+

 

+

 

 

「あの頃の翔は、怖かった」

 苦笑とともに、宮はそんなことを言う。
 初めてあった時、宮は翔を怖いと思ったのだ。たった六つか七つの少女は、神殿で見る闘神のような、揺らぎ立つ気迫を背負っていた。

「あの頃に比べれば、」

 口を開いた宮に、翔は少し伏せた顔を向ける。

「翔は随分怖く無くなった」

「……ちょっと、それ今でも少しは怖いってこと?」

「いや、かなり」

 咎めるように、強い翔の視線が宮を射る。対して宮は、飄々とした笑みを浮かべて翔を見ていた。

「特に、食費と蝋燭の無駄遣いに関しては」

 聞いて、翔は思わず噴き出す。

「だって大事じゃない。あたしが黙ってると、カルなんてすぐ蝋燭浪費するし、タカは買い出しに無駄が多いし、尚はしょっちゅうつまみ食いするし!」

「いやまったく、どーしよーもないやつらっしょ」

「まったくね」

 宮につられて、翔は笑う。その後に続いた宮の言葉は、思いがけなく翔の胸を突いた。

「翔は、今そんなに辛くないっしょ。あんなにキツいことがあった皇国でも、笑える。それが、逆に辛いんでないの」

「……それ、どういう?」

「あの時の強烈な想いを、今は持てない。そんな自分を、申し訳無いとか思ってるっしょ。翔、そういうの溜め込むからなぁ」

 その言葉は、不思議と翔の中に落ち着いて、もやもやと渦巻いていた霧をあっさりと吹き払った。
 そうなのだ。
 あの時、無闇に仇討ちに走らなかったことを、後悔はしていない。那夜に拾われたことは、とても感謝している。けれど同時に、あの時の無念が薄らぎ、楽しく充実した日々を送っていることに、罪悪を感じた。
 痛みを、時間が癒してくれるなどという、陳腐な言葉は好きではない。けれど確かに、癒されつつあることに気付かされる。でもそれでは、何事もなかったように咲く金鈴華を憎んだ自分に顔向けできないような気がした。
 昔の自分が、今の時分を赦せない。

「それね、翔の気にしすぎ」

 あっけらかんと、隣に座った友は言う。

「別に、生きてりゃいいことだけあるわけじゃなし。生きてるなりの苦労もあんだし。それでおあいこって奴」

 そんなものだろうか。宮の言葉は自然と気持ちに馴染んで、反論も何も思いつかない。

「さ。じゃー、気を取り直して。尚が見つけた旨い雉でも食いにいきますか」

 率先して立ち上がった宮に促され、翔ものろのろと腰をあげる。

「美味しいもの食べたら元気出るっしょ」

「そう、そうかもね」

 歩き出す宮に続いて一歩を踏み出す。散った薄橙の花弁の絨毯を踏みしめる。
 もうどこにも、あの焼き尽くすような怨嗟の気持ちは見つからない。それでいいと言ってくれる友の言葉を、翔はゆっくりと噛み締めた。

 

「カールー」

「いたっ、痛いってば! 尚〜」

 突然の背後からの襲撃に、カルは危うく抱えた果実を落としそうになった。こめかみをぐりぐりと締め付けていた尚の手は、気づけばカルの包みから炙った果実をつまみ上げている。

「あ、それデザート」

「お前はっ、いつまでもうじうじうだうだ、うざいんだよ!」

 ほいっとカルのデザートを口に放り込む尚は、暴君さながらだ。

「ひどいっ」

 最後の一個まで買い占めてきたのに。お気に入りなのに。などなど、カルは小さな声でぶつぶつと文句を言っている。そんな彼女に構わず、尚はもう一つ果実をつまみ上げた。
 上背が高くて腕が長い分、カルがいくら抱え込んでも無駄というものだ。

