮氏。息に景綱、経綱、盛綱。娘婿に北条経時、小山時長。<南北朝期に活躍する美濃の宇都宮氏。><父は平賀氏に加担した謀反の罪で失脚。守護就任は尾張守護の小野・中条氏と関連ありか。>

1274・1281年の「文永・弘安の役」

▽土岐光定 (*)美濃守・(光貞)。兄弟に国衡、国義、光俊。清和源氏頼光流。土岐郡の豪族。第9代執権・北条貞時の娘婿。息に国時、胤国、(蜂屋)定親、頼定、(舟木)頼重。

北条氏一門 〈1296−1333〉 北条直轄

伊賀時村 〈美濃守護1296−1300〉(1242〜1305北条時村・陸奥三郎・新相模三郎・左近大夫将監・武蔵守・時遠。7代執権・北条政村の息。三浦義村の娘婿。六波羅探題北方奉行。長門探題〈1300−1305〉。幕府連署。兄弟に政長、政頼、宗房、政方。1305年「嘉元の乱」に北条宗方に居館を襲撃され戦死。64歳。息に為時。

土岐定親 (*〜1305)蜂屋定親・貞親。清和源氏頼光流。土岐郡の豪族。光定の息。1305年「嘉元の乱」に連座し処刑される。息に定経、(原)師親。

土岐頼定 (*〜1324*)頼貞。清和源氏頼光流。土岐郡の豪族。光定の息。定親の弟。兄の死により家督。「桔梗一揆」の惣領。1324年後醍醐天皇の「正中の変」に従い反幕府。息に頼直、頼清、頼兼、頼遠、頼基。

土岐頼兼 (*〜1324)頼定の息。兄に頼直、頼清。弟に頼遠、頼基。1324年後醍醐天皇の「正中の変」に連座。

土岐頼員 (*〜1324)定経の息。定親の孫。兄に光経。六波羅の役人・斎藤利行の娘婿。1324年討幕の計画を幕府に漏らす。後醍醐天皇の「正中の変」に連座。

多治見国長 (*〜1324)国純の息。1324年後醍醐天皇の「正中の変」に連座。

北条政高 〈美濃守護1332−*〉(*〜1333)武蔵・左近大夫将監。1332年上方に上洛軍。<北条政高(*)四郎・孫太郎。伊具北条氏。北条政有の息。弟に六郎・有隆。は同一人物か。>

土岐頼遠 (*)清和源氏頼光流。頼定の息。頼定の跡職。厚見郡の豪族。足利尊氏に従い、討幕。長森城主。

<室町初期、宇都宮家が南朝方重鎮として美濃に。影響力のある一門。>

 

織田信長の家臣団と軍団 top (街道六道御番役)地方方面軍・独立軍団軍団長、 直属・旗元馬廻衆旗頭{近衛軍}

[尾張国守護大名] 小野家・中条家

*先代 源ノ行家に従い全滅か。

小野成綱 〈尾張守護1195−1211〉(*〜1211)野三・刑部丞・成田太郎。武蔵国多摩郡「横山党」。北埼玉郡成田を領する。野三大夫・成任の息。娘婿に梶原景高。義朝の側近。1156年「保元の乱」に奮戦。「治承・寿永の乱」に軍功。阿波麻殖保に所領を与えられ地頭。1188年後白河側近の平康頼に阿波の年貢滞納を訴えられる。1189年「奥州征伐」に従軍し、藤原泰衡を攻撃。1194年頼朝の上洛に従う。尾張守護として頼朝の宿所を手配。

中条成尋 〈*〉(*)小野・義勝房法橋・義勝坊。野三成綱の弟、野三義成の叔父。北埼玉郡中条保に住す。出家し法体ながら成綱とともに頼朝に挙兵に従う。息に家長。

↓▽小野義成 〈尾張守護1211−1221〉(*)成田・野三・山城守。野三成綱の息、野三盛綱の兄。頼朝の側近で京都代官の一条能保・高能親子の家司。1199年一条家の同僚・後藤基清、中原政経とともに源通親を襲撃し捕縛される。のち後鳥羽院に出仕。1221年後鳥羽上皇に従い、山城国守護・伊賀光季を討伐。美濃・近江で幕府軍と抗戦し敗北、逃亡する。息の小野成時は「宇治川防衛戦」で戦死。息に成時。

小野盛綱 〈尾張守護1211−1221〉(*)成田・野三・下野守・下総前司。野三成綱の息、野三義成の弟。1221年後鳥羽上皇に従い、山城国守護・伊賀光季を討伐。美濃・近江で幕府軍と抗戦し敗北、逃亡する。甥の小野成時は「宇治川防衛戦」で戦死。

小野成政 〈尾張守護1225−*〉成田・野三・右近将監・前右近将監。小野妹子の子孫。<事績不明瞭・・。中条家の人物か?家長と同一人物?、美濃守護となる宇都宮家と関わりがあるか。><平子氏は別称「野平」、「野」は横山党の先祖・小野妹子の「野」。「三」は三浦氏に通じる称か。鎌倉初期侍所別当の和田義盛が、何故に勢力(求心力)があったのか、武蔵の武士団が一致団結できる何か「血」の拠り所があったのかもしれません。>

中条家長 〈尾張守護*−1239〉(1165〜1236)小野・八田・藤原・宇都宮・藤次。中条成尋の息。叔母が宇都宮宗綱の室。最初、八田知家の養子。頼朝の奥州征伐に従軍し軍功。乱暴により蟄居。1195年頼朝上洛に随従。のち1221年「承久の乱」後、小野盛綱の跡職を相続。のち尾張守護・三河高橋庄地頭職。1225年幕府評定衆。<同姓同名の別人、藤次・家長がいるかもしれませn。>

中条時泰 〈尾張守護1239−*〉(*)小野・八田・藤原・宇都宮。家長の息。息に家平、光平、家親、家国。

中条家平 〈尾張守護1240−*〉小野・八田・藤原・宇都宮・出羽判官・左衛門尉。武蔵国多摩郡「横山党」。尾張高橋荘の領主。時泰の息。中条家長の孫とも。将軍・九条頼経の側近。1240年尾張守護職。刀術「家平法」を創案。息に時家、光家。

▽中条時家 (*)出羽四郎・伊豆守。家平の息。伊豆守家。息に頼平、時平。

▽中条行方 (*)和泉守・和泉前司。1247年三浦氏討伐の「宝治合戦」に従軍。

中条頼平 〈尾張守護1252−*〉小野・八田・藤原・宇都宮・出羽・藤次郎・左衛門尉。尾張高橋荘の領主。時家の息。家平の孫。「中条流剣術」創始。息に長宗、秀長、長綱。<美濃守護・宇都宮泰綱と連動するか。>

▽中条長宗 (*)伊豆守・長家。頼平の息。息に景長。

名越時章 (1215〜1272)北条・大炊助・式部少丞・尾張守。名越家第2代惣領職。北条一門衆。名越朝時の息。母は大友能直の娘。二階堂行有の娘婿。名越光時の弟。1247年評定衆。1246年・1272年に兄弟が得宗家に相次いで謀反を起したため誅殺される。息に公時、篤時。<死後、所領国の九州大隈などが幕府に収公されるなど、「元寇」に備えての得宗家の陰謀によるものとも。>

1274・1281年の「文永・弘安の役」

中条秀長 〈尾張守護*−*〉(*)備前守・尾張守・伊賀守。尾張・伊賀守護。頼平の息。息に長国。<「元寇」により備前に赴任か。>

中条景長 〈尾張守護1290−*〉小野・八田・藤原・宇都宮・出羽・二郎左衛門尉・前出羽守。尾張高橋荘の領主。金谷城築城。1354年長秀が挙母(衣)・金谷城を継承。息に長秀、時長。

▽中条長秀 (*)兵庫頭・出羽守。景長の息。息に秀孝。養子に(甲斐)直則、(小田)孝朝。

▽中条長国 (*)駿河守。秀長の息。出羽国に赴任。息に(谷地)長政。

中条秀孝 (*)左衛門尉・備前守。長秀の息。息に詮秀。<「元寇」により備前に赴任か。>

北条氏一門 〈1314−1333〉 北条直轄

名越宗教 〈1314−1333〉(*〜1333)北条・遠江守・遠江前司・遠江入道・元心。。北条氏一門衆。 北条教時の息。弟に名越宗氏。所領国に尾張。 「元弘の乱」鎮圧の為、尾張軍を率いて上洛。大仏家時、大仏高直とともに楠木正成討伐軍。紀伊方面を担当する。息に時治。<父が討たれたのは1272年・・・。>

▽名越時治 (*)北条時治。宗教の息。

▽名越時如 (*)北条時如・中務大輔。

▽名越朝貞 (*〜1333)北条朝貞・中務大輔。名越時基の息。母は二階堂行久の娘。1315年鎌倉大火で屋敷が炎上。

<室町初期、中条家が重用される。影響力のある一門。>

 

 

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[三河国守護大名] 橘・武田・安田→

安達盛長 〈三河守護1194−1199〉(1135〜1200)藤九郎・六郎・入道蓮西。藤原北家魚名流。小野田兼盛(兼広)の息。源ノ頼朝配流時代からの側近。1180年頼朝の挙兵に参陣する。中原光家と共に東国御家人召集の密使として活動。1184年頃から上野国の奉行人。1189年「奥州征伐」に従軍。頼朝の二度の上洛に供奉する。1199年頼朝の死により出家。将軍頼家の元で重臣13人合議制のひとり。梶原景時弾劾の連署に、息・景盛と親子で署名する。66歳。息に景盛。

