瑞林寺



     瑞輪寺は天正19年(1591年)徳川家康の学問の先生である慈雲院日新上人を開山とし家康自らが開基となって日本橋馬喰町

     創建された日蓮宗のお寺です。1601年火災により神田に移転、1649年現在の谷中に移転しました。

     善立寺などと共に身延山の関東髄頭の一つです。

家康開基の本山ですから大変立派なお寺

ですね。表通から入った場所にあるので

静かでいいですね。
 
甲府の瑞泉寺のところでも話ましたが

なぜか瑞の文字のつくお寺の名前て好き

なんですよね。
            三門             本堂


    ここは都内だしよく通いました。結構興味深い人が眠っているので墓が無いかな?なんて期待を持っていましたので・・・・。

    その人については墓がある事について諦め気味なんですが、ここは真田家の菩提寺で有名なので(何時もの事ですが)

    とりあえず真田家でページを作りました。


ここは龍岸寺に眠る真田信尹(昌)の二男信勝の系の菩提寺です(信勝の母は馬場信春の

娘です)、真田信尹は真田幸隆の四男です。でも私は信勝やひ孫の信積は松泉寺と思って

ました、松泉寺に真田家累世之墓がありましたし(写真は載せられませんが)、でもここなのか?

(詳しくは下記に)。  瑞輪寺には残念ながら真田家の墓は残っていない様ですが、三門の

横にある右写真の石塔(安永4年10月建立と思う)これが真田家の建てた物の

様です。実を言うと新しい感じの六連銭の入った真田の墓も一般の墓所で見つけたのですが、

これが信勝の系の真田と関係しているのかどうかは不明です。
     三門前の石塔 

この石塔高さがあって文字も退化し始めて見ずらいのですが、裏側にまず最初に描かれ

ている名が真田隠岐守殿という文字と没年の五(正?)月(一)四日です。

陰岐守を名乗り五月四日に亡くなったのは真田信尹です。つぎは真正院殿という院号と

一二月十四(九?)日という没年です。没年の一二月十四日は信勝に該当します。

その隣には信利の法名日英と信豊の法名日照そして信記(同日貞)信積(同浄観)と

当主の名がしっかり順番で連なっています。(下記参照)
 石塔裏側上部です。六連銭て水戸
 黄門の印籠じゃないけど、ハハ〜て
 感じになりません?
 我が愛機5年前の3倍ズームの
 コンパクトデジカメの限界です!
        安永四年十月の文字が、
        以外と古いんですね
           側面
 

    上の左の写真に真田隠岐守殿(信尹?)と五月、そして真正院殿(信勝?)と十二月十?日の文字(左側)が辛うじて写真でも

    確認出来るでしょ?(出来ないか!?)その左下に下記写真にも写っている日英居士という法名も見えますよ。


信勝は真田隠岐守信尹から分かれて家を興した初代の当主ですが、父信尹に敬意を表して

名を入れたのかな?でも信尹の菩提寺の龍岸寺は曹洞宗なのですがいいのかな?(この

碑に記された人物が信勝と信尹とは正直断言出来ません。間違いは無いとは思うんです

けど・・・・。信利以下は間違いありませんよ)  話が戻るけど信勝の墓所は最初からここ

かな?ならば松泉寺の墓はどの真田家のものなんだろう?また瑞輪寺では他の人が

石碑に院号+法名で記されているのに対して信勝は院号のみ(法名は宗機かな?)ていう

のも気になるし・・・。とにかく謎の多い瑞輪寺の真田家です(これも又楽しいのですが)

そういえば信豊て15歳で家を継いでるんですよね、偉いな〜。でも残念な事に27歳で

亡くなっています。信利も44歳と早くに亡くなっていますね。
   信利の法名日英と
   信豊の法名日照。


  右の写真 施主 真田金兵衛 滋野姓 宴吉  という文字が石塔裏側の下部に記されています。

  施主の字が微妙ですが、多分旧字でしょう。この石塔台座があるんですけど

  見ずらいからといって絶対に足なんかかけては駄目ですよ!!お墓と同じですからね!



        瑞輪寺番外編(大岡越前家)       吉祥寺PART5(真田家)

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