「で? なーに、うじうじ悩んでんだ。お姉さんに相談してみたまえ。ん?」

「……なんか、尚だけは厭だ」

「まてこら」

 襟首を掴まれて、カルはじたばたと暴れ回る。カルようやく観念したのは、三つ目の果実を尚がつまみ上げたときだった。

「言うからぁ。相談するから、それ返して」

「仕方ないなぁ」

 わざとらしく、尚は果実をゆっくり包みに返す。包みの口をしっかりと閉じて、カルはほっと息を吐いた。

「だってさ。今回の件で、みんなのこと、本当に何も知らないんだなと思ったんだよね」

「はぁ?」

「はぁ? て……だから尚に相談するの厭なんだよ」

 ひどい。と、今日何度目かの愚痴を呟いく。

「知らないと、なんかあんの? 例えば?」

「え、いや、うーん」

 具体的に例を挙げろ。とまで言われると、カルもすぐには思いつかない。あれこれ考えを巡らすカルを見ながら、尚は呆れた顔で腕を組んだ。

「別に知らなくていいじゃん」

 うん。と小さく頷いて、カルは先に続く言葉を探す。

「……尚は、好奇心旺盛で人のことには勝手に首突っ込んで、目を輝かせてうわさ話をする割に……」

「おいこら、」

「あんまり昔のことは聞かないよね。私がヒル・マイナで『グッドスピード』に入った経緯は知ってても、それまでどんな人生だったか、あんまり詮索されたことがない」

「物わかりいいからね。ほら、エライから」

 自分で言って胸を張る尚を、カルは苦笑して受け流す。

「他のみんなのことは、てっきり昔に聞いたことがあるんだと思ってたけど、もしかして、そんなことない?」

 ない、と、はっきり尚は頷いた。
 何も知らないのは自分だけではない。そう言われた気がして、カルは少しだけ肩の力を抜く。

「興味ないわけじゃないぞ。でもまぁ、別にいらん情報かな、とは思う」

「いらない情報?」

「なんというか……」

 考えるように少しだけ空を見上げて、尚は言葉を探す。

「ほら、過去は過去で、大事なのはこれから、なわけだろう? あ、今いいこと言った。うん、格好いい」

 独りで頷く尚に、カルはさらに問いを重ねる。

「知らないことで、相手の懐に土足で侵入するかもとか、考えたりしない?」

 この問いには、あっさりと答えを返された。

「そん時は、そん時だろう」

「それだけ?」

「喧嘩になったら、それはそれ。嫌なら嫌って言うし、それでいいじゃん。何、そんなことうじうじ考えてたわけ?」

 うっと詰まって、カルは視線をそらす。

「戦争ならね、無駄な衝突を避けるのに情報戦するわけよ。けど、人なんてその時々で変わるじゃん。蜜林檎のジャム付けたい時もあれば、ピーナツバターが食べたい時もある。そんなん、『蜜林檎が好き』て情報だけじゃ対処できんだろ」

「その例えは……ちょっと分かり辛いかも」

 不満の呟きには、鉄拳が返って来た。小突かれるのを危うく躱す。躱したところを、今度は頭をつかまれた。

「情報戦のプロが言うんだから、黙って聞け」

「わかったからー。はーなーしーてー」

 さして暴れるまでもなく、尚はあっさり手を離した。
 尚の言わんとしていることが、分からなかったわけではない。確かに、人の考えなど本人にもつかみきれないもので、それを全部把握しようなど無茶な話だ。その時がきたら対処しろ、というのももっともだと思う。でも、

「じゃーさ、今どうしたらいいのさー」

 頭の中がこんがらがって、よくわからない。そんなカルを、尚は冷めた目で見ている。顔にあるのは呆れた表情だ。

「あのさぁ。それを考えればいいんだろ。色々知らなくたって、今何ができるかは考えられるだろ?」

「……。あ、……そか」

 目から鱗とは、このことだ。全くもって、尚の言う通りだ。

 それまで、翔の気がかりは何なのか、昔皇国で何があったのか、そればかりが気になっていた。けれど、確かに考えるべきは自分に何ができるかだ。そのほうが、余程建設的だと気づかされる。