*<安達天野氏?安達氏が九州に影響力を持つのは天野遠景の縁か?>

⇔▽安達景盛 (*〜1248)弥九郎・上野守・摂津守・出羽守・右衛門尉・出羽介・秋田城介。安達盛長の息(養子とも)。頼朝の幕府創業時から傍にあり活躍。頼朝死後に将軍・頼家の後見人・梶原景時と対立する。1199年梶原景時糾弾の連判に署名。1205年「畠山重忠の乱」、1213年「和田の合戦」に北条方。1221年「承久の乱」に北条時房に従い軍功。娘が北条泰時の嫡子・時氏の室となり、北条家の外戚として権勢を得る。1247年嫡子・義氏と三浦泰村との対立から執権・北条時頼と結び三浦氏を攻撃し排除。北条家と関係を深め幕府に重きをなす。息に義景。

⇔▽安達義景 (1210〜1253)城太郎・秋田城介。1237年父の跡職を継承する。1239年評定衆に列する。1241年従五位上に任官。1242年二階藤行義とともに上洛、幕府の代表として四条天皇の跡に後嵯峨天皇を推す。1246年「宮騒動」に名越(北条)光時とともに鎮圧にあたる。執権・北条経時と時頼の外戚として幕府に勢力を持つ。1247年三浦泰村と対立し、三浦氏を打倒。44歳。息に泰盛。

足利義氏 三河守護〈1238−1252〉。(1189〜1254)武蔵守・陸奥守・左馬頭・入道正義。足利義兼の息。母は北条時政の娘。北条泰時の娘婿。九州の天野(足立)遠景と対立。「和田の乱」、「承久の乱」、「宝治の合戦」に軍功。北条泰時の主力軍として活動。1241年出家。54歳。息に長氏、義継、泰氏。娘婿に藤原隆親。<天野氏を通して安達一族と軋轢?>

足利氏一門 〈1252〜1333〉 足利家歴代当主 TOP

吉良長氏 (*)西条吉良。義氏の庶長子。足利惣領家督は弟の泰氏。息に(吉良)満氏・(今川)国氏。孫に吉良貞義。<泰氏は上総・三河・丹後を獲得。>

吉良義継 (*)東条吉良。義氏の息。息に経氏。孫に経家。

斯波家氏 (*)泰氏の庶長子。足利惣領家督は弟の頼氏。弟に渋川義顕、石堂頼重、一色公深。<頼氏は上総・三河を維持。>

1274・1281年の「文永・弘安の役」

⇔▽吉良貞経 〈*−1331〉東条吉良・宮内大輔・三河守。吉良経家の息。兄に吉良貞家。北条氏の命で出陣。<三河守護職が足利家執事としてか、北条直参としてか気になるところです。>

《個人的感想》 足利歴代の庶子が根を下した東海地方。義氏の子の吉良家と今川家、泰氏の子の斯波家と石橋家、それぞれ足利高氏に対して我が家は対等の身分という心を持ってもおかしくない状態だったのでしょう。しかしその庶家の更に分家の一族が、やはり下克上の為に嫡流・高氏との直接の結びつきを求めたので、家門がひっくり返る事がなかったのでしょう。

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[遠江国守護大名] 武田・一条・安田→ 北条直轄

安田義定 〈1180−1193〉(*)武田。甲斐源氏。源ノ清光の息、武田信義の弟。「宇治川の合戦」義軍。「一ノ谷の合戦」義軍。1180年以仁王の令旨に従い挙兵。遠江に進出し領国化する。本家とは独立した動きを見せ、木曽義仲に一時従う。源ノ範頼・義経兄弟の義仲追討軍に呼応。

安田義資 (*〜1194)源ノ・武田・田中・太郎・越後守・従五位下。義光流甲斐源氏。武田信義の弟・安田義定(遠江国守護)息。頼朝に厚遇され武田家から独立する。1185年(文治元)年に頼朝の推薦で後白河院から越後守を拝領。越後国守護(国司)。1189(文治5)年の「奥州征伐」に従軍。1190(建久元)年に頼朝と共に上洛。1194年法皇の怒りをかって討たれる。

北条時政 <1203〜1205>(1138〜1215)平ノ・四郎・遠江守。「鎌倉北条氏初代」。伊豆田方郡北条の豪族。時家の息。娘婿に源ノ頼朝。1156年「保元の乱」に伊豆目代・藤原経房に捕縛される。1160年「平治の乱」に捕縛された源ノ頼朝の監視を伊東祐親とともに命じられる。1170年伊豆大島にて源ノ為朝の反乱を鎮圧。1177年京都大番役に上洛。山木兼隆との縁組に失敗。1180年頼朝の挙兵に応じる。1185〜1186年京都守護。1193年曽我兄弟事件を利用し工藤氏を追い伊豆支配を確立。1200年「遠江守護」甲斐源氏を圧倒する。1203年将軍・頼家の急病に遺言を捏造「関西38カ国を千幡、関東28カ国を一幡の管轄とする。」とし、一幡を擁する比企能員との対立が表面化。1204年「遠江守護」就任。北条政子の命で比企氏追討の御家人が招集される。千幡(実朝)を後見し政所別当。後妻・牧ノ方の娘婿に平賀朝雅。1205年畠山重忠を謀殺。義時に地位を譲り隠居。78歳で死去。

遠江政範 (1189〜1204北条政範・遠江左馬助。北条時政の息。母は牧ノ方。3代将軍・源実朝の側近。源実朝の室となる坊門信清娘の輿入れのため上洛。京都で急死。16歳。

北条義時 <1205〜1224>(1163〜1224)江間・小四郎・前陸奥守。法名「得宗」。以降の嫡流を得宗家と呼ぶ時政を初代とし、義時を「得宗2代」。1205年父・時政と平賀朝雅の実朝暗殺計画を阻止。父を追い惣領職。1221年「承久の乱」に鎌倉留守居。

北条泰時 <1224〜1242>(1183〜1242)江間・太郎・頼時。「得宗3代」。六波羅探題職<北・1221〜1224>。幕府を鎌倉の中心、若宮大路に面した宇都宮辻子に移動。叔父・時房(佐介・大仏の祖)を執権補佐(連署)に据える。有力御家人を評定衆に迎え合議制を確立。三浦氏と協調路線。1232年最初の武家の法律「御成敗式目」を制定。弟に(名越)朝時、(赤橋・極楽寺)重時、政村、(金沢)実泰、(伊具)有時。

⇔▽名越朝時 (1193〜1245)北条朝時・次郎・式部丞・式部大丞・越後守・周防守・周防権守・遠江守・入道生西。北条一門衆。執権・北条義時の息。鎌倉幕府執権・北条泰時(頼時)の弟。母は比企姫前(比企朝宗の娘)。母方の実家で「比企能員の乱」が起きる。1211年3代・源実朝の勘気により失脚。一時父・義時から駿河富士郡に蟄居を命じられる。1212年「和田の乱」に将軍御所守備。1221年「承久の乱」上洛軍。1234年北条経時の元服式に列席。大隈守護〈1225〜1245〉。弟に重時、有時、政村、実泰。大友能直の娘婿。北条時房の娘婿。息に光時時章、時長、時幸、字兼、教時、時基。娘婿に足利泰氏、宇都宮泰綱。<母方の比企氏の遺領を継承。>

北条氏一門 〈1238−1333〉 北条直轄

⇔↓北条時房 〈1238−*〉(1175〜1240)佐介時房・(大仏)・五郎・遠江守・相模守・修理権大夫・時連。北条時政の息(三男)。北条一門衆。遠江・駿河・武蔵・相模守護。六波羅探題南方奉行。息に時盛、時村、時直、時定。

北条時直 (*)佐介時直・(大仏)・相模・相模五郎・式部大夫・遠江守。北条一門衆。北条(大仏)時房の息。<鎌倉幕末の中国探題、北条時直と同名の為、混乱しないように注意しましょう。>

北条朝直 〈1252−*〉(1206〜1264)大仏朝直・相模四郎・木工権頭・相模権守・武蔵守・備前守・遠江守。北条時房の息(四男)。伊賀光宗の娘婿。北条泰時の娘婿。安達義景の娘婿。兄・時盛は佐介北条氏。時村・資時の出家により家督。息に朝房、宣時。

名越教時 (1235〜1272)北条・遠江守。北条一門衆。名越朝時の息。母は北条時房の娘。北条時宗と対立。弟・教時、北条時宗の異母兄・北条時輔とともに謀反計画。執権・時宗により「二月騒動」で討伐される。兄・時章は惣領として連座し誅殺される。息に宗教。<元・北条政村家臣の四方田時綱と、大蔵次郎が暴走して名越氏を討伐したとして、時宗により討たれています。陰謀か?。>

北条時定 (*〜1290)六郎・左衛門尉・遠江守・為時。北条一門衆。北条時氏の息。母は安達景盛の息。得宗・北条経時、時頼兄弟の同母弟。1247年「宝治の合戦(三浦泰盛の乱)」に軍功。1281年肥前守護。鎮西奉行〈1281〜1289〉として博多に駐留。1289年息・定宗に職を譲る。息に定宗、阿曾随時(定宗の養子)。<のち安達氏に替わり、九州経営に専従するか。>

▽北条朝直 (*)大仏。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

北条宣時 〈1277−1286〉(1238〜1323)大仏宣時・武蔵守・前武蔵守。北条朝直の息。1287年執権・北条貞時の連署。息に宗宣、貞房。「霜月騒動」に内管領・平ノ頼綱とともに安達泰盛を討伐。

