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『着陸完了。食堂集合』

 伝声管を宮の声が走る。その声を訊きながら外廊下に出ると、そこは一面に広がる薄橙の花。そのむせ返るような甘い匂いに、翔は思わず眉根を寄せた。

「金鈴華」

 声に出す。自分の声が思ったよりも落ち着いていて、翔は胸を撫で下ろす。
 どうにか、大丈夫そうだ。そう、自分で自分を確認する。
 人目を避けるために飛行船を停めた場所は、まさに金鈴華の群落に囲まれた場所。丘の麓からは花霞に埋もれて、飛行船を見ることはできないだろう。

「さすが宮。上手いところに付けるよな」

 背後からの声に、翔は驚いて振り返った。

「尚」

 いつからそこに居たんだろう。なんとなく、気まずい。

「さっさと食堂いきなさいよ」

「いくよ、もちろん」

 そう言って、尚は翔の横をすり抜ける。そのまま通り過ぎようとした彼女を、はっとして翔は呼び止めた。

「ちょっと。ついでだから手伝おうとか、そういう頭はないわけ?」

「50 リンギル」

 にっと笑って、尚は手のひらを差し出す。呆れ顔で、翔はその手に藤編みの籠を押し付けた。

「守銭奴。あんまり言ってると、食事抜くわよ」

「ひどい。機嫌悪いと思って心配してあげてるのに」

「ど、こ、がっ!」

 ──がすっ

 翔の蹴りが尚の背中を外れて欄干に当たった。体を捩って逃れた尚は、軽い足取りで歩き出している。

「はっはっは。捕まえてごらん」

「ふざけてると殺すわよ」

 翔の言葉からは、やや本気の気配が漂っていた。切れ長の黒い双眸がすっと細められる。

「あ、うそ、冗談。冗談だってば」

 尚の逃げ足の速さは定評があるが、戦闘要員として鍛え抜かれた翔のバネに勝てるとは思えない。
 最早逃げ道は、食堂にいち早く逃げ込むしかない。脱兎のごとく駆け出した尚を、翔が追う。その迫力たるや。
 食堂に繋がる扉を壊さんばかりの勢いで二人が転がり込んだとき、中にいた三人が驚きのあまり武器を構えたとしても、それは仕方のない話である。

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 金鈴華の花弁が風に舞う。花も祭も、今がもっとも賑わう時期だ。頭上に咲く華の甘い香りとともに、空腹を刺激してやまない食べ物の匂いが辺りに満ちている。

「さっきは死ぬかと思った」

 林檎水で喉を潤し、尚はほっと息を吐く。

「それはこっちの台詞だ、ボケ。襲撃だと思った、つーの」

 食堂に転がり込んだ後、急に馬鹿らしくなったのか、翔はぴたりと攻撃の手を止めた。おかげで今、尚は五体満足に祭を堪能している。

「ま、翔も元気そうで良かった良かった」

「元気……。まぁ、元気だわな」

 前を歩く翔は、皇国の下町娘風に着飾って、あちこち物珍し気にうろつくタカとカルの面倒を見ている。薄水色の薄布を幾重にも重ねたスカートは、無数の青い小石が縫い付けられ、歩く度にしゃらりと音を立てる。いつもは束ねている髪を解き、裾に細かな刺繍を施した上着を羽織ると、元々皇国的な顔立ちの翔はすっかり辺りに溶け込んでいた。
 皇国の女性にしてはかなりの上背だが、それすらも周りのタカやカルのおかげで気にならない。

「これで知り合いにでも会わなきゃいいけど」

「だいじょぶっしょ。うちも翔も、もう皇国に知り合いなんてたかが知れてるし。尚は?」

「こんなとこで、こんな格好してたらバレようがないだろうな」

 こんな格好、といって自分の姿を眺める尚の表情は、心なしか諦めに近い。あれほど念入りに下船前に服を選んでおいたというのに、結局は翔の選んだ服に着替えさせられたのだ。
 草色の少し細めのスカートに麻の上着を着、意気揚々と出掛けようとした尚は、満面の笑みを浮かべた翔に行く手を遮られた。差し出された服は、ささやかとは言いがたい、翔の意趣返しだ。
 真っ赤な薄布に錦糸の刺繍を施したスカートは、遠目に見ても随分目立つ。育ちの良さを伺わせる透き通るような白い肌に、好対照の黒い髪。黒髪の間から、耳に下げた赤い石がちらちら覗く。どう差し引いて見積もっても、悪目立ちしている自信があった。
 それでも、自分の趣味の正反対を行くだけに、知人に会っても気づかれないだろうとも思う。

「この格好じゃ、昔の知り合いだって気づかないだろう、ということにしておく」

「ま、そうだろな」

 似たり寄ったりの自分の服を見下ろし、宮も苦い笑いを浮かべる。色味が暗めで落ち着いているのが、救いと言えば救いだ。

「女の服てのは、どーしてこう、無駄に動き辛いんかね」

 自分が女であることは棚に上げて、宮は辟易したようにスカートの裾をつまんだ。

「まったく。ま、航路警備局の目を誤摩化すためには、我慢我慢と。お、あの雉ソテー旨そう」

 屋台に吊り下げられた肉のかたまりと、その下の鉄板から上がる芳ばしい蒸気。漂ってくる匂いにつられて、尚は思わず足を止めた。

「そう言えば、カルに奢らせるんだった」

 嬉々としてカルを追いかけていく尚の背を、宮は肩を竦めて見送る。視線をあげれば、陽が西に傾き始める頃。夕時になれば、薄橙の華はさらに色を濃くすることだろう。その鮮やかな色を思って、宮は目を閉じる。

 この色が、友の心に暗い影を落とすことがないように。声なき祈りは、風に乗って空へと運ばれる。

 

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