便衣兵の「処刑」に裁判は必要だったのか


 1937年12月14日〜12月16日、日本軍は南京において約7千の便衣兵を潜伏先から摘出し掃蕩しました。(『南京戦史』)
 これは12月下旬以降の便衣兵摘出と異なり、占領が完了する前、中国軍の抵抗が終息する前における戦闘行為であり、流れ弾による市民の被害を回避する為に、見つけたその場で射殺しなかったというだけで、捕虜として収容した後に処刑したものではありません
(12月下旬以降の便衣兵摘出においては、捕虜として2千を収容しています。)
 従って、12月14日〜12月16日の掃蕩戦における便衣兵処分を「処刑」と表現するのは厳密性を欠くものですが、ここでは仮に、この掃蕩行為が「処刑」であったとして、果たして本当に裁判が必要であったかどうかについて検証してみたいと思います。


1.条約の規定

まず、敵兵に対する裁判の必要性について定めた各条約の規定を引用します。

(1)陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則(1907年ハーグ陸戦条約付属規則、以下本ページにおいて「陸戦規則」と表記)

 敵兵に関する裁判についての陸戦規則中の規定は、実のところ僅かです。


第一二條 宣誓解放ヲ受ケタル俘虜ニシテ其ノ名譽ヲ賭シテ誓約ヲ爲シタル政府又ハ其ノ政府ノ同盟國ニ對シテ兵器ヲ操リ再ヒ捕ヘラレタル者ハ俘虜ノ取扱ヲ受クルノ權利ヲ失フヘク且裁判ニ付セラルルコトアルヘシ

第二三條 特別ノ條約ヲ以テ定メタル禁止ノ外特ニ禁止スルモノ左ノ如シ
(中略)
チ 對手當事國國民ノ權利及訴權ノ消滅、停止又ハ裁判上不受理ヲ宣言スルコト

第三〇條 現行中捕ヘラレタル間諜ハ裁判ヲ經ルニ非サレハ之ヲ罰スルコトヲ得ス

 直接裁判について規定している条文はこれだけです。
 第43条は裁判を受ける権利について間接的に言及していると思われますが、これは第23条(チ)と対になるもので、捕虜に対するものではありません。

第四三條 國ノ權力カ事實上占領者ノ手ニ移リタル上ハ占領者ハ絶對的ノ支障ナキ限占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ囘復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘシ

 陸戦規則において裁判にかけなければならないと規定しているのは、間諜に対する処罰のみです。
 宣誓解放後に戦闘に加わった兵士は、本来交戦者に与えられる捕虜の権利を剥奪され、裁判にかけられることがある、と規定されていますが、これは敵対行為を以て敵国で犯罪者として裁判にかけられ処刑されることは無いという捕虜の特権と表裏を成すものです。

『・・・・第十八世紀の終の頃に至り、俘虜が其自由を拘束せらるるは、刑罰の為めに非ざるを以て、之を犯罪人と区別して取扱はざるべからざるの思想が漸く認めらるるに至り、第十九世紀に入り、敵人を俘虜とするのは敵の抵抗力を殺ぐの方法の一に外ならずして、捕へたる敵人をして再び敵の兵力に加はらざらしむるが為めに必要なる措置以外に於て、之に虐待を加ふべからずとするの思想が行はるるに至った。・・・・』
『・・・・上述の如き諸種の俘虜を通じて考ふるときは、俘虜とは、犯罪に関する等の他の理由に基かずして、軍事上の理由に依り自由を奪はるる敵人なりと言ふを得べきである。・・・・』
(立作太郎『戦時国際法論』)

 宣誓解放後に戦闘に加わることは交戦者の4条件の内「其ノ動作ニ付戰争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト」に違反することになり、以て交戦者資格を喪失し、同時に俘虜となる権利を剥奪される、という構造だと考えられますが、捕らえた敵兵がかつて宣誓開放を受けたものかどうかは捕虜として収容し、氏名を尋問し、宣誓解放者の名簿とつき合わせてみるしかありませんので、最初から捕虜として扱われない便衣兵の場合とは一線を画します。
 また、第12条の規定が「裁判ニ付セラルルコトアルヘシ( can be brought before the courts )であり、第30条の「裁判ヲ經ルニ非サレハ之ヲ罰スルコトヲ得ス( shall not be punished without previous trial )」のように裁判を義務付けるものとなっていないことに注意する必要があります。