⇔▽大仏宗宣 (1259〜1312)北条宗宣・陸奥守・遠江守。大仏宣時の息。第11代執権職。1297年六波羅探題南方奉行<南方奉行1297〜1302>。1311年執権職に就任。内管領・長崎高綱の専横により隠居。息に維貞。54歳。<長崎氏と対立。陸奥経営?>

⇔▽大仏貞房 (1272〜1310)北条貞房・越前守・式部大丞・刑部少輔。大仏宣時の息。1308年六波羅探題南方奉行<1308〜1309>。38歳。

⇔▽大仏維貞 (1286〜1327)北条・左近太郎・式部少丞・右馬助・陸奥守・貞宗。大仏宗宣の息。母は北条時茂の娘。1314年陸奥守。1315年六波羅探題南方奉行<南方奉行1315〜1324>。1324年鎌倉評定衆。1326年鎌倉連署。和歌の達人。病没。<長崎氏と対立。陸奥経営?>

*〈1287−1330〉 北条直轄

大仏貞直 〈1331−1333〉(*〜1333)陸奥守。北条宗泰の息。遠江・陸奥・佐渡守護兼任。「元弘の乱」に上洛。「笠置山城攻囲」、「赤坂城攻略」に軍功。1333年鎌倉防衛に極楽寺坂大将。大館宗氏を討つ。弟に宣政。息に顕秀。

《個人的感想》 室町期、横山・勝間田の在地豪族が力を持つ。大仏北条氏の下でどのような活動をして成長したのでしょう・・。のち斯波・今川争奪の地。

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<近畿地方>

  北条氏領地 「承久の乱:1221年」宮方  「文永・弘安の役:1274〜1281年」  鎌倉近畿守護大名このページTOP 

 

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[山城国守護大名(京都守護)] 北条直轄

 <在職期間>(生没年)

北条時政 <1185〜1186>(1138〜1215)四郎。伊豆の豪族・北条時方の息。1160年源ノ頼朝の監視役を伊東祐親と共に命ぜられる。1170年伊豆大島の「鎮西為朝の乱」鎮圧に出動。長女・政子が頼朝の妻となる。頼朝岳父として帷幕の中心。甲斐武田氏を調略し「富士川の合戦」に参陣させる。以降・頼朝の側近として活躍する。後年、政敵の比企氏・畠山氏を討滅。

一条能保 <1186〜1194>(1147〜1197)藤原・保蓮。藤原通重の息。妻が源ノ頼朝の血縁。1183年鎌倉下向。1185年平ノ宗盛を鎌倉に護送。1186〜1194年京都守護。1191年検非違使別当。

中原親能 <1186〜*>(1143〜1208)藤原・明法博士。相模の出身。中原広季の息。元・源ノ雅頼の家人。波多野経家の婿。頼朝に古くから近侍し、武家方の貴重な能吏として重用される。1184年公文所担当奉行。「一ノ谷の合戦」義経軍。在京し頼朝の代行として奔走する。京都守護・六波羅探題。1189年「奥州征伐」に従軍。1191年政所奉行。66歳。

 <1197〜1202>

⇔↓▽源ノ頼兼 (*)蔵人大夫・石見守・大内(裏)守護。摂津源氏。頼政の息。兄弟に仲綱、広綱。1183年木曾義仲に従う。のち頼朝に臣従。1186年後白河法皇の丹波所領差し押さえに頼朝を頼り抗議。1205年石見守。息に頼茂。

平賀朝雅 <1203〜1205>(*〜1205)右衛門権佐・武蔵守・朝政。平賀義信の息。源氏一門衆。母は比企尼の娘(三女)。北条時政の後妻・牧ノ方の娘婿。1199年小野義成、後藤基清、中原政経の「土御門通親・襲撃事件」。1203年京都守護。1204年伊賀・伊勢の平氏残党の挙兵を鎮圧。守護・山内経俊は逃走した為に失脚し、替わって両国の守護職。畠山重保と不和となり「畠山家滅亡」の原因を造る。1205年北条時政の失脚に絡み、山内経俊の息・山内通基に討たれる。

畠山重保 (*〜1205)重忠の息。京都にて平賀朝雅と抗争。武蔵の守護職を巡る争いとも。

中原季時 <1206〜1219>(*〜1236)藤原・右京進・駿河守・行阿。中原親能の息。幕府の役人として京都との折衝に活躍。1204年駿河守護。1205年鎌倉にて北条時政の失脚事件。1206年京都守護。1219年に守護退任。1221年「承久の乱」には鎌倉留守居。

▽源ノ頼茂 (*1179〜1219)大内守護・安房守・近江守・右馬権頭。頼兼の息。摂津源氏。源ノ頼政の孫。1219年後鳥羽上皇の西面武士に襲撃され戦死。息に頼氏。

↑*小野義成 (*〜1207)小野大夫判官・野三左衛門尉。1206年延暦寺堂衆の挙兵を鎮圧。子息・小野成時とともに後鳥羽上皇の側近となる。

伊賀光季 <1219〜1221>(*〜1221)藤原・所太郎・兵衛尉・左衛門尉・検非違使・従五位下。伊賀守護・伊賀朝光の息。北条義時の義兄弟。母は二階堂行政の娘。1212年常陸国地頭。1219年京都守護として上洛。1221年「承久の乱」に後鳥羽上皇の命を受けた小野盛綱に攻撃される。

大江親広 <1219〜1221>(*)藤原・源・江間・蔵人・遠江守・武蔵守。一時、源通親の養子。1216年大江姓に服す。1203年鎌倉薬師堂寺社奉行。北条義時の娘婿になり江間親広とも称する。1219年京都守護。洛中警護を伊賀光季と務める。1221年「承久の乱」に上皇方に属し、敗戦後奥州に潜伏。

北条直轄 六波羅探題直轄。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

 

織田信長の家臣団と軍団 top (街道六道御番役)地方方面軍・独立軍団軍団長、 直属・旗元馬廻衆旗頭{近衛軍}

[近江国守護大名] 佐々木家

佐々木定綱 〈1187−1205〉(1142〜1205)検非違使・左衛門少尉・太郎左衛門尉。近江守護職。佐々木秀義の長男。母は下野宇都宮の娘。1180年頼朝の挙兵から軍功を重ねる。近江日吉神社と抗争し次男・定重は切腹。定綱と長子・広綱は薩摩に配流される。1193年の恩赦により、長門・石見・隠岐に所領を得る。1221年「承久の乱」に弟・経高、息・広綱が幕府に反乱する。

佐々木広綱 〈1205−1221〉(*〜1221)左衛門尉・山城守。石見・隠岐守護兼任。佐々木定綱の息(嫡男)。1191年比叡山との対立により失脚。隠岐国に配流される。1193年後白河上皇の一周忌に赦免される。後鳥羽上皇の西面の武士となる。1221年「承久の乱」に上皇方。敗北し処刑される。

佐々木信綱 〈1221−*〉(1181〜1242)四郎右衛門尉・左近衛将監・入道経仏・近江守。佐々木定綱の息(四男)。北条義時の娘婿。1221年「承久の乱」に息・重綱とともに宇治川先陣。兄に広綱。息に重綱、高信、泰綱、氏信。

大原重綱 (1207〜1267)佐々木重綱・太郎・左衛門尉。佐々木信綱の息(長男)。1221年「承久の乱」に軍功。1242年父の死後に家督を巡り弟・泰綱と抗争。61歳。

佐々木泰綱 〈1245−1252〉(1213〜1276)六角泰綱・左衛門尉・壱岐守・前壱岐守・入道生西。1234年父・信綱の隠居により家督相続。1242年父の死後、長兄・重綱と家督を巡り抗争。息に頼綱、頼起。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

佐々木頼綱 〈1284−1310〉六角頼綱・五郎左衛門尉・出羽守・前備中守。佐々木泰綱の息。弟に頼起。金剛寺城築城。

六角時信 〈1310−1333〉(1306〜1346)佐々木・三郎・三郎右衛門尉・左衛門尉・検非違使・近江守・義信・入道玄派。六角頼綱の息。1331年後醍醐天皇の挙兵に応じた比叡山衆徒と近江の「唐崎の合戦」で敗北。幕軍として活動。捕縛された尊良親王を預かる。1333年北条仲時が自害する直前に、足利尊氏に降伏し出家。建武政権の雑訴決断所、恩賞方七番を勤める。尊氏の叛乱に従うが、室町幕府政権下では冷遇される。41歳。息に氏頼。

 

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[伊勢国守護大名] 北条直轄

山内経俊 〈伊勢守護1185−1204〉(1137〜1225)山内首藤・滝口・首藤・三郎・刑部大夫(丞)・右馬允。首藤経通の息、俊綱の弟。父兄は「平治の乱」に戦死。1180年頼朝の挙兵に応じず、頼朝の鎧に一箭を的中させ逆鱗に触れる。母が頼朝乳母のため、先祖の功とその哀訴の為赦免される。1184年波多野泰通、志田義広を伊勢に破る。伊勢守護に任官。1184年伊賀平氏の乱を鎮圧。1185年義経の副将・伊勢義盛を討伐する。1189(文治5)年の「奥州征伐」に従軍。1204年平盛時、平基時ら平家残党に攻撃され逃亡。将軍・実朝に所領を没収される。息に通基。

平賀朝雅 〈伊勢守護1204−1205〉(*〜1205)右衛門権佐・武蔵守・朝政。平賀義信の息。源氏一門衆。母は比企尼の娘(三女)。北条時政の後妻・牧ノ方の娘婿。1199年小野義成、後藤基清、中原政経の「土御門通親・襲撃事件」。1203年京都守護<1203〜1205>。1204年伊賀・伊勢の平氏残党の挙兵を鎮圧。守護・山内経俊は逃走した為に失脚し、替わって両国の守護職。畠山重保と不和となり「畠山家滅亡」の原因を造る。1205年北条時政の失脚に絡み、山内経俊の息・山内通基に討たれる。

