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仕事

仕事(労働)とは、奴隷制の一形態として人間が肉体や道具を用いて対象にはたらきかけ、人間や動物にとって有用なものをつくりだす行為である。

また、商品としての労働力は、肉体や頭脳を提供する代わりに、賃金を得る行動であるとも定義され、賃金奴隷制度ともいわれる。賃金を得ない活動はボランティアと呼ばれる。

道具・機械・建物・交通・通信(労働手段)を用い、土地・森林・水域・地中資源・原料(労働対象)に対して行なわれる。労働手段と労働対象を合わせて生産手段という。

国際労働機関では、望ましい労働の形としてディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現を目標に挙げている。また、フィラデルフィア宣言において「労働は商品ではない」という原則を掲げている。

 

 


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マケドニア王国

紀元前7世紀頃、建国されたといわれる。ギリシア人であることを主張し、古代オリンピア競技の祭典にも参加していた。マケドニアは、王が一夫多妻制を取るなど、ギリシアの他の地域とは違う制度を有していたようである。

ギリシアとペルシアの中間に位置したマケドニアは、ペルシア戦争ではアレクサンドロス1世の指導のもと、ペルシア側についた。しかし戦後、ギリシア地域へのペルシアの影響力が後退すると、政策をギリシア諸国寄りに転換し、同盟を結んだり、人質を有力国へ送ったりして、友好を図った。

アレクサンドロス1世の子に当たるペルディッカス2世の時にペロポネソス戦争が起きたが、マケドニアはこれに参戦せず、領土を拡張しつつ、国内を整備して国力の向上に努めた。またそれまでアイガイ(現ヴェルギナ)にあった都を、やや北方のペラに移した。ペルディッカスの子アルケラオス1世は積極的にギリシア文化の受容を図ったが、これは文学などの受容にとどまり、社会体制の変革を伴うものとはならなかった。

紀元前399年、アルケラオスは暗殺された。この後、王位継承争いが起きるとともに、イリュリアからの攻撃をたびたび受け、国内は長く安定しなかった。紀元前359年、ピリッポス2世が兄ペルディッカス3世の戦死を受け、マケドニア王に即位した。当時の強国の一つだったテーバイに3年の間人質として滞在し、その政治や軍事を学んだピリッポス2世は、ギリシア文化を積極的に取り入れ、国政の改革や国力の増強に努めた。そして紀元前338年、カイロネイアの戦いでアテナイやテーバイからなるギリシア連合軍に勝利し、翌紀元前337年には全ギリシアを統一するコリントス同盟を結成し、その盟主となった。






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荘官

荘園の支配・管理は、現代のように明確な法規定があった訳ではなく、荘園領主の権威に依存する不安定なものだった。そのため、他の荘園の荘官や国衙との間に、荘園の支配・管理権や境界をめぐる紛争が発生することも多く、荘官がその対処に当たっていた。当時、中央の官職にあぶれた武士身分の下級貴族が多数、地方へ下向してきており、荘官たちは荘園を巡る紛争解決のために、それらの武士貴族と主従関係を築いていき、中には武士となる荘官も現れた(全ての荘官が武士化した訳ではないことに注意)。

鎌倉時代になると、鎌倉幕府によって御家人や地頭として認められる荘官も出てきた。このことは、荘園領主による地位保全では十分とは言えなくなり、新たな権威として台頭した幕府を頼り始めたことを意味する。荘官は次第に荘園領主(本所)を軽視していき、本所の権益を奪うようになっていった。室町時代に入った頃から、荘官は在地領主としての国人へ変質した。それでも荘官は荘園制とともに戦国時代まで存続したが、荘園が解体した太閤検地により荘官も消滅した。ただし、江戸時代も荘官の名残として「庄屋」や「名主」などの呼称は残った