=第1章=
ヴェール・ロックの上空には明るい月が昇り、森は静けさに包まれている。
月明かりだけを頼りにタカが飛行船に戻ったのは、シュキナの訪問から三日後の夜だった。
小脇に紙の束を抱えたタカは、足早にヴェールの森を抜けると、今来た道を振り返る。誰かにつけられるはずもないのだが、長くお尋ね者をやっているとこういうことばかりが習慣になるのだ。
抜けてきた獣道にも、森の中にも、別段怪しい気配はない。それを確認し、タカは飛行船の縄梯子へと駆け寄った。ひらりと軽い身のこなしで、あっという間に欄干を乗り越える。もう一度だけ軽く背後を振り返り、彼女は目の前の食堂へと身体を滑り込ませた。
「お帰り」
「おぅ」
食堂では、宮と翔が難しい顔を付き合わせていた。テーブルの上には、幾枚かの紙片が並べられている。宮と翔の更に横に並ぶように腰を下ろし、タカはそれらの紙片の側に、小脇に抱えていた紙の束を広げた。
「図面、手に入った?」
「おう。ニキ親方んとこで写させてもらった」
タカの答えに、翔が満足そうな笑みを浮かべる。
「腕試しの場所がヴェール・ロックで助かった。図面にしても情報にしても、他所じゃそう楽に手にはいらないもんね」
翔のその言葉に、タカは図面を広げる手を止めた。翔とは対照的に、やや不満げの表情でタカは口を尖らせる。
「簡単じゃねーぞ。こっちはニキ親方んとこで丸二日雑用させられたんだって。あん人、マジ人使い荒れーんだよ。そーとーきつかったんだぞ」
その上徹夜で図面を書き写してきたのに、楽とはなんだ。と、タカは訴えようとした。けれど、その抗議はあっさり宮に切り捨てられる。
「ま、それにしたって楽な方っしょ。これが皇国とかじゃ、情報源ほぼゼロでお手上げやん。ヴェール・ロックだから雑用程度で済んだんだと思うけど」
「ま、取り敢えずタカ、お疲れさま」
取り敢えずかよ、というタカの呟きは軽く無視された。翔と宮はさっさと図面に目を通し始める。タカが広げた紙の上に亀の形のペーパーウェイトを載せ、彼らはそれを覗き込んだ。紙の上には、細い茶色の線で緻密な図形が描かれている。その更に中には、およそ繊細とは言いがたいタカの字で、細かな数字が無数に書込まれていた。
紙の右下には、『ヴェール海の女神号』の文字が踊る。
今回の彼女達の獲物であり、そうして……頭領・那夜に繋がる最初の手掛かり……。
自然と、翔も宮も身を乗り出す。
テーブルの上に広げてあった他の紙片をかき集め、翔はそれを綺麗に並べ直した。
「OK。あたしと宮の集めてきた用心棒に関するネタと、図面、カルの拾ってきた乗客名簿……いい感じね。あとは、ヴェールの港に『ヴェール海の女神号』が入港する日時さえわかれば、すぐなんだけどな」
気持ちばかりが逸るのをなんとか押さえながら、翔が呟く。それに対して、宮は苦笑混じりに応えた。
「そうでもないっしょ。今回は獲物が獲物だから、やり方少し変えてかないといかんし。人手が足りないことの方が結構問題やん」
「まぁ、そうなんだけどね……」
頭ではわかっているのだが、気持ちが逸るのばかりは止めようがなかった。大切なのは、まずこの仕事を成功させることだ。けれど、気持ちはどうしても「その先」へ、つまりは「那夜につながる手掛かり」へと先走ってしまう。
手掛かりがまるでなかった三年は、最初の数ヶ月こそ焦りがあったけれど、それ以降は徐々に徐々に、熱が冷めるように、焦る気持ちは落ち着いていったものだった。それが、手掛かりが手に入るかもしれない、とわかった途端に再び燃え上がったのだ。期待や希望といった光のもたらすエネルギーは、凄まじい力をもっている。翔は、まさにそれを実感していた。
そんな翔の気を知ってか知らずか、宮はあくまで現時点の獲物を見据えて考えを巡らせている。
「小型艇の定員は三人だし、それじゃ人手、足りんし……小型艇に五人詰め込むのも可能だけど、それだと船足が本船ととんとんだし」
「んじゃ、こいつ手直しするか」
あっさりと言われたタカの言葉に、翔と宮は怪訝そうに振り返った。タカの言う「こいつ」が、どうやら本船を指しているらしいと思いいたって、彼らは尚更眉をしかめる。
「本船を改修するってこと? 無茶言わないでよ。これはもともと戦闘用じゃないでしょ」
「だから戦闘用に外層厚くすんだって。丁度、ニキ親方んとこで色々新しい小技を教わってきたし。うし、そうと決まれば、色々手直ししたいとこあんだよな。ついでだし全部片付けちまおう」
もともと彼らの飛行船は、全てタカの設計によって造られている。船に関わることは全てタカの領分であり、こうなった彼女は最早誰にも止められない。船体の何処をどう改修するのか、ややマニアックな話を目をキラキラさせながら語るタカを尻目に、宮と翔は顔を見合わせて小さな溜息をついた。
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