『雨男/晴れ女』

 

 うとうと、うとうと……
 暖かな陽射しと適度な振動が心地いい。心地よくて、私の意識は浮かんだり沈んだりを繰り返す。
 うとうと、うとうと……ぐっ……
 不意に右からかかった重力が、私を眠りから引きはがした。

「ん……」

 軽く身じろぎをして目を開けば、そこは見慣れたRV車の助手席。
 私、なんでこんなところにいるんだっけ?

「おはよ」

 外の陽射しと同じ穏やかな声につられて、私は隣を振り返る。そこには、柔らかな笑みを口元に浮かべてハンドルを握る貴之くんがいた。これまた見慣れた光景。
 ああ、そうだ。久々のお休みだからドライブに行こうって、私が誘ったんだっけ。
 溜め込んでいた疲れと、気持ちいい陽射しのおかげですっかり眠ってしまったみたい。私はぐんと伸びをして、ずり落ちかけた身体をシートに戻す。

「おはよう。貴之くん、ここどこら辺?」

 ダッシュボードに置かれた地図に手を伸ばす。隣から返ってきたのは、のんびりとした貴之くんの声。

「ん、わかんない」

 あっけらかんと言われた言葉に、私は手を止めて小さく苦笑した。
 予想通りで、もう驚きもしない。

「あぁ、やっぱり?」

 私の慣れた反応に、貴之くんは少し口元を歪めただけで、何事もないように言葉を繋いぐ。

「んー。国道がどこだかわかんないんだよねぇ。実はここ通るの3回目。葵が寝てる間に2回通った」

 まるで気にする様子もなく、貴之くんは応える。とても余裕にみえるけど、違うの。本当は、ただ迷子に慣れてるだけ。
 そう、私の彼は、迷子の天才なのだ。

 

 車好きでドライブ好きの迷子の天才。標識を見落とすなんて、基本中の基本。すれ違う格好いい車に目を奪われて、曲がり損ねるなんてざら。
 貴之くんの眼鏡には、標識は見えないけど車は見える、特殊なフィルターでもついているみたい。

「あ、フェアレディー。やっぱり昔のも格好いいよなぁ」

 思うそばから、貴之くんは対向車に熱い視線を投げている。つられて私までオレンジの対向車を目で追って……あぁ、きっとこうやって道をまた一つ間違えるんだろうな、と気づく。
 ここ、本当にどの辺なんだろう。

「そうやってZなんか見てるから、迷子になるんだよ」

 言いながら、私は通り過ぎていく道ばたの標識を目で追った。

「ごめんね。昼過ぎに海、つかないかも」

 困ったような、申し訳ないような顔をして、貴之くんは謝る。
 でも私は知ってるんだ。その口元が笑ってること。
 許してもらえるってわかってて謝るんだから、ずるいよね。

「いいよ、もう慣れたもん。貴之くんの迷子はデフォルト設定だもんね」

「ごめんよー」

 全然ごめんと思ってなさそうな笑顔。まったく、仕方ないんだから。

「国道何号にはいるの? 今、県道だよね。18号?」

 地図を開いてぱらりとめくる。目的のページはすぐに見つかった。貴之くんの助手席にいると、地図を見るのが上手くなる。だってすぐ迷子になるんだもん。
 けれど、

「地図はいいよ。大体見当ついてるし」

 やんわりと、貴之くんはそんなことを言った。その「見当」ていうのが、一番信用ならないんですけど。

「でも……」

 不満気に見上げると、貴之くんはちらりとこちらを振り返る。
 脇見運転注意。

「のんびり行こうよ。お休みなんだし。それに葵、寝不足で地図見ると酔うでしょ」

「む……」

 それは、確かに。
 連日の寝不足で、私の脳みそは今とろとろなんだった。原稿を上げたのが昨日の夜なのか今朝なのかすら覚えてない。今地図なんて見たら、再起不能なくらい酔うこと間違いなし。

「うむむぅ」

 唸る私を、貴之くんは目を細めて笑った。

「それじゃ、せっかく海についても車の中でぐろっきーになっちゃうよ。ゆっくり行くから、葵は外でも眺めてなさい」

「……はーい」

 貴之くんの言うことはもっともで、私は大人しく地図を閉じる。海に行くなんて口実で、ただドライブがしたかっただけなんだもの。ゆっくり行くのも悪くない。
 私は微かに聞こえるBGMを聞きながら、フロントガラスを透かした遠くに視線を飛ばした。

