『年の瀬迫る十二月』

 

 ──カランカラン……

 扉の開く音とともに、冷たい風が僕の足下を駆け抜けていく。ひやっと撫でる風に足をすくませて、僕は覗き込んでいたメニュから顔を上げた。
 こんな閉店間際に来る客は、常連客と相場が決まっている。ゆっくりと首を巡らせた僕の予想通り、入ってきた客は当然のように、僕の隣に腰掛けた。

「寒いっ」

 コートも脱がずに席に着いた彼は、そうぼやいて盛大に鼻を啜った。げほげほと咳き込む彼の声は、聞き慣れたよく通る声よりも少しばかり擦れている。

「一樹、風邪?」

 訊ねる僕に、一樹は無言で頷いた。なかなか体調が悪そうで、僕とマスターは困って顔を見合わせる。

「そういう日くらい、うちで寝てろよ」

「食うもんなくって」

 ぶっきらぼうに答える様子が一樹らしくなくて、マスターは心配そうに眉をしかめた。

「野菜スープくらいならすぐに作れますが、食べますか?」

 さすが、親切なマスター。一樹が頷くのをみると、さくさくと作業に取りかかる。見ていて惚れ惚れするくらい、スマートな手際の良さだった。まぁ、プロだから当たり前なのかもしれないけど……。このくらい簡単に美味しいものが作れたら、一人暮らしも随分楽なんだけどなぁ。
 マスターはサラダ用のトマトとタマネギを小さく刻むと、コンソメと一緒に小さな鍋に入れて火にかけた。油を使って炒めたりしない方が、あっさりしていて風邪の時はいいんですよ、なんて話しながら、パセリを刻んで、ほんの少しだけハムも入れる。ポテトサラダ用のマカロニまで引っ張りだしてきたものだから、もう即席スープという雰囲気ではなかった。
 本当にあっという間に、メニュに無い野菜スープの完成だ。今度僕も作ってみようかな、ていう気分になるくらい、あっという間。

「おー。すごい」

 透き通るコンソメスープに目を輝かせて、一樹はようやくマフラーを外した。一口掬って口に運ぶ。美味しさに目を細めて、彼はほうっと溜め息をついた。

「あー。まともなもの食べたって感じ。生き返るー」

 うまいうまいとぱくつく一樹を、マスターは微笑ましそうに目を細めて眺めてる。そのマスターの視線が、ふと、僕の方へ向けられた。

「秀一君は、どうしますか?」

「あ」

 僕は慌てて、すっかり忘れていたメニュを覗き込む。横の一樹は、呆れたように何か言っているけれど、ここは敢えて聞こえないふり。
 メニュに挟まれた深緑色の季節限定メニュを引っ張りだして、僕はざっと目を通した。クリスマスらしい金と銀のささやかな飾りがついた紙には、いつもよりちょっぴりお高めなメニュが並んでいる。クリスマスケーキの一種、シュトーレンに、洋酒を使ったロイヤルカフェ。
 両方頼むと財布は随分軽くなる。ロイヤルカフェだけでも、貧乏学生には結構なお値段だ。けれど、帰省前にもう一度来られるとも限らないし……。
 散々悩んで、結局僕はロイヤルカフェを注文した。

「景気いいじゃないか」

 横で笑う一樹に、僕は肩を竦めてみせる。

「今年の飲み納めかもしれないからね」

「あぁ、もうそんな時期か」

 ふぅん、と唸って、一樹はスープを飲み干した。なんだか、温かいものを飲んだらすっかり元気になったみたいだ。身体が温まりさえすれば、適度な暖房のかかった店内でコートを着ている必要もない。一樹はいそいそとかさ張るコートを脱いで、横のスツールに丁寧にそれを被せた。

「マスター、こっちもロイヤルカフェ」

「はい」

 マスターが二人分の珈琲豆をミルにいれ、いつものようにスマートな手つきでがりがりと豆を挽いていく。豆を挽く音の背景には、随分と大人しくアレンジされたクリスマスソングが、ゆったりと流れていた。
 いくつになっても、クリスマスは賑やかで楽しいけれど、何となくしんみりした気持ちになるのはなんでだろう。ふとそんなことを考えるくらい、緩やかなクリスマスソングが妙に切ない気持ちにさせる。
 沈黙が余計に切なさを煽る気がして、僕はぽつりと心のうちを語ってみた。

「この時期ってさ、街のイルミネーションとか綺麗なんだけど、なんだか切ない気持ちになるんだよね」

「独り身だから?」

「……違くて」

 一樹に揶揄するように切り返されて、僕は思わず溜め息をつく。僕は至極真面目に考えてるのに、あんまりだ。
 僕はクリスマスの飾り付けを施された店内に、ぐるりと視線を巡らせた。
 テーブル席にはキャンドルが置かれ、その周りには金色のリボンと柊の飾り。壁際には主張しすぎない金一色の電飾が、明滅するでもなく灯り、カウンター後ろの棚にも所々リボンと柊が飾られている。レジスターの横には、小さく可愛らしいクリスマスツリーが置かれ、白と透明の飾りで綺麗にまとめられていた。
 相変わらず、マスターはこういう飾り付けが好きなんだな、と思う。多分これ、いくつかはマスターの手作りだ。
 壁の電飾からキャンドルの灯りに目を移して、僕はほうっと息を吐いた。なんでかな、電飾の灯りを見ていると、時々無性に空しくなる。でも逆に、キャンドルの火を見ていると、すごく落ち着く気がするんだよね。
 思った通りのことを一樹にいったら、いたって簡単な応えが返ってきた。

