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| 玉窓寺は慶長6年川口長三郎近次妻(青山忠成娘)の玉窓秀珍禅尼が開基となり、頭室(青光禅師)を開山として創建された曹洞宗の お寺です。 |
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駒井親直の娘は大久保彦左衛門忠教と武田逍遙軒信廉の娘の間の子大久保彦左衛門忠名の室となっており(立行寺)) 駒井親直の孫駒井親行の養女(実の父は小笠原肥前守胤次)は円明寺に眠る小菅正親の室となっています。 |
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| ちなみに重茂の兄である城和泉守昌茂は武田滅亡後熊谷付近を領地として(諸説あり)同地に東漸寺を開基し菩提寺としました。 最後に玉窓寺の墓所から出る時、偶然三階菱の家紋のある跡部家の墓を見つけました。新しい墓だったのですが、やはり気になった ので、調べてみたところやはり跡部勝資の子孫に関係する方がここに眠っておりました。 跡部勝資の娘は朝比奈信置(一乗寺)の子信良に嫁ぎましたが、武田家滅亡時信良は駿河国菴原において自害(死罪?)します。 妻(跡部勝資の娘)は信良の子を妊娠していたので甲斐国に逃れ父の兄弟である跡部良直に身を寄せ子の良保を生みます。良保は 父がいない為でしょうか、母の実家の跡部家の養子となります。その良保の妻は和田兵衛大夫信業の娘なのですがその兄弟の業保が 跡部家に養われ跡部良保の弟となります。その跡部業保よりここに眠っています。 朝比奈家の方から調べるとまたちょっと違う話になってしまうので、まあこんな感じの話があったという事で許してください。 ちなみに跡部業保の子、跡部良隆はあの柳生十兵衛宗厳の娘(孫?)を嫁にしています。 勿論、私の見た跡部氏の墓が跡部業保の子孫の墓とは限りません(関係する人物の可能性は高いですが))、再度訪問して他にも 跡部家の古い墓があるかどうかは調べてみたいですね。 (出陣時 アップ) |
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跡部家の墓を探しに玉窓寺に行ってきました。23区内に住んでるので別に遠くはないですけどね。 跡部家の墓はありましたが、 個人の墓は無く累代の墓と家臣の墓(他に新しい墓も)がありました。夕方でしたのでお寺の門が閉まっており詳しい事は 聞けなかったのですが(墓は道路を隔てた向かい側にあります)家臣の墓があるので間違いなく旗本の跡部家ですね。 大きさが 逆転してますが、家臣之墓は累代の墓より小さいですよ。 |
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