2010年1月、長妻厚生労働大臣が障害者自立支援法を廃止に向けての「基本合意文書」に合意をした。私たちの「願い」が叶ったのだ。
振り返れば2003年の支援費制度の施行から始まる。今まで行政の言いなりになってきた措置制度から、障害当事者が「こういうサービスが欲しい」と言える支援費制度が始まった。これは私たち利用する側にとってはとても使いやすく、素晴らしい制度だった。あまりにも素晴らしい制度だったため、今まで制度を使わなかった人も制度を使うようになり、国が考えていた支援費制度の予算を超えてしまったのだ。
 こういった中で出てきたのは、支援費制度と介護保険との統合案。これは反対の声で消えてしまったが、その次に出てきたのが「グランドデザイン案」。障害者自立支援法の前段階の法案だった。福祉サービスを受けることが「利益」とし、それに応じた「負担」を求めた「応益負担」が法案に盛り込まれていた。この法案に全国から非難の声が上がり、全国各地で抗議行動が行われた。僕も2005年2月に東京で行われた抗議行動に参加し、デモ行進をしたことを思い出す。しかし全国からの抗議行動にも関わらず、2005年10月に障害者自立支援法案が国会で可決され、2006年4月に障害者自立支援法が施行されたのだ。
障害者の生活は一変した。日常の介助を受けるにも、作業所などに仕事に行くにもすべて「利用者負担」がかかる。どうして仕事に行くのにお金がかかるのか?作業所に通い、仕事をして収入を得ることが、その人に作業所の利用料として負担を負わすことが正しいのか?このことにより多くの方が作業所に行く回数を減らしたり、作業所から去って行った方も出てきた現実もある。本当におかしな話だ。
 障害者自立支援法は絶対におかしい!!皆がそう思い始め国に対して訴訟を起こした。私たち障害者を代表して71名の方が原告となった。
 その後様々な活動をしていく中で、2009年に自民党から民主党に政権が変わり、障害者自立支援法が廃止へとなった。そして、数年以内に障害者福祉サービスの新法が出来るみたいだ。
 これでやっと私たちを苦しめてきた「障害者自立支援法」がなくなる。嬉しい反面、次の障害者福祉サービスの新法がどういう風なるのか不安な気持ちにもなる。良い方向に向かうだろうけど、現状の形態を活かしながら、障害者自立支援法の欠点を補う法律になってほしい。
どんな障害があっても、当たり前に生活できる社会に。誰もが普通に地域で暮らしていける街にしたい。

(大東要介)
2010年2月

 

午前10時。作業所が開く。その前に午前8時30分から送迎車が出発。送迎のメンバーを迎えに行く。午前10時を過ぎると自転車で通うメンバーも作業所にやってくる。午前11時から作業開始。内職をコツコツと。少しはおしゃべりしながら、リラックスしたり。でも一生懸命作業をする。
 お昼休憩を挟んで、午後1時からはミーティング。今日の仕事の状況や、今後の予定などを話し合う。そして、“ピュア恒例”のメンバーと職員の手と手をあわせて「ピュアGO!!」とかけ声。そして午後からの作業をスタート。午後3時から15分の休憩をして、午後4時まで作業。その後掃除をして午後4時30分に家路に着く。これがピュアの1日。
どんな仕事もそうだけど、「仕事」って日々同じ、繰り返しの作業だ。毎日同じ時間に同じような作業をする。平凡なことのようだけど、とても大切でとても幸せなことだと思う。みんなが健康で元気にピュアに通えるから、同じ毎日が繰り返されるのだ。みんなに感謝です。
 ピュアが今まで続けられたこと、すごいことだと思う。自画自賛かも知れないけどそう思う。支援してくださった方々に感謝し、これからもピュアを続けられるよう、メンバー・職員力を合わせて頑張っていきたい。
 この「日常の風景」を大切にしたい。

(大東要介)

 生活していく上で人はみんな「出会い」がある。家族、友達、仕事仲間…。色んな人と出会う。そして色んなことをして、多くの楽しいこと、嬉しいことをして充実した日々を過ごす。
 以前、ある方から聞いた話なんだけど、「人は産まれる前から、どういう人生を送るかと自分で決めてから産まれてくる」そうだ。そうかも知れない。最近僕もそう感じることがある。「何歳のときにこの人と出会って、こういうことをして過ごす。全て産まれる前から自分で決めて産まれてきたんだ。」なぜか最近そのことが強く思うようになった。
 また悲しいけれど、人との「別れ」もある。大切な人、気が許しあえた仲間との別れ。本当はずっと一緒にいたいけれど、いろんな事情があってお別れしなくちゃならない。寂しくて辛いけどね…。
別れは辛いけど、そのことが前向きな気持ちになるように。
別れは辛いけど、みんなが幸せになるためには、「別れ」は必要なことなのかも知れない。

 ひとつ、ひとつの出会いを大切に。出会えた人を大切にして、これからも過ごしていきたい。ここでみんなに出会えたことに感謝して。

(大東要介)

 3月1日は、ピュアにとって大切な日なんです。ピュアが開所した記念日なんです!!今から11年前の1999年3月1日に、当時のメンバー6名が集まり、ピュア作業所が出来たのだ。最初はみんな社会経験が少なかったので、仕事の仕方も分からなく失敗もしたりしながら、少しずつ仕事を覚えていった。仕事ってどういう風にするんだろう?仕事って何だろう?そんなことを思いながら、ピュアに通っていた。みんなで「ここはこういう風にしよう」とかいろいろ意見を出し合い、ひとつずつピュアの基礎を固めていった。
 ピュアをやっていく中で良い事や嬉しいこと、楽しいこともいっぱいあったけど、イヤなこと、辛いこともあった。様々な問題が出てきて、それをどう解決するか?何がベストな方法なのか?悩んだり落ち込んだり…。いろんな感情を持ちながら、「もうピュアを終わりにしよう」、「いやもう少し、もう一度頑張ろう」と2つの感情が入り混じりながら、11年の歳月を過ごし、今日まで続けられてきた。自分たちではどうしようも出来なくなった時でも、誰かがふっと手を差し伸べてくれてピュアの危機を救って下さった。今までご支援して下さった多くの方々に感謝します。ありがとうございます。イヤなこと、辛いことはしんどかったけど、そのことはとても良い経験で今の自信につながっている。
 逃げ出したいこともあったけど、今振り返ると「今日まで続けられてきて良かったなぁ」って、心の底から思う。作業所を続けていなければ、ピュアのメンバー・職員さんに出会えてなかったからね。ピュアを続けられてよかった。
 ピュアを続けられたことに感謝し、ご支援して下さった方々のことを忘れず、これからも“ピュア”らしい作業所であり続けたい。3月1日は、初心に帰る大切な日なんです。

(大東要介)

2010年3月

 2010年2月、カナダ・バンクーバーで行われた「カナダ・バンクーバー冬季オリンピック」。世界中からアスリートが集まり、スピードスケートや、フィギィアスケートなどの競技が行われた。特にフィギィアスケートの「浅田真央選手」の競技は、日本中、いや世界中からの注目を浴びて、とても盛り上がった。テレビも新聞も連日オリンピック特集を組んで、オリンピック一色の日々だった。
  それから約1ヶ月後の2010年3月、同じカナダ・バンクーバーで行われた「カナダ・バンクーバー冬季パラリンピック」。世界中から障がいのあるアスリートが集まり、様々な競技を競い合う。とても迫力のある競技をみせてくれて、感動と憧れの気分にさせてくれた。
 しかし、世間の注目はとても少ない。オリンピックは朝から夜までずっとテレビで放送されていた。同じシーンを何度も何度も繰り返し放送される。それに比べてパラリンピックは放送が短い。パラリンピックを見たくても、あまり放送していないから情報がわからない。もっと大きく取り上げてほしいな。そうすればみんなもっと関心を持ち、みんなが障がいのある人をもっと理解できるんじゃないかな。

 パラリンピックのニュースを見ていて、「ちょっと思ったこと」です。
                                      (大東要介)
                                     2010年3月                                     

≪オリンピックとパラリンピック≫

 朝、目が覚めて、顔を洗って、身支度をしてピュアに行く準備をする。ピュアに来たらいつものメンバーが顔をそろえて、今日もいつもと同じ作業をし、いつもと同じ1日が過ぎていく。当たり前なことかも知れないけれど、よく考えればすごいことなんだなぁって思う。それは、みんなが元気で健康でいられるから出来ることなんだ。
ピュアにはメンバーが10名、職員が3名いる。毎日顔を合わせて、いろんな作業を通して、意味のある1日1日を過ごしていく。みんながピュアで出会えたことってすごいことなのだ。なぜならこの広い世界で、このメンバーが出会ったのだから。大げさに聞こえるかも知れないけど、なぜか最近ふと思う。みんなに出会えたことが「奇跡」なんだと。
「当たり前なこと」って、普段は何気なく見過ごしてしまうけれど、よくよく考えればとても大切で、とても意味のあることなのだと思う。
  日頃、気に留めないことでも、ふと立ち止まって考えてみれば、大切なことに気づかせてくれることもある。
当たり前なことに感謝して、これからも過ごしていきたい。これから「感謝の気持ち」を忘れずにいよう。 
当たり前なことに感謝して。

(大東要介)
2010年4月

〜当たり前なことに感謝して〜

  僕が生まれ育ったところは、「和歌山県、和歌山市」。生まれて32年、ずっとこの街で暮らしている。大都会「大阪」からそんなに離れていないが、ゆっくりと時間を刻んでいる。昔ながらの雰囲気が流れ、それがむなしく感じたりもする。
 やっぱり「大都会」には憧れの気持ちを持つ。大阪・神戸・東京…。何度か行ったことがあるけど、都会は賑やかで便利で、すごくきらびやかで夢のような世界。和歌山で住んでいる人間にすれば、都会にはとても魅力を感じる。一度は住んでみたいなぁと思う。都会だと道路や施設の整備が進んでいるので、障がいのある方も暮らしやすく便利な街になっている。憧れの気持ちでいっぱいだ。
  反面、僕が生まれ育った「和歌山市」は、静かでのんびりとしている。決して派手な街ではなく、年々人口も減り商店街も活気がなくなってきている。道路や施設の整備も遅れていて、障がいのある方は街に出掛けにくく、まだまだ障がい者に対する理解も乏しく、差別や偏見なども今でも根強く残っており、障がい者は生活しにくい。先日もフツウにスーパーで買い物をしていただけで、全く知らないおじさんから、突然「頑張れよ」って声を掛けられた。何を「頑張れ」って言うのだろう?未だに理解されていない方が和歌山市にいるんだなぁ。だから和歌山市に暮らしている障がい者は、家や施設に引きこもりがちな生活になってしまう。
  こんなド田舎で時代に乗り遅れた和歌山市だけど、僕の大切な「ふるさと」なんだ。何もなく、恥ずかしいところもいっぱいあるけど、僕にとってたったひとつだけの「ふるさと」。やっぱり強い“愛着”がある。もっと誰もが住みよく、素敵な街にしたい。
 多分僕はこれからも「ふるさと・和歌山」で暮らしていくだろう…。
 和歌山の街を歩いていて「ちょっと思ったこと」。僕のふるさと、和歌山市。
                                         
2010年4月
                                            (大東要介)

ふるさとへの思い

僕は今生きている。なぜって聞かれたら、答えられないけれど…僕の心臓は絶えることなく動いている。僕には「障がい」がある。なぜって聞かれたら、答えられないけれど…生まれた時からずっと手足に障がいがあって、他の人よりドぐさいことをしながらも、何とか今日まで生きてきた。なぜ僕ってこんな人間なのだろう?と思ったり、でもそんなことイチイチ気にしていたら、歩いて行かれないなぁと思ったのか?本能的に自分の障がいのことをあまり考えず、今日まで生きてきた。別に自分の障がいから、逃げていたわけじゃないけれど、あまり気にはしなかった。
 両親や周りの方々のおかげで、いわゆる「普通学校」に通わせてもらった。小、中、高校と同級生と共に学校に通った。周りには障がいのある子は圧倒的に少なく、僕だけみんなと違っていた。走ることや手先の細かいことは苦手で、いつも先生や両親に助けてもらいながら、学校生活を送っていた。周りに障がいのある子が少なかったので、僕は自分の障がいのことを気にしなかった。僕は「高校を卒業して、専門学校に通い、自動車の免許を取って、一般の企業に就職する。」18,19歳ぐらいまで、本気でそう思っていた。夢というか希望を持っていた。でも…高校を卒業してから、パソコンの情報処理系の専門学校に入学したんだけど、勉強が難しく僕のアタマにはついていけず、半年で退学。現実の厳しさ、社会の厳しさを知った時だった。僕の「夢」はあっという間に崩れ、描いていた明日は吹っ飛んだのだ。
専門学校を退学してから2年と数カ月、何もせず家で遊んでいた。これからどうしていくのだろう?仕事に就けるのだろうか?不安な気持ちを抱えながら、過ごしていた。悶々とした気持ちで毎日を過ごしていた時、作業所を立ち上げる話があり、誘っていただきピュアの一員にさせて頂いた。僕の転機だった。
 ピュアに通うようになり、仕事をひとつずつ先輩方から教わりながら、仕事を覚えていった。そして様々な障がいのある方と出会い、多くの経験をさせてもらいながら、自分のやるべきことが少しずつ見えてきた。
 僕がやるべきことは、僕自身障がいがあるのだから障がいがあっても自分を発揮させる場、自分を必要とされる場所を作っていかなければいけないのかなぁと思う。そういう場所にピュアがなればといいなと思う。みんなが自分を発揮できる場所、そういう場所がピュアであるようにしたい。
 障がいがあることは、何かしら意味があるのかなぁ?そんなことを考えながら、僕の心臓は今日も動いている。

(大東要介)
2010年4月

心臓は今日も動いている

今ニュースで話題になっている、沖縄・米軍の「普天間基地移転問題」。アメリカの軍隊が沖縄にあって、その周辺で騒音や米軍関係の事件がずっと問題になっていて、普天間基地を移設させたいとずっと前から言っていて、鳩山首相が「沖縄県外」に移設すると言ったらしいけど、それが上手くいかなくて今一番大きな問題になっている。
 僕は詳しいことはよく分からないけれど、「約束」という観点から少し書いてみようと思う。
 「約束」って普段生活していると、周りにはいっぱいある。簡単な例をあげると「ピュアは10時からなので10時に来てください」これはひとつの「約束」。決まったことだから守らなければならない。守らなきゃ意味がない。それが約束というものだ。
 約束は守らなきゃいけないけど、いろんな理由で変更しなきゃならない時もある。それはお互い双方が納得した上での変更なら良いけれど、納得しないまま約束を変更するっていかがなものなのかなぁ?
 ニュースでやっていたけど米軍は世界の平和にとって、「必要」らしい。他の国が悪いことをしないために米軍があって、地理的にも沖縄がいいらしい。でもね…僕は違うと思う。本当に平和のことを考えるんだったら、軍隊をなくせばいいんじゃないのかな?軍隊がなくなれば戦争が起こらなくなり、平和になり仲良くしようと「約束」が出来る。そんなに簡単な問題ではないだろうけれどね、僕は単純にそう思う。
 政治家のみなさんって選挙で当選して政治家になるんだけれど、選挙の時に様々な「公約」を掲げて選挙を闘う。公約って当選し政治家になった後に「こういう風にします」っていうことなのだけれど、当選した後に公約を忘れてしまう政治家の方々ってなぜか多い。そりゃ実際やってみて、思っていたこととは違うってことはあるけれど、なんだか見てて違う感じがする。もっとよく考えてから言ってほしいな。僕が偉そうに言えることじゃないけれど、そう思えて仕方ない。
 平和に暮らせる「約束」って何なんだろう?ものすごく大きな大きな問題を、和歌山の小さな小さな作業所から、ぶつぶつ“つぶやき”ました。

(大東要介)
2010年5月

 

約 束
「出会い」って不思議。考えれば考えるほど、奥が深く尊いものだと思う。あの日、あの時、あの人に出会わなければ、何も始まらなかったはず。大げさに言っているようだけれど、ほんとうのこと。今振り返れば僕もそんな「出会い」があった…。
それは思春期に出会ったひとりの友人。僕と同じように障がいがあって、いろいろ話をしたり友達を紹介してもらったり、一緒に遊びに行ったり。今振り返れば僕にとって大きな「出会い」だった。ケンカもしたけど「大切な友達」だった。「友達だった…」。過去形に書いたけれど、これには深い意味があるんだ。その友達に「裏切られた」んだ。小さくて軽い裏切りではなく、深くて辛い裏切り。そのことを許したら、僕が今日までやってきたことすべてが否定されそうで怖くて…、許すことが出来ないんだ。許せないんだ…。
たまにその人と街ですれ違うことがある。僕は小さい人間だから街ですれ違ってもあいさつが出来ないし、世間話すら出来ない。冷たい言い方だけど、関わりたくない。それぐらいのことをその人に裏切られたんだ。でも・・・。
僕はその人のおかげで、友達や仕事仲間、今の居場所「ピュア」に巡り合えたのだ。その人が僕と社会をつなげてくれた。僕を「スタートライン」に立たせてくれた。『あなたがいたから、今の僕がいるんだよ。』 感謝しなきゃね。アタマではわかるんだけど、キモチが…。その人のことを許せたら、あいさつが出来るようになったら、僕は成長出来るのかな。その人を許せる自分自身に出会える日が来たら良いな。そんな自分に出会えるよう、一歩一歩、大切に歩いていかなきゃね。
ピュアもおかげ様でメンバーが増え、11名となった。なぜこの11名のメンバーがピュアで出会えたのか?答えが分からない問いを、みんなの笑顔を眺めながら、自分自身に問い続けている毎日。みんなの顔が違うように、ひとりひとり性格や考え方もバラバラ。たまにはぶつかり合うこともある。でもね、この11名のメンバーがピュアに出会えたことって、「深い意味」があるんだろうな。「深い意味」があるはず。
 その「深い意味」が分かるのは、いつのことかわからないけれど、絶対「深い意味」があると信じたい。
 「あなたに出会えてよかった。」この気持ちを大切にし、これからも過ごしていきたい。出会いに感謝!!
 あなたに出会えてよかった。

(大東要介)

 2010年6月

☆あなたに出会えてよかった☆

  早いもので2010年も半分を過ぎようとしている。「時のながれ」って早いものだなぁ。毎日色んな事が起こり、色んな事を思いながら、日々過ごしている。
今の社会の状況は、決して良い方向に向かっていない気がする。政治のほうもあっという間に“日本の顔”が変わっていて、去年の夏にみんなが期待して選挙に行き、政治家の皆さんと約束したこともうやむやにされて、気づけば違う方向に向かっている気がする。沖縄の普天間問題も、子ども手当もうやむやになって、みんなが望んでいたものと違ってきている。何より今年1月に「障害者自立支援法廃止に向けての基本合意」も、普天間問題や総理大臣辞任などの最中にごまかされ、福祉サービスの利用者負担全面撤廃に、黄色信号が灯りどうなるか分からなくなってきた。今年の1月に私たちの“ねがい”が叶い、自民党から民主党に政権が変わってよかったと、心底思ったのに。当時の総理大臣や厚生労働大臣が私たちのことを理解してくれたことに感謝し、喜んだのに…。そのことを知り、残念で落胆した。また一からの出直しとなるのか。
 経済の状況も悪くて、私たちがさせて頂いている内職作業も、不況のあおりを受けて激減している。ほとんど毎日あった仕事も、ピュアではやりきれず断っていた仕事も、今では半分以下。『仕事がない』のだ。仕事がない日が2週間以上も続き、みんな1日をどう過ごすかが、1番の悩みの種。内職がない日は勉強をしたり絵を描いたりして、時間を過ごす。そういう日が続けば、仕事に対する意欲がなくなっていく。内職を納めても、不況で業者からの支払いが数カ月も遅れている。業者からの支払いが遅れれば、メンバーの給料にも影響が行きかねない。新しいお仕事も探してはいるんだけど、見つからない。何か良い方法を!!と、頭をひねり考えてはいるんだけど、厳しい状況…。
こんな状況の中「消費税10%」にするという案が出てきた。消費税を上げて国債を減らし、福祉や社会保障を充実させると。そんなことで福祉が充実しても、ちっとも嬉しくない。もっと他に出来ることがあるはず。消費税が上がれば私たちの生活や作業所の運営にも大きな影響が出る。ますます厳しい状況になる。
 時間は止まることなく流れていく。時が過ぎれば状況も変わっていく。何かに流されていくようにも思う。ただ良い状況になるように歩みを進めたい。誰もが思っているはず。みんなが幸せになるように、生活しやすい社会になるように、僕たちも何かしていかなければ!!僕たちが出来ることって何だろう?