(2)俘虜ノ待遇ニ關スル條約(1929年ジュネーブ俘虜取扱条約、以下本ページにおいて「俘虜条約」と表記)

 俘虜条約になると、裁判に関する規定が格段に充実します。

第四六條 俘虜ハ捕獲國ノ軍事官憲及裁判所ニ依リ同一事實ニ付該國軍人ニ對スルト異ナル罰ヲ課セラルルコトナカルヘシ(以下省略)

第四七條 規律違反ヲ構成スル事實特ニ逃走ノ企ハ至急確認セラルヘシ官等アルト否トヲ問ハス一切ノ俘虜ニ對シ豫防的拘留ハ最小限度ニ止メラルヘシ
 俘虜ニ對スル裁判手續ハ事情ノ許ス限リ速ニ爲サルヘシ豫防的留置ハ出來得ル限リ制限セラルヘシ
 一切ノ場合ニ於テ豫防的留置期間ハ該國軍人ニ對シ認メラルル限リ懲罰又ハ刑罰ノ期間ヨリ控除セラルヘシ

第五一條 逃走ノ企ハ再犯ノ場合ト雖モ俘虜カ該企中人又ハ財物ニ對シテ犯セル重罪又ハ輕罪ニ付裁判所ニ訴ヘラレタル場合ニ於テ刑ノ加重情状トシテ考慮セラレサルヘシ
 逃走ノ企又ハ其ノ成就後ニ於テ逃走ニ協同セル逃走者ノ同僚ハ其ノ理由ニ依リ懲罰ノミニ付セラルヘシ

第五三條 懲罰ニ付セラレタル俘虜ニシテ送還ニ關シ規定セラレタル條件ニ適合スル者ハ該罰ヲ終ヘサルコトノ理由ヲ以テ留置セラルルコトナカルヘシ
 送還スヘキ俘虜ニシテ刑事上ノ訴追中ノ者ハ裁判手續ノ終了迄又場合ニ依リ刑期ノ滿了迄送還ヨリ除外セラルルコトヲ得ヘシ判決ノ結果既ニ留置中ノ者ハ其ノ終了迄留置セラルルコトヲ得ヘシ
 交戰者ハ前項ノ理由ニ依リ送還ヲ許サレサル俘虜ノ名簿ヲ相互ニ通告スヘシ

第五九條 裁判所及上級軍事官憲ノ權限ヲ留保シ懲罰ハ收容所又ハ分遣所ノ所長トシテ懲罰權ヲ有スル將校又ハ該將校ヲ代理スル責任アル將校ノミニ依リ言渡サルヘシ

第六〇條 俘虜ニ對スル裁判手續ノ開始ニ際シ捕獲國ハ成ルヘク速ニ且常ニ辯論ノ開始期日前ニ保護國ノ代表者ニ之ヲ通告スヘシ(以下省略)

第六一條 俘虜ハ辯護ノ機會ヲ與ヘラレスシテ處罰セラルルコトナカルヘシ
 俘虜ハ其ノ訴ヘラレタル事實ニ對シテ有責ナリト自認スル爲強制セラルルコトナカルヘシ

第六二條 俘虜ハ其ノ選擇スル有資格ノ辯護人ヲ帶同シ且必要ニ應シ適當ナル通譯ヲ用フル權利ヲ有スヘシ俘虜ハ捕獲國ニ依リ辯論ノ開始前適當ナル時機ニ其ノ權利ニ付通告ヲ受クヘシ(以下省略)

第六三條 俘虜ニ對スル判決ハ捕獲國軍ニ屬スル者ニ關スルト同一ノ裁判所ニ於テ且同一ノ手續ニ依リテノミ言渡サルルコトヲ得ヘシ

第六四條 一切ノ俘虜ハ自己ニ下サレタル一切ノ判決ニ對シ捕獲國軍ニ屬スル者ト同樣ノ方法ニ依リ上訴スル權利ヲ有スヘシ

第六五條 俘虜ニ對シ言渡サレタル判決ハ直ニ保護國ニ通知セラルヘシ

第六六條 俘虜ニ對シ死刑ノ言渡サルルトキハ犯行ノ性質及情状ヲ詳細ニ記述スル通知ハ俘虜ノ服役シタル軍ノ所屬國ニ移送セラルル爲成ルヘク速ニ保護國ノ代表者ニ送付セラルヘシ
 該判決ハ右通知ヨリ少クモ三月ノ期間滿了前執行セラレサルヘシ