 

 車窓を流れる長閑な町並み。前の車は型遅れのセダン。時々行き交う人を観察。青い空にはふわり雲。
 特になにを話すでもない、のんびりとしたドライブ。暖かくなってきたばかりの陽射しに、隣でハンドルを握る貴之くん。
 気持ちはもう、それだけでほくほくしてくる。

「んー。お天気よくてよかったね。ほかほかする」

 日光で暖められたダッシュボードに両手を乗せて、私はぐーっと伸びをした。つられて一つ、生あくび。車の振動って眠くなるんだよね。

「葵と出かけると、ほんとよく晴れるよなぁ」

 貴之くんはそう言って、眩しそうにフロントガラス越しの太陽を見上げる。

「なんせ晴れ女だからね。台風だって目じゃないからね」

 自慢げに言う私に、貴之くんは「ははは」と乾いた笑いを返した。

「僕は雨男だからなぁ」

「そうだねー」

 即答を返されて、少ししょげた顔をする貴之くん。うん、可愛い可愛い。

「うーん、なんだかんぁ……」

 自分で言っておいて、雨男ていうのが気になるみたい。貴之くんはぶつくさと、言い訳じみた言葉を呟いている。
 そんな貴之くんの横顔を眺めていたら、突然その表情が険しくなった。眉根を寄せる貴之くん。不穏な空気を感じて、私はその視線の先を追う。
 信号待ちの列に止まったRV車の前には、大きな青い看板が下がっていた。白い太線で、いくつかの道が書かれた看板。

「……逆走してる……」

「……えぇっ?」

 おもむろに貴之くんが呟いて、私は思わず素っ頓狂な声を上げた。

「逆走?」

「いや、北上するつもりが南下してる……どうりで、国道との交差が見つからないはずだ」

 納得納得、て、納得してるのは貴之くんだけなんですけど。
 久々の盛大な迷子っぷりに、私は言葉が出てこない。私が黙っているのをどうとったのか、貴之くんは相変わらずの笑顔で言った。

「大丈夫、大丈夫。ここ曲がれば国道だから。海にはつくよ」

 ははは。と乾いた笑いを付け足す貴之くん。
 うん、フォローありがとう。もう、海に着けばどこでも良いや。日本は島国なんだもん、海には着けるよね。

「日本海につかなければ良いよ……」

 諦めの混じった私の台詞に、貴之くんは自信に満ちた笑みで応える。

「うん、それは大丈夫」

 そこ、嬉しそうに笑うところじゃないよ? 貴之くん。
 笑顔が可愛いからいいけどさ。
 可愛い笑顔を見ていたら、なんだか急にいじわるがしたくなって、私は貴之くんの横顔を見上げた。

「海に着くの何時くらいかなぁ」

 途端に貴之くんの顔が少し曇って、私は思わず小さな笑みをこぼす。

「んー……」

「あはは。いいよ、別に泳ぎにいくわけじゃないし。のんびり行って、だらだら眺めて、ご飯食べたら帰ってこよう」

「そうだねぇ」

 はぁ、と貴之くんは小さな溜息を漏らす。ほんの少しだけ、迷子の自分を反省中。
 ほんの少しだけ、ね。

 

 車内の時計は、午後の二時近くを示している。車の流れは緩やかで、前には水色のワンボックスが、つかず離れず走ってる。水色に青空と雲が映り込んで、空模様の車が走っているみたい。走る車の上を、雲も風に乗って緩やかに走る。

「もうすぐ、海だよ」

 貴之くんの言葉につられて、私は左の窓に視線を移した。

「おぉー。本当だ、海だ海ー」

 左手の山肌の裏側から、ゆっくりと海が姿を現す。初め湖のようだった水面が、そのうち視野全体に広がって海になる。
 広い海と広い空。気持ちの洗われる瞬間。
 RV車はゆっくりと左折して、海岸脇の駐車場に入っていく。