大内惟信 〈伊勢守護*−1221〉(*〜*1221*1230)平賀・帯刀長・検非違使。大内惟義の息。1205年「牧の方事件」に連座し叔父・平賀朝雅が失脚。跡職を継承して伊勢・伊賀両国の守護。〈1205−1221〉美濃守護。京都守護も兼任する。1221年「承久の乱」に上皇方。配流される。

北条氏一門 〈1221−1333〉 北条直轄

⇔↓北条時房 〈1221−1238〉(1175〜1240)佐介・大仏・五郎・相模守・修理権大夫・時連。北条時政の息(三男)。北条一門衆。遠江・駿河・武蔵・相模守護。六波羅探題南方奉行。息に時盛、時村、時直、時定。

*〈1239−1264〉

金沢顕時 〈1265−1301〉(1248〜1301)北条・左近大夫将監・越後守・越後四郎・時方・入道恵日。北条実時の息。母は北条政村の娘。安達泰盛の娘婿。金沢北条家初代。1285年安達泰盛の「霜月騒動」に連座し失脚。1293年「平禅門の乱」後に鎌倉復帰。執権・北条貞時に重用される。54歳。弟に時直、実政、時国。息に顕弁、顕実、時雄、顕景、貞顕。足利貞氏は娘婿。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

金沢貞顕 〈伊勢守護1301−1330〉(1278〜1333)中務大輔・越後守・武蔵守・伊勢守・志摩守・修理権大夫。分家筋。高時が病気と出家で執権を辞し、内紛勃発。15代執権<1326〜1326>長崎高資の要請で邦時が継承するまで中継ぎ就任するが、1カ月で辞職した。六波羅探題職<北・1310〜1314>

金沢貞冬 〈1331−*〉(*〜1333)右衛門尉・武蔵・右馬助。北条氏一門衆。所領国、伊勢。1331年9〜12月「元弘の乱」鎮圧軍に参加。1332年9月赤松・楠木鎮圧軍に出陣。

 

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[伊賀国守護大名]

大内惟義 〈伊賀守護1184−*〉(*)平賀・大内・冠者・相模守。信濃源氏。伊賀・美濃守護。平賀義信の息。伊賀国大内荘。源ノ義経の平氏追討軍に参加。「一ノ谷の合戦」に軍功。伊勢羽鳥山に志田義広を追撃する。1185年(文治元)年に頼朝の推薦で後白河院から相模守を拝領。1189(文治5)年の「奥州征伐」に従軍。1190(建久元)年に頼朝と共に上洛。主に在京し京都の治安維持にあたる。

山内経俊 〈伊賀守護1204−*〉。伊勢守護〈1185−1204〉。(1137〜1225)山内首藤・滝口・首藤・三郎・刑部大夫。首藤経通の息、俊綱の弟。父兄は「平治の乱」に戦死。1180年頼朝の挙兵に応じず、頼朝の鎧に一箭を的中させ逆鱗に触れる。母が頼朝乳母のため、先祖の功とその哀訴の為赦免される。1184年波多野泰通、志田義広を伊勢に破る。伊勢守護に任官。1184年伊賀平氏の乱を鎮圧。1185年義経の副将・伊勢義盛を討伐する。1189(文治5)年の「奥州征伐」に従軍。1204年平盛時、平基時ら平家残党に攻撃され逃亡。将軍・実朝に所領を没収される。<小野寺家が首藤を継承か。>

平賀朝雅 〈伊賀守護1204−1205〉。伊勢守護〈1204−1205〉。京都守護<1203〜1205>。(*〜1205)右衛門権佐・武蔵守・朝政。平賀義信の息。源氏一門衆。母は比企尼の娘(三女)。北条時政の後妻・牧ノ方の娘婿。1199年小野義成、後藤基清、中原政経の「土御門通親・襲撃事件」。1203年京都守護。1204年伊賀・伊勢の平氏残党の挙兵を鎮圧。守護・山内経俊は逃走した為に失脚し、替わって両国の守護職。畠山重保と不和となり「畠山家滅亡」の原因を造る。1205年北条時政の失脚に絡み、山内経俊の息・山内通基に討たれる。

大内惟信 〈伊賀守護1205−1221〉。美濃守護〈1205−1221〉。伊勢守護〈*−1221〉。(*〜*1221*1230)平賀・帯刀長・検非違使。大内惟義の息。1205年「牧の方事件」に連座し叔父・平賀朝雅が失脚。跡職を継承して伊勢・伊賀両国の守護。京都守護も兼任する。1221年「承久の乱」に上皇方。配流される。

伊賀光季 (*〜1221)(二階堂)・太郎左衛門尉・光末。伊賀朝光の息。母は二階堂行政の娘。北条義時室(伊賀の局)の兄。大江親広とともに京都守護。1221年「承久の乱」に息の光綱とともに戦死。家督は北条泰時(江間頼時)に後見され息・季村が継承。息に光綱、季村。

▽伊賀季村 (*)光季の息。1221年父・兄の死により家督。北条泰時に後見される。

⇔千葉頼胤 〈1247−*〉(*)千葉時胤の息。下総・伊賀守護兼任。息に宗胤、胤宗。<美濃千葉家と関連有りか。>

北条政村 (1205〜1273)(伊賀政村)・陸奥四郎・相模守。北条義時の息。母は伊賀氏。北条義時の息。時宗が継承するまでの中継ぎ。第7代執権職<1264〜1268>。息に時村、政長。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

⇔千葉胤宗 〈1275−*〉(*)千葉頼胤の息。下総・伊賀国守護職。息に胤重、貞胤。

⇔千葉貞胤 〈1312−*〉(*)千葉胤宗の息。下総・伊賀国守護職。足利家に従う。従兄弟の胤貞は肥前千葉氏。

⇔△北条時敦 (*)(伊賀)・越後守。六波羅探題南方奉行・北方奉行<南・1310〜1315><北・1315〜1320>。<仕事のできる人という感じです。>

北条時益 <1330〜1333>(伊賀時益)・左近将監。北条氏一門衆。時敦の息。六波羅探題南方奉行<南方奉行1330〜1333>。花園天皇を擁し鎌倉に。六波羅表に戦死。

 

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 [河内守護] 北条直轄

三浦義村 (*)相模・紀伊・土佐守護兼任。三浦義澄の息。息に泰村。

三浦泰村 〈1222−1247〉(1203〜1247)駿河・次郎・掃部権助・式部少丞・若狭守。坂東八平氏。三浦義村の息。「承久の乱」に父とともに東海道軍として出陣。北条泰時に従い奮戦。1338年から幕府評定衆。1246年執権・北条時頼を打倒する計画を名越(北条)光時と、泰村の弟・三浦光村が画策するが発覚し北条氏との関係が悪化。1247年北条時頼に攻撃され滅亡する。

 

1274・1281年の「文永・弘安の役」

北条氏一門 〈1280−*〉 北条直轄

⇔↑北条久時 〈1280〜1307〉赤橋・陸奥彦三郎・右馬助・刑部少輔・越後守・武蔵守・河内守。北条一門衆。北条(赤橋)義宗の息。母は北条宗頼の娘。日向・摂津・河内・紀伊・信濃守護兼任。六波羅探題北方奉行。幕府評定衆。36歳で死去。息に守時、英時。娘婿に足利高氏(尊氏)。

 

 

 [摂津守護] 北条直轄

長沼宗政 〈1221−*〉(1162〜1240)小山・五郎・淡路守。小山政光の息。1183年志田義広を「野木宮の合戦」で破る。1184年、中国攻め範頼軍。「宇治川の合戦」範頼軍。中国攻め範頼軍。1189年「奥州征伐」に従軍。1190年「大河兼任の乱」に足利義兼らとともに出陣し鎮圧。1203年「引企能員の乱」の残党を鎮圧。「承久の乱」に北条泰時・時房の軍に従軍し上洛。1221年摂津守護、淡路守護に任官。79歳。

⇔↓山内重俊 (*)山内首藤・須藤・中務丞。1185年平家追討の軍功により、比波郡地眦庄の地頭職。嫡男・俊業は1221年「承久の乱」に上皇方。次男・宗俊は幕府方として軍功を挙げ赦免される。<「承久の乱」の忠節により摂津にも所領。>

▽↑山内宗俊 (*)須藤・首藤。左兵衛門尉。山内重俊の息(次男)。1221年「承久の乱」に幕府方として軍功。摂津国富山本庄の地頭職を得る。<「承久の乱」の忠節により摂津にも所領。>

⇔▽安達景盛 〈1222−1224〉(*〜1248)藤九郎・上野守・摂津守・右衛門尉・出羽守・秋田城介。安達盛長の息(養子とも)。1199年梶原景時糾弾の連判に署名。1205年「畠山重忠の乱」、1213年「和田の合戦」に北条方。

野本時員 〈1224−1229〉下河辺時員・藤原・小山・能登守・摂津守・時貞。藤原秀郷流。下河辺政義の息。母は河越重頼の娘。在京奉公御家人。野本基員の養子となる。六波羅探題南方奉行の北条時盛に出仕。息に時秀、行時、時成、貞頼。<源ノ義経の甥ということに・・。>

北条氏一門 〈1263−1333〉 北条直轄

北条義時 〈1261−*〉(1163〜1224)江間・小四郎・前陸奥守。法名「得宗」。以降嫡流を得宗家と呼ぶ「得宗2代」。2代執権<1205〜1224>1221年「承久の乱」に鎌倉留守居。<室に毒殺されるという。>