 第53条及び第59条は他の条文と性格の異なるものですが、第53条及び第59条以外の俘虜条約の裁判に関する規定は「捕虜を裁判にかける場合は公正な裁判を行わなければならない」という原則に基づいて定められていることがご理解頂けると思います。
 その最も象徴的な規定は第46条及び第63条であり、ここには、自国軍人と同一の裁判、同一の刑罰を要求しています
 形ばかりの裁判で敵国人に事実上のリンチを加えてはならないと定められているのです
 一方で俘虜条約には、「裁判にかけなければならない」という規定は見当たりません。

(3)捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(以下本ページにおいて「第三条約」と表記)

 第三条約では、それ以前と性格の異なる規定が登場します。

第三条〔国際的性質を有しない紛争〕
締約国の一の領域内に生ずる国際的性質を有しない武力紛争の場合には、各紛争当事者は、少くとも次の規定を適用しなければならない。
(1)敵対行為に直接に参加しない者(武器を放棄した軍隊の構成員及び病気、負傷、抑留その他の事由により戦闘外に置かれた者を含む。)は、すべての場合において、人種、色、宗教若しくは信条、性別、門地若しくは貧富又はその他類似の基準による不利な差別をしないで人道的に待遇しなければならない。
 このため、次の行為は、前記の者については、いかなる場合にも、また、いかなる場所でも禁止する。
(中略)
(d)正規に構成された裁判所で文明国民が不可欠と認めるすべての裁判上の保障を与えるものの裁判によらない判決の言渡及び刑の執行

第五条〔適用の始期及び終期〕
 この条約は、第四条に掲げる者に対し、それらの者が敵の権力内に陥った時から最終的に解放され、且つ、送還される時までの間、適用する。
( The present Convention shall apply to the persons referred to in Article 4 from the time they fall into the power of the enemy and until their final release and repatriation. )
A交戦行為を行って敵の権力内に陥った者が第四条に掲げる部類の一に属するかどうかについて疑が生じた場合には、その者は、その地位が権限のある裁判所によって決定されるまでの間、この条約の保護を享有する
( Should any doubt arise as to whether persons, having committed a belligerent act and having fallen into the hands of the enemy, belong to any of the categories enumerated in Article 4, such persons shall enjoy the protection of the present Convention until such time as their status has been determined by a competent tribunal. )
〔※第2項の「敵の権力内に陥った」は英文において“having fallen into the hands of the enemy”であり、第1項の「敵の権力内に陥った」“fall into the power of the enemy”とは区別した表現がされています。第2項の「敵の権力内に陥った者」は本来、佐藤和男青山学院大学名誉教授が『南京事件と戦時国際法』の中で採用しているように「敵の手中に陥った者」と区別して訳すべきでしょう。〕

第八十四条〔裁判所〕
 捕虜は、軍事裁判のみが裁判することができる。但し、非軍事裁判所が、捕虜が犯したと主張されている当該違反行為と同一の行為に関して抑留国の軍隊の構成員を裁判することが抑留国の現行の法令によって明白に認められている場合は、この限りでない。
A捕虜は、いかなる場合にも、裁判所のいかんを問わず、一般に認められた独立及び公平についての不可欠な保障を与えない裁判所、特に、その手続が第百五条に定める防ぎょの権利及び手段を被告人に与えない裁判所では、裁判してはならない。

第八十五条〔捕虜となる前の違反行為〕
 捕虜とされる前に行った行為について抑留国の法令に従って訴追された捕虜は、この条約の利益を引き続き享有する。有罪の判決を受けても、同様である。


第八十七条〔刑罰〕
 抑留国の軍当局及び裁判所は、捕虜に対しては、同一の行為を行った抑留国の軍隊の構成員に関して規定された刑罰以外の刑罰を科してはならない。
A抑留国の裁判所又は当局、刑罰を決定するに当っては、被告人が抑留国の国民ではなくて同国に対し忠誠の義務を負わない事実及び被告人がその意思に関係のない事情によって抑留国の権力内にある事実をできる限り考慮に入れなければならない。前記の裁判所又は当局は、捕虜が訴追された違反行為に関して定める刑罰を自由に軽減することができるものとし、従って、このためには、所定の最も軽い刑罰にかかわりなく刑罰を科することができる。(以下省略)

