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青い空を、風が渡る。少し前まで肌に感じていた潮風は、この季節特有の甘さを含んだ風に変わった。
「春だねぇ〜」
欄干にもたれ、甘い風を胸一杯に吸い込んだカルは幸せそうな溜め息をついた。丸眼鏡の奥の緑の双眸を細め、陽だまりの猫よろしくほくほくしている。くるりと撥ねたくせ毛と、そのくせ毛を無理矢理押し込めるためのチューリップハットが、風に吹かれてはたはたと音をたてる。
「金鈴華てのは、こんな高さでも香るんだねぇ」
こんな高さ、とは、下界の像が蟻粒程に見える高さだ。
乗り出せば、一面に咲いた金鈴華の淡い橙色の上に、彼らの乗る飛行船の影が見える。遠く、小高い丘の麓まで、一面が薄橙色の絨毯に覆われていた。
「はー。話には聞いていたけど、ほんと、一面咲くんだね。香りも強いし、確かにトクベツな感じがするのもわかる気がする」
「まぁ、特別だわな。花が咲いただけでお祭りだし」
肩口で切りそろえられた黒髪を風に遊ばせながら、尚はカルの隣に並ぶ。
「そうそれ! それが不思議。花見祭りって、神殿行事と関係ないんでしょ? 皇国は取りたてて神殿への信仰心が強い国なのに、たかだか花が咲いただけでお祭りなんてねぇ。変わってるよねぇ」
「皇国は、あれでいて多民族国家だからな。土着信仰はことごとく潰してきた国だけど、まぁ、上手く生き残った祭もあった、てことだろう」
そんなものか、とカルは思う。
ヒル・マイナ・ヒル出身のカルにとって、皇国を訪れるのはこれが初めてだ。隣の黒髪の尚を筆頭に、この飛行船には三人の皇国出身者がいる。今まさに飛行船の操舵をしているはずの、宮。そして、皇国の少数民族である翔。
船を降りれば、他にも皇国出身の知り合いは多い。それでも、その国の文化や風習は、知識だけでは理解できないとカルは常々感じている。
「尚は、皇国にくるのはどのくらいぶり?」
「空賊稼業始めてからは、初めてだな。多分」
空賊稼業。
さらりと言われた物騒な言葉を、カルは気にせず受け流した。それは、彼女達の正式な肩書きだ。もっとも、裏稼業に両足を突っ込んだ職種を「正式」と呼んでよければの話だが。
「空賊になってからか。じゃあ、もう五年以上になるんだねぇ。……やっぱり懐かしいもの?」
「いやそれが、特に懐かしいとも思わないんだよなぁ」
少し困ったように片眉をひそめて、尚は遠く連なる山脈に視線を転じた。
「そういうもんかねぇ」
気のない風に、カルは相槌を返す。
「宮や……翔はどうなんだろ」
「さーね。他人のことは知らん」
突き放すわけでもなく、本当にどうでもいいことのように言う尚に、カルは複雑な表情を見せる。何を思ってか、尚はそんなカルの後頭部を思い切りはたいた。
「ったぁーぃ! 何すんのさぁ」
「暗い! 祭に行くんだから、もう少し楽しく!」
「そんなこと言われてもぉ」
カルには今、気がかりがあるのだ。それはきっと、尚だって気づいていることのはず。
「うじうじしてると、今日の飯奢らせるぞ」
「うっ。尚、奢りだと際限なく高いもの食べるじゃん……」
それは嫌だ、と呟いて、カルはじんわり痛む後頭部を撫でる。
「じき、着陸だな」
言われて気がつけば、甘い香りが、先程よりぐんと強くなっていた。
「宮の操縦は安定してるねぇ」
「それは嫌味か?」
にこりと笑んで、尚がカルの肩をつかんだ。そのまま黙っていれば、皇国の貴族のお嬢さんといった風情の、極上の笑み。その実、肩にかかる力は半端ではない。
「痛い、痛いってばぁ。嫌味じゃないです。全然。尚の操縦も上手いですー」
「わかればよろしい。さてと、下船する前に折衷案を練っとくかな」
「折衷案?」
意味が分からず聞き返すカルに、尚はにやりと含みのある笑いを返す。
「翔の選ぶ街歩き用の服に対してさ。皇国の服はすごいぞ、飾りがじゃらじゃら付いて動き辛いのなんのって。事前に情報収集をお勧めするね」
「はい! 情報提供願います!」
「ふっふっふ。屋台飯一つで手を打ってやろう」
応える尚に、カルは苦笑いをするしかない。
「100リンギル以内でお願いしたいな」
先を行く尚の背を追いかけながら、カルはふと、眼下に迫る薄橙の絨毯に目を向ける。
眼下の花の合間から、ちらりちらりと灯りが見えはじめた。風に乗って聞こえる喧噪は楽し気で、どことなく異国情緒が漂う。その浮き足立つような賑わいの中で、耳馴染みのない楽の音色だけが、なにか哀愁を感じさせる響きを奏でていた。
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