北条時宗 <摂津守護*>8代執権<1268〜1284>(1251〜1284)「得宗7代」1274・81年「元寇」の国難勃発。34歳で没。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

北条久時 〈1280〜1307〉赤橋・陸奥彦三郎・右馬助・刑部少輔・越後守・武蔵守・摂津守。北条一門衆。北条(赤橋)義宗の息。母は北条宗頼の娘。日向・摂津・河内・紀伊・信濃守護兼任。六波羅探題北方奉行。幕府評定衆。36歳で死去。息に守時、英時。娘婿に足利高氏(尊氏)。

北条兼時 (*)修理亮・越後守。鎮西探題職<1293〜1295>。1284〜1287年六波羅南探題。1287〜1293年六波羅北探題。

北条直轄 六波羅探題直轄。

北条時敦  <南・1310〜1315><北・1315〜1320>越後守。

常葉範貞 (*)<北・1321〜1329>北条・左近将監・越後守・駿河守。後醍醐天皇の討幕計画を未然に防ぐ。

 

 

[和泉守護] 北条直轄

⇔↓三浦義連 〈1196−1203〉(*)佐原義連・十郎・左衛門尉。三浦義明の第十子。武芸に優れ、1181年頼朝の命で身辺警護担当(親衛隊)。三浦一族の中でも最も頼朝の信頼が厚く重用される。頼朝と上総広常との確執に心を砕く。「一ノ谷の合戦」義経軍。1189年「奥州征伐」に従軍。1190年頼朝の上洛に供奉。甥・三浦義村、一族・和田義盛と共に任官。和泉守護職、紀伊守護職。

⇔天野政景 (*)六郎・和泉守・和泉前司。三浦義澄の娘婿。1205年北条時政討伐軍。1221年「承久の乱」鎮圧軍に従軍。<九州を席捲した天野氏・・。>

三浦盛連 <*−1207>(*)和泉国大番催促権限のみ。1207年高野山領にて狼藉のため権限剥奪。和泉・紀伊が後鳥羽院領となる。

仙洞(後鳥羽)御計 〈1207−1221仙洞=上皇。御計=御領所。後鳥羽院守護国。1221年「承久の乱」

中条行方 (*)和泉守・和泉前司。1247年三浦氏討伐の「宝治合戦」に従軍。

逸見* 〈1221−1248〉(*)武田・入道。1221年「承久の乱」に軍功。和泉守護職。<鎌倉幕府軍大将・武田信光の勲功による増加か。>

▽信太* (*)和泉守護代。逸見家家臣。

北条家直轄

北条重時 〈1249−*〉(1198〜1261)極楽寺・修理権亮・相模守・陸奥守・入道観覚。北条義時の息(3男)。兄に泰時、朝時。弟に有時、政村、実泰。1230年六波羅探題北方奉行。幕府連署。讃岐守護〈1247−1251〉。苅田義季の娘婿。息に為時、長時、時茂、業時、義政、忠時。娘婿に安達泰盛、宇都宮経綱。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

伊賀時村 〈和泉守護1300−1305〉(1242〜1305北条時村・陸奥三郎・新相模三郎・左近大夫将監・武蔵守・時遠。7代執権・北条政村の息。三浦義村の娘婿。六波羅探題北方奉行。長門探題。幕府連署。兄弟に政長、政頼、宗房、政方。1305年「嘉元の乱」に北条宗方に居館を襲撃され戦死。64歳。息に為時。

北条熙時 (1279〜1315)右馬権頭・左近衛将監・武蔵守・相模守・貞泰。鎌倉幕府第12代執権。政村流・北条為時の息。北条貞時の娘婿。1305年長門探題。1305年「嘉元の乱」に宇都宮貞綱、北条(大仏)宗宣とともに、北条宗頼の息・北条宗方を襲撃。1312年幕府執権<1312〜1315>。高時が継承するまでの中継ぎ、内管領・長崎高綱(円喜)が実権を掌握。在職3年で急逝。37歳。息に茂時。

北条茂時 (*〜1333)鎌倉幕府第12代執権。政村流・北条熙時の息。<南部茂時と事績が重複する。>

北条氏一門 〈1280−*〉 北条直轄

 

 

[紀伊守護] 北条直轄

豊島有経 〈1184−*〉(*)秩父・太郎・紀伊権守。桓武平氏秩父氏族。豊島右馬允朝経の息(または弟)。1184年に紀伊国守護、紀伊国三上荘を拝領する。<奥州・葛西家と同族。>

⇔↑三浦義連 〈*−1203〉(*)佐原義連・十郎・左衛門尉。三浦義明の第十子。武芸に優れ、1181年頼朝の命で身辺警護担当(親衛隊)。三浦一族の中でも最も頼朝の信頼が厚く重用される。頼朝と上総広常との確執に心を砕く。「一ノ谷の合戦」義経軍。1189年「奥州征伐」に従軍。1190年頼朝の上洛に供奉。甥・三浦義村、一族・和田義盛と共に任官。和泉守護職、紀伊守護職。

仙洞(後鳥羽)御計 〈1207−1221仙洞=上皇。御計=御領所。後鳥羽院守護国。1221年「承久の乱」

 三浦義村 〈1221−*〉(*〜1239)男・平六。坂東八平氏。三浦義澄の息。母は伊東祐親の娘。1184年、中国攻め範頼軍。父に従い各地に転戦する。駿河守護職。常に北条義時とともにあり、のち鎌倉幕府の中心となる。

佐原家連 〈1223−1237〉(*)三浦・肥前守。佐原義連の息(三男)。「承久の乱」に軍功。紀伊南部荘を得る。娘婿に大友親秀。

佐介時定 (*〜1278)相模六郎・高野左近大夫入道・左衛門大夫・将監・右近大夫。北条一門衆。北条(大仏)時房の息。北条時氏の娘婿。1237年将軍・頼経の近習。1256年出家し高野山に隠棲。<京都に近い存在の為か。>

北条久時 <北・1293〜1297>〈1280〜1307〉(*)赤橋・陸奥彦三郎・右馬助・刑部少輔・越後守・武蔵守・紀伊守。北条一門衆。北条(赤橋)義宗の息。母は北条宗頼の娘。日向・摂津・河内・紀伊・信濃守護兼任。六波羅探題北方奉行。幕府評定衆。36歳で死去。息に守時、英時。娘婿に足利高氏(尊氏)。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

北条氏一門 〈*−1333〉

 

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[若狭守護]

比企朝宗 〈1191−*(*1195?)〉(*〜*1203)藤内。父母不詳。木曾義仲の滅亡後に北陸道勧農使<1184−1191>。1185年に源ノ範頼に従い西国遠征。1186年頼朝の命で京都に上洛。一条能保を補佐し、大和国興福寺に源ノ義経の家人を追討する。1189年「奥州征伐」に従軍。1192年北条義時を娘婿に迎える。

▽稲庭時定 (*〜1196*1202)中原時定・稲葉・権守。若狭の豪族。一門の和久里時継とともに頼朝の意向で失脚。息に時国。

惟宗忠季 〈1196−1203〉(*〜1221津々見忠季・島津・若狭・次郎・左衛門尉・若狭入道。惟宗広言の息。島津忠久の兄弟。息に忠清。若狭遠敷郡津々見の地頭職。1196年若狭の豪族・稲庭時定の失脚により若狭守護。1203年「比企能員の変」に連座し失脚。1220年若狭守護復帰。1221年「承久の乱」に幕府方として上皇方を曳きつける軍功。「宇治川の合戦」に戦死。

北条義時 〈若狭守護1203−1220〉(1163〜1224)江間・四郎・小四郎・陸奥守・若狭守・右京権大夫。北条時政の次男。「石橋山」100余騎。武芸に優れ、1181年頼朝の命で身辺警護担当(親衛隊)。1184年、中国攻めに範軍。1185年九州渡海に先陣の四将、原田種直軍を破る。1194年頼朝主催の北条泰時元服式に列席。

⇔↑島津忠時 〈1221−1228〉(1202〜1272)修理亮・大隈守・忠義・入道道仏。若狭・越前守護兼任。島津家第2代。島津忠久の息。1221年「承久の乱」に鎌倉幕府軍。1227年父の死により家督。鎌倉に在番。息に久時(久経)。山田忠継、伊集院忠経。

北条氏一門 〈1229−1333〉

⇔北条時氏 <若狭守護*>(*)

⇔北条経時 <若狭守護*>(*)

⇔北条時頼 <若狭守護*>(*)

⇔北条時宗 <若狭守護*>(*)

⇔北条貞時 <若狭守護*>(*)

⇔北条高時 <若狭守護*>(*)

1274・1281年の「文永・弘安の役」

 

 

[丹後守護] 大江・長井家

大江親広 〈1221−*〉武蔵守。大江広元の息。1221年「承久の乱」に上皇方。弟に長井時広、那波宗元、毛利季光。

長井泰秀 (*)蔵人・甲斐守・入道・甲斐前司。左衛門尉・時広の息。置賜郡長井荘を領する。長井惣領家。幕府評定衆。1247年「宝治合戦」に北条方。一門の毛利経光の赦免を嘆願する。米沢城を本拠とする。息に時秀。

長井時秀 (*)備前守。置賜郡長井荘を領する。長井泰秀の息。幕府評定衆。米沢城を本拠とする。

長井宗秀 (*〜1327)甲斐守・掃部入道。置賜郡長井荘を領する。長井時秀の息。七番引付頭人・越訴頭人・執奏。米沢城を本拠とする。

▽長井貞広 (*)左近将監。宗秀の弟。幕府評定衆。息に甲斐守・広泰。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

