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『黒猫 2』 男は、追われていた。 「なんだってんだ、畜生」 心当たりが多過ぎて、追われる理由がわからない。追っ手が何者かもわからない。それでも、背後から聞こえる足音と銃声が、己の危機を物語っている。
「くそっ」 分が悪いとみて、男はすぐさま踵を返した。
「しつこい男は嫌われる、ぜ」 路地に積まれたゴミ箱を、背後に向かって思い切り蹴散らす。ガラガラと音を立てて崩れたゴミ箱は、生ゴミの悪臭をまき散らしながら転がった。
見慣れた路地を曲がる。ひとつ、ふたつ。尾行は、ない。 「撒いたか」 全力で走って乱れたシャツを、軽く手で整える。験担ぎの黒いネクタイを締め直し、男はポケットからひしゃげた煙草の箱を引っ張りだした。 「何処かのチンピラか。賞金稼ぎにしちゃ、腕が悪過ぎたが……」 ひしゃげた箱から煙草を取り出し、火をつける。紫煙はゆらりと揺らめいて、暗い空に吸い込まれていった。
──にゃぁ 山と積まれたダンボールの裏から、躍り出た陰。それは、見知った黒猫の姿だった。 「よぅ」 朝飯の分け前をやるようになってからすっかり懐いた黒猫は、すりすりと身体を寄せてくる。すらりとしたなかなかの美人で、賢い猫だった。
「おいおい、踏んじまうぞ。いい子だから、少し離れな、ベイビー」 ひょいと避けた足下に身体を滑り込ませて、猫は一声にゃぁと鳴いた。どうあっても、簡単に前に行かせてはくれないらしい。 「参った……な」 呟きながら、男はそっと、腰のホルスターに手をかけた。首筋にぞわりと寒気が走る。気配を殺した何者かが近づいてくる。もう少しで、後ろの角を曲がってくるに違いない。あと、三歩、二歩、一歩……
「……お前か」 緊張の糸が緩む。見慣れた相棒の姿がそこにあった。 「気配を殺して近づくな。また危うく撃ちかけたぞ」 眉間に皺を寄せて文句を言う。相棒はこめかみ辺りを掻きながら、ふっと息を吐き出した。 「勘弁してくれ。さっきまで、変な奴らに付け回されててな。用心しただけさ」 ひょいと肩を竦めて、相棒は手にしたコルトGMをホルスターにしまった。 「付け回された……か。腕の悪そうなチンピラか?」 「いや? かなり手練のように感じたが」 「別口、か」 殺し屋という稼業である以上、二人ともに命を狙われる理由など掃いて捨てるほどある。命を狙われたからと言って、別段思い悩むこともない。
「冷えて来たな」 「帰るか」 二人は肩を並べ、アパートに向かう細い路地を入った。二人の間を歩く黒猫は、忙しなく二人の足に絡み付いては、軽くあしらわれている。 「今日は随分甘えるじゃないか、ん?」 「今夜は帰らせないわ、てか?」 笑みを含んで言葉に出した途端、二人は何かに気づいたように顔を見合わせた。お互いに思いついたことは、恐らく同じ。目だけで意志を交わして、二人はゆったりと、アパートへと歩を進める。
「あぁ、くそ。俺のとっておきのバーボンが」 「あれは俺のだろう」 赤い炎が、不機嫌な二人の顔を照らし出す。暫くの沈黙の後、二人はスーツにかかった煤を払った。 「派手にやってくれるぜ」 ど派手な爆発音に、周囲が騒がしくなり始めていた。誰が呼んだか、遠くから近づいてくるサイレンが聞こえる。これ以上の厄介ごとは、避けるが吉だ。恐る恐る集まってくる野次馬を避けて、彼らはアパートに背を向けた。 「心当たりが多過ぎて、礼をする相手もわからねぇ」 「俺たちゃ、モテるからなぁ」 大きく吐いた息は、微かに白んで空に消えた。 「ほとぼりが冷めるまで、南にでも行くかねぇ」 新しい煙草に火をつけて、ぽつりと呟く。
──にゃぁ 歩き出した二人の間に、黒猫が駆け寄ってくる。 「なんだお前、無事だったか」 なかなかやるじゃないか、と男は口の端を軽く持ち上げて笑った。 「このまま一緒に来るか?」 ──にゃぁ 黒猫は応えるように一声鳴いた。 「一緒に来る気だぞ」 笑みを浮かべて、相棒が言う。 「それも、悪くない」 応えて紫煙をゆるりと吐き出す。熱気にあてられた頬に、夜の風が随分と心地よかった。
赤々とした火が空を焦がす。かつての住処を燃やす炎。その炎を振り返ることもなく、二人と一匹はそっとその場を後にした。 |
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