 とにかく、前に進まなければ!!ひとつずつ、一歩ずつ、良い方向を目指したい。

 みんなが幸せになれるように…。

(大東要介)

2010年 7月

時のながれ

 仕事があることって嬉しい。朝10時にみんなが作業所にやってきて、コツコツと作業をする。普通の人なら容易い仕事であっても、僕たちにとっては難しい仕事。1秒1秒真剣勝負。26個の目が三角になるほど、ひとつひとつ製品をチェックし、業者さんに納得していただけるように仕上げなければ、認めてもらえない。これが仕事なのだ。僕たちは一生懸命やっているんだけど、なかなか上手く出来なくて。業者さんに注意され、やり直しを繰り返し、失敗を繰り返しながらでも業者さんから仕事を頂ける。有り難いことだ。13名が力と気持ちをひとつにしなければ出来ない仕事。仕事を頂けることに感謝し、ひとつひとつ丁寧に仕上げなければ。未熟な僕たちに仕事をさせて頂いている業者さんの方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。
  僕がこの仕事に就いて11年。初めは『自分たちの「居場所」を作ろう。僕たちで活動出来る場を作ろう』という思いで作業所を作った。初めはお金もなく、出資金を出しあったり、寄付などを頂きながら作業所をやっていた。その後補助金を頂けるようになり、収益も出てきたので、みんなに給料を払えるようになった。「1日250円」からの出発。こういう作業所というところは「最低賃金」は適用されない。僕たちは「労働者」ではなく「利用者」なのだから。
  作業所にはいろいろな考え方の人がいて「お金なんて気にしない。1日楽しく過ごしたい」という人や「収入は多い方がいい。生活していくには」と考えの人がいる。昔は前者の人が多かったような気がする。当時は社会情勢も景気がよく作業所に対する補助金が十分あった。みんなに気持ちの余裕があったのだろう。その後メンバーの入れ替わりや、昨今の不景気や障がい者を取り巻く環境の変化などにより、考え方や方向も変わってくる。収入を増やさなければ作業所運営が出来なくなってしまう。自分たちの生活も危うくなる。今後も作業所を存続していくには仕事を増やさなければならない状況なのだ。
  仕事がしたい。作業所を存続できるよう、少しでも仕事を増やしたい。仕事をし、作業所運営を安定さすためにはいろいろ考えた。「廃品回収」や「内職作業」、「自主製品作り」などにも挑戦した。でも簡単にはうまくいかず、四苦八苦しながら今日までやってきて「1日350円」の賃金を維持するのに、ギリギリの現状なのだ。作業所の運営費まで回せる収入までにはいかず、小さく細々と続けている。僕たちの実力不足と言われるかも知れないけど、僕たちなりにピュアをやってきた結果が今なのだ。そして現在、私たちのことを理解して頂き、仕事をさせて頂いている業者さんとご縁が出来た。業者さんのご厚意で仕事をさせて頂いている。期待に添える仕事が出来ない僕たちに、一から仕事のやり方を指導して頂き、何度も失敗しながらも、温かい眼で僕たちを見守って下さる業者さんの方々。未熟な僕たちに仕事をさせて頂き、ありがとうございます。この仕事が僕たちの自信につながるよう、責任を持って仕事が出来るよう、頑張りたい。そして今、「お金の重さ」をしみじみ感じています。
 僕たちにとって「1日350円」という価値は、とても大きいのだ。

先日テレビで国会議員さんの収入の話をやっていた。議員さん1人1人に莫大なお金が掛けられているらしい。国会議員さんに僕たちの現実は分かってもらえるのかな?少しでも分かってほしいな。
 これが私たちに映る風景なのです。

(大東要介)

 2010年 8月 

 

1日350円の視線から

「はじめの一歩」ってどんなことでも、とても勇気がいる。たとえば「はじめてのおつかい」。テレビ番組で3,4歳の子どもがおつかいを頼まれて出掛ける。はじめて頼まれた子どもも、はじめて頼んだ親もとても不安で、ドキドキしながらおつかいに行く。子どもにとってはすごい冒険。このおつかいが上手くいけば、自信となり大きな一歩となる。
 僕も「はじめの一歩」と言えることを思い出す。初めてひとりで電車に乗った時のこと。無人駅だったので母親に車掌さんから切符を買ってもらい、車掌さんに言って目的の駅まで電車に乗った。たった10分足らずの乗車だったけれど、僕にとっては“はじめての冒険”。ドキドキしながら電車に揺られていた。すごくドキドキした。普段は親の車でしか出かけたことのない僕にとっては、大きなことだった。僕はひとりで出かけられたことが嬉しかった。みんなはある程度の年齢で経験できることも、障がいがあることによって普通に経験できることも、出来なかったり経験できる年齢が遅くなったりする。人から見れば大したことではない小さなことであっても、本人にとってはとてつもなく大きなこと。冒険なのだ。
  「初めてのこと」ってとても勇気がいる。色んな事を考え、心配し、不安になる。周りからいろいろ言われるけど、やってみたいこともある。不安な気持ちを抱えながら、悩みながら、『やりたいことはやってみたい!!』やってみてそのことが上手く行くと、自信になる。もし失敗しても、今後同じ失敗をしないようにどうすればいいか考え、またチャレンジする。親や周りの人も心配し、反対もされることもあるけれど、自分がやりたいことをどうすればできるか?よく考えて行動しなきゃね。親や周りの人を安心させて。難しいことだけど。そんなことを繰り返しながら、人は成長していくのかな?
  新しいことにチャレンジしていかなければ、何も変わらない。自分が見える視野が広がれば、新しい発見がある。勇気がいるし、心配ごとも増えるけれど、「はじめの一歩」は大切なことだ。
  僕も最近「はじめの一歩」をしていないな。何か新しいことを始めなきゃね…。何かチャレンジしたい。
  『は・じ・め・の・いっ・ぽ!!』

(大東要介)

2010年 8月

はじめの一歩

「私は走ることが得意です。でも絵を描くのは苦手です」誰でも得意なこと、苦手なことがある。得意なことは思いっきり発揮して、自分の良い所を伸ばすそれが自信につながればいい。苦手なことは無理せず、出来る範囲でしたらいい。僕はそう思う。
 よく人と比べられることがある。「あの子は出来るのに、なぜあなたは出来ないの?」何気なくよく言われる言葉。学校でも職場でもイイモノを作るために人と競いあい、比べられ、その結果今の便利な世の中になった。それはそれでよかったことと思う。でも…なにか「??な気分」になる。
 苦手なことや不得意なことは、出来るようになることも大切だけど、そんなに無理してまでも、することなのかな?出来ないことを出来ないと言うことは、いけないことなのかな?
 苦手なことは苦手と自分自身も周りの人間も認めることって大切なことじゃないのかな?苦手なことって、出来ないと恥ずかしくて、自分自身も嫌な気持ちになるけれど、その分得意なことを一生懸命やったらいいんじゃないのかな?
 ひとりひとりの得意な所を生かして、みんなが過ごしやすい場所にしたいな。苦手なところは助け合ってね。この気持ちは忘れてはいけない。大切にしたい。 
  日々ここに来て、ちょっと思った事です。

                             (大東要介)

2010年 9月

得意なこと、苦手なこと

 毎日歩いていると、いろんな人とすれ違う。その時はその場限りの「すれ違い」だけだと思っていても、今から思えば大切な「出会い」だったかもしれない。一度すれ違っただけなら、相手のことが分からない。でもすれ違ったことに意味があることなら、ふとした瞬間に“こころ”の奥のどこかに、引っかかっていたり。そのことに、あとになって気付いたり…。
 何度か「すれ違い」が続くと相手のことが少しずつ見えてくる。偶然すれ違っただけじゃなく、意味のある「すれ違い」だったのかと。その場限りの「すれ違い」と思い、通り過ぎていても、相手のことが分かってきて、後になって自分にとって大きな存在だったと、ふと思うことがある。そんなことが積み重なり、人と人との「ツナガリ」が出来るのかな。
 人と人との「ツナガリ」って良いことばかりじゃない。ぶつかって傷つけあって、お互いの歯車が噛み合わなくなり…。相手にひどいことをして、取り返しがつかなくなって…。悲しいけど別々の道を進むことになったり…。お互いが幸せになるためにね。いろんな理由があって、一度は離ればなれになることも。でも、何かの拍子で心が打ち解け、お互いのことを分かりあえて、再び同じ空間にいるようになったり。振り向くととなりにいて、お互い支え合いながら日々を刻んでいたり。気付けば、お互いにとって大切な存在になっていたりする。僕はそれが「不思議」だなぁに思う。でもそのことって、とても尊く、その間には温かいものが流れているような気がする。それが「キズナ」って言うものなのかな。
 よく言われることだけど「人はひとりでは生きていけない」。誰かに助けてもらい、お互い支えあいながら生きていく。世の中にはいろんな人がいるけれど、相手のことを大切に思いながら、接していかなきゃね。こんなことを言っている僕自身も、まだまだ出来ていないから、そういう人間になれるよう、心を成長させたい。
 ひとつ・ひとつの出会いから「キズナ」が生まれることって、素晴らしいことだと思う。 
「キズナ」って、あったかいな。

(大東要介)
2010年 10月

キ ズ ナ

 「私は強い人間になりたい」よく言われる言葉。強く生きていきたい。誰もが思うこと。どんなことが起こっても、乗り越えられるようになりたい。みんなが願うこと。でも、「すべてをひとりで乗り越えていくには、限界があるのかなぁ?」って、最近、ふと思う。
 当たり前のことだけど、みんなそれぞれの役割を持って活動しているから、社会は成り立っている。例えばスーパーに行けば、商品が並んでいる。それを買って毎日の生活が成り立つ。誰かが仕入れてくれて、スーパーに並べてくれているから、私たちが商品を買うことが出来て、日々の生活が送れる。大げさに言えばね。
 人はひとりでは何も出来ない。ひとりで出来ないから、多くの人が支えあって生きているんだ。ひとりでは解決できないことは、誰かに相談して助けてもらう。人は支えあって生きているから、人は人間になれるのかな?
 そして人って「ひとりでは弱い生き物」なのかも知れない。ひとりでは弱いから、お互いの気持ちが分かりあえる仲間を探す。「みんな同じ思いをしていたんだ」と安心し、思いを共有する。そうすれば、自分だけじゃないとわかり、少しはホッとし、その積み重ねが自信につながるのだ。
 だから、助けてほしい時は「助けて。力を貸して」と声に出せばいい。苦しい時は、「苦しい」と叫べばいい。どうしていいか悩んで分からなくない時は、誰かに頼ればいい。そうすれば答えが見えてくるし、気持ちが楽になる。そして、相手のことを大切に思えるのだ。人に頼ることは悪いことではないんだ。
 弱いことは悪いことではない。みんな弱いのだから。弱いからみんなで支えあって、助け合って行かなくちゃならないのだ。自分だけが弱いんじゃない、みんな弱いのだ。だから、人はお互いを助け合って生きていく。人が人を助け合って「人間」になっていくのかな?昔、誰かに教えてもらった気がする。
 楽しいことはみんなで楽しんで、しんどいことはお互いに支えあっていけば、充実した毎日になるんじゃないかな。
 弱いことは、悪いことじゃないんだ…

(大東要介)

 2010年 10月

人は支えあうから人間なんだ

 トップページにある1枚の写真。ピュアのメンバー全員が写っている。メンバー11名、素敵な顔で写っている。
 11名、みんな今まで色んな事があったんだろうな。楽しいことも辛かったこともみんなそれぞれにあって、みんなそれぞれに乗り越えてきたんだろう。みんな人に言えない事情や悩みを抱えながら、毎日ピュアに通っている。
 僕は何かあれば落ち込んでしまう。ピュアに来られなくほど落ち込んでしまう悪い所がある。直さなきゃいけないけどね。そういう時はどうしても仕事を休んでしまう。休んで家にいれば調子が良くなると思って。僕の悪いところ。でもね、それは間違っていた。ひとりで家に居て悩み、いろいろ考えていても、何も解決しないこと。今更ながら気付いたんだ。
 自分自身が弱い気持ちになっている時、しんどくて誰かに助けてほしい時、自分の気持ちを分かってくれる仲間がいれば、乗り越えられる事もあるのだ。ただ、みんなといるだけで、少し話をするだけで、今まで悩んでいたことがすっ飛んでしまい、気持ちが楽になることもある。
 前にも書いたけど、人ってひとりでは弱いんだな。ひとりでは乗り越えられないことも、いっぱいある。そんな時はお互いを分かりあえる仲間がいれば助け合って、思いを共有して、困難なことがあっても解決できるのだ。
 毎日ピュアで活動していれば、いろんな事が起こる。意見の食い違いや、相手の気持ちが分からなくなることも。でも話し合いを重ねたら分かりあえ、気持ちがひとつになれるのだ。
 みんながいれば、何があっても大丈夫なのだ。
 気持ちをひとつにして。

                             (大東要介)

2010年 11月

一枚の写真から・・・
 気つけば2010年師走。今年も1年が過ぎ去ろうとしている。
 今年も色んな事があった。年の初めにはひとりのメンバーが諸事情で退所せざる得なくなり、メンバー9名でスタート。これからどうなるかと心配していたが、ご支援して頂いている方々から新しいメンバーを紹介して頂き、2名のメンバーが増え、現在11名のメンバーとなった。感謝します。
 作業内容も昨今の不景気から仕事量が激減し、仕事がない日が何日も続き途方に暮れていたことも。仕事がない日をどう過ごすかが、一番の大きな悩みの種だった。でもとある業者さんのご厚意でお仕事をさせてもらえるようになった。仕事は厳しく難しいところもあり、失敗の連続でこの仕事を続けられるか不安だった。でも業者さんが何度も熱心に私たちに指導していただいたおかげで、何とか認めて頂けるぐらいの仕事が出来るようになった。この作業をさせて頂いたおかげで、「仕事の厳しさ」「お金の重さ」を学ばせてもらいました。
 また今年は多くのご寄付や物品の寄贈を頂きました。ありがとうございます。皆様方のご厚意を大切に受け、今後も精進して参ります。
 何より1年間、メンバー・職員が健康で過ごせたことが一番よかったことだと思います。
 2011年もピュアらしい活動をしていきたいと思っています。
 これからもよろしくお願い致します。
 皆様、良いお年をお迎えください。

                              2010年 師走
 大東 要介

2010年〜2011年
 新年、あけまして おめでとう ございます。今年もよろしくお願いいたします。
 皆様、お正月はいかがお過ごしでしたか?ピュアのメンバーもそれぞれ楽しめたことだと思います。
 さて、新しい年「2011年」が始まりました。今年はどういう風にしようかと思いを巡らせ、年間計画を立てなきゃと考えているところです。まずは、現在頂いている「内職作業」をコツコツと丁寧に仕上げることが大切だと思います。昨年は仕事がなく大変な思いをしたので、仕事を頂けることに感謝しつつ、みんなで力を合わせて頑張っていきたいです。
 それと、昨年出来なかった事を達成したいです。例えばピュア作業所主催で、多くの方々が参加して頂ける、みんなが楽しめるイベントを考えて実現したいです。
 もうひとつは、ピュアが社会の一端としての役割をもっと活用したいです。具体的には、いつも温かく見守って下さっている、作業所周辺の方々や地域の方々に、何か喜んでいただけることが出来ればいいなと、思っています。何が出来るか、考えていきたいです。
 何よりメンバー・職員、いつもピュアをご支援して下さっている方々が、1年間健康に過ごせるようにと、願うばかりです。
 今年もみんなで力を合わせて、新しいことにもチャレンジし、気持ちをひとつにし、頑張って参りますので、よろしくお願い致します。

 皆様方にとって、良い1年でありますように…                                                     2011年 1月

(大東要介)

2011年 年頭にあたり

 みんな今まで自分なりの道を歩いてきた。ここまで来るのに色んな事があったのだろう。他人(ひと)から見れば容易いことであっても、本人(じぶん)にとってはとてつもなく困難な事であったりする。時には他の道は羨ましく見えたりする。自分にはないものが目に入り「ああいう風になりたい」と憧れの気持ちが湧き、いつしか「あの人は自分と違って、羨ましいな」と嫉妬という“汚いこころ”になってしまう。みんなそれぞれに色んな事を抱えているのにね。
 「お互いを分かりあおう」って良く言うけれど、それって簡単なことではない。ひとりひとりここまで来るまで色んな事があったのだから。それぞれ経験を積み重ねていくうちに、自分なりの価値観や考え方が出来てしまう。それはその人のモノだから、誰も何も言えない。 世の中には様々な価値観や考え方を持った、多くの人がいる。みんな今までそれぞれの道を歩いて来て、一人の人間になる。意見が合う、気の合う人もいるが、時には合わない人もいる。お互いを分かりあおうと努力をするのだけど、どうしても分かりあえない事がある。そういう時は残念だけど歩く道が違ったのだ。それぞれ違う道を歩くほうがお互いにとって良い時もある。悲しくて辛いけれど。
 別々の道を歩くしかないと思い、お互いが決めたとしても、後になって「もっと相手の事を理解しなければいけなかった」と反省し、自分を責めたりする。もうこんな過ちは今後絶対しないと、心に決める。そういう自分にならないように、これから前に進みたい。
 これからも色んな事が起こるけれど、一歩ずつ前に進むことを諦めず、続けたい。

(大東要介)
2011年 2月

 

道

 あの日から12年が経とうとしている。1999年3月1日。ピュアが開所した日だ。干支が「ヒトマワリ」したんだな。あの頃は、まさか自分がこうなっているとは考えもつかなかったし、ピュアがこうして活動しているとは、思いもつかなかった。 
 初めはほんの軽い気持ちで作業所を始めたと思う。当時のメンバーが自分たちの将来のことを考え、今後どういう風に生活していくか、親や家族に頼らずどうやって暮らしていくか考えることを目的に活動していた。その中で「仕事でお金を稼ぐ」ということをはじめ、名刺やはがき作成などを始めた。あの頃は運営面も資金面も余裕があって、気持ち的にものんびりとしていた。

