=第5章=
遠くから鈴のような虫の音が響いてくる。陽が落ちた後のヴェールの森を渡る風は、少々肌寒かった。普通なら上に一枚羽織りたくなるような夜風の中、シャツの袖を肩までまくった姿の宮は涼しさを気にする様子もなく、欄干に凭れてぼうっと森を眺めていた。
夕飯に遅れないよう、オイル缶を二つも担いで急いで帰ってきたというのに、夕飯ができてもカルが帰ってこない。仕方なく、欄干からカルが帰ってくるだろう方向を睨んでいる宮である。その眼が、下草をかき分けてこちらに向かってくるカルを捉えた。
「遅いってーの」
呟いて欄干から勢いよく身体を離す。首から下げたゴーグルが揺れ、かちゃりと金属の触れ合う音がした。
「ん……?」
食堂にカルの帰宅を伝えようと踵を返したところで、宮はもう一つの影に気づいて振り返った。カルの後ろから、大柄な男が歩いてくる。それが敵なのかそうでないのか見極めようと、宮は眼を細めた。
「……シュキナ……?」
彼らが縄梯子のほぼ真下に着いたところで、彼女はその影の正体を知った。
「よぅ。久しいな」
カルに続いて縄梯子を昇ってきたシュキナは、そういって軽々と欄干を乗り越えた。
「いや、久しいけどさ。なんでシュキナが一緒なんよ」
宮は微かに警戒心を纏い、訝し気にシュキナを見る。他人が船に上がり込むというのは、余程の事態なのだ。ふらりと遊びにきた、などという筈がない。
理由を問おうと、宮の視線はカルに移った。宮に軽く睨まれて、カルの視線は宙を彷徨う。何から説明したものか、と考えて、結局彼女は説明を省くことにした。内容的にも、全員まとめて聞くべき話だと判断したからだ。
「あー、と。まぁ、色々あって。全員まとめて話すよ。皆は食堂?」
訊ねるカルに、宮はあぁ、と応じる。
「晩飯待ってるから機嫌悪いぞ」
「ぎゃぁー」
着替えないで行くしかないか。と、カルはそのままの格好で食堂に向かう。顎をしゃくってシュキナを行かせ、宮はその後ろから食堂へと向かった。
「お帰りカ……ル?」
入ってきたカルに気づいて顔を上げた翔は、その後ろに人影をみとめ、湯気のたつ鍋を抱えたまま小首を傾げる。待たされたことに文句をつけようと意気込んでいたであろう尚とタカも、カルの後ろの大男をみとめてひとまず押し黙った。
「シュキナじゃねーか。なんだよ、一体」
飛行船内に身内以外がいるという珍しい状況に、どことなく居心地の悪さを感じてタカは渋い顔をした。
「悪いな。ちょっとお前さん達に話があってよ。……だがまぁ、話は飯の後だ」
腹を空かせて幾分機嫌の悪そうな顔ぶれをぐるりと見回し、シュキナは言う。
「何それ、長くなるってこと? わざわざ来るからには、急ぎか重要かじゃないの」
翔の問いかけに、まぁな、とシュキナは短く応じた。
「重要だが、急ぎじゃねぇ。カル待ってて腹減ってんだろ。まずは腹が満たされねーと、満足に大事な話なんか聞けやしねぇ。先に飯食って、取り敢えず落ち着いてからだな」
俺の身の安全の為にも。とは口には出さない。
「ふーん……」
納得したのかしていないのか、一先ずそれ以上シュキナに何かを言うことはなく、五人は各々の席についた。隣の部屋から宮が椅子を持ってきたので、シュキナも食卓に着く。
「お。俺も食っていいのかぃ?」
自分の前に深皿が置かれるのを見て、シュキナは面白そうに口元を歪めた。
「だって、どうせ何も食べてきてないんでしょう。今日は買い出したばっかりだから色々あるし。遠慮しないでいいから」
そう言って翔が鍋のふたを開ける。美味しそうな匂いとともに、白い湯気が食堂の天井へと立ち上った。
白太刀魚のソテーに、シーフードたっぷりのトマトスープ。瑞々しい緑と赤のサラダに、胡桃の入ったずっしりと重いパン。どれもヴェール・ロックの採れたての材料を使っている。何日も空の上を移動する彼女達にとって、陸に下りた時の食事というのはとびきりのごちそうだった。
「それじゃ、いただきますっ」
言うが早いか、食卓は戦場と化す。ここでは、「音を立ててはいけない」「手を伸ばしてものを取ってはいけない」などというマナーは存在しない。あるのはただ一つ「早い者勝ち」のルールだけ。
「あ、てめ、それオレの!」
皿に残った白太刀魚が、タカの目の前で消える。当然、半分こなどと言う可愛らしいことはあり得ない。タカの恨みがましい視線を受けながら、尚は平然と白太刀魚を胃袋にしまい込んだ。
「タカはいいからサラダ食え」
「生野菜なんて食いもんじゃねーよ。シュキナ、サラダ食うか?」
自分の嫌いなものならば、何の躊躇いもなく人に譲れる。むしろ引き受けてくれた方が有り難い。その魂胆に苦笑しながら、シュキナはタカのサラダボウルを自分の方へ引き寄せた。
「赤海老ちょうだい、赤海老。水烏賊はいらない」
「カル、選るなよ」
嗜める宮の皿に真っ白な水烏賊をよそり、カルは自分の皿に大きな赤海老を乗せる。
「あ、尚。そのパンあたしの!」
「そうだっけ?」
白々しくいいながらも、尚はしっかりパンを口に運ぶ。この細身の何処にそんなに入るのか、シュキナは呆れてそれを見ていた。
「カル、海老とりすぎっ」
「翔、二匹もたべたじゃん」
やいのやいの。これだけ騒々しくても食べ物が減っていくのが不思議だった。喋るのか食べるのか、どちらかにすればいいものを、とシュキナは思う。
「……飯時ってのは何処も似たようなもんだろうがよ……こいつぁ、俺んとこより戦争だぜ」
「ん? なんか言った?」
いやいい、と呟いて、シュキナは手にしたフォークを置いた。遠慮しないでいいから、とは言われたものの、これに混ざって争奪戦を繰り広げるのがひどく大人気ないように思えたからだ。
荒くれ者の大の男が食事を奪い合うよりも、遥かに激しい争奪戦を見守ること、しばし。テーブルが落ち着く頃には、皿の上には食べ物の欠片一つ残っていなかった。
「あー。食ったー。もうはいらねー」
「だろうな」
満足顔で椅子に凭れるタカを見て、シュキナは低く呟く。
「お茶いれるからちょっと待ってね」
慌ただしく、翔がキッチンに消える。空っぽの皿を無造作に積み上げて、タカがその後ろに続いた。宮が台拭きを片手にテーブルを拭くのを見て、シュキナは感心して頷く。
「そういうとこはちゃんとしてんだなぁ。うちとは大違いだ」
「那夜の躾が厳しかったからね」
いいながら、翔がキッチンから戻ってくる。手には六つのカップとポットの乗った盆を持っていた。那夜の名が出たことでシュキナが僅かに眼を細めたのには、誰も気づかない。
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