長井貞秀 〈1293−*〉兵庫頭・中務少輔。置賜郡長井荘を領する。長井宗秀の息。幕府評定衆。丹後守護。米沢城を本拠とする。

▽長井広秀 (*)大膳大夫。長井貞秀の息。置賜郡長井荘を領する。鎌倉幕府政所執事、武者所。のち足利尊氏に従い足利家執事。米沢城を本拠とする(1380年伊達氏により米沢は奪取される)。

▽長井貞懐 (*)大蔵少輔。長井貞秀の息。

[丹波守護] 北条直轄

中沢* (*)1221年「承久の乱」の軍功により丹波大山庄の地頭職。

芦田家光 (*)村上源氏。1158年「保元の乱」後、丹波に配流され土着。<赤井・荻野氏の先祖。>

▽芦田道家 (*)村上源氏。芦田家光の息。1185年平家打倒。<赤井・荻野氏の先祖。>

芦田朝家 (*)荻野。1215年隠居。

吉見重資 (*)頼朝により丹波に所領を与えられる。

足立遠政 (*)頼朝により丹波に所領を与えられる。

久下直高 (*)三郎・中務丞。久下重舎の息。祖父・重光は頼朝により丹波に所領を与えられる。1221年「承久の乱」に討伐軍として上洛。丹波国栗作郷に土着。

赤井為家 (*)芦田・荻野。氷上郡の豪族。1215年父・朝家から赤井野を与えられる。後屋城築城。<赤井・荻野氏の先祖。>

北条氏一門 〈1221−1333〉 北条直轄

北条時房 〈丹波守護1221−1222〉

▽赤井家義 (*)芦田。氷上郡の豪族。

▽荻野重家 (*)家義の弟。荻野家初代。

北条時盛 (*)

北条時国 (*)

1274・1281年の「文永・弘安の役」

北条直轄 六波羅探題直轄。

⇔北条盛房 (*)左近将監・丹波守。六波羅探題南方奉行<南・1288〜1297>。

渋川貞頼 (*)(北条・足利)・彦三郎・丹波守・兵部大輔。義春の息。娘婿に足利直義。<足利家丹波進出の足掛かりか。>

渋川義季 (1314〜1335)(北条・足利)・又三郎・刑部大輔・式部丞。足利家の御一家。上野国渋川荘を領する。渋川貞頼の息。室は北条朝房の娘。姉は直義の室。将軍・足利義満は娘婿。1334年関東厩番、一番頭人(六番編成の一番隊隊長)。鎌倉にて渋谷氏の反乱を鎮圧。1335年「北条時行の乱」に武蔵国「女影原の合戦」に敗れ自害。娘は将軍・義詮の室。息に直頼。<関東の重鎮。>

久下時重 (*)足利尊氏に早くから属す。1336年新田義貞軍を防ぐ。1351年尊氏・義詮親子を直義軍から守る。丹波の大族となり荻野氏と勢力を二分する。息に貞重、頼直、幸興。

 

[但馬守護]

横山時広 〈1185−*〉(*)(小野)・権守・小野時広。相模の豪族。横山党。1181年頼朝に従う。1189年「奥州征伐」に従軍。淡路〈1190−1193〉・但馬守護兼任。娘婿に渋谷高重。息に時兼、田名広季。但馬出石城主。

横山時兼 (*)(小野)・横山権守・小野時兼。相模の豪族。横山党。横山時広の息(嫡男)。1181年頼朝に従う。和田義盛の「和田合戦」に没落。別流の平子広長が継承。

安達親長 〈1197−1221〉(*〜1221)源ノ親長。在京御家人。後白河法皇の側近で源氏長者・源通親(*〜1202)の縁者。

太田昌明 〈1221−1223〉(*)源・常陸房。村上源氏。但馬出石城主。比叡山の僧。還俗し頼朝に出仕。源ノ行家を捕縛する軍功。但馬太田荘を得る。「承久の乱」に幕府方。但馬守護を得る。

▽太田政広 (*)

▽太田政綱 (*)

1274・1281年の「文永・弘安の役」

太田政頼 〈1285−1321〉太良左衛門。但馬守護職。但馬出石城主。

太田行綱 (*)入道行願。但馬守護職。但馬出石城主。

▽太田守延 〈*−1333〉(*)但馬守護職。「元弘の変」に恒良親王を預かり幽閉。1333年親王を擁立し挙兵。千草忠顕と合流し六波羅を攻撃。

 

 

[因幡守護] 守護不明

大江広元 <1184>(1148〜1225)中原広元。多田仁綱の娘婿。息に親広、長井時広、那波宗元、毛利季光。

堀川道具 <1185>(*)源ノ道具・大納言・因幡守。源ノ道親の息。後鳥羽上皇の側近。友人に藤原定家。1204年備中権守。1222年大納言。

⇔▽大江親広 (*)1221年「承久の乱」に宮方。失脚し弟の長井時広が惣領職を継承し備後守。

 

1274・1281年の「文永・弘安の役」

海老名維則 〈1329−*〉(*)源・左衛門五郎。村上源氏。一門に赤井・荻野、小野、本間、国府氏。<隣国の丹波の荻野氏に繋がるか。>

[伯耆守護]

金持広親 〈1205−*〉藤原・六郎。伯耆国日野郡の豪族。伯耆守護職。

金持* 〈1221−*〉(*)兵衛尉。

金持広綱 (*)大山寺宝殿を建立。1247年「宝治合戦」に三浦泰村に属し失領。のち赦免される。

北条時輔 〈伯耆守護*−1272〉(*)治部大輔・相模式部大夫・伯耆守。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

三浦盛連 〈*−*〉(*)遠江次郎左衛門。

金持広顕 (*)新三郎。久米郡の地頭。1327年紀伊熊野大社に願文奉納。

北条時益 〈*−*〉(*)左近将監。

金持広栄 (*)大和守・景藤・俊宇。久米郡の地頭。金持広顕の息。1333年「船上山の合戦」に天皇方。建武政権下に武者所結番。南朝方として山名時氏と抗争。

▽金持家武 (*)金持広栄の一門。1333年「船上山の合戦」に幕府方。

 

 

 

[出雲守護]

安達親長 〈*−1221〉(*〜1221)源ノ親長・源三・左衛門尉。在京御家人。後白河法皇の側近で源氏長者・源通親の縁者。

▽源* 〈1215−*〉(*)源ノ・左兵衛尉。<源氏を名乗る安達親長の一門か。>

佐々木義清 〈*−*〉(*)五郎・左衛門尉・隠岐守。佐々木秀義の息(五男)。母は渋谷重国の娘。渋谷荘で養育され、1180年の頼朝挙兵には外祖父・渋谷重国に従い平家方。のち頼朝に臣従。1184年父・秀義とともに伊賀に平氏を追討する。1221年「承久の乱」に幕府方、後に出雲守、隠岐守に任命される。

佐々木政義 〈1233−*〉(*)佐々木・(渋谷)・隠岐太郎左衛門尉・入道真願。佐々木義清の息。幕府に無断で出家遁世。

佐々木泰清 〈1248−1265〉(*)佐々木・(渋谷)・隠岐二郎左衛門尉・左衛門尉・信濃守・大夫判官・前信濃守。佐々木義清の息(次男)。兄・政義の跡職を継承。六波羅評定衆。出雲・隠岐守護兼任。

佐々木時清 〈*−*〉(*)佐々木・(渋谷)・隠岐次郎左衛門尉・入道阿清。佐々木泰清の息。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

佐々木頼泰 〈1284−*〉(*)佐々木・(渋谷)・塩治・三郎左衛門・左衛門尉。佐々木泰清の息。隠岐時清に替わり出雲守護。出雲塩治郷の領主。大廻城主。

佐々木貞清 〈1325−1326〉(*)佐々木・(渋谷)・塩治・孫二郎左衛門・近江守。佐々木頼泰の息。出雲に後醍醐天皇を預かる。息に高貞、清綱。

佐々木高貞 〈*−1333〉(*〜1341)佐々木・(渋谷)・塩治・左衛門尉・孫二郎左衛門・壱岐守・近江守・大夫判官。佐々木貞清の息。弟に時綱。1333年天皇方に加わる。足利尊氏に従い軍功。足利家執事・高ノ師直と対立し戦死。

[隠岐守護]

佐々木定綱 〈1193−*〉(1142〜1205)検非違使・左衛門少尉・太郎左衛門尉。近江守護職。佐々木秀義の長男。母は下野宇都宮の娘。1180年頼朝の挙兵から軍功を重ねる。近江日吉神社と抗争し次男・定重は切腹。定綱と長子・広綱は薩摩に配流される。1193年の恩赦により、長門・石見・隠岐に所領を得る。1221年「承久の乱」に弟・経高、息・広綱が幕府に反乱する。

↑佐々木広綱 〈*1205−1221〉近江守護・石見守護。

佐々木義清 〈1227−*〉(*)五郎・左衛門尉・隠岐守。母は渋谷重国の娘。渋谷荘で養育され、1180年の頼朝挙兵には外祖父・渋谷重国に従い平家方。のち頼朝に臣従。1184年父・秀義とともに伊賀に平氏を追討する。1221年「承久の乱」に幕府方、後に出雲守、隠岐守に任命される。