 簡単な手作業などもやってみようということになり、「100円均一の商品の袋詰め」の仕事から始めた。初めは自分たちのペースで、ゆったりと作業をしていた。収益とかはあまり考えず、のんびりとしていた。今から思えば良い時代だったと思う。時が流れるにつれ、段々作業所も私たちを取り巻く環境も厳しくなってきた。今まで頂いていた作業所の補助金がいきなり約30%も削減された。その結果、運営が厳しい状態になり市に対して改善を求める陳情書や、利用者の意見を聞く「メンバー集会」、駅前に立って署名集めなどをした。何とか「作業所を残したい」という気持ちで色んな事を考えていた。その後「障害者自立支援法」という、めちゃくちゃな法律が出来、今後作業所が存続していくには厳しい条件が突き付けられた。今までみたいにのんびりとしていられなくなった。運営資金集めのため、各企業や商店さんに要らなくなった段ボールや古新聞、空き缶などをもらいに行き、それを専門業者さんに買ってもらい、運営資金にしていた。夏の暑い日に道端に車を止めて、段ボールをつぶし車に積み込む。汗をかきながら一心不乱に作業していた。今振り返れば「みんなよく頑張ったな」と思う。あの時はみんな必死だった。何とか作業所を残すために。利用者も規定の10名を集めるのに苦労した。でも多くの方々のおかげで10名の利用者が集まり、念願の法定施設に移行が出来た。ピュアは法定施設に移行するのは無理だと言われていたけど、市から認めて頂ける施設になれた。法定施設に移行してからは、廃品回収を減らし、内職作業に力を注いだ。内職作業の仕事の確保には苦労したけれど、ご支援して頂いている方々のおかげで、業者さんを紹介してもらい、現在の作業をさせて頂いている。感謝の気持ちでいっぱいです。
 12年の中で作業所の存続の危機に陥ったこと、何度とあった。どうすることも出来ず、「作業所閉鎖」ということも考えていた事もある。でもその度にご支援下さる方々に、協力して頂き存続の危機を乗り切った。ピュアが現在(いま)、活動出来ているのも多くの方々のおかげです。ありがとうございます。
 僕がピュアに関わって、12年。本当に色々なことがあった。未熟な僕はいっぱい失敗して、多くの人を傷つけてきた…。当時は何も分からず、好き勝手な事を言って人を傷つけてきた。今から思えば、恥ずかしく情けないと思う。もっと相手の気持ちを大切にしなければならなかったなと反省している。同じ間違いを繰り返さないよう、もっと僕自身が相手の気持ちを大切に出来る自分に成長出来るよう、物事をよく考えられる自分になりたい。
 ピュアが開所して12年。干支が「ヒトマワリ」したのだ。これからも色んな事が起こるだろうけれど、ピュアが続けられるようメンバーと職員さん、みんなで気持ちを合わせて、これからも続けたい。
 いろいろあるけど、ピュアは歩き続けたい。みんなと一緒に。感謝の気持ちを忘れずに。
                                                                     2011年 3月
                                               (大東要介)                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

大切な日
ヒトマワリ 12年

日々刻まれ続けている、私たちの「いのち」。あまりに当たり前過ぎて普段は何も思わないけれど、すごく深い、尊いものなんだ。
 日々生活していると、嫌なこと、苦しいこと、どうしようもなく現実から逃げ出したくなり、いっそのこと「消えてしまいたい…」って思うことがある。僕なんて、こころの小さい人間だから、何か困難なことがあればすぐ「消えてしまいたい」って思ってしまい、周りの家族や友人に心配や迷惑をかけてしまう。僕の悪いところ。不思議なことに「もう消えたい」と思って、僕が馬鹿な行動を起こそうと思った時、誰かがその時僕の行動を止めてくれる。そして僕を厳しく叱ってくれて、正しい方向に導いてくれる。必ず誰かが僕のそばにいてくれた。それは、「僕にもっと生きろ、お前にはやるべきことがあるんだ」ということを教えてくれているのだろう、それを僕に気付かせようと何かが僕に働きかけてくれているはず…有り難く感謝します。こんなことを感じる今日(こんにち)して僕のことを心配し、間違った行動をしそうになった時にって周りの方々に感謝し、使命っていう意味 
 いのちって始まりがあれば、悲しいけれど終わりがある。人それぞれ長さや道なりも違う。すべての“いのち”には使命があり、それに向けて一生懸命刻んでいるのだ。その使命が終わるまでは“いのち”を刻み続けなければならないのだ。
ただ、悲しいけれど思いもよらぬことで“いのち”の終わりを迎えることもある。病気や天災、事件・事故などに巻き込まれて志半ばで旅立たれる方も…。悲しくて辛いことです。もっとやりたいことがあったのに、旅立たれた方々に対して、私たちはどうすればいいのか。
 それは1日1日を精一杯生きていかなければならないのではないだろうか?人それぞれ違うけれど、ひとりひとりが力の出せる限り精一杯生きていけばならないのではないか。
 今ある「いのち」に感謝し、これからも日々を刻み続けなければ!!ひとりひとり、「使命」を果たすために。

                                                               (大東要介)     
                                           2011年 3月

 
いのち
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 2011年3月11日、東北・関東地方で大きな地震があった。震度7。マグニチュード9.0。幸い僕たちが暮らしている和歌山市には、大きな被害はなかったが、和歌山にも「大津波」が来るという情報が流れ、帰りの送迎をどうしようかということで少し混乱したり、道が渋滞していつもの時間よりかなりかかったものの、みんな無事に家に帰ることが出来、ホッとした。
 家に帰り、テレビから流れる映像を見てみると…信じられない光景だった。家や車が津波に流されている。私たち人間はどうすることも出来ない。普段は地球上でエラそうにしている人間だけれど、自然に対しては弱い生き物だなぁと、実感した。
 時間が経つにつれ、被害の大きさに衝撃を受けた。多くの方々が亡くなり、行方不明の方々が桁外れの被害になっていた。家などが流されて、小・中学校に多くの方々が避難されている。食料も衣服も何もかも十分でなく、1日1食、おにぎり2個という現実。これが日本なのかと思うくらいショッキングな現実。言葉が出なかった。福島原子力発電所でも大きな被害を受け、放射能の問題や水道水の問題、首都圏での計画停電などがあり、大きな影響が出ている。和歌山に暮らしている僕からみれば、あんなに発展し、人も技術も最先端な東京でさえも地震の影響って大きいんだなと、ニュースを見ていて思った。日本にとって、とても大きすぎる災害、大打撃になってしまった。
 僕たちが暮らしている和歌山市は、有り難いことに今日も普通に生活を送れている。電気もガスも水道も、当たり前のように使っている。ピュアのメンバーも今日も元気に作業所に来ている。普段は当たり前のことだから何も気付かず、何も思わなかったけど、とても有り難いことなんだなと思う。でも決して、和歌山も他人事ではないのだ。いつ大地震や大津波が起こるか分からない。もし起こったらどうすればいいのか?と、不安な気持ちになる。
 テレビから流れるニュースを見ていると、お互いを助け合って生活している様子が紹介されていた。小・中学生が避難所の方々に食事や生活用品を配ったり、各家庭を周り困っていることは何かないか?と聞きにまわったりしていた。小・中学生の子どもたちも地震に遭って大変なのに、ボランティア活動をしていた。胸が詰まる思いになった。「困っている人がいれば、お互い助け合う」。そんな当たり前なことを、僕は忘れていたことに気がついた。
 社会はとても便利になり、人に頼って生活していることをあまり意識しなくなっていた。すべて自分で出来る、ひとりで生きていけると、勘違いしていた。でも、今回震災が起こり、いろいろ困っている今だからこそ、お互いを助け合って生きることを見つめ直さなきゃいけないのかな?って思う。人はひとりでは生きていけない、お互いを助け合って生きていくことを忘れてはいけない。そんな当たり前なことを今になって気付いた自分が情けなく、恥ずかしい。
 今、僕たちが当たり前に生活出来ることに感謝しなければ。
  今こそ、ひとつになって力を合わさなければ。気付いたことをこれからも忘れず、大切にして。

(大東要介)

2011年 4月

今こそ、ひとつに・・・

 「今までよくここまで来れたものだなぁ」って思う。別に自画自賛するわけではないけれど、何とかここまで続けて来れた。特に何も考えず、ピュアという場所があって、メンバーが集まり職員さんも協力してくれて、何とかピュアを続けられてきた。色んな問題や困難なことが多々あったけれど、色々な方々のご支援のおかげで何とか乗り越えてきた。
 その時々はご支援下さったことに対しての「感謝の気持ち」が少なかったように思う。その瞬間は有り難いと思い、その時だけ感謝して時間が経てば忘れてしまっていた。何もかも「当たり前なこと」だと思い、流していた。当たり前と思い、感謝の気持ちをあまり持たず日々を過ごしていた。
 当たり前なことがひとつでも欠けると大変なことになる。今まで出来ていたことが出来なくなり、一瞬にして崩れてしまう。ひとつ崩れると何もかもが回らなくなり、止まってしまう。3月の震災でそのことが強く感じた。今まで当たり前にあった電気や水道、生活していた住居も無くなってしまい、日々の生活ができなくなってしまう。
 日々作業所を続けていると、様々な問題が起こってくる。目の前で起こった問題をどう解決するかでいっぱいになり、今まで出来たことが出来なくなってしまう。その時々は当たり前過ぎて何も思わなかったけれど、何かをなくしたときや上手くいかなくなった時、どうしようも出来なくなり、作業所が回らなくなってしまう。その時に「有難み」が痛感し、解決策を必死に考えて、多くの方々のお知恵やご支援のおかげで、何とか良い方向が見えて、解決できる日が迎えられることになる。
 今までは作業所がやってこれたことに、感謝の気持ちが少なかった。職員さんやメンバーに対する感謝の気持ちが少なかった。だから僕は好き勝手なことをやってきたのだろう。深く反省します。
 これからは作業所が続けられることに感謝しつつ、これからもみんなで協力し合って、ピュアを続けていきたい。
「当たり前」と思うことにも、感謝することを忘れず、過ごしていきたい。
 すべてのことに感謝して。

                                 (大東要介)
                                         2011年 5月

感謝の気持ち

 ふと振り返ってみると、昔はあんなことをよくやったなぁって思う。その頃はこれが正しいと信じきっていて、意味もわからず権利や主張を叫んでいた自分に、今になって気付いた。ただ単に、自分たちのことだけを考えて、叫んでいた。そのことが今、見えてきた。
 僕たちの先輩方が社会に向かって「障がいがあっても暮らしやすい社会に」と様々な運動をされてきた。僕たちはその歴史を知り、当時の運動は素晴らしかった、僕たちも見習ってもっと要望をしていかなきゃ社会はよくならないと思い、好き勝手なことを言っていた。「権利」という言い訳で、乱暴なことをしてきた気がする。例えば駅のエレベーターを設置してほしくて、重い電動車いすを駅員さんに運んでもらったり。今思えば無茶なことをしたなと思う。その時はそれが社会にとって良いことだ、正しいことだと、信じ切っていた。
 不便で困っている時代ならそういうこともよかったのだろうけれど、今はほとんどのところがバリアフリーになって便利になってきている。
 福祉サービスの問題も色々あって、大変な思いをしている方がまだまだいる。それはそれで改善してもらえるようにしていかなければいけない。これからも様々な運動も続けなきゃいけないけれど、“いま”そのことを、声高に言ってもいいものだろうか?と思ってしまう…。
 それは、3月11日に起きた震災から強くそう思うようになった。別に障がい者だけが生活に困っているんじゃない、多くの方々が日々の生活に困っている現状。被災した障がいがある方々もとても大変な状況だと伝えられている。僕たちには想像出来ないことが被災地では起きている。
 そんな中、被害に遭っていない地域の者が、今の時点で要望とかを訴えていくのは、どうなんだろう?と何だか違和感がある。もっと生活に困っている方が大勢いる中で、平穏に暮らしている者が、様々な要望を社会に訴えるのはどうなんだろう?今の流れの中で違和感が残るのは、僕だけかも知れない。改善してほしいことは訴えていかなければいけないけれど、今は被災地のことを、日本の復興を第一に考えなきゃいけないのではないか。僕の考え方が間違っているかもしれないけれど、最近そう思う。
 やはり、時代や状況によって考え方も目指すものも変化していく。それが良いことかどうかは分からないけれど、気持ちが変わっているのは事実…。
 これからは、どうしたらいいかはよく分からない。だけど、その時の流れに合わせられるようにしなくてはいけないように思う。
 ちょっと、思ったことです。

(大東要介)
2011年 6月

今までとこれから
こんな僕だけど・・・

 私たちは今「幸せ」なのか?確かに今日本は「戦争」もなく、空からミサイルが飛んでくることはない。食料品や生活用品が充分あり、コンビニやスーパーが24時間営業をしていて、物が豊富でいつでも買える。電気や水道、ガスも当たり前に各家庭から使えるようになり、当たり前に生活できる。これが「先進国・日本」なのだ。 技術や経済力は世界でもトップレベルの日本。他の国からも「日本」は絶賛されていて、憧れの国に見えていたかも知れない。僕自身、食料が豊富で便利なものがたくさんあり、最先端な技術があふれるほどある「日本」に生まれて、「日本人」に生まれて良かったなぁと思っていた。
 でもいくら最先端な技術がある日本でも「天災」には、かなわなかった。3月11日の東日本大震災。東北地方が大きな被害に遭い、住宅や工場も多く倒壊した。工場が被災すれば、製品が作れない。外国に製品を輸出出来ない。また原子力発電所で事故が起こり、放射能の問題など「日本は危ない」という“風評被害”が外国に出回っているらしく、日本のイメージが変わって来ているらしい。かつてみんなから憧れられていた「日本」がこうなるとは、誰もが思わなかったはず。
 そして、今年の夏は「電力不足」という大きな問題を抱えている。その上「猛暑」になりそうで、エアコンもあまり使えず…厳しい状況だ。
 今、日本は幸せなのか?と聞かれれば…。今は…厳しい状況だと思う。でも、今はみんなで踏ん張って、力を合わせて、乗り越えていかなければ。
 その先に、みんなが憧れてみんなが幸せになれる日本を目指して。今が正念場。日本のみんなが力を合わして。幸せな日本になれるように…。

(大東要介)

2011年 7月

幸せな日本に・・・

 僕は決して賢い人間ではない。みんなから「やっぱり要介やな…」って言われ続けてきた。自分でもそう思っていたから特に腹も立てず、自分も足らないところがいっぱいあるからいろいろ学んでいかなきゃと思いつつ、今日まで過ごしてきた。
 こんな僕が作業所の代表を務めさせて頂いている。本当におかしな話。社会経験も知識もない者が、一事業所の責任者なんて、出来るわけがない。代表を引き受けた当時は何も考えず、ただ代表の椅子に座っただけだった。 そんな僕だったから当初はめちゃくちゃなことをしていた。周りのことを考えず、自分のことだけを考えていたから、当時のメンバーや職員さんはいっぱい僕に不満などがあったと思う。でも僕はそんなことを聞かず、自分の意見を通して、よくメンバーや職員さんとぶつかっていた。今の僕ならそこまで思わないけれど、当時の僕にとっては自分の考え方に強い自信を持っていた。今振り返ればそれは間違っていたのだけど。
 「要介はあかん。だからピュアもあかん…」ずっと言われ続けてきた。確かにそうかも知れない。ピュアが出来て12年。他の事業所みたいに大きく、立派な作業所ではない。収入も少なく、四苦八苦している状況。僕の実力がないから、こんな状況になっているかもしれない。
 でもね、こんなピュアだけど、毎日作業所に来てくれるメンバーがいる。僕たちをサポートしてくれている2名の職員さんが毎日来てくれている。自慢じゃないけれど、本当に有り難いことだ。それが今、僕の自信につながっている。
 「要介はあかん。ピュアはあかん」ずっと言われ続けてきた。でも何とか多くの方々のおかげでピュアを続けて来られた。いたらないところも多々あるけれど、メンバーが毎日笑顔でピュアに来てくれている。不安定でいつ潰れるか分からないピュアだけど、メンバー・職員さんが今日もピュアに来てくれている。感謝です。
 この先はピュアがどうなるかは、本当にわからない。厳しい状況に陥るのは分かっている。みんながピュアが良いって思ってくれているのなら、僕は自分の出来ることを精一杯して、ピュアを守りたい。
 こんな僕だけど、みんなの輪の中に入れてくれてありがとう。至らないところもいっぱいあるけれど、みんなが笑顔でいられるよう、頑張るからね。

                             (大東要介)

 僕は今まで作業所を続けてきた。よく周りから「要介のやり方はあかん」、「メンバーのことを考えていない」と怒られてきた。僕も自分に自信がなかったから、僕の考え方ではダメなのかな?って思い、落ち込んだりしていた。ピュアはダメ、何もかも出来ていない。あそこは他と違う作業所だと、言われ続けてきた。それは、僕自身が社会人としての経験があまりにも少なく、世間知らずだったからそう思われていたのだと思う。
 そんな僕が作業所の代表なんて出来るわけがない。人の気持ちも分からず、自分勝手な意見を通してやってきた。そんなのだと「みんなから非難されて当然」と、今振り返ればそう思う。けれど、当時はそのことが気付かなかった。
 そういう僕が嫌になったメンバーや職員さんは、ピュアから離れていった。原因は自分にあるということも気付かず、自分は正しいと信じていた。 
 でも、そんなことを何度も繰り返していくうちに、「人の気持ちを大切にしなくては、ピュアは続けられない。自分自身もダメになる」と気付き、気持ちを切り替えようとした。
 「要介やったらあかん」、「ピュアのやり方はおかしい」と言われ続け、非難されてきた。でも、多くの方々のご支援のおかげで今日まで何とか続けられ、今日もメンバーが笑顔でピュアに来てくれている。感謝です。
 人それぞれ意見や考え方が違い、様々な考え方があるけれど、安易に非難してはいけないと、最近思う。そして、みんなから賛同してもらえるような行動をしなければ。
 「自分自身」に言い聞かせながら、この文章を書いている僕でした!!

(大東要介)

賛同と非難

 「しょうがい」このテーマで今まで何度書いてきたのだろう。本当に奥が深い。今でもよく理解出来ていない。だからもう一度、障がいと向き合いたいと思う。
 まずは自分自身の障がいから考えていきたい。僕の障がいは「脳性小児マヒ」。生まれつきの障がいで、思うどおりに身体が動かすことが難しい。普通は簡単な動作であっても、僕にとっては大変なことで。ひとつの動作をするにしても、普通は容易いことでも、僕にとってはすごく力がいり、とても汗をかいて周りの人がびっくりすることも多い。僕にとっては“普通”のことと思っていても、他の人からみればそれが「しょうがい」であったりする。
 僕は生まれつき、この「身体」だからこれが“普通”であって特に何も思わないけれど、周りから見れば大変そうに見えて。そのことが変に誤解を招いて「障がい」を誤って理解されて…。それが偏見や差別につながって大変なことになってしまうことも多い。
 だから正しく理解してもらえるように、正しい情報や知識を発信しなければいけない。 それが僕たち障がい者の役割でもあり、福祉事業所の使命だと思う。
 僕自身、「障がい」についてまだまだ分からないことも多いから、このテーマを書きながら自分自身も障がいを理解していきたいと思う。
                                     つづく


                                                                  (大東 要介)
                                2011年 8月

しょうがい @ 〜はじめに〜

 「障がいを受け入れる」ってどういうことなのだろう?生まれつきに障がいを持っているにしろ、病気や事故で障がいを背負うことにしろ、自分自身の障がいを受け入れるってことは難しい。
  僕は、自分の障がいと付き合うようになって33年。障がいを受け入れるとか受け入れられない云々と言う前に、これが僕の“普通”であって、この僕以外の自分の姿を想像出来ないのが僕の本音。周りの家族などは、僕の障がいを受け入れるのに大変だったとは思う。でも僕にとってはこれが普通のことなのだから、「障がいを受け入れる」ってことは、あまり考えず過ごしてきた。
 ただ、病気や事故で障がいを背負うことになった人は、大変なことだと思う。今まで出来ていたことが出来なくなってしまうのだ。その気持ちって言うのは、誰にも理解出来ない気持ちだと思う。
 僕自身、障がいを受け入れているか?と聞かれれば、「受け入れていない」と答えると思う。自分でも分かっていない障がいがあるだろうし・・・
 「障がいを受け入れる」ということは、難しいことだ。

                                                       (大東 要介)
                                                     

しょうがいA 障がいを受け入れるとは?  

