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『空賊 short & short -ver.尚 〜お嬢さまの休日〜』

 
 爽やかな初夏の風が、市場の露天から空腹を刺激する匂いを運んでくる。焼き立てのパン、野菜のスープ、チキン、チーズにアップルパイ。そこかしこの露天で、実に様々なものが売られている。財布の中を確かめて、尚とタカはチキンとパイを買った。
「うわ、このチキン、まじ旨ぇ!」
「くーっすきっ腹にしみる……」
 市場から少し離れた公園で、二人はチキンに舌鼓を打っていた。
「食い終わったら璃審の店行こうぜ」
「その前に、飲み物が欲しい」
 そう言って、尚は硬貨をタカに突き出した。おい、とタカはその硬貨を睨み付ける。
「自分で行け」
「…………」
 翔やカルに「兎だよね。もしくは仔鹿!」と形容される尚の目が、じーっとタカを見上げている。目は口程にモノを言う、とはよく言ったものだ。尚の目は思いきり「買ってきて欲しいなー」と言外に語っている。暫くして、尚がふいっと視線を逸らした。
「買ってくる。林檎ソーダ美味しそうだったし」
「林檎ソーダ? んなのあったか?」
「あったよ、チキンの隣の店」
 俺も飲もうかな、とタカは財布の中を確認する。硬貨は足りそうだ。よしっと顔を上げたところで、尚がにやりと笑った。
「どうせ買いに行くなら一人で充分だと思うなぁ」
「おーし分かった。ここは公平にコインで決めようぜ」
 そう言うと、タカは硬貨を一枚指で弾いて、ポンッと手の甲に押さえ付けた。
「裏」
「んじゃ俺は表。……おっしゃ裏!」
「えぇー!」
 くぅっと小さく呻いて、尚はタカから硬貨を受け取った。詐欺だぁ、などとぶつくさ言いながらも、尚は肩を竦めて露天へと歩き出す。尚を手を振って送りだしたタカは、草原にごろりと寝転がって尚と林檎ソーダの帰りを待つことにした。
 初夏の風が頬を撫でて心地よい。あまりにぼうっと空を見上げていたせいで、タカは危うくこの騒動を見逃すところだった。末代まで語り継ぎたいような、この騒動を……。
 
「林檎ソーダを二つ」
 二枚の硬貨と引き換えに、尚は水色のボトルを二本受け取った。店番の老婆に礼を言って、くるりと踵を返したその瞬間、尚の目の前に陰が射した。
 どんっ がっしゃーん……
 気がついた時には、尚は陰と衝突し、挙句の果てに買ったばかりの林檎ソーダを地面に御馳走するはめに陥っていた。翔の見立てたグレーの麻のロングスカートには、林檎ソーダのかかったあとが点々とついている。一瞬尚は、林檎ソーダを割ってしまったショックに沈んでいた。その所為で、ぶつかった相手の次の行動にも、反応が一瞬遅れた。尚は、おもむろに襟首を掴まれたのだ。
「おい嬢ちゃん、何処見て歩いてんだ。あ?」
「服が汚れちまったじゃねーか。どうしてくれんだ!」
 明らかに言い掛かりだ。むしろ尚は、ほとんど歩いてさえいない。ぶつかってきたのは相手の男達の方だった。むっとした表情を反抗的とでも解釈したのか、男達は更に言いたい放題言いつのる。
「およしよ、いい年した大人が恥ずかしくないのかい!」
「うるせぇ! こちとら虫の居所が悪いんだよっ」
「おい、嬢さんよ。弁償してくれんだろうな、え?」
 いざこざはなるたけ避けたかった尚だが、こうまで喧嘩を売られては仕方ない。取り敢えず二人を伸すくらいなら、タカを呼ぶまでもないだろう。そう判断した尚が男に拳を突き出すのと、男が横に吹っ飛ぶの、果してどちらが早かっただろうか。
「大丈夫ですか、お嬢さん!」
 木の杖を剣のように構えた旅人風の男が、そう言って尚と絡んでいた二人の間に割って入った。構え方を見るに、喧嘩には全く素人な青年である事がわかる。多分きっと、喧嘩なら尚の方が強い。それでも、空賊としての尚を知らない青年としてみれば、彼女はか弱いお嬢さんにしか見えないのだ。助けなければと思う気持ちも、わからなくはない。しかし、如何せん彼は弱かった……。
 
