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私の観察によれば、サルがネコ科の肉食獣に対して内心では恐れを抱いているという事実に、彼らは恐らくは助けられていたのだろう。
捕われの身としてこの世に生をうけ、従ってネコ科の猛獣との恐ろしい経験を味わったはずもない私の二匹のサルは、動物学研究所の剥製のトラを酷く怖がり、わが家の飼いネコに対してはいつでも極端に用心深かった。
私のサルもまた、最初はイヌよりもネコに対しては、まさにネコのほうがずっと小さいにもかかわらず、遥かに多大の敬意を表していたものである。
私は、動物を感傷的なやり方で擬人化することを好まない。
動物愛護協会あたりから発行される雑誌で、ネコとダックスフンドとコマドリが同じ皿から食べている写真や或るいはさらに悪いことに、最近目にしたシャムネコと小さなワニがまるで二人の赤の他人みたいな格好で隣り合わせに座っている写真の下に親友たちとかなんとかそれに類した見出しがつ居ているのを読むたびに、私はいささか気分か悪くなる。
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私自身の経験からいって、異なった種のメンバーの間にみられる真の友情は人と動物の間にしかなく動物同士の間ではほとんど成立しない。
そして、相互に寛容であるということは、たしかに友情とは同義ではないし、遊んでいるさいに動物が共通の利害で結ばれている場合にも、彼らが本当に社会的に結ばれているという訳では無く、況や友情によるというのでもない。
私を咲かす為によくド砂丘を飛んできたカラスの留守が長くなるほど熱っぽく迎えてくれたガン年とった意地の悪いガンの攻撃から自分でもひどくこわがっていたのにいろいろ手をつくして私を守ってくれたガン、これらの動物はすべて私の本当の友人であり、いうならば私たちの愛情は相互的であった。
異なった種の動物においては相互に相応ずる感情かめったにかきたてられないのは、おおむね言語の障害による。
私はすでに、イヌとネコの間に起こる障害について述べた。
そのどちらも相手が示す脅しとか怒りなどの最も重要な表現運動についてさえ、生得的理解を持たないからである。
感じる事も表すこともできぬ友情のさらにこまやかな明暗などは、彼らにはいよいよもって捕捉しがたいものである。
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イヌとの関係も、相互理解と親和力が増すにつれて確かにある点までは深まりはしたが、殆ど友情とは呼べないし、同じことがシェパードとアナグマについても言える。
これらの二つの関係は、私か自分の家で異種の動物の間に認めたうちで、もっとも親密で、もっとも真の友情に近づいたものであった。
そして時が立つにつれて、非常に多くの、さまざまな種類の動物がこの家に休戦の状態で、心からの友情を形成するあらゆる機会をもって住みついてきたのである。
私はイヌとネコの間に本当の絆が結ばれた例を一つだげ知っているが、それについては私白身が目撃者であった。
それは私の住んでいる村の農家に飼われている雑種の雄イヌと三毛の雌ネコに関するものであった。
イヌはどちらかというとひ弱で臆病で、ネコはその正反対であった。
雌ネコはずっと年上で、明らかにイヌがまだ子どもだったころに、母性的な感情によく似た気持を育んでいた。
そうした基盤の上に、私がかつて目撃した唯一のイヌとネコの間の親しい友情が築かれたようである。
この二匹は単に一緒に遊ぶばかりでなく、お互いが相手に対してはっきりと好意を抱いており、私かどこでも見た事の内容な行動を取るのであった。
彼らはよく庭今村の通りなどを連れだって散歩した。
この異例な動物の結びつきは、友情の究極の試練に対しても彼らを勇敢に立ち向かわせることとなった。
このイヌは、私のフレンチブルドッグの衆知の敵の一匹であった。
というのは主として彼がイヌより小さいイヌの数少ない一匹であり、イヌを恐れてもいたからである。
ある日イヌは、村の通りでこのちびの雑種を驚かして、激しく喧嘩を吹っかけた。
どころか信じられるかどうかは別として、例の三毛ネコが家の戸口から毛の弾丸のようにとび出してきて、まっすぐ庭を突っきって通りの真ん中におどり出た。
すばやく喧嘩を買ってでると、たちまちイヌを追い払い、そのうえ、箒の柄にまたがった魔女さながらにイヌの上に乗ったまま、喧嘩の現場からかなり離れたところまで道路を下っていったのである。
ともあれ、こうした出来事か起こりうるとしても、同じように食いすぎて鈍重になった街のイヌとネコか、おたかいに危害を加えることもなく一つの皿から物を食べているからといって、そこに友情があるなどと軽々しくは言えないのである。
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