 私たちには「しょうがい」がある。みんなにとっては容易いことでも私たちにとっては難しい。例えば、走ったり飛んだり、自分の気持ちや意思を的確に伝えたり、難しいことがある。みんなからにすれば「こんな簡単なこと」と思うことでも、僕たちにとってはとても困難に感じることがある。僕たち「障がい者」は苦手なことが多いのだ。
 でも障がいがあってもみんなと同じところがある。みんなと同じように興味のあることはあるし、やりたいこともある。みんなと同じ“こころ”を持っている。
 みんなと同じようなことをやりたくても、出来ない。でも、何か工夫したり誰かの手助けがあれば、みんなと同じことが出来るのだ。
 誰もが「得意なこと」や「苦手なこと」があるけれど、しょうがいも同じことだと思う。
 ひとりひとり違うけれど、でも同じ「ひとりの人間」であり、尊い“いのち”なのだ。みんなちがう人間だけれど、同じ人間なんだ。

                                                   2011年 9月
                                                    (大東 要介) 
         

しょうがいB  みんなちがう。でも同じ

 「障がいを乗り越える」ってマスコミからよく聞こえてくる。僕はいつも「それってどういう意味?」って思う。見知らぬ人にも「障がいを乗り越えて頑張っているね」と声をかけてくれる。声をかけてくれている人は、厚意で言ってくれていると思う。だけど…僕にしてみれば「??」が頭に浮かぶ。
 障がいというものは、乗り越えなければいけないものなのだろうか?乗り越えなければいけないとなると、障がいというものは“マイナスのイメージ”となってしまう。確かに障がいがあれば不便なところも多々あるけれど、それなりに楽しいこともある。障がいがあっても充実した生活が過ごせるはず。障がいがあれば不便なことが多いけれど、障がいが「マイナスなこと」と思いたくないし、世間からもそう思われたくない。
 世間は「珍しいもの」に興味を持つ。自分と違うものには違和感があるのか?僕たちにとっては「普通のこと」をしているのだけど、周りからしてみれば「すごいこと」に見えているらしい。当事者である僕にしてみれば“普通のこと”だけど、周りの人から見れば、障がいがあることが「重いこと」に見えるのかな?だから「障がいを乗り越える」ということにつながるのかな?障がいがあれば困難なことも多いけれど、思うほど大変なことではない気がする。こうして僕もみんなと同じように、1日1日を過ごしている。
 僕は「障がいを乗り越える」という言葉は、好きではない。世間で言う「障がい」を乗り越えなくても楽しく充実した毎日を送れるし、上手に障がいと寄り添っていけば障がいを乗り越えなくてもいいと思う。
 障がいは乗り越えなくてもいい、障がいと寄り添うべきだ。僕は思う。

(大東要介)

しょうがいC 障がいを乗り越えるとは?

 私たちには「障がい」がある。人より苦手なことや不得意なことも多々ある。それはそれで大変なことだけど…
 でも、誰でも苦手なことや不得意なことがあるはず。それは誰にでもあること。それなのに「障がい」という名がつくだけで、大層なことに捉えられてしまう。
 「障がい」と名がつくだけで、「大変だね・頑張ってね」、挙句には「かわいそうに、不憫(ふびん)に」って言うところまで言われてしまう。障がいがあるから大変と思われているけれど、今の世の中、誰しもが大変な思いをしているはず。そして誰しもが必死で頑張っている。
 「頑張ってね」と、声をかけられても、障がいがあるなしに関わらずみんな必死で頑張っている。だけど時にはゆっくりしたい、怠けたいという気持ちも沸いてくる。「障がい」があるからといって四六時中頑張ることは出来ないし、夜の街に遊びに行きたいし、恋愛も楽しみたい。それが人間だと思う。障がいがあるからと言って、何かを諦めることはないのだ。 反対に障がいがあっても社会に役に立つことをしなければいけない。小さい事でもどんな事でもいい。僕は縁があって作業所の代表を務めさせて頂いている。僕が出来ることは他の作業所みたいにきっちりしたことは出来ないけれど、9名のメンバーが今日も笑顔で来てくれている。これが答えだと信じて、僕は今日も頑張れるのだ。
 僕の役割は「障がい者のことを多くの方々に正しく理解してもらう」。これが僕の役割だと思う。
 正しく「しょうがい」を理解してもらえるように…。これからも書き続けたい

                                (大東要介)

しょうがいD  正しく理解してもらえるように  

 若いころは「明日」はずっとあると思っていた。「今日出来なければ明日やればいい」そう思っていた。 でも、最近ニュース等を見ていたら、「いつどうなるか分からないな」と、思うようになった。地震・津波・大雨・台風…。自然の大きさ、恐さを痛感した2011年。人間は弱い生き物。明日が見えなくなって行く。
「明日がある」と言えば、「希望」や「夢」があると思うけれど、実際は「明日はどうなるか分からない」。今年はそう思わされた一年だった。
 今は健康でやりたいこともバリバリ出来るけれど、いつ体調を崩し身体が動かくなるかも知れない。特に僕の「脳性小児マヒ」という障がいは、加齢とともに障がいが重くなると言われている。
 ゆっくり・のんびりしたいという気持ちもある。一度きりの人生、思いっきり楽しみたいという気持ち。でもせっかく“自分”で生まれてきたのだから、何かを残したい。この2つの気持ちに僕はいま、揺れている。
 時間には限りがあるのだ。無駄に時間を過ごすことはダメとは思わないけれど、「時間には限りがある」のだ。
 こころに響き始めた、2011年・秋模様の今日です。

                            (大東要介)

                         2011年 10月

限りある明日

 今年の5月から「facebook」をプライベートで始めた。当時とてもfacebookが話題になっていて、ほんの興味本位で始めて見た。
 最初は使い方がさっぱり分からず、何が楽しいのか分からずにしていた。でも少しずつやっていくうちに「友達」が出来てきた。たかが、インターネット。どこまで信用できるかと、疑っていた。そんな時、ひとりの方が「一度作業所にお邪魔します」と言ってくれた。僕は、「是非お越し下さい」と言ったものの、そのことすら忘れていた。
 ある日、ひとりの方が作業所に来てくれた。顔を見てすぐに分かった。facebookで知り合った方だ。本当にびっくりした。本当に来てくれたのだ。嬉しかった。その方とピュアの今までのことや、障がい者の現状などを話しているうちに、ピュアが以前にしていた「さをり織り」に関心を持ってくれた。その方は飲食店を経営されていて、お店で「さをり織り」の商品を是非使いたいと、おっしゃって頂いた。嬉しい気持ちでいっぱいだった。でも、ピュアでさをり織りは2年近く出来ていなくて、本当に商品として作成できるか不安だった。
 とにかくやってみよう。まずは、さをり織りの反物を織っていった。さをり織りをやった事ないメンバーもいたから、反物の織り方からみんなで覚えた。見よう見まねでさをり織りの反物が出来、そこからコースターを仕上げた。ミシン仕事が初めてのメンバーもいて、ワイワイしながらコースターを仕上げた。
 出来上がったさをり織りのコースターの写真を「facebook」にアップした。多くの方々から、「コースターが素敵」という声が届き、ご注文頂いた方もとても喜んで頂き、「追加注文」まで頂けた。本当にありがとうございます。
 今までピュアは「PRが上手く出来ない」と悩んでいたけれど「facebook」を使って多くの方々にピュア作業所のことを知ってもらえるようになった。facebookで強い“つながり”が出来た。
 「facebook」にピュア作業所のページを開設しているので、よければご覧くださいね。

                               (大東要介)
                                       2011年 11月

              

つながり

 自分は人からどう思われているか?誰もが気になると思う。一歩外に出ると、多くの人が日々の生活のために動いている。そしていろんな人と出会い、相手のことを知ろうとする。
 他人(ひと)から自分はどう見られているか?誰しもが気になる。誤解されて自分とは本意ではない見方をされることがある。自分はそう思っていなくても、相手から誤解されて見られることもある。
 反対に自分自身も間違った見方をしてしまう。相手を理解しようと思っていても、感情が入ってしまい相手を傷つけたことも。理解しなきゃと思いつつも、それが難しくなってしまう。これから気をつけなきゃいけないところ。
 また、無意識のうちに相手を見比べて優越をつけたがる人がある。この間ある方が僕に、「こんな身体でも仕事頑張っているね」と言われた。言った方はほめていたつもりかも知れないけれど、僕は傷ついた。自分のほうが優れていると思いたいのかもしれないが、僕からしたら「見下された」感が残り、悔しかった。 みんな、価値観やモノの見方は様々。意見や考え方の違いはあるけれど、相手の目線に合わせて話をするようにしなきゃ。
 簡単そうで、とても難しいこと。みんなと同じ目線になること。
                                       (大東要介)
                                      2011年 11月
                                         

目線
ピュア作業所facebookページはこちらです

 2011年も残りわずかとなる。今年は色んな意味で、忘れてはいけない年になった。
 やはり、3月11日の震災。このことが起こり日本自体も私たちの生活も一変した。今まで当たり前に出来ていたことが、こんなにも大変なことなのだなと。地震や津波はこんなにも恐ろしいことなのだと、本当に痛感した。福島の原子力発電所の事故で、今まで空気のように思っていた「電気」がこんなにも発電することに大変だと、初めて知った。今夏の節電やこれから冬に向かっての節電対策も大きな課題だ。
 とにかく、3月11日の災害で全て変わったのだ。
 また、私たちの故郷「和歌山県」でも大きな災害が起きてしまった。9月の台風12号の影響で、那智勝浦町に甚大な被害が出てしまった。同じ和歌山県民として悲しい出来事が起こった。誰もが思うけど、2011年は自然災害に苦しんだ1年だった。
 またピュアとしても大変な1年だった。今年の1月に職員さんが病気で倒れ、3月にお亡くなりになるという、悲しすぎる出来事が起こってしまった。1月から4月までは、職員さんが1名しかいなく厳しい状況だったけれど、みんなで協力して何とか3カ月あまりを乗り切った。4月に新しい職員さんが来てくれて、現在安定よく運営出来ている。改めて私たちの活動に協力してくれる、応援してくれる職員さんには、深く感謝しなければいけないと痛感した。
 メンバーも11名から9名に減り、少し寂しく感じるが、9名が毎日元気にピュアに来てくれる。些細なもめごとは日常茶飯事に起こっているけれど、何とか仲良く日々が送れている。私たちが仲良くしていればきっと新しいメンバーに出会えると信じ、毎日過ごしている。
 内職作業のほうもいい業者さんと出会うことが出来、定期的にお仕事を頂けている。またさをり織りも「フェイスブック」で出会えた方々から、お褒めの言葉やご注文も頂き、停止状態だったピュアのさをり織りに、もう一度息を吹き返すことが出来た。本当に多くの方々にご支援をいだたいて、ピュアが成り立っています。ありがとうございます。
 2011年は誰しもが大変な1年だったと思う。でも何とか今日まで来れた。「今日まで来れたのだ!!」来年こそ良い年でありますように。
 ピュアも続けられますように・・・
 皆様方にとっても良い年でありますように。

                           2011年 師走

(大東要介)

2011年 師走にあたり

 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 2012年がスタートしました。皆様お正月はいかがお過ごしでしたか?ピュアのメンバーもそれぞれ良いお正月を迎えられたと思います。
 さて、2012年は辰年です。辰のようにぐんぐんと伸びていける年にしたいです。また年間計画も立てなければいけませんが、当面の目標として大きく2つあると思います。
 1つは、「メンバーを増やすこと」。私たちと一緒に活動してくれるメンバーを増やさなければなりません。そのためにはピュアが楽しいところであること、みんなが仲良く和気あいあいとした場所でなければなりません。そしてピュアの魅力をもっと多くの方に知って頂けるようにしたいです。昨年はフェイスブックやツイッターで情報発信が出来ました。今年も続けたいです。そうしてメンバーが増えたらいいなと思います。
 2つ目は「仕事を増やしたい」。昨年は仕事の確保に苦労しましたが、良い業者さんに巡り合うことが出来、お仕事を頂けました。今年はもっとお仕事を頂けるように頑張ります。
 あと余裕があれば、皆さんに喜んで頂けることを何か出来れば良いなと思います。皆さんと楽しい時間、少しでも喜んでいただけることを出来れば良いなと思います。
 とにかく、あまり無理をせず、ピュアのペースで少しでも成長出来ればいいなと思います。
 2012年も、ピュア作業所をよろしくお願いします。
                               2012年 初春

                               (大東 要介)

初春のごあいさつ

 今、ピュアではひとつの目標に向かってみんなの気持ちがひとつになってきている。その目標とは、「メンバーを増やすこと」
 メンバーを増やすということは、今年度の目標だった。現在9名のメンバーで活動している。あと1名メンバーが増えれば、安定した運営ができる。
 メンバー集めに関して色んな活動をしてきた。JR和歌山駅前でチラシ配りをしたり、スーパーや公共施設にチラシを貼ってもらったり。インターネットを使ってメンバー募集の呼びかけをしたり。色んな事をやってきた。 支援学校などにもあいさつに行ったりして、先生方に少しずつピュアのことを知ってもらえるようになった。 色んな活動をやっているけれど、未だにメンバーと巡り合っていない。
 けれど今、ピュアのメンバー全員が「メンバーを増やしたい」という気持ちで一致している。それはメンバー全員が「ピュアを存続させたい」という気持ちだからだ。

 設立当初からいる僕にしてみれば、とても嬉しい。ピュアは「作業所として基本がない」とか、「運営方針が見えてこない」など、ピュア作業所の運営体制について批判されてきた。僕が他の作業所のように基盤がしっかりした作業所を作ることが出来ず、他の作業所からの批判やピュア作業所に対して一目を置かれていたこともあった。
 でも、ピュアに通ってきているメンバーが、毎日いきいきとしてピュアに来ている。ピュアが居心地がいいと思ってくれているからこそ、このピュアを続けたいとメンバー全員が思ってくれている。
 今までやってきたことは、決して間違っていなかったのだ。そのことを強く思えるようになった。そして今、「メンバーを増やしたい」というみんなの気持ちがひとつになった。
 とにかくピュアのことを知ってもらえるよう、メンバーが増えるように活動を続けたい。

2012年 2月
(大東 要介)

目標に向かって

 3月1日は、ピュア作業所の開所記念日。14年目を迎えるにあたり僕のいまの率直な気持ちを書こうと思う。13年もピュアを続けられたなぁって思う。いろいろあったけれど多くの方々のご支援のおかげで、今日までやって来られた。ありがとうございます。
  毎年3月はこのようなことを書いているけれど、今回は「これから」のことを書きたいと思う。
 いま、ピュア作業所のメンバーは9名。本当はもう1名メンバーを増やしたい。メンバーを増やすためにこの1年間様々な活動をしてきた。駅前やスーパーの前でのチラシ配りや、色々な施設にチラシを貼ってもらったり、インターネットなどを使ってメンバー募集の呼びかけをしているが、未だに新しいメンバーと巡り合えていない。
 利用者が増えないと安定した作業所運営が出来ないが、みんなで協力し合って何とか今日まで続けられている。
 これからのことを考えると、不安な気持ちでいっぱいになる。財政面でも厳しい状態が続くだろうし、体力面や健康面でもいつまで続けられるかな?と、ふと思う。本当は数年先の事業計画を立てなければいけないけれど、1日1日無事に過ごすことで精一杯。でも1日1日をみんなが無事に過ごすことが大切なことだと思う。
 いつの日か「もうピュアを続けるのは無理」という日が来るかも知れない。だけどその日まで、存続できるようにピュアなりに頑張って、もしもピュアが終わる日が来ても、その日まで悔いのないようにしたいなと、強く思う。
 これからも存続出来るところまで頑張りたい。悔いのないように、ピュアをやっていきたい。
 今後とも、よろしくお願いします。
                                   (大東要介)

                                 2012年 3月

これから

 「他人事−自分には関係のないこと」。最近そのことが多く感じる。
 東日本大震災が起こり早くも1年が経った。震災当初は日本全体が悲しみに包まれ、東北を支援したいという思いが皆持ち、「気持ちをひとつに」と言い続けていたのに、1年経った今あまり東北に気持ちが行っていない気がする。 国も「復興が最優先」と言いながら、被災地は1年経ったけれどあまり現状が変わっていない。やっぱり「他人事」とどこかで思っているから、復興が進まないのではないか?と思う。
 がれきの受け入れも、放射能の問題で他府県の人たちが猛反対している。政府も「放射能の心配はない」と丁寧に説明しているのに、がれきの受け入れ問題で受け入れ先の住民が抗議を起こしている。被災地のことを思うと、悲しい気持ちになる。
 障がい者問題においても、今大きな岐路に立っている。2010年に障害者自立支援法を廃止に向けての基本合意をし、昨年骨格提言が出来、やっと良い方向に向くと安心していたのに、国は障害者自立支援法を改正するだけで済まそうとしている。国が基本合意を無視しようとしている。これは確かに障がい者だけの問題かも知れないが、皆が他人事と思い関心を持たなくなれば後になって大変なことになっていることもある。いつも言い続けていることだが、現在は健康な人でも、いつ病気や事故で障がいを持つことになるかもしれない。だから決して他人事ではないのだ。
 何もかもが他人事と思えば、気持ちが楽になるかも知れない。だか、何も変わらないし、良い方向にも進まない。それどころか、もっと悪い状況に陥るのだ。
 全ての問題を「他人事」と思わず、関心を持って自分なりに考えていきたい

                             (大東 要介)
                             2012年 3月

他人事(ひとごと)

 2012年度が始まりました。ピュアも何とか新年度に突入が出来ました。
 昨年度を振り返ってみると、それぞれに立てた目標を達成出来ていません。目標と言いますと、@メンバーを増やすこと、A仕事をふやすこと。この2点でした。
 @「メンバーを増やすこと」については、様々な活動をしました。スーパーや駅前でチラシを配ったり、フェイスブックやツイッターでメンバー募集の呼びかけをしましたが、新しいメンバーと巡り合えていません。ピュアの事を多くの方々に知って頂けるように、そうしていくうちに新しいメンバーと巡り合えればと、思っています。
 A「仕事を増やすこと」については、業者さんのご協力のおかげで仕事量が増えました。メンバーも最初は難しいと思った作業工程も、経験が増えていくにつれ手早くなり、以前は1週間かかった作業も今では3日で仕上げるようになりました。業者さんにも私たちの仕事を認めて頂けるようになり、仕事量も以前より多くなり嬉しい限りです。感謝いたします。
 また「フェイスブック」を使って多くの方々に、ピュアのことを知ってもらえるようになり、嬉しいです。 これからも「ピュアらしい活動」を続けられるように頑張りますので、今年度もよろしくお願いします。