↑佐々木政義 〈1233−*〉(*)佐々木・(渋谷)・隠岐太郎左衛門尉・入道真願。佐々木義清の息。幕府に無断で出家遁世。

↑佐々木泰清 〈1239−*〉(*)佐々木・(渋谷)・隠岐二郎左衛門尉・左衛門尉・信濃守・大夫判官・前信濃守。佐々木義清の息(次男)。兄・政義の跡職を継承。六波羅評定衆。出雲・隠岐守護兼任。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

佐々木時清 〈*−1305〉(*)佐々木・(渋谷)・左衛門尉・隠岐次郎左衛門尉・隠岐守・入道阿清。佐々木泰清の息。

佐々木清高 〈1332−1333〉(*)隠岐守。隠岐守護。佐々木貞清の一門。1331年「元弘の変」で隠岐配流となった後醍醐天皇を見張番。1333年名和長年により天皇の隠岐脱出。

 

 

 [石見守護]

佐々木定綱 〈1193−*〉(1142〜1205)検非違使・左衛門少尉・太郎左衛門尉。近江守護職。佐々木秀義の長男。母は下野宇都宮の娘。1180年頼朝の挙兵から軍功を重ねる。近江日吉神社と抗争し次男・定重は切腹。定綱と長子・広綱は薩摩に配流される。1193年の恩赦により、長門・石見・隠岐に所領を得る。1221年「承久の乱」に弟・経高、息・広綱が幕府に反乱する。

伊東* 〈*−*〉(*)工藤・三郎左衛門尉。

伊東祐時 〈*−*〉(*)伊東・工藤・(宇佐美)・大和守・左衛門尉。伊東惣領家。工藤祐経の息。伊豆伊東家第2代。叔父に宇佐美祐弘。1198年日向にも所領。息に祐光。

↑佐々木広綱 〈*1205−1221〉近江守護・隠岐守護。

⇔↑源ノ頼兼 (*)蔵人大夫・石見守・大内(裏)守護。摂津源氏。頼政の息。兄弟に仲綱、広綱。1183年木曾義仲に従う。のち頼朝に臣従。1186年後白河法皇の丹波所領差し押さえに頼朝を頼り抗議。1205年石見守。息に頼茂。

伊東祐光 (*)伊東・工藤・(宇佐美)・信濃守・入道法求房。伊東祐時の息。伊豆伊東家第3代。駿河久能を領する。石見守護職。1225年出家。息に景祐、祐宗。

伊東祐宗 (*)伊東・工藤・(宇佐美)・大和守。伊東祐光の息。伊豆伊東家第4代。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

伊東貞祐 (*)伊東・工藤・(宇佐美)・安芸守。伊東祐宗の息。伊豆伊東家第5代。息に祐持、祐藤。

伊東祐持 (*)伊東・工藤・(宇佐美)・大和守。伊東貞祐の息。伊豆伊東家第6代。足利尊氏に従い軍功。1337年日向都於の地頭職を得て、日向下向。息に祐重、道資。

北条*  〈*−*〉(*)武蔵式部大夫。

 

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<山陽地方>  北条氏領地 「承久の乱:1221年」宮方  「文永・弘安の役:1274〜1281年」

[播磨守護] 北条直轄

梶原景時 〈1184−1185〉(*〜1200)平三・平三衛門尉。鎌倉・侍所所司。坂東八平氏。播磨・美作守護。相模の豪族。父は鎌倉景清(景長)。一族に大庭景親。平氏政権下で京都大番役。1180年頼朝の挙兵に命を助け信任を得る。源ノ頼朝の側近となり、上洛軍の目付。1183年頼朝の命で上総広常を謀殺する。1184年「一ノ谷の合戦」範頼軍、「一ノ谷・生田の森の合戦」に奮戦する。1184年平ノ重衡を鎌倉に護送。四国攻め義経軍副将。1188年越後の城長茂を迎える。1190年頼朝上洛に従う。1199年頼朝の死により失脚。1200年北条氏に一族滅ぼされる。

▽茂原長保 (*)播磨守護代。梶原景時家臣。1199年梶原家滅亡。

下河辺行平 〈1185−*〉(*)庄司。小山一門。下総国下河辺荘の領主。下河辺藤三郎・行義の息。葛西清重は従兄弟。以仁王の挙兵を頼朝に伝える。1180年頼朝の命で相模国の波多野義常を攻撃。1183年「志田義広の挙兵」に小山朝政、弟・政義と共に撃破。1185年播磨守護。1189年「奥州征伐」に従軍。弓射に優れ、将軍・頼家の弓術師範。1195年源家一門に加えられる。<一門に摂津守護の野本氏。>

↑梶原景時 〈1186−1199〉(*〜1200)平三・平三衛門尉。鎌倉・侍所所司。播磨・美作守護。相模の豪族。父は鎌倉景清(景長)。一族に大庭景親。平氏政権下で京都大番役。1180年頼朝の挙兵に命を助け信任を得る。源ノ頼朝の側近となり、上洛軍の目付。1183年頼朝の命で上総広常を謀殺する。1184年「一ノ谷の合戦」範頼軍、「一ノ谷・生田の森の合戦」に奮戦する。1184年平ノ重衡を鎌倉に護送。四国攻め義経軍副将。1188年越後の城長茂を迎える。1190年頼朝上洛に従う。1199年頼朝の死により失脚。1200年北条氏に一族滅ぼされる。

小山朝政 〈1199−*〉(1158〜1238)小四郎・右兵衛尉・左衛門尉・下野守。小山惣領家。下野国の豪族。藤原秀郷流。実父・小山政光の妻が源ノ頼朝の乳母。1181年志太義広・足利忠綱に攻撃されるが、源ノ範頼の救援にて是を撃退する。1183年志田義広を「野木宮の合戦」で破る。1184年、中国攻め範頼軍。1189年「奥州征伐」に従軍し、「阿津賀志山の合戦」に奮戦。1190年頼朝の上洛に従い右兵衛尉に任官、下野守護。のち常陸村田荘の地頭、播磨守護を拝領する。「承久の乱」には鎌倉留守居。81歳。

後藤基清 〈1214−1221〉(*〜1221)左兵衛尉。京都武者。佐藤仲清の実子。源ノ義朝の側近、後藤実基の養子。1184年平頼盛の送別の宴に出席。1185年西国遠征に従い、義経軍にて屋島の合戦に軍功。讃岐守護。播磨守護。後鳥羽上皇に属し、「承久の乱」に誅殺される。

安保実員 〈1221−1222〉(*)阿保・七郎・左衛門尉・右馬允。武蔵国安保の豪族。安保実光の息。1221年「承久の乱」に父・実保が戦死。「承久の乱」鎮圧の軍功により播磨守護。兄に実房。光重。娘婿に執権・北条泰時。

↑小山朝政 〈1223−1230〉(1158〜1238)小四郎・右兵衛尉・下野守。小山惣領家。下野国の豪族。藤原秀郷流。実父・小山政光の妻が源ノ頼朝の乳母。1181年志太義広・足利忠綱に攻撃されるが、源ノ範頼の救援にて是を撃退する。1183年志田義広を「野木宮の合戦」で破る。1184年、中国攻め範頼軍。1189年「奥州征伐」に従軍し、「阿津賀志山の合戦」に奮戦。1190年頼朝の上洛に従い右兵衛尉に任官、下野守護。のち常陸村田荘の地頭、播磨守護を拝領する。「承久の乱」には鎌倉留守居。81歳。

小山長村 〈1230−*〉四郎・出羽守。

小山宗長 〈*−*〉五郎・左衛門尉。

 

1274・1281年の「文永・弘安の役」

北条時宗 <播磨守護>〈1276−1281〉

北条時業 〈1281−1284〉(*)兼時・相模七郎。

北条家直轄 〈1303−1333〉 六波羅探題北方の直轄地。

北条基時 (*)北条。

北条時敦 (*)北条。

常葉範貞 (*)北条。

<鎌倉末期、悪党・赤松家の台頭> 南北朝動乱から室町期へ

 

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[美作守護] 北条直轄(得宗領)

梶原景時 〈1184−1200〉(*〜1200)平三・平三衛門尉。坂東八平氏。鎌倉・侍所所司。播磨・美作守護。相模の豪族。父は鎌倉景清(景長)。一族に大庭景親。平氏政権下で京都大番役。1180年頼朝の挙兵に命を助け信任を得る。源ノ頼朝の側近となり、上洛軍の目付。1183年頼朝の命で上総広常を謀殺する。1184年「一ノ谷の合戦」範頼軍、「一ノ谷・生田の森の合戦」に奮戦する。1184年平ノ重衡を鎌倉に護送。四国攻め義経軍副将。1188年越後の城長茂を迎える。1190年頼朝上洛に従う。1199年頼朝の死により失脚。1200年北条氏に一族滅ぼされる。

和田義盛 〈1200−1213〉(1147〜1213)小太郎・左衛門尉。三浦一族、杉本義宗の息。坂東八平氏。侍所別当。相模国三浦氏分家。義明の孫。弓矢に優れ、下河辺行平・愛甲季隆に並ぶとされる。1180年頼朝の挙兵に弟・宗実とともに参陣する。1184年中国攻め範軍、範頼軍の軍奉行。山陽道から九州に上陸し、背後を抑える。奥州戦従軍。のちに北条義時と対立し謀反の疑いで討たれる。<源ノ頼朝と同世代の武将です。>

北条氏家督 〈1213−1292〉 北条直轄(得宗領)

北条時宗 <播磨守護>〈1276−1281〉

1274・1281年の「文永・弘安の役」

北条氏一門 〈1309−1333〉 北条直轄(得宗領)

 

 

[備前守護]

