その日、カルはぐったりと疲れていた。理由は簡単。換金のために『戯宝館』に持ち込んだ宝の大半が、大した額にならなかったから。
「あー。なーぜー。あんなに色々計算したのに。これじゃ翔にあわせる顔がないよ。ていうか、皆に会わせる顔が……ない……よぅ……」
そのままずるずると、壁を伝って道路にへたり込みそうになる。うぐぁー、などと妙な声を上げながら裏路地を行く小娘の姿は、それはそれは奇怪だったに違いない。
麻の紺地のスカートに、仕立てのいい白いブラウス。黒い猫っ毛の上には、何故か黒いテンガロンハットが乗っている。挙動だけでなく、格好すらも奇怪だ。眼鏡の奥では、緑がかった黒い眸が、とろんと宙を睨んでいる。
裏町のごろつき達も、目を合わさないように彼女の様子を伺っていた。関わりたくないというのが、正直なところだろう。
「ぬーぁー」
ふらふらと、人ならざる声で唸りながら、少女は裏町を抜けていく。誰もが遠巻きにするその背中へ、声をかける者があった。
「もし、お嬢さん」
それは、魔女だと言われても信じてしまいそうな、小柄な老婆。
「貴女に幸多からんことを。どうぞこれを、貰ってやって下さいまし」
明らかに胡散臭い老婆が差し出したのは、細工の洒落た小さな小箱だった。金色に輝く小箱。カルには一目で、それが本物の金であることが知れた。先刻までの気の抜けた少女は何処へやら、瞬時に研ぎすまされた視線が、値踏みするように老婆に向けられる。
「えぇっと、こんなものを頂く理由がないんですけど、どちら様?」
すると老婆はにたりと笑い、おもむろにカルの腕を掴んだ。
「え、ちょ、まっ」
「幸多からんことを」
無理矢理握り込まされた小箱に、一瞬カルは気を取られる。次の瞬間、顔を上げたそこには、老婆の姿は跡形もなかった……。
「うわ、止めろよそういう話」
帰宅したカルから、真っ先にことの顛末を聞かされたのは、最初に顔を合わせたタカだった。食堂で何やら工具を研ぎながら、カルの話に顔をしかめる。
「オレ、そういう神懸かりとか気色悪いの嫌なんだよ」
「うん。知ってる。でもさー、これ、中身気にならない?」
「なんねー。んなもん、海に捨てちまえよ」
心底嫌そうに、タカはしっしっと手で払う真似をする。
「でもなぁ。小さいから、箱だけ売っても大した額にはならないからなー」
カルがうーんと唸っているところへ、宮が食材を抱えて帰ってきた。
一抱えもある大きな包みには、鮮魚に野菜、肉や果実酒、多様な食材が詰め込まれている。小柄な宮がもつと、まるで荷物が歩いているように見えた。
「おかえりー」
「おー。ただいま」
どさりと食材を降ろして一息つくと、宮はカルの向かいへ腰を下ろす。彼女の目は、目敏くカルの手元を捉えていた。
「カル、何それ?」
「目敏いねー。実はね」
かくかくしかじか。
カルが話す間中、タカはこちらに背を向けて自分の手元に集中する。その様子がおかしくて、カルはわざわざ大きな声で今日の出来事を語った。
「ふーん。そりゃ、中が気になるわな」
「なんねぇよ!」
「タカがなんなくても、うちらが気になんの。カル、貸してみ」
カタカタと、宮は金の箱を振ったり透かしたり、いじり回す。
「開きそう?」
「開ける」
答えるや否や、宮はタカの元へと歩み寄っていった。気づいたタカが抵抗するまもなく、その手元からペンチをつかみあげる。
「おいちょっと! んなことに使うなよ!」
タカの叫びも空しく、宮は軽々と金の箱を開けた。
中から現れたのは、白く輝く小さな粒。縦に長細いそれは、箱の中でさらさらと音を立て……
宮はぱたりと箱の蓋を閉じた。
心なしか、視線が遠くに泳いでいる。
「何? 何が入ってたの?」
恐る恐る横から覗き込むカルに、宮は遠くを見たまま答えた。
「米」
「あぁ、なるほ……て……米ぇ?!」
カルとタカの声がきれいに重なる。
そうそれは、綺麗に真っ白に精米された米粒だった。
一合にも満たない、真っ白な米。得体が知れない。知れなさすぎる。
一体、そんなものをどうしろというのか。
宮から受け取った箱を、カルはもう一度、入念に調べる。