                          2012年 4月
                            (大東 要介)

新年度を迎えて

 毎日活動していると、様々なことが起こる。決して良いことばかりではなく、時には腹が立つことも・・・
 「何で説明しても分かってくれないの?」と思うことが多々ある。確かにみんな「障がい」があるから難しいところがあるから、相手に理解してもらえるように説明しているつもりなんだけれど、分かってくれない。それが障がいだからと思っていても、腑に落ちず。僕は未熟だから感情的になって、ついキツイことを言ってしまい…後で職員さんに注意されている。頭の中では分かっているんだけど、つい・・・そんなことの「失敗」を重ねて今まで続けてきた。「もっと相手の事をきちんと理解しよう」、「こうした方がいいのでは?」と思えば思うほど、そこに自分の「考え方」がつい入ってしまい、相手を責めてしまう。アドバイスと思い言っているつもりでも、結果的にきつく言ってることになっていて。今後どういう風に分かってもらえるようにするかが、僕の大きな課題。
 「お互いを分かり合う」ということは、とっても難しい。障がいがある・なしに関わらず、「お互いを分かり合う・理解しあう」ということは難しく、でもとても大切なこと。分かり合えるようにしなければ、何も変わらず成長しない。
 みんなが分かり合えるように工夫して。相手の事をもっと理解し、受け入れられる「こころ」を作らなきゃ。
 分かり合えるように、頑張ります。
                                                     (大東要介)
                           2012年 5月

分かりあうこと
  今まで生きてきた中で、いろんな事が起きた。良い事も悪い事も・・・多分良い事も、悪い事も半分半分くらいになっているはずなのに、悪い事が印象強くこころに重くのしかかってしまう。僕はとても弱い人間だ。何か問題が2つ以上あるとパ二クってしまう。もうすべてイヤになり、落ち込んでしまう。これって誰しもが経験すること。落ち込んだり、嬉しくなったり・・そんなことを繰り返しながら、人間は成長していくのかな?
 順調に行っている時はとてもいいけれど、ひとつでも歯車が噛み合わなくなれば事が進まなくなる。うまく進まなくなると谷に落ちていくように、気持ちも落ち込んで・・もうすべて投げ捨てて逃げ去りたい気持ちになるけれど、現実的にそういう無責任なことは出来ないし、してはいけない。
これからもイヤなこと、しんどい事も多々起こると思う。その時どう対応するかが大きな課題。
 ここでエラそうなことを書いているけれど、事が起きればパ二くってしまう僕。少しでも「成長」出来るようにしなくちゃ。
 「山あり・谷あり」があることが生きてる証拠なんだろうな。でも、「しんどいな・・・」乗り越えなきゃいけない課題。
 出来るだけ「平穏」に行けたら・・・そんなことはないか・・・

(大東要介)
2012年 6月

 

山あり、谷あり・・・

 今まで歩んできた道を振り返ると、「もしあの時ああいう風にしていれば、どうなっていただろう?」と思うことがよくある。違った判断をしていれば、どうなっていたのか?って誰もが思うはず。
 どっちの判断が最善なのか?正しかったのか?自問自答のくり返し。自分で決めたことを後悔しているわけではないけれど、もし別の判断をしていれば・・・とよく考えてしまう。もっといい策があったのではないか?と思う。でも仕方ないのだ。もう決めたことなのだから。
 そんなことを繰り返しながら、みんな日々を過ごしている。みんな幸せになりたくてその時々に最善の道を選ぼうとしている。結果的には「離ればなれ」になってもそれがみんなにとって良い事。 ピュアはそれを何度も繰り返し、今日まで来た。これからもあるだろう。
 平らな道を歩きたいけど、デコボコ道をピュアは歩き続けるのだろう。「離ればなれ」になることは辛くて悲しいけれど、お互いが良い結果になれるのならそれはそれで良い事なのだ。
 岐路に立ち、色々考える今日この頃です。

                             (大東要介)
                          2012年 7月

岐 路

 今までピュアなりにいろいろとやってきて、今のピュアがある。決して良い状態だとは言えないけれど、何とか今日までやって来れた。
 みんなで少しでも良い方向に向かうように、色々なことに取り組んできた。でも他の事業所さんみたいに立派なことは出来ず、細々と活動を続けている。
 もっと新しいこと、違ったことにチャレンジしようと思っても、結局上手くいかず・・・以前と変わらず同じようなことを続けている。同じことを継続できるということは「幸せなこと」かも知れないけれど、周りの人からは「同じことをやっているな」と思われているかも知れない。だけど、こういうことしか僕らは出来ないのも事実。
 別に怠けているわけではないんだけれど、こういう風になってしまう。
 メンバーもそれぞれ新しいことに挑戦したい気持ちが強くて、新しい道へと踏み出している。それはそれで嬉しいことだけど、ピュアとしては寂しい面もあり・・・複雑な気持ちになる。
 これからピュアをどうするべきかと考えるけれど、結局は「なるようにしかならない」のだ。
 別にさじを投げているわけではないけれど、力んで踏ん張ってもなるようにしかならないから、もっとチカラをぬいて物事に取り組めたらなぁって、最近思う。
  気楽にマイペースで前に進めたらいいな。


                          2012年 8月
                                                      (大東 要介)

なるようにしかならない

 余儀なくとは、『仕方なくどうしようも出来ないということ』。「余儀なき生活」というけれど、あまり良い印象が持てない。マイナスなイメージを持ってしまうのは僕だけだろうか?
 「余儀なく障がいを持ち、車いす生活になる」という言葉をたまに聞く。確かに今までなに不自由なく生活出来ていた人が、病気や事故で今まで出来ていたことが出来なくなることは誰にも想像出来ないくらい心に大きい傷が出来るかもしれない。僕みたいに生まれつき障がいがある者とは違う感情があるかも知れない。
 でも、「障がい」があるからといって、何もかも出来ないわけではない。出来ることもいっぱいあるし、楽しいことやみんなで思いっきり遊びに行くこともある。
 「障がい」があるからと言って、すべてを諦めることではない。新たに気付く事も多いはず。すべてが「マイナス」ではない。
 また設備面の充実や、障がい者に対する誤った理解・差別や偏見をなくせば、障がいがある・なし関わらず、充実した生活が送れるはず。
 「余儀なく・・・」ということは、価値観や物事の見方を変えれば「余儀なく・・・」ということはなくせるはず。だから安易に「余儀なく・・・」という言葉は使いたくないし、聞きたくない。
  何事もそうだけど、地道にやっていれば事は何とかなるものだ。最近やっと気付いた。

                                              (大東 要介)
                                                                   2012年 9月

余儀なく・・・

 今年の夏は暑かった。「うだるような暑さ」とは、こんなものなのだろう。ここ数日は涼しく感じられるようになったが、暑かった。 季節は移り、秋に向かって時は流れる。秋から冬にまた季節は流れ、時は流れる。  時が流れるということは、年月を重ねるということ。「人が年月を重ねる」ということは、今まで出来たことが出来なくなることも増えてくる。
 ピュアのメンバーも年月を重ねている。今まで短時間で出来ていたことに時間がかかり、一度聞いて理解出来ていたことが何度も聞き返すようになり、出来なくなっていく・・・
 若い頃は週5日働いてもカラダは何ともなかったのに、最近は3日に1回は「一息」を置かなければカラダが持たなくなってしまう。手・足・腰が痛くなってきて、週の初めは調子よく仕事が出来るのだが、週の半ば・水曜、木曜になるとひと息入れなくては、カラダが持たなくなる。
 以前は出来ていたことが出来なくなることは、悲しいこと。季節が移り変わるように自分自身も変わっていく。仕方ないけれど出来るだけこのままの自分で居られたら。
 季節が流れるようにピュアの状況も変わっていく。それは仕方のないことだけど、出来るだけみんなが過ごしやすい、安心できるピュアであるようにしたいな。

                               (大東要介)   
                              2012年 10月

季節が変わるように

 京都大学の山中伸弥教授が「ノーベル生理学・医学賞」を受賞された。iPS細胞と言って、死滅した細胞が復活するという技術を発見した。
 この技術を転用して今まで治療が難しかった、「脊椎損傷」や「認知症」の患者さんに効果的な治療が出来るそうだ。傷ついた細胞をiPS細胞に置き換えると、iPS細胞が傷ついた細胞と同じ働きをしてくれて、正常な働きをしてくれるということだ。
 これは障がいがある者、難病で苦しんでいる方々には朗報。今まで「完治」が難しいと言われてきた、脳性マヒや知的障がい、すべての障がいに転用される可能性が出てきたということだ。
 僕の「脳性マヒ」という障がいも、遠い将来治るかもしれない?!そう考えるだけでウキウキする。「自分の障がいが治る」、夢みたいだけど、そんな世の中に確実に近づいている。
 今朝の新聞をじっくり読んで、嬉しくなって急きょ書きました。
 山中教授、ありがとうございました。僕たちにも「希望」が見えてきました。

                                                 (大東要介)
                           2012
.10.09

ノーベル賞のニュースを見て

 ひとは人と「つながっている」。友達・家族・同僚・先輩…。色んな意味の「つながり」がある。 ひとり・ひとり、色んな理由でつながっている。周りの者には分からないけれど、当人同士だけでの意味でつながっている。
 つながりにも色んなカタチがある。ウワベだけのつながりもあるし、深い信頼関係の基でつながっている関係もある。
 様々なつながりのカタチにも、時代と共に変化する。インターネットの発達で色んなツールを駆使して、人とのつながりは広がっていく。つながりが広がるのは良いことだと思う。多くの方々に自分の事を知ってもらうということは。
 反面、恐い部分も大きい。実際にあった事もない方と、身近でよく知っている方と同じように接していいものなのか?と思う。同じように接するのが良いのだけど、不安な面も大きいのも事実。
 ネットはネットの世界のルールでつながり、実社会の人間関係とは分けた方がいいのではないだろうか?と思う。ひとつ・ひとつの出会いは大切。だけど「つながり方」によって、人との付き合い方も考えなきゃいけないのではないか?そう簡単に人を信じることは出来ないと思うし、そういうところも気をつけなければいけない。
 「つながりを広める」って良いことだけど、そこに「あったかい心」と「信じあう心」があればもっといいことだと思う。それは簡単なことではない。一番良いのは実際にお会いして、顔を合わす関係になること。そうすればもっとお互いの事が分かり、もっと深い「つながり」が出来るはず。
 ネットは「つながりのきっかけ」だと思う。そして、次のステップとして実際に会うことでより深いつながりが出来るはず。それが「キズナ」になる。実際に笑顔で会える関係になれるように、様々なツールを上手に使いこなせるようになり、つながりを広めたい。
 ネットを利用していくうちに、ちょっと思いました。
 「つながり」が「キズナ」になるように。

                           2012年 11月
                           (大東要介)

つながり

 早いもので今年もこの季節となった。2012年師走。1年を振り返るのはまだ早い気がするが、今年も残り少なくなった。
 例年通り、今年も紆余曲折いろんな事があった。良いこと・嬉しかったこともあったけれど、辛いこと・しんどかったことのほうが印象強く残っている。今まで作業所をやってきたなかで、数えきれない困難があった。以前は困難が出てくる度に、深く頭を抱えたり悩む時間が長く感じた。どうすれば問題が解決するか?そのことでずっと悩んでいた。
 でも最近、何か事が起こってもあまり動じなくなってきた。今まで本当にいろいろあって色んな経験をしてきたから、「何とかなる」という「根拠のない自信」が身に着いてしまった。
 僕がピュアの代表になりたての頃は、不安で不安で仕方なかった。これが正しいのかどうかも分からずに、思いつきのまま「暴走」していた。結果「ぶつかり合い」も日常茶飯事に起きていて、作業所の雰囲気も悪かった。
 また他の作業所さんみたいに「立派なことをしたい」という思いもあって、無理にまねをしようと思ったこともある。他の作業所さんのようなことをしようと思い、いろいろ挑戦したけれど・・・僕には無理だった。そのことで落ち込んだり、周りから「やっぱりピュアさんは・・・」とバカにされたこともいっぱいあった。
 そんな「経験」をそれなりに積んできて、「危機」もいっぱいあったけれど、今日現在ピュア作業所は存在している。作業所としてダメなところ、未熟なところもまだまだあるけれど、運営面も不安な面もいっぱいあるけれど・・僕はこれからも作業所を続けていく自信はある。「根拠のない自信」だけど、最近ピュアをこれからも続けていける自信がついた。
 常時不安定な作業所で今日までやってきたけれど、来年も再来年も危機が続く中でもピュアはやっているような気がする。
 13年もピュアを続けてきて、これからもピュアをやって行けるという「根拠のない自信」が僕には着いた。なんとかなるさ・・・
                           (大東 要介) 

                          2012年12月

根拠のない自信

 気付けば今年も2週間あまり。気付けば年末。今年は衆院選があったせいか、師走というのをあまり感じられない今日この頃。でも確実に年の瀬に近付いている。
 2012年も終わる。以前は「年が替わる」ということは、すごく大きな事だと思っていたが、この頃それは「一通過点に過ぎない」と思うようになった。僕もそれなりに歳月を重ねてきたのだな。
 何事も経験を積み重ねれば「慣れ」が出てきて、それが「自信」につながる。大した経験でなくても数を重ねていけば、自信がつく。根拠はないが、これからもピュアは続けられるという「自信」は、この1年でついた。
 自信がつけば「ピンチ」が起きても、ビクともしない。ピュアも今まで多くの「ピンチ」があった。その時々に悩み苦しみ、どうすればいいのだろうと途方に暮れたこともあったが、今振り返ればその時々に悩み苦しんだことが、今になってそれが自信につながりそれらの経験がピュアの「財産」になっていたのだと、気付いた。
 1999年にピュアが出来て13年。特にピュアが蓄えた財産はないが、これまでピュアが経験したすべての事がピュアの大きな「財産」になっていたのだ。
 来年もピュアはこんな調子で続けていくと思う。このままのピュアでずっと続けられるようにメンバー・職員が力を合わせてやっていきたい。自信という財産が増えるように。

 今年も1年間いろいろとお世話になりました。無事にメンバー・職員共に笑顔で新しい年を迎えられそうです。ありがとうございました。
 2013年もよろしくお願いします。 皆様方も良いお年を迎えられますよう、お祈りいたします。    
                               2012年 12月

                                (大東 要介)
 

自信という財産

 新年、明けましておめでとうございます。今年の正月休みは曜日の都合で長かったので、みんなゆっくり出来たと思います。
 さて新しい年、2013年のピュア作業所がスタートしました。今年の大きな目標として、「メンバー・職員」が健康で、怪我なく過ごせるようにしたいです。
 次に仕事をスムーズに出来るようにしたいです。1年前よりは仕事量もかなり増え、仕上げるスピードも早くなりました。やっと作業として成り立つようになりました。これからも作業に励みたいです。
 また、一緒に活動出来るメンバーをもっと増やしたいです。昨年はチラシを見て1人メンバーに入ってくれました。現在9名のメンバーで活動しています。これからも様々な活動を通じてメンバー集めをしていきたいです。
 「いまのピュア」がこれからも続けられるように、今後も活動していきたいです。
 今年もピュア作業所をよろしくお願い致します。  
                             2013年 1月

                              (大東要介)

2013年 年頭のごあいさつ

 昨年末、安倍首相が誕生した。安倍さんは長年続いた不況を改善しようと必死になっている。様々な政策をして景気を良くして、みんなの給料をUPしようとしている。そのやり方には賛否両論あるが、景気が良くなることはみんなが望むこと。
 先日、NHKの「バリバラ」という番組で「作業所の工賃はなぜ安いのか?」というテーマで放送された。なぜ作業所で働く利用者は「最低賃金」を保障されないのか?それは作業所の利用者は「福祉サービス」を受けるために作業所に通っているのであって、利用者は労働者ではないのだ。だから「最低賃金」は適用されない。
 頑張っている利用者には多くの工賃を払いたい。でも現在のピュアの収支状況を見てみると、赤字状態で厳しい状況。工賃をUPしたいのだが、難しい。
 施設側の力不足と言われても仕方ないが、新たに仕事を見つけるということはかなり大変。先ずは仕事を頂ける業者さんに私たち障がい者の事を理解して頂き、私たちが出来る能力を知って頂き、それでも仕事が頂けるか?ということにつながる。僕も今まで何度か業者さんと交渉したが、納期や生産量の関係で折り合いがつかず仕事を頂けなかったことが多々ある。
 僕は運営側としてこれらの事を分かっているのだけど、一利用者だったら「なぜこんなに工賃が安いの?」と疑問に感じると思う。
 工賃が安いのは施設側にすべて非があるのではない、ということを皆さんに理解してほしい。施設側も努力はしている。
 景気が良くなり仕事の単価が上がれば、利用者の工賃も上がるはず。
 景気回復も作業所運営に直結している。仕事が増え工賃が上がるよう、今日もコツコツと作業に励もう!

