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『雨男/晴れ女』
うとうと、うとうと……
「ん……」 軽く身じろぎをして目を開けば、そこは見慣れたRV車の助手席。
「おはよ」 外の陽射しと同じ穏やかな声につられて、私は隣を振り返る。そこには、柔らかな笑みを口元に浮かべてハンドルを握る貴之くんがいた。これまた見慣れた光景。
「おはよう。貴之くん、ここどこら辺?」 ダッシュボードに置かれた地図に手を伸ばす。隣から返ってきたのは、のんびりとした貴之くんの声。 「ん、わかんない」 あっけらかんと言われた言葉に、私は手を止めて小さく苦笑した。
「あぁ、やっぱり?」 私の慣れた反応に、貴之くんは少し口元を歪めただけで、何事もないように言葉を繋いぐ。 「んー。国道がどこだかわかんないんだよねぇ。実はここ通るの3回目。葵が寝てる間に2回通った」 まるで気にする様子もなく、貴之くんは応える。とても余裕にみえるけど、違うの。本当は、ただ迷子に慣れてるだけ。
車好きでドライブ好きの迷子の天才。標識を見落とすなんて、基本中の基本。すれ違う格好いい車に目を奪われて、曲がり損ねるなんてざら。
「あ、フェアレディー。やっぱり昔のも格好いいよなぁ」 思うそばから、貴之くんは対向車に熱い視線を投げている。つられて私までオレンジの対向車を目で追って……あぁ、きっとこうやって道をまた一つ間違えるんだろうな、と気づく。
「そうやってZなんか見てるから、迷子になるんだよ」 言いながら、私は通り過ぎていく道ばたの標識を目で追った。 「ごめんね。昼過ぎに海、つかないかも」 困ったような、申し訳ないような顔をして、貴之くんは謝る。
「いいよ、もう慣れたもん。貴之くんの迷子はデフォルト設定だもんね」 「ごめんよー」 全然ごめんと思ってなさそうな笑顔。まったく、仕方ないんだから。 「国道何号にはいるの? 今、県道だよね。18号?」 地図を開いてぱらりとめくる。目的のページはすぐに見つかった。貴之くんの助手席にいると、地図を見るのが上手くなる。だってすぐ迷子になるんだもん。
「地図はいいよ。大体見当ついてるし」 やんわりと、貴之くんはそんなことを言った。その「見当」ていうのが、一番信用ならないんですけど。 「でも……」 不満気に見上げると、貴之くんはちらりとこちらを振り返る。
「のんびり行こうよ。お休みなんだし。それに葵、寝不足で地図見ると酔うでしょ」 「む……」 それは、確かに。
「うむむぅ」 唸る私を、貴之くんは目を細めて笑った。 「それじゃ、せっかく海についても車の中でぐろっきーになっちゃうよ。ゆっくり行くから、葵は外でも眺めてなさい」 「……はーい」 貴之くんの言うことはもっともで、私は大人しく地図を閉じる。海に行くなんて口実で、ただドライブがしたかっただけなんだもの。ゆっくり行くのも悪くない。
車窓を流れる長閑な町並み。前の車は型遅れのセダン。時々行き交う人を観察。青い空にはふわり雲。
「んー。お天気よくてよかったね。ほかほかする」 日光で暖められたダッシュボードに両手を乗せて、私はぐーっと伸びをした。つられて一つ、生あくび。車の振動って眠くなるんだよね。 「葵と出かけると、ほんとよく晴れるよなぁ」 貴之くんはそう言って、眩しそうにフロントガラス越しの太陽を見上げる。 「なんせ晴れ女だからね。台風だって目じゃないからね」 自慢げに言う私に、貴之くんは「ははは」と乾いた笑いを返した。 「僕は雨男だからなぁ」 「そうだねー」 即答を返されて、少ししょげた顔をする貴之くん。うん、可愛い可愛い。 「うーん、なんだかんぁ……」 自分で言っておいて、雨男ていうのが気になるみたい。貴之くんはぶつくさと、言い訳じみた言葉を呟いている。
「……逆走してる……」 「……えぇっ?」 おもむろに貴之くんが呟いて、私は思わず素っ頓狂な声を上げた。 「逆走?」 「いや、北上するつもりが南下してる……どうりで、国道との交差が見つからないはずだ」 納得納得、て、納得してるのは貴之くんだけなんですけど。
