=第3章=
デスクに置かれたランタンの灯りが揺らめく。広い部屋に他の灯りはなく、ランタンの灯りが及ばない辺りには、ただただ闇が淀んでいる。
そんな薄暗い部屋の中で、男はデスクに向かい、淡々と手だけを動かしていた。その手から打ち出されるのは、たった二種類の無機質な音。知らない者には何の意味ももたない、けれど、知る者にはどんな情報でも与えてくれる、ツーとトンの世界。
ランタンの頼りない灯りに照らし出される男の顔は、冷たささえ感じさせる無表情。髪は灯を反射して、淡い橙に輝いている。けれど、陽光の元で見れば、それは白に近い無彩色の灰色のはずだ。鋭く手元を見つめている双眸さえも、陽光の元では色を持たない雲の色。
一つに括った髪ははらはらとほつれ、やややつれた頬へと影を落とす。無線機のヘッドホンを持つ手は痩せて節ばり、およそ力仕事には向かない様に見える。
けれど……
「おい……お前、そいつぁやり過ぎなんじゃないか」
不意に淀んでいた闇が揺れ、一人の男がデスクへと歩み寄った。
灯りの輪の中に一歩足を踏み入れたのは、屈強な体躯の男。左の額から頬にかけて走る大きな傷が、男の素性を物語っている。
「このくらい、させてもらう。生半可な力量で追える獲物じゃないからな」
応える灰色の男の声は、表情に相応しくどこまでも冷たい。
「十七、八の娘にあれが見つけられるとは思えん。那夜が育てた娘達なら、無益なことをして人生を無駄にするより、もっと他にすることがあるだろう」
「育ての親を捜すのが無益か? お前が手掛かりを持っている以上、一概に無駄骨ばかりとも言えんだろうよ」
腕組みをして立つシュキナから、男は冷たい視線を外した。灰色の双眸が僅かに眇められ、それまで表情のなかった顔に不機嫌な色が浮かぶ。
「なまじ、手掛かりがあるからいかんのだ。『グッドスピード』の流れを汲んでいるのが十七、八の娘と聞いていたら、お前の口車には乗らなかった」
「はっ。お前だって那夜を捜したいんだろうが。どんなに可能性が低くてもな。だから俺の条件を飲んだんだろ?」
那夜の元部下達で、那夜に匹敵する腕前があれば、彼女を追うためのヒントを与える。それが、シュキナと男の交わした約束だった。男自身は、弱った身体を抱え、船もなく、部下もいない。彼が持つのは、ただ情報だけ。
「確かに、俺が捜してやれれば一番いいんだろうがな。俺もお前も、どうしたって自分と部下を食わせる方が優先する。盲目的に那夜の為に情報を集め、資金をつぎ込み、ひたすら各所に脚を運び……そんなエネルギーは……情けない話だが、今の俺たちにはない」
そうだな、と小さく頷き、シュキナは目を伏せた。
那夜の育てた彼女達は知らないだろうが、航路警備局設立以来、空賊も海賊もとかく稼ぎにくい世の中になった。全ての海、全ての空が、その領土に関わらず「航路警備局」の法の元に置かれるようになったのだ。治外法権的な場所がないわけではないが、あのラインを超えれば追跡から逃れられる、という領土の境目が失われたことは、賊達にとって大きな痛手であった。
また、第二次賊討伐作戦と、その後の空賊・海賊の発展。そして、それに伴う航路警備局『対空賊課・コンドル』の設立……
いたちごっことも言える、追う側と追われる側の攻防の中で、航路警備局の対・賊組織も着実に腕を上げている。
男の言う様に、那夜の為に時間と労力と資金を裂き、危ない橋を渡るだけの余力は、彼らにはなかった。
それができるとすればそれは、那夜に会いたい一心の、彼女の育てた娘達だけ……
「それにしては、随分酷いことするじゃねぇか。那夜は捜してやりたいが、お嬢達にゃ捜させたくない。そんな風に見えるぜ?」
「事実そうだ。何度も言わせるな、子供にやれる仕事じゃない。そいつらに限らず、あまり表に出して騒いでいいネタでもないんでな。……それでもまぁ、コンドル相手に『ヴェール海の女神号』から妥当な宝を得てきたら、約束通り教えられる限りのネタを教えるさ」
「なるほどね。コンドル相手に……か。相当な難易度になるな。まぁ、あいつらなら大丈夫だろうが」
シュキナの口元に笑みが浮かぶのを、男は怪訝そうに見遣る。
「随分信用があるんだな」
呟かれた言葉に、シュキナはいっそう笑みを深くした。
「なんせ“あの”那夜が育てた娘達だからな」
シュキナの言葉に、灰色の男は一瞬軽く目を見開く。そうして何かを考える様に宙を睨むと、彼はふと、小さく笑った。
「……なるほど。期待しておこう」
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