                                (大東要介)
                            2013年 2月

景気と工賃

 ピュア作業所は3月1日で開所14周年。考えてみればかなり長い月日やってきたなと思う。なんやかんや言いながら作業所は続いている。
 「作業所をやって行けなくなれば閉めればいい」、今までそう思っていた。みんなもっと条件の良い所に行ったほうが・・・、設備なども整っていて待遇も良い。そのほうがみんなにとって「幸せ」かも?って思っていた。 相変わらず揉め事は日常茶飯事。問題も次々起き、いつも頭を抱えている。しんどいな、もうイヤだなと思うことは毎日。何度も作業所を「辞めたい」と思った。
 「作業所をやって行くのに限界があれば、終わればいい」。ココロのどこかでずっと思っていた。そのことを「逃げ道」にして、今日までやってきた。
 でも最近、「ピュアは継続させなければいけない」と思うようになった。とても大げさな言い方になるが、ピュアは小さいながらも「社会的資源」だと思う。障がい者が家に引きこもりがちにならないように、ピュアという「いつでも気軽に行ける、日中ワイワイしながら過ごせる場所」を続けていくことに意味があるんだ、ということに気付いた。その場所を継続させる責任が僕にはある。
 僕がこの先ピュアの仕事が続けられなくなって、代表の仕事が難しくなっても、ピュア作業所は継続していかなければいけないと思う。そのための準備もそろそろ始めなきゃと考えだした、今日この頃。それくらいピュアには「重み」が出てきたのだ。
 もう安易に「作業所を閉めよう、ピュアを終わりにしよう」と言えないくらい大きな存在にピュア作業所はなったのだ。だから僕はどんな事が起こってもピュアを継続出来るようにしなければいけないのだ。しんどいし、イヤになることもあるけど、ピュアは続けていかなければいけないのだ。
 14年続けてきて、そう思えるようになった自分自身。自分たちのペースでみんなと話し合って、これからもゆっくりと作業所を続けていければ。
 それが「ピュア」なのだ。どこにもないたったひとつのピュア作業所。
  これからも「ピュアらしく」やっていこう。

                           (大東要介)

                         2013年 3月

継続させる責任

 作業所をやっていると、行政とのお付き合いも重要になってくる。特に和歌山市の障害福祉課(現在の障害者支援課)の職員さんとは、顔を合わすことが多くなってくる。 今でこそあまり市役所に行かなくなったが、無認可作業所の時代には月1回は市役所に行き僕たちの現状を分かってもらえるようにと、よく足を運んだ。当時は提出書類が多く、書き方などの意見の違いでご指導を頂いた。
 市役所の職員さんといえば、事務的で「書類さえきちんとしていれば良し」、という方が多い。市の財政難から少しでも無駄を減らそうと当時の市役所は運営状況を厳しく見られた。丁度その数年後に「障害者自立支援法」の施行が予定されていて、市としても作業所補助金を減らそうとしていた。特にピュアみたいな何といって取り柄のないところは、市にとっては「重荷」になっていて、市側の本心はピュア作業所をなくそうという意図が強く感じられた。
 そういった中であるひとりの市役所の職員さんが強く印象に残っている。当時の「障害福祉課長」さん。一見堅物で怖そうで…、いつも厳しく指導して下さった。以前ピュアは未熟である大きい過ちをしてしまった。もちろん市役所に呼び出され、説明。代表として深く謝罪した。話し合いの中で担当の方から細かく厳しく指導された。課長さんも同席したいたが口数も少なく…帰り際に僕の方をポンと叩き、「頑張れよ」と声をかけてくれた。
 「課長としては厳しいこと言うけれど、個人的には応援しているからな。頑張れよ」。この言葉は、今でも強く印象に残っている。今まで色んな市職員さんと関わってきたけれど、こんなに心が温かい方は初めてだった。
 その後、社会福祉保健部長に出世された課長さん。もうすぐ退職されるという話を聞き、ごあいさつに伺った。簡単にはお会いできない方だと思っていたが、時間を作ってくださって。感謝の気持ちを伝えさせて頂いた。
 それから数年後の先日、課長さんとばったり会った。「大東君、まだピュアやってるんか!!えらいな!頑張れよ」、声をかけて下さった。感激し、涙が出そうになった。
 僕にとっては頭が上がらない、社会の厳しさを教えて下さった課長さん。本当にお世話になり、ありがとうございました。
 感謝の気持ちを伝えたくて、書きました。

                            (大東要介)
                             2013年 3月

お世話になった課長さん

 今年の桜は例年よりもかなり早く発表され、桜満開になっている。
 新しい年度、2013年度も無事に迎えられた。「地域活動センター・V型」に移行して丸4年。5年目に突入する。良く考えてみれば4年って長いなと思う。無認可作業所時代を含めると14年経つ。
 和歌山市から作業所と認めて頂いて、補助金を頂けるようになって13年。総額にしてみたら莫大な補助金を頂いてきたんだなと、改めて思う。ピュアのような小さな小さな施設が、障がい者の福祉施設として今日まで認められてきたのだ。
 14年も作業所としてやってきたからには、それなりの「社会的責任」があると思う。以前にも書いたし大げさな言い方と思うけれど、「単に運営が厳しくなったから、運営がしんどくなってきたから作業所を閉鎖する」というような、無責任なことが出来なくなってきた。作業所に通っている9名のメンバーは、「ひとり・ひとりピュアが必要だ」と思っているからこそ、今日もピュアに来ているはず。必要と思ってくれているメンバーがいる限り、作業所は続けていかなければならない。
 今年度も色んなことが起こると思うけれど、ピュアらしく続けたい。
 2013年度もよろしくお願いします。

                           (大東要介)
                           2013年 4月

2013年 年度初め

 ピュア作業所が開所して14年。「15年目」に突入した。僕は開所当初から作業所にいて、作業所の代表になって11年経った。初めの頃は何も分からず、作業所運営もめちゃくちゃで、市役所の職員さんからも厳しい指導を受ける日々で。そういうことを積み重ねて今の自分がいる。
 僕は、今年で36歳。ピュアに入った時は21の若造で。若い頃はまだまだ体力があって、「週5日出勤」も何なと、こなせていた。
 でもここ2年前あたりから体調も変わってきた。月曜日・火曜日と仕事をすると、火曜日の夜はカラダが痛くて痛くて仕方なくなる。しんどくて週のどこかで休みを取らなくては居られなくなった。他のメンバーからは「サボって休んでる」と思われているけれど、本当にしんどくてカラダが痛くなる。
 これは他のメンバーでも言えること。内職作業に置き換えると10工程の仕事があるとして、すべて出来るメンバーもいれば、半分の5工程しか出来ないメンバーもいる。すべての工程が出来るほうが良いけれど、半分の工程しか出来ないメンバーも、その人なりに一生懸命やっているからその人の頑張りを認め合えなければならないと思う。
 相手を非難するのは簡単だけど、相手を認め合うことも大切だと思う。誰しも「得意なこと、苦手なこと」がある。得意なことを伸ばし、苦手なことは少しずつ克服して出来るようにしていけば良いと思う。
 出来ないことを批判せず、出来ることを認め合って行けるようにしたい。
 僕もこれから心がけたい。

                             (大東要介)                               
                          2013年 5月

認め合えるように

 4月から開催されている「ひろしま菓子博」。日本各地のお菓子を紹介するイベント。楽しそうなイベントだったが、このイベントで「大問題」が起こった。
 「車いす入場拒否問題」。周りの人に危険が及ぼされるという理由で車いすを入場拒否しようとした。その後手動車いすは認めたものの、「電動車いす」は禁止、ということを主催者側は主張し続けた。「周りに危害が加えられる可能性がある。万が一の事故に備えて禁止する」、実行委員会側はこの一点張りで。電動車いすユーザーを阻害しようとした。電動車いすを必要とする僕からすれば、憤慨する問題。「手動車いすに乗り換えてほしい」と主催者側はいうが、そんな簡単な問題ではない。当事者からすればこの車いすでなければ身体に合わない等、様々な理由があって電動車いすを使っているのだ。そこのところを実行委員会側は全く理解されていない。最終的には電動車いすでも可にはなったものの、この件に関しては実行委員会側からも謝罪はなかった。
 「出生前診断」というのが、最近始まった。妊婦さんが赤ちゃんに先天性の障がいの有無を診断出来る方法。しかしこの診断ではすべての障がいの有無を判断出来るわけではなく、一部の障がいの有無しかわからない。この診断結果で赤ちゃんを産むかどうか、大きな問題を抱える人が増えている。
 この2つのニュースを知って、この頃「障がいのある者」をないがしろにされている気がする。障がい当事者である僕からすると悲しくなる。
 「障がいはないほうがいい」、そう思う。健康で五体満足で生活できるのが良い。でも人は誰しもいつ病気や事故で大きな障がいを負うことになるかも知れない。だから障がいがあっても当たり前に暮らせる社会にならなければいけないのに。
 「障がいがあって生まれてくる子どもは不憫だ」、「障がいがあればかわいそう、この先幸せな日々を過ごせるか不安だ」、そう思う人がいる。でも障がいがあっても当たり前に生活出来る社会環境が整えば、このような問題は起こらないはず。不安も解消される。そうなれば「障がい」で悩むことはなくなる。障がいがある・なしに関わらす、誰もが平等に、対等に暮らせるはずだ。
これは「極論・空論」だとは思うが、ここまで言わなければこれらの問題の抜本的な解決は出来ない。
 「障がいはないほうがいい」。障がい当事者である僕が断言する。でもあるモノは仕方ない。だから障がいがあっても当たり前に生活できる、差別や偏見をなくせる社会にするのが、私たち障がい当事者の役割であり使命だと思う。
 2つのニュースを知り、そう思った。何とかしなくては。

                                 (大東要介)                                2013年5月

私たちの使命
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 この頃の世間を見ていると、「自分と違うものには、一線を引く。あの人たちの考え方とは違う」という動きが激しくなってきていると思う。政治家がひとつ失言しただけで、集中砲火のように批判し続けている。「そこまで一斉に批判しなくても…」と思うが、それが政治というものなのか…僕だけそう思うのか…
 私たち障がいのある者も、この頃厳しい目で世間から見られている。ひろしま菓子博・電動車いす入場拒否の件や、出生前診断で障がいの有無を判定し、それが「命の選別」につながる可能性がある、という現代社会。障がいがあれば大変な思いをしなければならない、「不都合が出てくる」という考えが表面化されているようで。
 確かに障がいがあることによって、出来ないこと・不便なことも多い。障がいはない方が現代社会では生きやすい。障がい者の人口は少ない方が良い。
 でも、どんなに医療技術や現代社会が発展しても「障がい者」は無くならないと思う。「誰しもがいつ、病気や事故で障がいを持つようになるかも知れない」。「今は健康な方でも、病気や事故で不自由な生活になるかも知れない。」今は健康でも障がいを持った時に、差別や偏見が根強く残っていれば、その時当事者は、どういう思いをするだろうか?差別や偏見が残る社会でいいのだろうか?だからこれらの問題は私たち障がい当事者だけでの問題ではないのだ。 価値観や考え方は、血液型や体型が違うようにみんなちがう。障がいがある・なしも血液型や体型の違いと同じように、ただ違うだけ。「同じ人間」なんだ。
 このことを押さえていれば、差別は起こらない。
 みんなひとり・ひとり違う。でもおなじ「人間」。この基本的なことをいま、声高に言いたい。                              (大東要介)
                           2013年 6月

 

みんなちがう。でもおなじ

 人との付き合い方って難しい。1人なら気楽。2人になると1対1で話し合えば、時間をかければ分かりあえることもある。3人以上になると複雑になり、余計にややこしくなる。
 ピュアはメンバー9名・職員3名の大所帯。みんなひとり・ひとり「個性」があり、「性格」も違う。みんな一人・ひとり違うから、ぶつかりあうことも日常的に起こる毎日。「みんな仲良く。毎日笑顔で」理想ではあるが、現実はそうはいかない。
 多くの原因は、「他人(ひと)のことをあれこれ言うこと」。そのことをきっかけに揉め事に発展してしまう。人は自分と相手の違いを気になってしまい、ついつい指摘してしまう。それが揉め事になってしまうことが多い。
 だから肝心なことは、大切なことだけを相手に伝え、あまり他人のことはとやかく言わないことが、集団生活で上手くいくコツだと、最近つくづく思う。
 みんなそれぞれ“個性”があり、上手く交わらないことも多々ある。そういう時は無理矢理仲良くしなくても、少しキョリを置いたほうが全体的に上手くいくこともあると思う。本来なら「みんな仲良くしていけるように」としていくのが僕の仕事だと思うが、一般社会とおなじように人それぞれ「相性」がある。だから相性が合わない者同士は、キョリを置くことも全体としては上手く行くコツだと、最近気付いた。
 ピュアは小さいながらもひとつの組織。色々な考え方を持った人間がいる。全員同じ方向に向いて、同じ考え方にするというのは、そもそも無理なこと。ひとり・ひとり違う考え方をお互いに認め合い、お互いを尊重しあうことが大切。言うのは簡単だけど、実行するのは難しい。
 みんなが上手くやっていくためには、これもひとつの方法。小さなことには、あまり「関わらないこと」も大切のかも・・・
 最近、日々の活動のなかでちょっと思いました…

                                (大東要介)
                             2013年 7月

日々の活動のなかで・・・

 僕は今まで「生きている」と思っていた。ひとりで「生きている」わけでなく、多くの方々のおかげで生きてきた。これは僕だけでなく、誰もが支え合って今日も「生きている」
 生きていると色んな事が起こる。楽しいこと・うれしいこともあるが、辛いこと・しんどいことのほうが多く感じる。僕だけかも知れないけれど「しんどい」ことのほうが強く印象に残ってしまう。
 僕は今まで「生きている」と思っていた。だから自分で「区切り」をつけても良いのでは?と考えていた。自分の“いのち”なのだから自分の好き勝手に扱っても良いと考えていた…
 でも最近「生きている」のではなく、「生かされている」ことに気付いた。前々から色んな人から「我々は生かされているんだよ」と話は聞いてはいたのだけれど、実感はなかった。
 ここまで生きて来て、色んな「しんどいこと・辛いこと」がたくさんあった。「もうあかん。終わりや」と思うこともいっぱいあったけれど、今日も生かされている。いま、「自分がここにいる」ことって、自分の意思ではないことに気付いた。「生かされている」。「与えられた命」、みんなひとり・ひとり何らかの役割や使命があって生まれてきた。役割・使命を全うするまで生き続けなければならないのだ。
 我々は「生かされている」。肝に銘じていこう。 

                           (大東要介)
                          2013年7月

生かされている

 僕は今まで「一般の仕事」はしたことがない。高校・専門学校に通っていた頃は「就職したい。サラリーマンになるんだ」と思っていたけれど、自分の能力の無さに気付きあっけなく就職をあきらめた。
 縁があってピュア作業所設立時のメンバーと出会うことが出来、ピュア作業所を設立した。早、14年。来年の3月で設立15周年を迎えることになる。能力のない僕が代表という仕事をさせていただくようになって、12年。頼りないけれど、メンバーや職員さんのおかげで、今日も作業所を続けられている。僕がなにかやっているわけではなく、みんなが頑張ってくれているから現在もピュアを続けられている。
 ふと振り返ってみると、僕って今まで仕事やってきたのかな?と思う。それなりに作業所を運営出来るようにやってきた。メンバーや職員さんと話し合ってどういう風にしていくか決めてきた。いろいろあったけれど何とか作業所を続けられてきた。でも、やっぱり作業所ではいわゆる「一般の社会で働く」という空気、雰囲気では違うと思う。僕は一般社会で働いたことがないから、作業所の雰囲気と社会で働いている雰囲気とどう違うかは、分からない。でも違うはず。「社会で働く」ことと「福祉施設で働く」違い。賃金面など「目に見えるもの」の違いなら分かるが、「目に見えないもの」の違いもあるはず。それはやっぱり実際に働いてみないと分からないはずだ。 僕に「一般の仕事」が出来るだろうか?日常生活全般に介助が必要で、労働時間も1日4時間程度、週5日出勤も難しい。能力も良くない。そんな僕が一般就職なんて…普通に考えると仕事なんて出来るわけない。
 でも社会に出て働かなければ、分からないことが多々ある。それを知らず、わからずにこのまま生きていくとなると。不安になる。「ピュアの中では通用することであっても、社会では通用しないこと」って多々あるはずだ。それに気付かず今まで作業所をやっていたところもあった。僕は全く分からず知識や経験も積んで来なかった。それに気付いたいま、とても不安になる。今から仕事探して一般就職なんて容易く出来ないけれど、このまま知識を得ずに続けていくのは不安だ。
 ピュアにいても一般社会の知識を得られるようにしていかなければと、僕はこの頃思う。
 社会のこと、もっと知りたい。

                                 (大東要介)
                               2013年 8月

社会を知りたい
 今更だけど、ピュア作業所が出来たきっかけについて今回書こうと思う。
 今から14年前の1999年、肢体に障がいのある者6名が、縁があって出会った。皆、高校・大学を卒業したものの、就職先がなく将来に不安を持ったまま、生活を送っていた。 そんな時、「自分たちで作業所を作らないか?」という話が持ち上がった。自分たちの能力を十分に発揮出来る場を作ろう。それがピュア作業所の始まり。
 他の作業所とピュアとの大きな違いは、指導員(現在の支援員)を置かないこと。誰かに「指導」されるのではなく、自分たちが主体的に作業所を運営していく。指導員ではなく自分たちの出来ないこと、苦手なことを手助け(サポート)してもらう「サポーター」さんという方に来てもらうことになった。これはあくまで「僕たち当事者が主体的に作業所を運営していく」という象徴。ピュア作業所を立ち上げた根幹な部分。自分たちで作業所のことを話し合い、方針を決め運営する、それがピュア作業所なのだ。
 当時はこのような体制を取っている作業所は少なく、周りから「ピュアさんは大丈夫か?」と心配する方がいた。利用者が中心となって作業所運営をするということが、不安に思われ物珍しく見られていた。
 「ピュアさんはね・・・」、他の事業所さんからは一線を引かれているようなモノを感じたことも多々。確かに他の事業所さんのように運営基盤もなく、いつどうなるか分からない。ただただ、日々の仕事をこなすのに精いっぱい。そんなことをずっと14年、今日まで続けてきた。
 最近になって他の事業所さんからも好意に見てくれるようになり、やっと「ピュアの存在」を認めてもらえるようになった。
 僕はこのピュアのやり方しか分からないし、これからもこんな感じでやっていく。これがピュア作業所。14年余り続けてきて、やっと胸を張れるようになった。
 「こういう作業所もあるんだ」、ということを多くの方に知ってもらえれば、有り難く、嬉しい。

                             (大東要介)             2013年 9月

ピュアについて

 2020年、東京オリンピック開催が決定した。オリンピック招致活動期間中は、僕も含めあまりみんな関心がなかった気がしていたが、オリンピック開催が決定してから日本中がすごく盛り上がった。 
「7年後、日本・東京でオリンピックが開催される。」そう考えると気持ちがワクワクし、今まで霞んでいた「希望」がくっきりと見えてきた。
7年後、僕は何しているのだろう?作業所も相変わらずやっていれば…それは幸せなこと。
 日々、生活していると誰しも色んな壁にブチ当たる。その時々に「悩み・もがき…」どうしようもならない気持ちになる。その時ってとても辛くて・・しんどくて・・この先どうなるのだろうと?不安ばかり。でもそれを乗り切った時、「なぜそんな事で悩んでいたのだろう・・」と後になって気付く事が多いけれど、その時は辛くて、しんどかったりする。
 そのようなことを繰り返しながら人は成長していく。僕もそのようなことを繰り返して、いまの自分がいる。 2011年の東日本大震災以降、明るいニュースが少なくなった。震災復興の問題、放射能や汚染水問題等、まだまだ問題はとてつもなく多く残っている。その上、消費税の増税という話もあり、ますます生活が厳しくなる一方。暗くなることばかり・・
 そんな折「2020年 東京オリンピック開催」という、希望が持てるニュースが飛び込んできた!!
 あるコメンテーターが言っていた。「7年後オリンピックが東京であるということは、この先7年間日本人は“夢”を見られるということだ」と。
 これからも色んな困難や、苦しいことが起こるけれど、7年後「日本・東京でオリンピックが見られる」と思うだけで、気持ちが高ぶり希望が持てる。
 7年後、みんなはどうなっているのだろう?僕は今の僕で居られればいいな。
 この先7年間、夢を描いていきたいな。

                            (大東要介)
                          2013年10月

7年後を夢描いて…

 早いもので2013年もあと2カ月余り・・・猛暑だった夏も過ぎ、秋が感じられず、肌寒くなってきた。 日々作業所を続けていると、何かしら問題が起こっている。週初めの月曜日にはいつも「今週こそ何事もなく平穏に行くぞ!」と強く決意していても、絶対と言っていいほど「事が起きる」
 今までは、「何でみんな“揉め事”を起こすの?」と思っていた。お互いを分かりあうことが出来れば「揉め事」は起こらないはずだ。
 ひとつ「揉め事」が起きれば心が重くなり、憂うつな日々になってしまう…。
 でも、「みんなひとり・ひとり違い、ひとり・ひとり各々のペースで成長しているから、ぶつかりあうことも増えてくる」ということだと気付いた。毎日何事もなく、平穏に過ごせることはベストだと思う。でもそれは返って「つまらないこと」なのかもしれない。つまらないというより、みんな「こころの変化」がないということだと思う。
 「こころの変化」があるから、喜怒哀楽、様々な感情が起こる。それはみんなが日々コツコツと生きているから、イロイロと「事が起こる」のだ。「こころの変化」を起こしながら、人は成長するのだ。と、最近そう思えるようになった。
 みんな「こころの変化」をしながら、それぞれのペースで成長出来れば…良いことだ。                        
                                (大東要介)
                              2013年11月