米にじぃっと見入っていたカルが再び顔を上げたのは、随分経ってからのことだった。
「ちょっと、虫眼鏡とってくる」
言いおいて、カルはおもむろに席を立った。すたすたと「らしくない」歩き方で一目散に食堂を出て行く。その背中に声をかけそびれた宮とタカは、揃って顔を見合わせた。
「なんだ、あれ?」
「さぁ?」
首を傾げる二人を更に驚かせるように、カルはいつにない俊敏さで食堂へと舞い戻ってきた。
手には、筋肉が付きそうなくらい重く大きな、重厚な虫眼鏡を握っている。
「なんだよ、虫眼鏡って」
「ちょっと待って」
タカの声を遮り、熱心に虫眼鏡を覗くこと、しばし。
「むむー……やっぱり!」
いえぃ、とばかりに、突然カルがガッツポーズを決めた。その目は、きらきらと輝いていて、タカと宮は思わず興味引かれて覗き込む。
「見てみて、ほらここ!」
カルから手渡された虫眼鏡で、じっと米を見てみると……
「……これ、字が描いてあるぞ」
「字、ていうか、風の神への祈りの言葉やん」
「しかも金で彫ってある!」
おぉ、と三人の歓声が食堂に響き渡った。
金で文字を彫り込まれた米。その言葉は古の風の神への祈り。
とてつもなく細かな文字は、虫眼鏡で見てすら小さい程だ。
こんな技術は、余程の工芸力がなくては生み出せない。金本来の価値と、技術にかかる労力を考えれば、この米が相当の値になることは間違いなかった。
「いやったぁ! 早速、明日『戯宝館』に持ってこー。その前に、翔と尚にも見せたいから、取り敢えず食堂に置いとくよ」
「おぅ。いやぁ、いいもん入ってたな!」
海に捨ててしまえなどと言ったことは棚に上げて、タカも満面の笑みを浮かべている。
「じゃあ、夕飯の時にでも披露するか」
「うん」
「じゃ、また後で」
食堂の片隅のテーブルに箱を載せ、彼ら三人は各々の仕事へと戻っていった。
それが、どんな結果をもたらすかも知らずに……。
「米……だよなぁ」
三人が去っていった後、食堂に現れた尚は、床に落ちた一粒の米をつまみ上げて首を傾げた。
「なんで生米が食堂に落ちてるかな」
はて、と小首を傾げたまま視線を上げる。そこには、金色に輝く小箱。
金目の物と美味しい物には目がない尚である。ひゅぅ、と小さな口笛を吹くと、彼女は躊躇なく小箱を手に取った。その拍子に蓋がずれ、中の米がざぁっと床に散らばる。
「うわ、やば……」
ほぼ空になってしまった小箱をひとまず戻し、尚は慌てて床へと這いつくばった。誰が何のために入れていた米か分からないが、さすがにこのままにはして置けない。とはいえ、集めた米をどうやって拾い上げたものか……
尚が思案に暮れている丁度その時、タイミングよく通りかかった人影があった。
「何してるの?」
「翔! いや、いいところに。実は米をばらまいちゃって。どう拾ったもんかな、とね」
なんかアイディアない? と問われて、翔は辺りを見渡す。
「ちょっと待って」
食堂の壁にかけられた暦を一枚裂いて、その端を軽く折り曲げる。そうすれば、即席ちりとりの完成だ。
「はい、どいて」
さっさっと手製のちりとりに米を集める翔を、尚は感心したように眺める。そんな尚の視線は気にも止めずに、翔は米を全部集めきるとさくっと立ち上がった。
「なんで食堂で生米を撒くわけ? まったく。ただでさえ宮が買い忘れて、お米足りないのに。あ、今日魚介のリゾットだから、海老の殻剥き手伝ってね」
「えー」
言いたいことだけを言って、翔はてきぱきと厨房に入っていく。尚の抗議は受け付けない。もちろんそれが、抗議でなくても受付ない。
日頃、尚がどれだけ言い訳を弄しているかが知れようというもの。
尚の言葉一切に耳を傾けなかった翔は、なんの躊躇いもなく集めた米を米びつへと流し込んだ。
「あ……」
「何よ」
もうここまで来ると、尚の一から説明する気は完全に失せていた。
第一、今から全部説明したところで、覆水盆に返らず。それにそもそも面倒くさい。
大体、なんで米が金の箱に入っていたのか、その米がそもそもなんなのか、尚はまったく知らないのだ。説明しようにも「何か得体の知れない米」くらいのことしかいいようが無い。