「あの、大丈夫ですか?」
 警官が駆けつけ、騒ぎが一段落ついた頃。助けに入って惨じめにも負けてしまった青年は、露天の老婆の手当てを受けていた。そして、余計なお世話ではあったが一応恩人には礼を尽くそう、ということで、尚はその手当てを手伝っていた。
「みっともないところをお見せして、本当にすいません。実はこういうのは苦手なんです」
 こういうの、とファイティングポーズをして見せて、青年は微苦笑を浮かべた。
「でも、貴女が絡まれているのを見て、気がついたら体が動いてたんです。不思議な事があるもんですよね」
「はぁ」
 はぁ、ってお前、そのコメントどうよ? と内心突っ込みを入れていたのは、騒ぎの途中から物陰で様子を伺っていたタカである。微妙な展開になってきた事に当事者よりも先に気付いた彼女は、一人笑いを堪えつつ見守っていた。そんな事も知らずに、青年はなおも語り続ける。
「貴女のような可憐な人に喧嘩を吹っかけるなんて、全くあいつらはどういう神経をしているんでしょうね。こんな素敵な女性に向かって…………」
 うんぬんかんぬん、ひたすら青年の言葉は続く。言葉の端々で散々清楚だの可憐だの言われることに、尚は少し嫌気がさしてきたらしい。可哀想な事に、ろくに聞いていない。そして更に可哀想な事に、尚は青年が一世一代の覚悟で言った台詞さえ聞いていなかった……。
「……すいません、もう一回言ってもらえますか?」
「え、っと、あ、はい。あのですから僕と……結婚して下さいッ!」
「………………はぁ?」
 タカはこのやり取りを聞いて、ちょっと青年に同情した。
 流石に、二回も言わされた挙句「はぁ?」はきついだろうよ。
 案の定、青年は暫し固まって、そしてかっくりと肩を落とした。だが、それでも諦めないとばかりに青年は拳を握りしめ、市場中に聞こえそうな大声で宣言した。
「今まで色んなところを旅してきましたが、貴女のような素敵な女性に出会ったのは初めてだ! 私は絶対に諦めません!」
 おー、だの、頑張れよ兄ちゃん! だのと野次が飛ぶ。今度は尚の方が完全に固まっていた。何て言うか、世の中にこういう男っているんだなぁ……と、呆れているらしい。いまいち状況について行けていない尚にはお構い無しに、青年は新しい林檎ソーダを買い、尚を立たせ、市場の外に向かって歩き始めた。
「何処行くんだあいつら……」
 さり気なく、タカは尾行を開始する。市場を抜け、大通りを過ぎ…………向かう先は飛行船の隠してある海に面した崖だ。雨に晒された神殿の遺跡がある方角で、多分青年としてはデートでもするつもりでいるのだろう。だが、そこには今彼等の飛行船が停泊している。街の人間はほとんど来ないからと油断したのがまずかった。尚も何とか進路を変えようとしているようだが、口下手な彼女には、主導権を握るのは無理がありそうだった。
「ここの神殿は素晴しいんです。是非貴女にもあの感動を……」
 風に乗って、青年の台詞が流れてくる。どうにもこれ以上は駄目だと思った時、タカは最後の手段に訴えた。
「探したぞ尚。つーか、誰、その男」
 思いきり不機嫌そうな声で、おもむろに尚の後ろに立ってみる。幸い翔の魔の手を逃れた今日は、普段着を着ているタカだ。まぁ、言葉遣いと態度の悪さで、女よりは男に見える。当然のごとく、青年はタカの出現に困惑したようだった。
「な、何だ君は」
「そっちこそ、うちのお嬢さんに何してんだ。このお嬢さんはなぁ……!」
 お嬢さんは……どうしよう。
 基本的に、嘘をつくのがタカは苦手だ。こんな時咄嗟にすらすらすらすら嘘をつくのがカルと翔なのだが……。そう思った時、タカの目に遺跡の方からやってくるカルが映った。ナイスタイミング! とジェスチャーで訴えかける。カルは夕食の買い出しに行くらしく、買い物メモを片手に握ってやってきた。
「なにしてんの、二人と……」
「カル、丁度いいところに来た。この野郎がうちのお嬢さんにちょっかい出そうとしててな! で、」
 内緒話をするように、タカはカルにかいつまんで事情を耳打ちした。
「ほう。うちのお嬢さんにちょっかいをねぇ。この街にも世間知らずな人がいたもんだ。いや、お兄さんは旅の方かな? なら知らないのも無理はないが…その方はね、エークランド有数の財閥、カリオストロ家のお嬢様ですよ。先月お母上を無くされて遠縁にあたるこちらのお屋敷にいらしたばかりですが、当家の御主人様は亡くなられたソフィー様の面影を重ね、それはそれは丁重に蝶よ華よと……先日もかのストロス財閥から縁談が来たのですが……」
「カル……?」
「おっとこれは申し訳ない。要するに私は、当家のお嬢様にちょっかいを掛けようとするなんてもっての他という事をお伝えしたかったのです」
 マシンガントークとはまさにこういう事かも知れない。嘘をつく時のカルは、異様にいきいきして際限なく喋り続ける。そして、放っておくと何処までも壮大になっていく。しかし、きちんと説得のポイントを抑えているのがカルの凄いところだ。絶妙に芝居がかった声で、何かを主張しようと口を開いた青年の先手を打ってカルは一言付け加えた。
「これ以上外で問題を起こすと、お嬢様は外出の自由も失うかもしれません。今日もお忍びで街に出られたのです。どうか、ここは穏便に…。どうしてもと言われるのであれば、今晩十一時、カイズイ家の裏門にてお待ち申上げます。ですからどうか……」
 深々。丁重にお辞儀をされ、青年はぐっと言葉につまった。そしてカルは親切にも、ありもしない『カイズイ家』への道順を教えて丁重に青年を追い返した。所要時間、約十五分。その間口を開いていたのはカルだけだった。
 
「なんつーか…カルって凄ぇわ」
 青年の事があって滞在を一日繰り上げた彼等は、今はもう空上の人である。揺れる飛行船の食堂で、タカがぼうっと呟いた。何が? と、翔が首を傾げる。尚の手がタカの首を掴もうとして、逆にカルに押さえ込まれてしまった。じたばたと暴れている尚とカルを横目に、翔はタカに話しの先を促した。
 尚の抵抗虚しく。全てを聞いた翔が、大笑いした挙句弾む足取りで宮に話しに言った事は、言うまでもない。

 
 
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