こころの変化

 「となりの花は赤い」という、ことわざがある。自分と他者を比べると、どうしても他者のことが羨ましく思えることがある。僕だけかも知れないが、僕よりも他者のほうが良いように見えてしまう。
 「ああいう風な人になりたい」、憧れを抱くことがある。こちらから見ればとても素敵な生活を送っているように見えていても、その人も「見えない苦労」をされていることもある。
 「自分はそんなに恵まれていない」と、思っていても、他の人からはとても恵まれていると思われることがある。それに気付くと日頃、不平不満を言っている自分が恥ずかしく感じてしまう。
 人それそれに、悩みや大変なことを抱えて生きている。自分だけが「なぜ、しんどい思いをしなければいけないの?」と思ってしまうことが良くあるが、みんなそれぞれ色んなモノを抱えながら生きている。
 となりの花は赤くみえても、皆同じということに気付いた。
 日頃つい、「不平・不満」を出してしまうが、今ある日常に感謝の気持ちを持たなければと、この頃気付き、この気持ちを持ち続けたいと、思った。

                             (大東要介)
                           2013年12月

となりの花は・・・

 2013年も残り少なくなってきた。1年を振り返る余裕もなく、日々の仕事をこなしている。
 今年の目標としては、「収入を増やすこと」を重要視していた。お仕事を頂いている業者様のご理解・ご協力を賜り、今までよりも2倍程度のお仕事を頂けるようになった。当初は納期まで間に合わせることが出来るか心配だったが、仕事を続けていくうちにみんな手早くなり、余裕を持って仕事を仕上げられるようになった。収入も増え、メンバー工賃を増やすことが出来た。
 そして2年半ぶりに、ピュアの会報紙を発行が出来た。日々の仕事に追われ、なかなか会報紙が作成出来なかったが、会報紙を発行して少しでもピュアのことを知ってもらえてよかった。
 また今年の春先と秋に、和歌山市内の各支援学校にご挨拶に伺った。先生方にもピュアの活動を知って頂けて嬉しかった。
 もうすぐ新しい年、2014年が幕開け。「希望に満ちた1年にしたい」と、言いたいところだが・・・4月には「消費税増税」が待ち構えていて、運命面で厳しくなるはず。不安でいっぱいだが、何とか乗り切りたいと思う。
 この1年、良い事も悪い事もありましたが…何とか無事に過ごせた。ありがとうございます。
 来年も色んな問題が出てくると思うが、何とか乗り切っていければと…。
 2014年も、ピュア作業所をよろしくお願いします。
 皆さま、よいお年をお迎えください。
                             2013年 師走
                                                          (大東要介)

師走にあたり 2013

 新年、あけまして おめでとう ございます
 皆様、お正月はいかがでしたか?今年の正月休みは少し長かったので、ゆっくり過ごせたと思います。
 さて、2014年のピュア作業所も本日より始動します!今年も昨年同様、作業に励みたいです。昨年はお仕事を頂いている業者様のご理解・ご協力により、仕事量を大幅に増えました。今年ももっとお仕事が頂けるように、丁寧に・正確に、作業に励みたいです。
 それとピュア作業所のことを、もっと多くの方々に知って頂けるようにしたいです。「ピュアの魅力」を引き出せるようにしたいです。そのためには、メンバー・職員共に「一致団結」して、魅力ある作業所にしていければと、思います。
 2014年は午年です。「天高く、午・肥ゆる1年」を目標に活動していきます。
 今年もピュア作業所をよろしくお願いします。
                           2014年1月
                             (大東要介)

天高く、午肥ゆる1年

 先月、支援学校から「職場実習」の依頼があり、生徒さんが3日間ピュア作業所に来られて、僕たちと一緒に時間を過ごした。ピュアが「職場実習の場」になるのは、開所以来、初めてのこと。開所15年にして支援学校から「福祉施設」と認められたということ。嬉しい気持ちと、責任が重大だなと、噛みしめていた。
 職場実習は何事もなく進んだ。生徒さんもピュアの雰囲気を堪能してくれた。また僕たち作業所の側も、メンバー・職員共に、一致団結が出来、ピュアが出来る「お・も・て・な・し」をすることが出来た。みんなの気持ちが伝わり、4月からメンバーが増えることになった。
 職場実習を通して、僕は気付いたことがある。それは、支援学校の先生の生徒さんに対する接し方。とても温かいもので「愛情」を感じられた。
 僕は「愛情」と言えば、男女の恋愛だとすぐ思ってしまうのだが、そのことではなく、相手を大切に思う気持ち。僕は、今まで人に対する愛情が足りなかったように思う。だからいろいろ問題が起きてきた。
 相手を大切にしよう、と思っていても、ついつい「我」を出してしまう。僕のダメなところ。もっと相手の気持ちに立ちなさいと、言われてきた。でも、今回の「先生と生徒さんの関係」の関係を見ていて、こういう風に愛情を持って人と接すれば、お互い心地の良い関係が保てるのだと、勉強になった。
 誰もが心地よく過ごせるようにするには、「愛情」が必要なんだ…。

                               (大東要介)
                             2014年2月

愛情・・・

 毎年3月はこのテーマで書いていると思うが。3月1日はピュア作業所の開所記念日。おかげさまで今年開所15周年を迎える。これも毎日通ってくれているメンバー・職員さん、日頃お仕事を頂いている業者様のおかげで、今日まで続けて来られてきた。深く感謝致します。今回改めてピュアの基本方針を、僕自身が確認するために書きたいと思う。
 ピュアが出来たきっかけ。今から15年前、高校・大学を卒業後、就職が難しかった6名の障がい当事者がいた。皆将来のことを考えると不安を抱え、日々過ごしていた。そんな中、「就職先がなかったら、自分たちで“居場所”を作ろう」という声が上がり、それが作業所というかたちになり、ピュア作業所が誕生した。
 ピュアの特色として「作業所運営すべて、当事者(障がいのある者)が運営する」ということを大きな柱とした。障がいがあるからと言って、誰かに指図され、行動することに抵抗があった僕たち。「自分たちで話し合って、物事を決めて実行する」。「自分たちのことは自分たちで決める」、これを基本理念としてやっていくことにした。他の施設でいう「支援員さん」には、僕たち障がいが理由で弱いところ、苦手なところをサポートしてもらうという形にした。あくまで「作業所は自分たちで運営する」という形で、今日まで来た。
 社会経験もなく作業所を立ち上げたのだから、当初は問題だらけだった。ひとつ問題が解決したとしても、新たに問題が起こり…そんな事を15年。頭を抱え、しんどい思いもいっぱいした。何度「作業所を終わらそう」と思ったことか。でも15年も色んな問題にぶち当たっていると、少々の問題でも何とも思わなくなって、「まあ何とかなるか」と、楽観的に考えられるようになった。
 おかげ様で良い支援員さんに恵まれ、僕がすべて出来なくても支援員さんがサポートしてくれている。大きな安心感がある。有り難く思っている。
 他の事業所さんのように立派な施設ではない。でも立ち上げた当初から「当事者運営」という原点を忘れず、これからも続けていきたい。
 いまもう一度、初心に戻って…
                           2014年3月
                            (大東要介)

開所15年 初心に戻って…

 今年も「新年度」を迎えられそうだ。ピュアにとっては16回目の「新年度」。新年度を迎えるたびに、あと1年は続けられる「喜び」と、「感謝の気持ち」がその度に湧き上がる。
 今年はいつもの新年度とは少し違う。4月1日にメンバーの「入所式」を行うことに。今春支援学校を卒業した方が、ピュアのメンバーとして来てくれることになったのだ。ピュア作業所が福祉施設として認めて頂けたということだ。嬉しい反面、「責任」が大きくなった。「ピュアが飛躍できるチャンス」を頂けた。
 このチャンスを上手く活かしてピュアがもっと居心地の良い場所に出来ればと思う。そのためにはみんなお互いに相手を思いやり、理解しあえるようにしたい。
 2014年度はピュアが福祉施設として「飛躍出来るチャンス」かも知れない。今までのようにお気楽な気持ちでは出来ないけれど、良い方向に向かうのなら皆で一致団結してやっていきたい。
 このようなチャンスを頂けたことに、感謝。
                              (大東要介)
                            2014年4月

飛躍出来るチャンス

 先日、駅でとある方とばったり会った。その方は以前から障がい者支援団体でボランティア活動をされている方。その団体さんとピュアと一緒にイベントをしたこともある。
 その方と久しぶりに「立ち話」をしているなかで、僕とのつながりがあることを知った。 作業所が出来る1,2年前、今から17年前僕はある障がい者団体に所属していた。その団体のお手伝いをさせていただけるようになり、「ボランティア講習会」というのがあり、僕も参加していた。そこに先日、駅でお会いいした方が参加されていたそうで。それがきっかけで障がい者支援活動を始めたという、お話を伺った。
 僕が現在の仕事に携わるようになって、15年。失敗と反省を繰り返しながら、何とかやってきた。このやり方が正しいかどうかも自信なく、突っ走ってきたけれど、僕のような者を遠くからずっと見守ってくれていたのだ。僕が悩み・落ち込んでいる時も、ずっと遠くから見守ってくれていた。そして、その方が障がい者福祉に関わって頂けるきっかけに、僕も携わっていたと知った時、とても嬉しい気持ちになれた。
 とても有意義な数分でした。
                            2014年5月 
                             (大東要介)

有意義な数分

 人は皆意味があって生まれてきた。男・女、出身地、家族等、人それぞれ。一人・ひとり、皆違う。すべて意味があって自分がいる。
 僕は生まれつき障がいがある。未だに「かわいそう、こんな身体で…」と、見知らぬ人から声をかけられることも。障がいなんて無いほうが良いけれど、障がいがあることは、かわいそうでも不幸でもない。 僕は決して賢い人間ではない。能力もなく、重度の障がいがある。そんな僕が作業所の代表をさせて頂いている。
 何度も作業所存続の危機があった。でも何とか今日も作業所を続けている。どんなにイヤでもピュア作業所は続いている。そして僕はピュアに関わっている。それは僕が持っている「宿命」。僕には作業所を続ける宿命があると思う。
 誰しもが「宿命」を持って生きている。日頃生活をしていると、不平・不満も出てくるけれど、すべて宿命だと思えれば、少しはラクなキモチで過ごせるように思う。
 最近、「ちょっと思ったこと」。明日も頑張ろう。

                         2014年 6月    
                             (大東要介)

宿 命

 先日、とある施設に見学にお伺いした。施設見学なんて何年振りだろうか?日々の業務で精一杯な状況。そんな余裕すらなかった。
 その施設は「就労移行支援」をされている事業所。2年以内で一般就労を目指し、その後の就労等のサポートをされている。メンバーさんも20名程度、支援員さんも6名と、うちとは比べ物にならないくらいの大きな事業所さんだ。
 作業風景を見学させてもらった。みなさん、黙々と丁寧に作業されている。支援員さんも、メンバーさんに的確な指示とサポートを上手にされていた。これが「就労支援」なんだと、痛感した。
 僕はピュア作業所を通して様々なことを経験させて頂いた。僕なりに「仕事」として取り組み、僕なりに精いっぱいやってきたつもりだが、僕がやってきたことは仕事と呼べる物だったのか?
 僕はピュア以外で仕事をしたことがなく、世間が狭い。かといって僕のような障がいでは、他で働くとなるとかなり困難なはず。だから自分たちで作業所を作った。
 そういう経緯があり、僕は本当の意味の「仕事」は知らない。自分流でやってきたのだから、甘い部分が多々。分かっていても甘えてしまう自分だ。僕は「働いているのだろうか?」
 ピュアのメンバーも、「もっと仕事がしたい。就職がしたい」と考えているメンバーもいる。そういったメンバーをどういう風にサポートしていけばいいのか?考えて勉強もしていかなくては・・思った。
 ピュアはピュアで良いと思う。今までやって来られたのだから。間違っていないはず。でも今回の見学で、多くの良い刺激を頂けた。
 「働くという意味」を、考える機会になった。
 ありがとうございました。

                             (大東要介)                                2014年7月

働くという意味

 どんな事でも、「基準」というものがある。上限・下限・平均値。それ以上でもそれ以下でもダメで。基準以内のほうが良い。 数字で表せる物なら良いが、世の中には数字で表せない物がある。その方が多いかも知れない。
 例えば「頑張る」ということ。自分では精一杯やっていても、他人から見れば、「怠けている」ように見えることがある。そのことで責められる時がある。自分では精一杯やっている。でも、相手からは怠けているように見られてしまう。なぜか?それは相手が「自分のものさし」で見ているから、「怠けている」と相手を見てしまう。
 この「ものさし」と言うのが厄介なもの。人それぞれ「自分のものさし」がある。それは「自分のなか」で使うのは構わない。だが、自分のものさしを他人に押し付けてああだ、こうだと言い、揉め事になる。
 これは「障がいがあるから・・・」と言った、差別問題にもつながる。「私には出来て、あなたには出来ない」と言った、差別・偏見にもつながりかねない。だからこそ、自分の価値観やモノの考え方で、他人を判断してはならない。人それぞれ精一杯生きているのだから。
 ひとり・ひとりの「ものさし」は違う。ということを、しっかりアタマに入れておきたい。

                                     (大東要介)
                          2014年 8月

ものさし

 平成26年度に入り一連の「しなきゃいけないこと」はひと段落した。 法人関連、夏祭り、会報紙発行…毎年の「恒例行事」もなんとかこなす事が出来た。
 昨年の今頃、メンバーを10名にするために必死になっていた。各支援学校にまわって先生方に作業所のことを知って頂き、メンバーを紹介頂けないかとお願いに伺っていた。その結果メンバーが増え、定員の10名になり良いメンバーに恵まれた。
 仕事もおかげ様で安定した数量を頂けるようになり、以前のように仕事がない頃の苦しさもなく、有り難く仕事をさせて頂いている。
 今、ピュアにとってはベストな状態だ。メンバーが10名いて、職員さんも良い方に恵まれ、仕事も十分頂けている。今、作業所はベストな状態だ。
 ホッとした反面、次に何を目標にすべきか?一瞬見失った。目標を達成したことは嬉しいけれど、今後のモチベーションをどこに置こうかと、考えていた。そんな時、職員さんとの会話のなかで、「もっとみんなが過ごしやすく、楽しい場所を目標にしてみれば?」とアドバイスを頂いた。日頃些細な事でいざこざになってしまうので、どうすればみんなが仲良く行けるか、じっくり考えてみよう。
 すぐに答えは出ないけれど、日々の活動のなかで答えが出たらいいな。

                                (大東要介)
                             2014年 9月

次の目標
 最近ふと思うこと「普通ってなに?」
 多くの方が賛同し、多い方が普通と呼ぶのが一般的。多数決で多い方が「普通」と呼ぶのが世の常。 普通に学校に行って、普通に就職して。いわゆる「レール」に沿った生き方が普通と呼ばれるのか?
 五体満足、健康で生まれてくることが、「普通」とすれば、病気や障がいを持って生まれることは「普通」ではないのか?
 「健常者」、「障がい者」と呼ぶことがある。便宜上使い分ける事もあるが、そもそも使い分けること自体がどうなのだろう?と思う。健常者が普通で、障がい者は普通でないと、平気で主張している人もいる。
 これだけ多様な社会のなかで、「普通」というものはあるのだろうか?
 それに皆「普通にしなきゃいけない」のか?人それぞれ、価値観も考えも違う世の中。ひとりひとり違ってもいいはず。
 ふと思ったこと、「普通ってなに?」
                           2014年10月
                              (大東要介)
普通ってなに?

 この度自費出版で、本を出させて頂くことになりました。本の内容は、当作業所のホームページに連載してきた、「ピュアものがたり」。ピュアが出来てから、2009年に法定施設に移行するまでのことを、書かせて頂きました。 書き始めた当初から「書籍化出来ればいいな」と何気なく思っていましたが、日頃の業務などもあり書き上げるのに3年もの時間がかかりました。
 書き上げたものの、本当に書籍化する価値があるか?いろいろ思ったこともありますが、今回良い出版会社様をご紹介頂き、自費出版させて頂くことになりました。経費はかかりますが、本を作ることが夢だったので思い切ってすることにしました。
 ピュア作業所は「当事者主体の作業所」として、15年前に立ち上げました。今までいろいろな事がありましたが、なんとか今日まで活動してこられました。
 その活動の記録として、「こんな作業所もあるんだ」ということを後世に残せれば。未熟な僕たちだけど、こうして作業所を続けてきたこと、そしてピュアをこれまで支えて頂いた方々に、「感謝の気持ち」を伝えたい。そういった思いをカタチに残したいと思い、自費出版を決めました。
 何も取り柄のない僕だと思います。ただ、文章を書くことは好きです。だから今までいろいろ書いてきました。それが今回カタチに出来ること、嬉しい限りです。
 自費出版することは、「自己満足」かも知れません。ただ、ピュアのような作業所もあったということを残したい、知って頂きたいと思い作成しました。
 僕の夢、「本を出すこと」夢が叶いました。
 ドリーム・カム・ツゥルー。
                             (大東要介)
                          2014年11月

夢が叶う

 2014年も師走に入りました。今年1年を振り返るのは少し早い気がしますが、ちょっとずつ書いていこうと思います。
 今年の一番大きな出来事は、メンバーが増えたことです。1月に支援学校の生徒さんが職場実習に来てくれました。その結果今年の4月よりピュアのメンバーに入ってくれました。また6月よりもう1名メンバーが加わり、念願だったメンバーが10名になりました。約3年間の地道な活動がやっと実になり、感慨深いものとなりました。
 作業のほうもみんなが手際よく出来るようになり、仕事量が安定させることが出来ました。その結果メンバー工賃も月によって以前よりも多く支払えるようになりました。
 今年は有り難いことに、作業所にとっては「良い方向」に向かって行けたと思います。多くの方々のご支援のおかげです。深く感謝致します。
 あと半月あまりで新しい年を迎えることになります。2015年も皆様方におかれましては良い年でありますように。
 2015年もピュア作業所をよろしくお願い致します。
                           2014年 師走
                              (大東要介)

2014年 師走にあたり

 新年、あけまして おめでとう ございます。今年もよろしくお願いします。

 2015年のピュア作業所も本日から始動です。年末・年始休暇は皆ゆっくり出来たと思います。
 昨年のピュア作業所はメンバーも増え、賑やかになり、作業所に「活気」がついたと思います。昨年入ったメンバーたちもピュアの雰囲気になじめてきたと思います。今年は彼らが新たなピュアの一面を描いてくれればと思います。
 作業のほうも、もっと効率よく取り組めればと思います。その結果収入が増え、メンバー工賃が上がるように頑張りたいです。
 そして何より、「みんな仲良く・健康で」過ごすことを第一の目標にしたいです。
 今年もいろいろ問題が起こりそうですが、例年同様ひとつずつみんなで解決していきたいと思います。
 今年は「ひつじ年」。ひつじは「群れ」を作って行動するようです。ピュアもひつじのように一致団結して、1年を過ごせますように。
 2015年のピュア作業所も、よろしくお願いします。
                              (大東要介)
                              2015年 1月

