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青森 仕事
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仕事

仕事(労働)とは、奴隷制の一形態として人間が肉体や道具を用いて対象にはたらきかけ、人間や動物にとって有用なものをつくりだす行為である。

また、商品としての労働力は、肉体や頭脳を提供する代わりに、賃金を得る行動であるとも定義され、賃金奴隷制度ともいわれる。賃金を得ない活動はボランティアと呼ばれる。

道具・機械・建物・交通・通信(労働手段)を用い、土地・森林・水域・地中資源・原料(労働対象)に対して行なわれる。労働手段と労働対象を合わせて生産手段という。

国際労働機関では、望ましい労働の形としてディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現を目標に挙げている。また、フィラデルフィア宣言において「労働は商品ではない」という原則を掲げている。

 

 


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モエシア

紀元前75年、共和政ローマのマケドニア属州のプロコンスルであるガイウス・スクリボニウス・クリオが、ドナウ川に至るまでのモエシア地方に軍を遠征し、この地方の部族に対して勝利を収めた。そしてこの地域は、第一回三頭政治の一角を占めたマルクス・リキニウス・クラッススによって完全に制圧され、その後アウグストゥス治世の紀元前29年前後の規定によってマケドニア属州のプロコンスルが支配すると定められた。この地域がローマ帝国のモエシア属州として定義されるのはアウグストゥス皇帝の晩期であり、そのことは総督カエキナ・セウェルスによって西暦6年に言及されている(Dio Cassius lv. 29)。

モエシア属州を統治したのはコンスル格の総督(レガトゥス)であり、アカエア属州とマケドニア属州も同時に統治したと思われる。モエシアは元々は単一の属州だったが、ローマ皇帝ドミティアヌスの時代に分割され、セブルス川(Cebrus)を境界に西側がモエシア・スペリオル属州(上モエシア、高地モエシアとも)、東側がモエシア・インフェリオル属州(下モエシア、低地モエシア。リパ・トラキア(Ripa Thracia)とも呼ばれた)となった。それぞれ、コンスル格の総督と皇帝属吏(procurator)に支配された。ただし境界線についてはもっと西だったという説もある。なお、属州の州都はモエシア・スペリオルがウィミナキウム(Viminacium、現:コストラク)、モエシア・インフェリオルはトミス(Tomis、現:コンスタンツァ)にそれぞれ設置された。

モエシアは国境に面する属州なので、ドナウ川南岸には多くの駐屯地や要塞が築かれ、スキタイ人やサルマタイ人の侵入を防ぐために、アクシオポリス(Axiopolis)からトミスに至る防壁が築かれた。






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荘官

荘園の支配・管理は、現代のように明確な法規定があった訳ではなく、荘園領主の権威に依存する不安定なものだった。そのため、他の荘園の荘官や国衙との間に、荘園の支配・管理権や境界をめぐる紛争が発生することも多く、荘官がその対処に当たっていた。当時、中央の官職にあぶれた武士身分の下級貴族が多数、地方へ下向してきており、荘官たちは荘園を巡る紛争解決のために、それらの武士貴族と主従関係を築いていき、中には武士となる荘官も現れた(全ての荘官が武士化した訳ではないことに注意)。

鎌倉時代になると、鎌倉幕府によって御家人や地頭として認められる荘官も出てきた。このことは、荘園領主による地位保全では十分とは言えなくなり、新たな権威として台頭した幕府を頼り始めたことを意味する。荘官は次第に荘園領主(本所)を軽視していき、本所の権益を奪うようになっていった。室町時代に入った頃から、荘官は在地領主としての国人へ変質した。それでも荘官は荘園制とともに戦国時代まで存続したが、荘園が解体した太閤検地により荘官も消滅した。ただし、江戸時代も荘官の名残として「庄屋」や「名主」などの呼称は残った