「到着ー」

 くるり、ときれいにハンドルを切って、貴之くんは車を白線の枠に滑り込ませた。

「わーい。運転お疲れ様」

「ありがと。……二時半か……こんな遅くなるはずじゃなかったんだけどなぁ」

 うーん、と首を傾げる貴之くんを尻目に、私は早速車を降りる。少しべたつく海風が、さぁっと脇を通り過ぎていく。風はまだ少し冷たくて、私は慌ててカーディガンの襟をあわせた。

「あー。結構涼しいねぇ」

 ぱたりと車の扉を閉めて、貴之くんは空を見上げる。

「……雲でてきたなぁ……」

 いつのまにか、空の上には灰色がかった重い雲。海の上はまだまだ白っぽい空だけれど、後ろの山はすっかり雲を被ってる。

「葵の勢力が弱ってるんだねぇ」

「……だって締切直後なんだもん」

 山から海へ、少しづつ流れてくる灰色の雲。貴之くんの雲を眺める顔は、なんでか少し嬉しそうだ。
 この雨男め、て思うけど、もちろん私は口にはださない。

「おかしいなぁ。今日は私、まだまだ元気なんだけどなぁ」

「雨に降られる前に、海の眺めを堪能しないとね」

 貴之くんに促されて、私たちは揃って海岸へと続く坂を下った。砂浜には人はまばらで、少し荒れてきた波が白い波頭を崩して浜辺へと打ち寄せる。遠く海と空の交わる辺りは、濃い青色に鈍い灰色が混ざったような色をしていた。

「あ、桜貝ー」

 海と言ったら、一番の楽しみは貝や石を集めることだ、と思う。私は早速見つけた綺麗な貝を、丁寧に砂から拾い上げた。
 淡い桃色の貝殻は、紙のように薄くて頼りない。今にも壊れてしまいそうで、私はそっと掌の上で貝を転がした。
 波は、足下を撫でるように寄せては返す。波がよればぴょんと逃げ、波が引けばまた、しゃがみ込んで小石を拾う。
 とても二十歳すぎた良い大人のすることじゃない気もするけれど、こういうところに来たなら思う存分満喫しないとね。

「そんなところにいたら濡れるよ?」

「大丈夫だよ。ほらほら、タカラガイ」

 わいわいと、あれこれ広い集める私を、貴之くんは目を細めて眺めてる。
 波に揉まれて丸くなったガラスや、縞模様の小石。周りが砕けて螺旋に残った巻貝に、綺麗な色の二枚貝。
 あっという間に、私の掌は収集品でいっぱいになった。

「沢山拾ったー」

「おー。沢山沢山。満足?」

「満足ー」

 よしよし、と、貴之くんは私の頭をなでる。なんだか凄い子供に戻ったみたいで、ちょっと恥ずかしい。

「結構、風が冷たいね。雲もよってきたし、お昼もまだだし。ご飯食べに行こうか」

「うん」

 私の手にはこれ以上収集品は乗りそうになかった。海にいた時間はほんの僅かだったけれど、都会を離れて童心に返れれば、それはほんの僅かでも貴重な時間。心身ともにリフレッシュして、明日からまた頑張るのだ。
 よーし、と気合いをいれて、私たちは海岸脇に停まったRVに足を向けた。

「ご飯のあてはあるの?」

「調べてきた」

 嬉しそうに、貴之くんが折り畳んだ地図を取り出す。そこには、お洒落でリーズナブルな雰囲気のイタリアンレストランの写真が、簡単な地図と一緒に印刷されていた。
 簡単な、地図と一緒に。

「ランチは過ぎちゃったから、単品とりわけとかにしようか」

「そうだねー」

 さくさくと、貴之くんが半歩前を歩く。
 私は迫り来る雨雲を見上げて、小さく苦笑い。
 お店に着くのは、一体何時になるんだろう。ね、貴之くん?

「葵ー?」

「んー」

 少し先で、貴之くんが小首を傾げて待っている。その後ろには、いつの間に広がったのか、しっかりと重い灰色雲。

「ん。なんでもないよ。行こう」

 私は収集品を片手に集めて、あいた手を貴之くんに差し出した。

 

 今にも雨を降らせそうな、湿った風が横をすり抜ける。
 つないだ手の暖かさに目を細めて、私たちは足早にRV車へと歩き出した。

 

 

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