2015年 年頭にあたり

 2015年年明け早々、ショッキングなニュースが飛び込んできた。
「障害者福祉サービス、介護保険、子育て支援などの予算を、来年度予算から縮小する」という一報。一瞬どういうことだろうと?耳を疑った。
 よくよくニュースを見て行くと、一部の社会福祉法人が利益をかなり上げているらしく「内部留保」がかなり残っていて、国がそれを活用したいがため、削減案を出したそうだ。
 その後障害者福祉サービスに関しては「現状維持」に方針転換したそうだが、65歳以上が対象となる「介護保険」は削減する方向に向かっている。
 国の言い分として「介護保険の介護報酬を削減し、介護職員の給料をアップしなさい」ということ。内部留保を使って待遇を改善しなさいということだ。
 大きな施設ならこの論理で良いのかもしれないが、小規模な施設ではますます厳しくなる。良質のサービスを提供できなくなる。
 今回は私たちの「障害者福祉サービス事業者」は対象から外れたが、また数年後このような問題に直面する可能性が高い。施設の責任者として、とても不安な気持ちだ。
 国は、消費税の増税目的として「社会保障の拡充」を掲げていたはずだ。昨年末の総選挙で、私たちはそれを信じて後押しした。ところが、年が明けてこんな状況だとは、大きなショックを受けた。
 福祉施設の運営って、決してラクなものではない。本当に少ない支援金でカツカツな運営を続けている。これからのことを考えると、支援金の単価を上げてもらいたいが、せめてもの思い「現状維持」をお願いしたい。
 僕の考えを、書きました。

                            2015年1月
                             (大東要介)

社会保障削減のニュースを見て(声明文)

 自分の意見を言うことは、とても勇気がいることだ。人の言うとおり動いていれば、他人の意見に流される。それで良しと思う人は良いのだが、僕は違う。僕はついつい自分の意見を言ってしまう。僕が言っても仕方ない、何も変わらない、かも知れないけれど、意見を言ってしまう。
 ある方に先日「あなたが言ったって仕方ない。だから自分の意見を出すのは止めておきなさい」という意見を頂いた。果たしてそうなのだろうか?オカミ(行政機関)が決めたことに意見をつけることはいけない事なのだろうか?
 そりゃオカミの言うとおりすればラクだ。自分の意見を発信することはリスクが生じる。でも自分の意志と反対の方向に行ってしまうことが多い。だから無意味な事であれ、意見を発信しなくてはいけない。その結果、より良い社会につながればと。
 僕はついつい、このように意見を言ってしまう。その結果、反感を買うこともたまにあるが。それは反対に「光栄なこと」だと思う。
 これからも、負けずに「発信」していきたい。
                             2015年 2月
                              (大東要介)

発信するということ

 作業所開所当時からいる僕にとっては、「3月1日」には特別な思いがある。ピュアが出来た日。1999年3月1日、ピュア作業所が出来た。おかげ様で16周年を迎えられる。16年、恐ろしいぐらい時間を重ねた。
 当時は僕、21でまだまだ何も分からず日々を過ごしていた。あれから16年、「アラフォーのおっさん」になってしまい、体力も気力も落ちてきた。
 作業所のほうは有り難いことに、現在安定して運営出来ている。メンバー10名、職員3名、お仕事のほうも程良く頂けるようになった。これからもっと良い仕事が出来、少しでも多くメンバー工賃を支払えるようにしたい。
 16年、決して僕たちだけの力だけで来れたわけではなく、多くの方々のご支援のおかげでここまで来れた。多くの方々が僕たちの活動に気付いてくださり、様々なカタチでご支援を頂いている。ありがとうございます。感謝の気持ちを忘れずこれからも活動していきたい。
 現在、若手のメンバーもピュアに入ってくれて、毎日元気に作業所に通って来てくれている。有り難い。これから若いメンバーに僕たちがやってきたピュアの思いを伝えていかなければと思う。「アラフォーのおっさん」がいつまでも表に立っていてはダメ。いろいろ伝えていかなければと、最近思う。
 作業所のカタチは常々に変わっていく。16年前のピュアと現在のピュアは違うし、これからもカタチは変わっていくだろう。それで良いと思う。
 ピュアが必要と思ってくれているメンバーがいる限り、作業所を続けていかなければ。ピュアが必要と思う人がいたから、「16年」も続いたのだと、ふと思った。
 感謝の気持ちを忘れず、これからも作業所を続けていければ。
 必要とされる作業所を続けたい。

                          2015年 3月
                             (大東要介)

必要とされる作業所に

 2015年4月、新たな年度が始まります。仕事柄、年度替わりを1年の始めと思ってしまう僕にとっては、心身が引き締まる季節です。
 昨年度はメンバーが10名になり、若いメンバーが増え作業所の雰囲気も明るくなりました。作業のほうも安定した数量が頂けるようになり、とても感謝しています。みんなが丁寧に作業に取り組んでいた結果、企業様から信頼をして頂けるようになりました。有り難く、今後も信頼して頂けるように作業に励みたいです。
 早いものでピュアが出来て16年。「地域活動支援センターV型」に移行して丸6年。4月から7年目に突入です。ここまで続けられたことに、感謝し。これからも続けられるところまで続けたいと思っています。
 2015年度もよろしくお願いします。
                             (大東要介)
                            2015年4月

2015年 年度始め

 「ピュアものがたり」を自費出版して半年が過ぎた。多くの方に読んで頂くことができ、心から喜んでいる。
 もう一度読み返してみると、当時は「作業所の基礎作り」に必死だったんだなと、改めて思う。「何とかピュアを残したい」その思いでいっぱいで行動に移していた。
 ピュアは組織も資金も基盤もなく、いつ消えてしまうかわからない状況。そこを多くの方々のご支援のおかげで、法定施設に移行することが出来、現在に至っている。
 現在は厳しい状況ではあるが、何とか安定した作業所運営が続けられている。有り難いことだ。が、当時の「志」が薄れていることに気付く。「作業所を残したい」という、「熱い志」。ピュアものがたりを改めて読み返して気付いた。
 その熱い志が最近消えている。それは「安定」していることで喜ばしいことだ。が、もっと熱いものメンバー全員が共有出来ることを、探さなければいけない。
 みんなが共有出来る、「熱い志」を探すことが僕の役割だ
 次の新たな目標が出来た。

                            (大東要介)
                          2015年 5月

熱い志!

 僕が代表になって、13年経つ。最初の頃は自信もなく頼りもなく、何となく代表をさせて頂いていた。
 何も分からない人間が作業所の代表になった。当たり前のことだがそんな人間がなったのだから、問題は次から次へと起こる。ひとりでは解決できなかったから、多くの方々のアドバイスを頂き、何とか今日まで作業所を続けて来られた。
 当時に比べれば僕自身少しは成長しているはずだが、まだまだ恥ずかしいところがある。例えば「気が短い」ところ。すぐ頭に血が上ってしまう。直さなければならないとは思うが、なかなか直らない。 
「上に立つ人間は器を大きくしなければならない」、よく言われ続けてきた言葉。でも僕はどうしても小さいことを気にしてしまい、短気を起こしてしまう。

 僕は代表に不向きだと思う。でもなぜか代表をさせて頂いている。前にも書いたが、僕が代表をさせて頂いているのは、僕の「宿命」だと思う。
 だからこそ、僕の器をもっと大きくしたい。器の大きい人間になりたい。
 最近思ったこと。

                             (大東要介)
                             2015年6月

器の大きい人間に

 気付いたら僕は、13年という長い月日も作業所の代表を続けてきた。 初めの頃は、右も左も分からず自分の勝手な思いで突走ってきた。 大・小の失敗を数々繰り返し色んな事にぶち当たりながら、なんとかやってきた。 人それぞれ、考え方や価値観は違う。それはひとつずつ認め合わなければいけない。が、組織としてはひとつにまとめなければならないことがある。 決まったことに反発する者もいて当然だが、そこをうまくまとめるのが代表、トップに立つ者の仕事と、思っていた。
 振り返ってみると、僕はそこのところが苦手だった。振り返って思う。いつもそのことでメンバーや職員さんに迷惑を掛け、助けてもらいながら、何とか今日まで来れた。
 ピュアには様々な年代層のメンバーが通っている。10代〜50代のメンバーがピュアに通っている。様々な考えを持ったメンバー、皆意見が違う。意見が違って当然かもしれない。それをひとつにまとめようと考えていた僕は、間違っていた。
 僕は、みんなの意見をひとつにしなきゃと思っていた。でも無理に意見を合わそうとせず、個々がピュアにきて有意義な時間が過ごせたらいいのかなと。
 最近、気付かせてもらったこと。
 頭をもっと柔らかくして、これからやっていこう。

                            2015年7月
                              (大東要介)

ひとつにまとめず…

 先日、視覚に障がいがある方とお話する機会があった。いろいろ話していく中で、「点字ブロックはない方がいい!」という話を教えて下さった。
 「点字ブロックはない方がいい」。目からうろこだ。その理由は、大抵点字ブロックというのは、歩道の真ん中に設置されていることが多い。それは逆に言うと「歩道の端が分からない」ということ。歩道の端が分からないということは、どこまで行けばいいか分からない、ということで大きな不安があると。まるで大海原をひとりで歩いているようで怖い、とおっしゃった。
 点字ブロックを設置するより、道の両端が分かるように「段差」などを上手に工夫してほしいと、行政に要望をされているようだ。
 僕たちは今まで歩道や街中に点字ブロックを設置してほしい!と何かの機会があれば訴えてきたけど、実際に目の不自由な方にとっては、点字ブロックがあること自体が「不便」を感じていたことになる。
 このことを知って、衝撃を受けた。というより、やはり当事者の生の声を聞かなくてはと、思う。
 それと単に視覚障がい、肢体障がいと「ひとくくり」に言ってもひとり・ひとり「障害の程度・状態」も個々に違うから、一概に「こうしてほしい」と言えないなと、改めて思った。
 勉強になった。

                          2015年9月

                             大東要介

点字ブロックのお話

 「僕って仕事出来てないなぁ」と思う。作業所のことは、ほとんど職員さんに任せきりで。「代表らしいこと」出来てないなぁ、と思う。
 現在のピュア作業所は、内職作業や廃品回収などで「収入を得る」のが第一の目標だ。けれど開所当時は「自分たちの居場所を作ろう」というのが第一の目標にしていた。だから一般の企業や福祉施設のように「事業展開」など、全くなく、自分たちが過ごしやすければ良いと、考えていた。
 でも「時代のながれ」というか、無認可作業所のままでは生き残って行くことが出来ず、法定施設に移行するかどうか悩みに悩んで。多くの方々のご支援のおかげで、なんとか「地域活動支援センター・V型」に移行できた。
 法廷施設に移行したものの、それから先の展開は考えてもいなかった。「メンバーに工賃を少しでも多く支払いたい」、そのことは念頭にはあったものの、作業所としての事業展開は考えてなかった。
 いろんな方々から「次のステップにチャレンジしてみないか?」という声も頂いた。事業をステップアップすることには魅力ある。もしステップアップ出来れば、メンバーにもっとより良いサービスが提供できる。
 でも、僕にはそのような能力がなく。情けなく、恥ずかしい。
 規模を大きくするのが「成長」だけど、僕には「現状を維持」することで精いっぱい。
 このままでは…と思うが、これが「ピュアらしい」と思ったり。
 最近、思い巡らせていること。                                                                  

                             (大東要介)
                           2015年11月

 

思い巡らせていること

 12月もあと2週間となり、この1年を振り返る時期となった。
 2015年は、ピュアは特に大きな変化はなかったような気がする。仕事も順調よくいただいて、「メンバー工賃」も昨年よりは多く支払えるようになった。
 特にこれといった問題もなく、今年は意外にも順調に過ごせたと、僕は思う。
 ただ、今気がかりなことは、いつまで「ピュア」が維持できるのかな?と不安になる。
 来年の3月で、開所17年。とてつもない時間が過ぎた。20過ぎだった僕も、40手前になっていた。若いころは多少の無理が利いたが、今、毎日作業所に通うのもしんどいのが、本音。  甘えていると言われるけれど、ほんまにしんどい。
 「仕事辞めて、家でのんびり過ごしたい」、言ってはいけないけれど、僕の「心の本音」。 か といって、無責任に作業所を放り出すことなんて出来るわけないし。 今年の後半。ずっと悶々 と考えていた。
 これ以上ピュアを大きくすることも考えてないし、自分のことで精いっぱいなのにメンバーのこ とを考える余裕もなくなってきた。
 いつまで、この状態でやっていけるのかな?本当にメンバーのためかな?今「僕の心の本音」。 2016年は、みんなが一番幸せになれる方法を模索していかなくては。

                                 2015年 師走                                    (大東要介)

心の本音

 新年、明けまして おめでとう ございます

 今年もよろしくお願いいたします。

 毎年心が引き締まる「仕事始め」です。気持ち新たに頑張りたいと思います。
 今年は例年同様、内職作業を中心に頑張りたいと思います。少しでも効率よく作業を進める工夫、もっと多くの仕事ができるよう頑張りたいと思います。
 現在メンバー9名ですが、作業所の事をもっと知ってもらい、「ピュア作業所に来たい」と思ってもらえるような作業所にしていきたいです。
 まだ今年は始まったばかりなので具体的な計画はこれからですが、みんなが「笑顔」になれるよう、頑張ります。
 2016年もよろしくお願いいたします。

                             (大東要介)
                           2016年 1月

2016年 年頭にあたり

 今年も「3月1日」を迎える。ピュア作業所の開所記念日。
 1999年3月1日、ピュアが出来た。それから17年の月日が経ち、今に至る。
  現在9名のメンバーが作業所に通ってきてくれている。毎日同じ作業に取り組んでいる。たまには些細なトラブルが起こるが、その時々の円を描いて何とか過ごしている。
 他の事業所さんのように個々に合わせた「就労支援」とか「生活支援」は、ピュアでは出来ていないし、そんな知識も技術もなく。僕がもっとしっかりしていればと思うのだけど、この有り様。心身共に自信もなく、これ以上大きくするのは難しい。
 ひとり・ひとりのメンバーのことを思えば、もっとサービスの良い施設に行くほうが、みんなのためかな?とも思う。いろいろ問題あるけれど、今日もメンバーが作業所に通ってきてくれているから、やっぱり続けなきゃ。とも思う。
以前にも書いたが、僕は作業所を背負う「器」ではない。重々感じる。でもなぜか僕はピュア作業所をやっていかなければならぬ「宿命」があるのだ。
 ピュア作業所も続けなさい、という「宿命」があるんだなと思う。
  宿命を全うするまで、作業所は続けなきゃ。
 今まで作業所を支えてくれた多くの方々に、「感謝の気持ち」を忘れずに。

                          2016年3月

                            (大東要介)

17年目の記念日にあたり

 久しぶりに筆を走らせる。やっと「こころに余裕」が出来たようで・・
 この数カ月、しんどかった。毎年の年度替りの事務処理の上、体調が不安定の時と重なり、しんどい日々が続いた。 体調が悪いと、プラスなことは思い浮かばす、マイナスなことばかり考えてしまう。「本当にピュアはメンバーのために、なっているのか?」と…いろいろ考えているうちに、「ピュアの成り立ちについて」、改めて考えるようになった。
 今から17年前、学業も終わり就職先がなかった6名の身体に障がいのある者が出会い、就職先がなければ自分たちで作ろう、仕事がどうこうではなく「自分たちの能力を発揮できる場を作りたい。」これがピュアの始まりだった。
 その後、身体以外の障がいのある者もメンバーに加わるようになり、内職作業を取り入れ、現在のピュアの形につながっている。
 これらのことを振り返り、今思うのは…「僕たちは“福祉施設”を作りたくて、ピュアを作ったわけじゃない!」最近強く思う。初めは「自分たちの居場所」を作りたかっただけなのに、時代のながれ・法律の移り変わりのなかで、ピュアを存続されるには、現在の形(法定施設)しか選択肢がなかった。当時は「なにが何でもピュアを存続させたい」。気持ちが強かった。その後多くの方々のご支援のおかげで、現在の形につながったのだ。
 法定施設に移行して、早いもので7年。年月が過ぎると体調も変わってくる。責任を持って運営していく自信がなくなった。今までずっと思っていたけど、改まって言ったことがなかったが、今年の総会で話をさせてもらった。「代表を辞めたい。」と。そんなこと通じるわけではないけれど「3年後、代表を辞めたい」自分の意思を伝えた。その後不思議なことに、気持ちが楽になった。 あと3年で僕は現状から解放される。先のことはわからないけれど、そう思うと楽になれる。もう少し頑張ろう。
 なぜか、「こころに余裕」が出来た。
 2016年・初夏、思うこと。

                          2016年 7月
                             (大東要介)

こころの余裕

 今年の夏、神奈川県相模原市にある障害者施設で悲惨な事件が起こった。19名の尊い命を容疑者の身勝手すぎる思想により奪われてしまった。断じて許されるべきではない。 この事件以降全国各地で抗議行動が頻繁に起こっている。「障がいがあってもひとつの命だ」、「障がいがあるなしに関わらず命は同じ」。そのようなことが頻繁に叫ばれている。
 現代の医療技術の発展により、障がいを前もって予防・診断が出来る技術が出来ていている。その技術により「今後障がいのある者を減らそう」という話もある。僕個人的には賛成だ。でも中には「障がい者排除だ」と猛反対される方もいる。
 僕は、今いる障がい者を排除しようと言うんじゃない。これから生まれ来るであろう、「障がいのある者」を減らしたい。なぜなら悲しいけれど、やはり障がいがあると生きづらい世の中なんだと。

 「社会が悪い。社会を変えよう。障がいがあっても、当たり前に暮らしていける社会を作ろう。」

 そういう思いで、障害当事者は各々運動を展開してきた。僕も微力ながら「自分たちの居場所を作ろう」という思いで、作業所を続けてきた。
 作業所を開いて17年。若い頃と違い、身体の状況も変化してきている。正直、しんどい状況。もっと「障がい者が住みよい社会にしたい」と思っても、自身の身体にタイムリミットのある状況。気持ちがあってもどうしようもできなく、歯がゆい。
 障がいがあるが故にこんな思いをするのなら、「これから生まれてくる命にこんな思いはさせたくない」、と最近思うようになった。
 僕は単に「命の選別」を容認しているわけではない。仮に障がいが、予防・抑制が出来るのなら、そのほうが良いのでは。と、今回伝えたいのだ。
 若い頃は「障がいがあっても工夫すれば、なんでもできる」と思っていたけれど、この歳になって「障がいがあるが故に、出来ないこともある。障がいがあるが故にしんどいこともある」、今実感している。
 最近、思うこと。

                       2016年 10月
                          (大東要介)

 障がいがあるが故に

 2016年も残り少なくなってきた。ざっとこの1年を振り替えてみようと思う。
 この1年は、メンバー・職員が一致団結して作業に励めた1年だったと思う。作業も以前に比べ効率よく出来るようになり、メンバー工賃も以前より、気持ちばかり多く支払えるようになった。 作業所の環境も以前に比べればかなり改善されて、みんなが活動しやすい環境になってきた。 欲を言えば、あと1名メンバーが増えたら嬉しいのだが。それは今後じっくり取り組めたらなと、思う。
 さて、私事ではあるが、ピュアに関わって来年の3月で丸18年になる。若い頃と違い、体調面も今まで通りとはいかなくなってきた。自分の身体を維持するだけで精一杯な状況。これからのことを考えると、不安で押し潰されそうになる毎日。先のことなんてあれこれ考えることなど、出来ない。
 そろそろ本気で次の世代に「バトンをつなぐ」ことを、真剣に考えていかなきゃと思っている。これからもピュアが必要だとするならば、次の世代にうまくバトンをつなげるようにすることが、今僕の仕事かなぁ?と思ったり。
 まだまだ頑張りたい気持ちもあるが、そうもいかない状況。体調が良くなるまで、次の世代にピュアを守ってもらいたい。
 1年後、「2017年師走」も、こうして挨拶を出来たらいいな。


                    2016年 師走
                                             (大東要介)

バトンをつなぐ