「火の方が、暖かみがあるからじゃないの」

 あっさりと言われた言葉に、妙に納得してしまう。

「なるほど……」

 そっかぁ、と頬杖をついた僕の前に、ほっとする香りの珈琲が差し出された。
 かたりと音を立てて出されたそれは、ここ、[quatre saisons]では珍しい紺色のカップ・アンド・ソーサーに入っていた。カップの上に渡された小さな金のスプーンには、真っ白で大きな角砂糖。角砂糖は何かに濡れて、今にも崩れ落ちそうに透明な光を発している。

「これがロイヤルカフェ?」

 訊ねた一樹に、マスターは小さく頷いた。いつもはレジスター横に置かれている店のロゴ入りマッチを片手に、マスターはちょっと悪戯っぽく笑う。

「ロイヤルカフェ、おまたせ致しました」

 その言葉とともに、マスターの摩ったマッチに火が灯り、つんと独特の匂いが鼻を突いた。角砂糖に移された赤い火は、ゆらりと揺らめいて真っ青な火へと変化する。

「おぉ」

 揺らめく青白い小さな炎は、その色味のもつ冷たさよりも、ちょっとした感動と温かさを伝えてくれる。まさにクリスマスの時期にぴったりな、サプライズ珈琲だ。
 ほのかに香るブランデーの香りも相まって、リッチでお洒落な雰囲気を醸し出す。さすが、ロイヤル。
 僕と一樹が凝視する中、さらりと角砂糖が溶けて砕けて、青い炎は静かに消えた。後にはブランデーと珈琲の、大人な香りだけが残る。

「……すごーい」

 大人びた香りを前に、僕らは子供じみた歓声を上げた。

「火が消えたら、どうぞ珈琲の中に砂糖を落として飲んでみて下さい」

 マスターに言われるままに、僕らは溶けた砂糖を珈琲に落とす。温かい珈琲に飲み込まれる瞬間、ふわりとブランデーが香る。余韻を残すように消えていく香りを、僕は思い切り吸い込んだ。

「なんか、いいよなぁ」

 ぽつりと一樹が呟いて、僕とマスターは揃って一樹に視線を向けた。視線を受けて少し恥ずかしそうな顔をしながら、一樹は口の端を持ち上げて小さく笑う。

「この店ってさ、クリスマスの飾り付けとかほとんどマスターの手作りだろ。こういうハンドメイドな感じのクリスマスって、暖かくていいなぁと思ってさ」

「そうだね。なんか、子供の頃とか思い出すよね」

 たかだか二十年と少ししか生きていない僕らだけれど、ちょっと感慨深くそんなことを思ってみる。街に溢れてるイルミネーションよりも、親しい人と囲む小さなキャンドルの方が、ずっとずっとほっとするんだよね。
 少なくとも、僕らはさ。

「賑やかなクリスマスムードて、クリスマス過ぎると途端になくなってさ、凄い寂しいんだよ。なんか、今年も終わっちゃうなぁ、ていう焦りとか感じてさ」

「はは。確かに」

 しんみりと話す僕らのそんな話しを、マスターは苦笑を浮かべて聞いている。まぁ、僕らより倍は生きているマスターにしたら、子供が何言ってるんだか、て感じかもしれないけれど。
 でもさ、クリスマスってその年最後の一大イベントで、街を上げて飾り付けなんてして、わいわい騒いだあとはもう、あっという間に年の瀬なんだよね。年の瀬の慌ただしさとか、クリスマスの飾り付けが外された暗くて冷たい街なんかを知っていると、素直に楽しいとは思えないんだよなぁ。
 これが終わったら、あの暗くて空虚な時間が待っていると思うと、切ない気持ちになると言うか……
 あれ? これってただ、クリスマスが終わっちゃうのが嫌な子供みたいな考えかな? 
 まぁ、僕にしてみれば、[quatre saisons]があって、マスターが珈琲を入れてくれて、一樹といくらか話しでもすればそれで充分ほっとするんだけどね。

「今年ももうすぐ終わりかぁ」

 いきなり呟いた一樹に、僕は口に運びかけたカップを止めて振り返る。

「気が早いよ」

「バカ、あっという間だぞ」

 一樹はくるりとスツールを回すと、カウンターに背を預けて見えないはずの空を見上げた。彼の目に映っているのは、ゆっくりと回転するファンと木目の天井だけのはず。けれど、一樹は多分、もっと遠くに思いを馳せている。

「雪降らないかなぁ」

「寒がりなのに?」

「雪はいいんだよ、雪は」

 白くて綺麗だから。なんてロマンティックなことを言う一樹に、僕とマスターは思わず顔を見合わせて笑った。野菜スープのおかげか、店に入ってきた時よりもよっぽど、『一樹らしい』発言だ。

「なんだよ」

「いや、一樹らしくてほっとするなーと思って」

 わざとらしく言った僕の口調に、一樹は思い切り顔をしかめた。

「どういう意味だよ」

「別に。元気になってよかったな、てだけだよ」

 納得いかない様子の一樹は、再びスツールを回してカウンターに向かう。
 僕は小さく笑って珈琲カップを口に運ぶと、香り強い珈琲を口に含んで、ゆっくりと目を閉じた。
 ブランデーと、挽きたての珈琲の香りが緩やかに広がる。ブランデーが懐かしいはずも無いのに、どこまでも広がる余韻に、不思議と気持ちが落ち着く。
 思いを馳せるのは、イメージでしか知らないヨーロッパのクリスマスの風景。それも、とびきり寒い雪の降る北欧の、暖炉のある暖かな家。そこはきっと、この店に似ている。暖かな橙色と木の温もりに囲まれた、穏やかな空間。
 この穏やかな時間が来年も続きますように。
 小さく願って、僕はそっと息を吐いた。

 僕の周りの全ての人に 『良いお年を』

 ─了─

= BACK =

Copyright © 2007 Kaoru TATEWAKI. All rights reserved.