紅巌寺




  お寺の創建等につきましては不明ですが、跡部家が創建又は中興に関っていると思います。



現在お寺としては機能していないのかな?本堂などは

一切なく左写真のお堂と中にかなり古いと思われる

薬師如来(?)が安置されているだけです。  

ここも探すのに苦労しました。近くの警察でも名前さえ

知らなかったですね。地図に墓地の記号があったので

とりあえず行ってみたら紅巌寺でした。
           薬師堂         薬師如来(だと思う)






この紅巌寺には右写真の宮子の笠塔婆があり群馬県の指定

重要文化財となっています。

この笠塔婆は文永五年(1268年 何と鎌倉時代!)

五月二十五日に七人の子供達が父の菩提を供養するために

建立したものです。   
         宮子の笠塔婆      宮子の笠塔婆

 紅厳寺は跡部家の菩提寺でありました。 跡部勝資の父信秋の菩提寺攀桂寺の看板に

 よると跡部家は小笠原長清の長男伴野六郎時長の二男孫六郎朝長が佐久の跡部に

 住んだ事で跡部と名乗ったとあります。  攀桂寺に伝わる跡部家系図によると小笠原

 大膳大夫持長三男宗長宗勝と続き次に信秋そして勝資と続きます。そしてここ紅巌寺を

 菩提寺にしたのは跡部勝資の弟良直とその子良保です。
  
         跡部家累代の墓


良直は跡部勝資の弟で武田家に仕えていました。

武田滅亡後家康に仕えこの地に七百石を給わり

ます。慶長二年七月七日に亡くなります。室は

駒井高白斎の子政直(宝憧院)の娘です。室の戒名

が紅岩(厳)ですから本人又は子か夫が紅厳寺の

創建(又は中興)に関係してるのでしょうね。
    良直室の墓(紅岩の文字)   跡部良直と室(駒井政直娘)の墓


   ちなみにこの良直と室の駒井政直娘の五輪塔は宝憧院の駒井政直夫婦の物と形、大きさそして石の材質全てが瓜二つです。

   すなわち後に改建された物ではなく亡くなった当時の物でしょうね。

   下写真 跡部良保は良直の子(養子)で当主を継いでいます。

良保は跡部勝資の娘と朝比奈信置

の子信良の間の子でした。

武田滅亡時信良が信置と共に自害した為

身篭っていた勝資の娘は良直の元に身を

寄せ良保を生みます。良保はそのまま良直

の養子となったという訳です。 室は和田

兵衛大夫信業の娘です。
       跡部良保     (推測)良保室 (多分)良隆室(柳生宗厳娘)


   良直が駒井政直の娘を室としたのは武田時代とも考えられますが、両家の領地の近さ(政直の菩提寺宝憧院は同じ伊勢崎市内です)

   を考えると武田滅亡後の可能性もありますね? いずれにせよもし跡部勝資が武田滅亡(長篠の戦の件も含めて)のA級戦犯なら

   武田の重臣駒井家が跡部家と婚姻関係を持つ訳がなく、更に上記良保の両親の様に武田時代に朝比奈家さえ跡部家と婚姻関係を

   結んでいます。 更に駒井家と跡部家は江戸では共に玉窓寺を菩提寺としている・・・・。  加えて依田信蕃でさえ

   勝資の娘を室としている。その四件の事を考えますと最近見直されている様に勝資は悪臣(例→正安寺)でなく、天目山で

   (他場所かも)武田家に殉じたと思うのですが どうでしょう?

   最後にもう一つ跡部勝資ついてなんですが、娘が五味政義の母と言われています。この政義の父は五味長遠寺という説と

   (功名が辻で有名な)山内土佐守一豊の弟政直という二つの説があます。(どちらが正しいにしても、どこをどう間違ったんだ?)

   良保の次の当主良隆はあの柳生十兵衛宗厳娘を室としています。 ただし上記女性の墓は全て該当しますが、墓には誰の室とは

   刻印されていません。しかし墓所の中で五輪塔は良直と室だけだし宝篋印塔は良保と室の墓だけなので間違いないと思います。他の

   墓も基本的に男性の墓の隣が女性になっているので室と判断しています。良隆室の墓の写真の右に小さく写っている小さい石塔が

   良隆本人の墓です。正式にはこの良隆そして父良保の子業保より玉窓寺を菩提寺としています。


この跡部家の墓の中で一般的に一番の有名人は右写真の跡部良顕

でしょうか?墓の中で唯一石塔が墓の前に建っています(写真でも確認

できます)良顕は良隆の次の当主です(母は柳生十兵衛宗厳娘)。

駿府城の守護を務めていた時に、不始末を報告しなかった事により

貞享二年二月十五日一度閉門させられ、十月十八日許されています。

神道儒学両道の研究家?で石川近江守総茂などからその学問について

質問を受けています。 元禄十四年一月二十七日に亡くなっています

室は本多備前守忠將の娘です。
     (多分)良顕室       跡部良顕


左写真の女性の墓これが気になるんですよ(このHPでは毎度のパターンですね)。

跡部家の墓は左から古い物が並んでおりこの墓は跡部良直の更に左に一基だけ建っている物

なんです。 記憶では寛という文字が見えたような見えないような覚えがあります。

寛永の頃の物でしょうか? 良直が母(勝資の室)の為に建てた可能性も無きに有らずですが

寛永なら90歳位まで生きた事になります。 
 
現実的なのは勝資の娘すなわち良保の母の墓でしょうか? 勿論全然違う可能性もありますよ

むしろその方が可能性高いでしょうか、このHPは全て好い方に考える!これがコンセプトです。
  凄く気になる女性の墓




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