土肥実平 〈1184−*〉(*〜*1191)次郎。中村荘司・宗平の息。相模国の豪族。小早川氏の祖。平氏政権下で京都大番役。1180年頼朝の挙兵に弟の土屋宗遠、小早川遠平と共に参陣する。「石橋山の合戦」に敗北後、頼朝の敗走をよく助け軍功あり。常陸佐竹氏討伐に出陣。西国遠征に従軍。一ノ谷、屋島に軍功。梶原景時と共に中国地方五カ国の総追捕使。備前・備中・備後を直轄する。1185年「壇ノ浦」に平宗盛を捕虜とし京都に凱旋。京都の治安にあたる。1189年奥州征伐に従軍。それ以降の消息は不明。<老齢のため隠居遁世したか。>

大岡時親 (*〜1205?)藤原時親・牧ノ・備前守。駿河大牧の牧。駿河の豪族。時政の後室・牧ノ方の弟。牧宗親の息。叔父に牧政親。北条時政の娘婿。1205年畠山重忠討伐に軍功。のち北条(江間)義時と政権抗争。<藤原道隆の子孫のようです。>

佐々木高綱 〈*−*〉(*〜1214)四郎・左衛門尉・信竜坊。母方は奥州・安倍宗任の血筋。近江佐々木荘は平氏に没収されている。相模国の豪族、渋谷家の親戚。佐々木秀義の四男。1180年頼朝の挙兵に兄・定綱とともに参陣する。敗走の際、頼朝の影武者を務める。木曽義仲追討の際「宇治川の合戦」に梶原景季との先陣争いで有名。武功により左衛門尉に任官。長門守護となる。のち家督を重綱に譲り高野山に出家遁世する。

佐々木信実 〈1221−*〉太郎・左兵衛尉。備前児島配流の後鳥羽上皇皇子、令泉宮警固番。

 

大仏朝直 (1206〜1264)北条朝直・相模四郎・木工権頭・相模権守・備前守・武蔵守・遠江守。北条一門衆。北条(大仏)時房の息。母は足立遠元の娘。遠江守護。伊賀光宗の娘婿。「伊賀氏の乱」に離縁。執権・北条泰時の娘婿となる。大仏惣領家。安達義景の娘婿。1234年北条経時の元服式に列席。評定衆。引付頭人。歴代執権を補佐、幕府の重鎮となる。息に朝房、宣房。

名越時長 (*〜1252)北条・遠江三郎・備前守・備前前司。北条一門衆。名越朝時の息。三浦義村の娘婿。将軍・頼経の側近として兄・光時に協力。「宮騒動」後は赦免され、得宗家に従順姿勢。息に長頼、定長、政雄。<系図には息のひとりに宗長あり。>

↓長井泰重 〈1264−*〉(*)因幡守。備前守護兼任。長井時広の息(次男)。備後長井氏。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

↑中条秀長 〈尾張守護*−*〉(*)備前守。尾張・伊賀守護。頼平の息。息に長国。<「元寇」により備前に赴任か。>

↑中条秀孝 (*)左衛門尉・備前守。長秀の息。息に詮秀。<「元寇」により備前に赴任か。>

佐々木* 〈1331−1333〉(*)加地・源二郎・三衛門・左衛門・源太左衛門尉。<室町幕府に出仕する加地氏か。>

 

 

[備中守護] 北条直轄(得宗領)

土肥実平 〈1184−*〉(*〜*1191)次郎。中村荘司・宗平の息。相模国の豪族。小早川氏の祖。平氏政権下で京都大番役。1180年頼朝の挙兵に弟の土屋宗遠、小早川遠平と共に参陣する。「石橋山の合戦」に敗北後、頼朝の敗走をよく助け軍功あり。常陸佐竹氏討伐に出陣。西国遠征に従軍。一ノ谷、屋島に軍功。梶原景時と共に中国地方五カ国の総追捕使。備前・備中・備後を直轄する。1185年「壇ノ浦」に平宗盛を捕虜とし京都に凱旋。京都の治安にあたる。1189年奥州征伐に従軍。それ以降の消息は不明。<老齢のため隠居遁世したか。>

 

1274・1281年の「文永・弘安の役」

北条氏直轄 〈1279−*〉 北条直轄(得宗領)

⇔北条時宗 <美作守護>〈1276−1281〉

⇔北条貞時 <美作守護>

 

 

 

[備後守護] 長井(大江)家

土肥実平 〈1184−*〉(*〜*1191)次郎。中村荘司・宗平の息。相模国の豪族。小早川氏の祖。平氏政権下で京都大番役。1180年頼朝の挙兵に弟の土屋宗遠、小早川遠平と共に参陣する。「石橋山の合戦」に敗北後、頼朝の敗走をよく助け軍功あり。常陸佐竹氏討伐に出陣。西国遠征に従軍。一ノ谷、屋島に軍功。梶原景時と共に中国地方五カ国の総追捕使。備前・備中・備後を直轄する。1185年「壇ノ浦」に平宗盛を捕虜とし京都に凱旋。京都の治安にあたる。1189年奥州征伐に従軍。それ以降の消息は不明。<老齢のため隠居遁世したか。>

⇔↑山内重俊 (*)山内首藤・須藤・中務丞。1185年平家追討の軍功により、比波郡地眦庄の地頭職。嫡男・俊業は1221年「承久の乱」に上皇方。次男・宗俊は幕府方として軍功を挙げ赦免される。<「承久の乱」の忠節により摂津にも所領。>

▽↑山内宗俊 (*)須藤・首藤。左兵衛門尉。山内重俊の息(次男)。1221年「承久の乱」に幕府方として軍功。摂津国冨島之荘を得る。<「承久の乱」の忠節により摂津にも所領。>

▽和智実成 (*)波多野・広沢・和智。広沢実村の息。1185年平家追討の軍功により、三渓郡の地頭職。1221年「承久の乱」の軍功で備後三谷郡地頭職。父の遺領を分割相続。

▽江田実綱 (*)波多野・広沢・和智。広沢実村の息。1185年平家追討の軍功により、三渓郡の地頭職。1221年「承久の乱」の軍功で備後三谷郡地頭職。父の遺領を分割相続。

長井時広 〈1223−*〉(*)大江・左兵衛尉・左衛門尉。大江広元の息(次男)。1185年平家追討の軍功により、甲奴郡少童保・田総庄の地頭職。1221年「承久の乱」に兄・大江親広は上皇方として失脚。時広は幕府に忠節。のち備後守護職。息に泰秀、泰重。

▽長井泰経 (*)大江。大江広元の息(六男)。1185年平家追討の軍功により、甲奴郡長和庄の地頭職。

長井泰重 〈1264−*〉(*)因幡守・入道実円。備前守護兼任。長井時広の息(次男)。備後長井氏。兄・泰秀は幕府評定衆として、執権・泰時、経時、時頼の三代に出仕。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

長井頼重 〈1286−*〉(*)因幡守。備後長井氏。長井泰重の息。

▽山内通資 (*)山内惣領家。1315年備後に下向し土着。比波郡地眦庄を掌握する。

長井貞重 〈1320−*〉(*)縫殿頭。備後長井氏。長井頼重の息。

 

 

[安芸守護] 北条直轄

⇔▽石和信光 安芸守護〈1189−*〉(1163〜1248)源ノ・武田・伊沢・五郎。甲斐源氏。武田信義の五男。鎌倉幕府に出仕。1189(文治5)年の「奥州征伐」に従軍。兄達の死により家督。1195年大和東大寺供養の供奉。「承久の乱」に東山道大将軍として上洛。

▽小早川* (*)1185年平家追討の軍功により、豊田郡沼田庄の地頭職。相模出身。

▽小早川* (*)1185年平家追討の軍功により、都宇竹原庄の地頭職。相模出身。

宗ノ孝親 〈1196−1221〉左衛門尉。

↑*石和信光 〈*1221−*〉(1163〜1248)源ノ・武田・伊沢・五郎・伊豆守。甲斐源氏。武田信義の五男。鎌倉幕府に出仕。1189(文治5)年の「奥州征伐」に従軍。兄達の死により家督。1195年大和東大寺供養の供奉。「承久の乱」に東山道大将軍として上洛。1221年「承久の乱」の軍功により、安芸国佐東郡を領する。

▽阿曽沼* (*)1221年「承久の乱」の軍功により、安芸郡中野村・瀬野村の地頭職。

▽多賀谷* (*)1221年「承久の乱」の軍功により、安芸郡浦刈島の地頭職。

▽熊谷* (*)1221年「承久の乱」の軍功により、安佐郡三入庄の地頭職。

毛利経光 (*)右近将監・入道寂仏。毛利季光の息(四男)。父は1221年「承久の乱」の軍功により、吉田庄の地頭職。1247年「宝治合戦」に三浦氏に属し父・季光、兄・広光、親光、泰光は戦死。経光は越後佐橋荘にあり、惣領・長井泰秀の執成しで、越後佐橋荘・安芸吉田荘を維持。

▽吉川* (*)1221年「承久の乱」の軍功により、山県郡大朝庄の地頭職。

⇔藤原親実 〈1235−*〉周防守・前周防守。厳島神社神主。中原親能の養子。

⇔武田信時 〈1270−1276〉(*)五郎次郎。石和信政の息。安芸守護を拝命し、甲斐国を離れる。息に信綱。

1274・1281年の「文永・弘安の役」

北条氏一門 〈1293−*〉 北条直轄

名越宗長 〈1293−*〉(*〜1309)北条・能登守・備前守・備前前司・前備前守・定長。名越時長の息。安芸・能登・安芸守護。吉見頼宗の娘婿。弟に長頼。息に夏時、実助。娘婿に平政春、吉見頼氏。

 

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