「尚って、時々すごいこと言うよね」

「ほぅ。時々か?」

「って、なんでー。なんで叩かれるのー」

 本当に時々じゃん。とは、口に出しては言わない。あとが恐い。
 じったんばったんとじゃれあっているところに、いつの間に来たのか、翔の声が止めに入った。

「……何やってんの? あんた達」

「翔〜たすけてー」

「はいはい。っとにもー。あ、尚、美味しい雉ソテー見付けたって本当?」

 尋ねる翔の顔は、ここ一月より格段に明るい。それを見て取って、カルと尚は顔を見合わせた。

「なんか、すっごい取り越し苦労した?」

「何が?」

「いや、いいのいいの。なんでもない」

 慌てて手を振るカルに、翔は気づかなかったふりをする。

「そ? それで尚、美味しい雉ソテーの店教えてよ」

「おー。じゃまぁ、こんくらいで」

 応えて、尚は右手の指を三本立てる。

「何、それ」

「30 リンギル。雉ソテー奢ってくれてもいいけど」

 翔のこめかみがひくりと波打った。

「なーおーっ」

「はっはっはー。雉ソテーが食べたくば、奢るのだー」

「待ちなさい! なんで逃げるのよ!」

「追いかけてくるからだ! 暴力反対ー」

 逃げる尚に、追いかける翔。周囲の人ごみが笑いながら振り返るのも構わず、二人は祭の喧噪に駆け込んでいく。

「うわ。尚が暴力反対とか言ってる」

「まったく、ガキだねぇ」

 蒼と緋の薄布を揺らしながら、人ごみの中で翔と尚はひらりひらりと身を翻す。

「おいあれ、なんかオレの居ない間に、翔元気になってねぇ?」

 大量の食料を抱えてやってきたタカを、カルと宮は笑って出迎えた。

「なんかねぇ、吹っ切れたみたい」

「吹っ切れたって、何が?」

「さぁ」

 怪訝そうに首を傾げて、それからタカは納得顔で一つ頷く。

「あぁ、それもあれか、宮が話すことじゃないのか」

 タカの言葉に、宮は笑って応えた。

「知りたければ聞けばいいんじゃん。言いたきゃ言うし、言いたくなきゃ言わないし。そういうとこで遠慮スンナ、そんなん、今更っしょ」

 言って宮は、タカとカルの腰を軽くどつく。

「あー……そうか、まぁ、そうだよな」

 もう、随分長く一緒にいるのだ。
 たった五人で生き始めてからさえ、まもなく二年が過ぎようとしている。

「そーだな、まぁ、気になったら聞くことにすっかな」

「今は良いんだ?」

「だって関係ねーじゃん。今は今、あとはこれから、だろ?」

 したり顔で言うタカに、カルは驚く。

「あーそれ、さっき尚も言ってた」

「げ。尚と同じかよ。せっかくいいこと言ったと思ったのにぃ」

「……さっき尚もそう言ってた」

 嫌そうな顔でカルを見るタカ。そのやり取りを聞いて、宮は腹を抱えて笑っている。

「タカ、いいもん持ってんじゃん。サンキュ」

 いつ戻ってきたのか、タカの肩に腕を回して、尚がタカの手元から林檎水を抜き取った。上がった息を落ち着けるために、一息でそれを飲み干す。

「あー。オレがせっかく買ってきた林檎水!」

「後で払う」

「嘘つけ、ぜってー踏み倒すくせに! 翔! 加勢するぜ」

「OK!」

 止める間もなく、三人が駆け出していく。伸ばしかけた手を宙で止め、カルと宮は小さく笑った。

「あーぁ。……いっちゃったよ」

「まったく、元気だねぇ」

 夜が更けて、それでもなお引かない人の波と、風に舞う薄橙の花が、三人の姿をあっという間にかき消してしまう。甘く香る花を見上げて、そっと宮は独りごちた。

「なんにせよ、来てよかった」

 隣のカルが駆け出していく。翻る橙に誘われるように、宮も後を追って駆け出した。

 

 

+

 

+

 

=BACK=

=MENU=

Copyright © 2007 Kaoru TATEWAKI. All rights reserved.