「大丈夫、大丈夫。ここ曲がれば国道だから。海にはつくよ」 ははは。と乾いた笑いを付け足す貴之くん。
「日本海につかなければ良いよ……」 諦めの混じった私の台詞に、貴之くんは自信に満ちた笑みで応える。 「うん、それは大丈夫」 そこ、嬉しそうに笑うところじゃないよ? 貴之くん。
「海に着くの何時くらいかなぁ」 途端に貴之くんの顔が少し曇って、私は思わず小さな笑みをこぼす。 「んー……」 「あはは。いいよ、別に泳ぎにいくわけじゃないし。のんびり行って、だらだら眺めて、ご飯食べたら帰ってこよう」 「そうだねぇ」 はぁ、と貴之くんは小さな溜息を漏らす。ほんの少しだけ、迷子の自分を反省中。
車内の時計は、午後の二時近くを示している。車の流れは緩やかで、前には水色のワンボックスが、つかず離れず走ってる。水色に青空と雲が映り込んで、空模様の車が走っているみたい。走る車の上を、雲も風に乗って緩やかに走る。 「もうすぐ、海だよ」 貴之くんの言葉につられて、私は左の窓に視線を移した。 「おぉー。本当だ、海だ海ー」 左手の山肌の裏側から、ゆっくりと海が姿を現す。初め湖のようだった水面が、そのうち視野全体に広がって海になる。
「到着ー」 くるり、ときれいにハンドルを切って、貴之くんは車を白線の枠に滑り込ませた。 「わーい。運転お疲れ様」 「ありがと。……二時半か……こんな遅くなるはずじゃなかったんだけどなぁ」 うーん、と首を傾げる貴之くんを尻目に、私は早速車を降りる。少しべたつく海風が、さぁっと脇を通り過ぎていく。風はまだ少し冷たくて、私は慌ててカーディガンの襟をあわせた。 「あー。結構涼しいねぇ」 ぱたりと車の扉を閉めて、貴之くんは空を見上げる。 「……雲でてきたなぁ……」 いつのまにか、空の上には灰色がかった重い雲。海の上はまだまだ白っぽい空だけれど、後ろの山はすっかり雲を被ってる。 「葵の勢力が弱ってるんだねぇ」 「……だって締切直後なんだもん」 山から海へ、少しづつ流れてくる灰色の雲。貴之くんの雲を眺める顔は、なんでか少し嬉しそうだ。
「おかしいなぁ。今日は私、まだまだ元気なんだけどなぁ」 「雨に降られる前に、海の眺めを堪能しないとね」 貴之くんに促されて、私たちは揃って海岸へと続く坂を下った。砂浜には人はまばらで、少し荒れてきた波が白い波頭を崩して浜辺へと打ち寄せる。遠く海と空の交わる辺りは、濃い青色に鈍い灰色が混ざったような色をしていた。 「あ、桜貝ー」 海と言ったら、一番の楽しみは貝や石を集めることだ、と思う。私は早速見つけた綺麗な貝を、丁寧に砂から拾い上げた。
「そんなところにいたら濡れるよ?」 「大丈夫だよ。ほらほら、タカラガイ」 わいわいと、あれこれ広い集める私を、貴之くんは目を細めて眺めてる。
「沢山拾ったー」 「おー。沢山沢山。満足?」 「満足ー」 よしよし、と、貴之くんは私の頭をなでる。なんだか凄い子供に戻ったみたいで、ちょっと恥ずかしい。 「結構、風が冷たいね。雲もよってきたし、お昼もまだだし。ご飯食べに行こうか」 「うん」 私の手にはこれ以上収集品は乗りそうになかった。海にいた時間はほんの僅かだったけれど、都会を離れて童心に返れれば、それはほんの僅かでも貴重な時間。心身ともにリフレッシュして、明日からまた頑張るのだ。
「ご飯のあてはあるの?」 「調べてきた」 嬉しそうに、貴之くんが折り畳んだ地図を取り出す。そこには、お洒落でリーズナブルな雰囲気のイタリアンレストランの写真が、簡単な地図と一緒に印刷されていた。
「ランチは過ぎちゃったから、単品とりわけとかにしようか」 「そうだねー」 さくさくと、貴之くんが半歩前を歩く。
「葵ー?」 「んー」 少し先で、貴之くんが小首を傾げて待っている。その後ろには、いつの間に広がったのか、しっかりと重い灰色雲。 「ん。なんでもないよ。行こう」 私は収集品を片手に集めて、あいた手を貴之くんに差し出した。
今にも雨を降らせそうな、湿った風が横をすり抜ける。
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