この際、その米が食べても安全でさえあればそれでいい。それ以上のことは、尚は気にしないことにした。
「うん。いいや。気にしない」
「だから、何がよ」
「まぁ、いいってことよ」
はっはっは、と笑う不可解な尚を、翔は怪訝そうに眉をひそめて見遣る。けれどすぐに、彼女は夕飯の準備へと意識を移した。
五人の胃袋は、例えるなら宇宙空間だ。この空間を満たす食事を、今から急いで作らなくてはならない。尚が不可解なのはいつものこと。そう割り切って、翔は魚介の下処理へと取りかかった。
「あーっ」
夕食後、あらかたの鍋が片付き、空いた皿には貝殻や魚の骨がうずたかく積まれる頃。
カルの絶叫が食堂を満たした。
「ない。米がないー。消えちゃった……」
きょろきょろと辺りを探すカル。その背中から視線を外す、約一名。
「米って? ちょっとカル、そんなとこ這わないでよ、汚れるから」
食後のお茶を持ってやってきた翔は、危うく踏みかけたカルに驚いて声を上げた。けれど、カルに混ざってタカや宮までがきょろきょろし始めると、さすがの翔も何か大事が起きていることに気づく。手にしていた盆を食卓に降ろすと、彼女は目のあった宮に説明を求めた。
そして……
「……あーそう。金の文字が、ねぇ。ふーん」
聞き終えた翔は、そのまま視線を尚へと流す。尚はといえば、騒動の間中、誰とも目が合わないように素知らぬ顔をしていた。その目が、気まずそうに翔の視線とかち合う。
「尚は、知らなかった訳よね」
「もちろん。てか、翔もちゃんと聞かなかったじゃん」
……。
しばし無言で見つめあう、翔と尚。それを伺う、タカ、宮、カル。
業を煮やしたタカが口を挟んでようやく、全員が事の次第を知ることとなった。
そう、自分達が、金のなる木ならぬ金になる米を、美味しく頂いてしまったと言う事実を。
「うそーん」
「いーやー。なんでこうついてないのさー」
「……食ったわけ。なぁ、オレも食ったわけ?」
三者三様の驚愕と落胆。それは、翔と尚にも伝播する。
「そんな金になるもん置いとくなよ! せめて食う前に話せよ!」
「無茶言うな!」
「あー、ほんとごめん。あたしが迂闊だったかも。ほんとごめん」
五人揃って、うなだれることしばし。
「……まぁ、仕方ないね。食っちゃったんだし、旨かったし」
宮の一言で、ようやく四人は顔を上げた。まだ若干の負の気を漂わせながら、それでもなんとか、五人して力なく笑う。
「あれだ、風の神の加護があるって、きっと」
珍しい尚のフォローに、全員して頷く。
「じゃ、まぁ、片付けて、明日からまた頑張りましょー」
力ないカルの号令とともに、彼らは重い腰をあげた。各々が、割り当てられた片付けへと移っていく。いつもの半分の効率で進んだ片付けは、夜半すぎにようやく一区切りを見せた。
お休みの挨拶とともに、それぞれが各自の部屋へと下がる頃には、月は天頂にさしかかる程になっていた。
翌朝
「お早う。昨日さ、いい夢みたんだけど……」
「え、尚も? うちもうちも」
「それって、なんかだだっ広い草原に神殿があって、お宝がっぽりって夢?」
「そうそれ! 金銀財宝ていうか、あれエメラルドだろ、多分」
食堂は、異様な熱気に包まれていた。
全員が、揃って同じ夢を見たのだ。それも、とある風の神殿で、運びきれない程のエメラルドを見つける夢。
「これって、なんかのお告げかなぁ。漠然と財宝なら、なんか幸先がいいなーくらいだけど、結構具体的だったよねぇ」
「浪漫があっていいじゃん。丁度暇だし、追っかけてみようぜ!」
やいのやいの、空賊娘達は盛り上がる。
「まー、もとが得体が知れないからね。暇つぶしと思って、暫く追っかけてみるのもいいかもね」
「いーね! 久々にわくわくする!」
きらきらとその眸を輝かせ、地図やらコンパスやらを片手に、気づけば五人ともが食卓を囲んで宝の地図を描いていた。
久々に、賊の好奇心を刺激する獲物。
それが真実存在するものであっても、しないものであっても、今の彼らには関係ない。
何かを追い求める。それが、彼らをもっとも輝かせる瞬間。
今はただ、名も知れぬエメラルドを追い求めて、空へと羽ばたくだけ。
風の神の、御加護とともに……