東陽院




  曹洞宗祥雲山東陽院は慶長二年(1597年)足利尊氏公より十一代後の御分家である宮原大勘五郎義照公が徳川家康公より

  駒場多田木の両村を拝領し両親菩提の為に結城の長徳院六世佛照是道大和尚を拝請して創建されたお寺です。


          入口のクロマツ             山門            本堂



  宮原家についてもう少し詳しく述べると足利高基の長男晴直が真理谷信濃入道信政(下記に)勤めにより上総国宮原に住んだ事で

  宮原を称した様です。その次の当主が義勝で子の義照が義勝の為に建立したのが東陽院です。

  入口のクロマツは市指定の天然記念物で慶長二年宮原義照が創建時に記念として植えた物と伝えられています。

義照の次の当主が義久で(義久は義照の子でなく弟です)その義久が武田勝頼の

娘貞姫を室として迎えている事は有名ですね。貞姫は信玄の娘松姫(信松院)などと

八王子に逃れその後宮原家に嫁いだという説と天正10年の時点で家康の命令で

駿河の国田中に行き高力正長(芳林寺)に預けられ後慶長七年家康の命令で

宮原家に嫁いだという説があります。
          宮原家墓所



  下写真の左が宮原義久の墓です。  義久は慶長七年に兄より当主を継いでいます。丁度貞姫と結婚した年ですね。

  当主になるに当たってシッカリと身をかためてた方がいいだろうと家康が貞姫を室に迎えさせた事は想像出来ますよね。   
   
  またこれより宮原という名は嫡流のみ用い庶子に至っては穴山を名乗るよう台命が下りました。 寛永七年十二月五日に亡くなり

  江戸での菩提寺は正覚寺です。




で右隣の墓これが謎なんです。義久の隣にありその隣は江戸末期の女性の墓です。 この

墓所で最も古い墓が義久の墓で(義照や義勝の墓はありません)更に女性単独の墓は

この墓だけです一番右の江戸末期女性の墓を除けば比較的右から古い墓が並んでいます。

写真を見てもこの並びは室(もち貞姫です)だよな〜と思いますよね。

墓の刻印は悔しい事にこの墓だけ退化して見ずらいんです。 辛うじて見える部分もあるの

ですが貞姫の戒名と合わない・・・・・・・(一文字だけ合った)。お寺の方も興味を持ったよう

ですがやはり違うかな? て事で終わりました。 でもな〜・・・・・・・・・・。
  宮原義久と右隣に女性の墓


  ここに注目

左写真の真理谷ショウカンは宮原家の家臣です。家臣の中でも

かなり位の高い方だったようです。上記した宮原家初代の晴直

が宮原の地に移り住んだのはこの真理谷家の勤めによるものです。

上総の真理谷ですから真理谷武田の真理谷でしょう。

晴直の子義勝の母は上記真理谷信政の娘とありますから

晴直の室は真理谷家の方でしょう。墓はかなり古い物にみえました。

真理谷信濃入道信政に近いかたかもしれませんね。
     真理谷ショウカン       宮原晴克



  宮原晴克は義久の子で次の当主です。母は貞姫ですから正真正銘武田勝頼の孫にあたる方ですね。寛永十九年十月二十八日

  三十六歳で亡くなっています。実は母貞姫よりかなり早くに亡くなっているんですよね(貞姫は万治二年六月三日)。

  悲しかったでしょうね・・・・。




                                                             (09 11.15 アップ)


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