第九十三条〔関連の違反行為〕
 逃走又は逃走の企図は、その行為が重ねて行われたものであるとないとを問わず、捕虜が逃走中又は逃走の企図中に行った犯罪行為について司法手続による裁判に付されたときに刑を加重する情状と認めてはならない。(以下省略)

第九十九条〔一般原則〕
 捕虜は、実行の時に効力があった抑留国の法令又は国際法によって禁止されていなかった行為については、これを裁判に付し、又はこれに刑罰を科してはならない
A捕虜に対しては、責任を問われた行為について有罪であると認めさせるために精神的又は肉体的強制を加えてはならない。
B捕虜は、防ぎょ方法を提出する機会を与えられ、且つ、資格のある弁護人の援助を受けた後でなければ、これに対して有罪の判決をしてはならない。

第百条〔死刑〕
 捕虜及び利益保護国に対しては、抑留国の法令に基いて死刑を科することができる犯罪行為について、できる限りすみやかに通知しなければならない。
Aその他の犯罪行為は、その後は、捕虜が属する国の同意を得ないでは、死刑を科することができる犯罪行為としてはならない。
B死刑の判決は、第八十七条第二項に従って、被告人が抑留国の国民ではなくて同国に対し忠誠の義務を負わない事実及び被告人がその意思に関係のない事情によって抑留国の権力内にある事実を裁判所が特に留意した後でなければ、捕虜に言い渡してはならない。

第百一条〔死刑執行までの期間〕
 捕虜に対して死刑の判決の言渡があった場合には、その判決は、利益保護国が第百七条に定める詳細な通告を指定のあて先で受領した日から少くとも六箇月の期間が経過する前に執行してはならない。

第百二条〔判決の有効条件〕
 捕虜に対して言い渡された判決は、抑留国の軍隊の構成員の場合と同一の裁判所により同一の手続に従って行われ、且つ、本章の規定が遵守された場合でなければ、効力を有しない。

第百三条〔裁判までの勾留〕
 捕虜に関する司法上の取調は、事情が許す限りすみやかに、且つ、裁判ができる限りすみやかに開始されるように、行わなければならない。捕虜は、抑留国の軍隊の構成員が同様の犯罪行為について責任を問われれば勾留される場合又は国の安全上その勾留を必要とする場合を除く外、裁判があるまでの間、勾留してはならない。いかなる場合にも、この勾留の期間は、三箇月をこえてはならない。(以下省略)

第百四条〔手続の通知〕
 抑留国は、捕虜について司法手続を開始することに決定した場合には、利益保護国に対し、できる限りすみやかに、且つ、少くとも裁判の開始の三週間前に、その旨を通知しなければならない。(以下省略)
(中略)
C利益保護国、当該捕虜及び関係のある捕虜代表が裁判の開始の少くとも三週間前に前記の通知を受領した旨の証拠が裁判の開始に当って提出されなかった場合には、裁判は、開始してはならず、延期しなければならない。

第百五条〔防御の権利〕
 捕虜は、同僚の捕虜の一人に補佐を受け、防ぎょのため資格のある弁護人を選任し、証人の喚問を求め、及び必要と認めるときは有能な通訳人に通訳をさせる権利を有する。抑留国は、捕虜に対し、裁判の開始前の適当な時期に、これらの権利を有する旨を告げなければならない。
A利益保護国は、捕虜が弁護人を選任しなかった場合には、捕虜に弁護人を附さなければならない。このため、利益保護国には、少くとも一週間の猶予期間を与えなければならない。抑留国は、利益保護国の請求があったときは、これに弁護人たる資格のある者の名簿を交付しなければならない。抑留国は、捕虜及び利益保護国が弁護人を選任しなかった場合には、防ぎょに当らせるため、資格のある弁護人を指名しなければならない。
B捕虜の防ぎょに当る弁護人に対しては、被告人の防ぎょの準備をさせるため、裁判の開始前に少くとも二週間の猶予期間を与え、及び必要な便益を与えなければならない。この弁護人は、特に、自由に被告人を訪問し、且つ、立会人なしで被告人と接見することができる。この弁護人は、また防ぎょのために証人(捕虜を含む。)と協議することができる。この弁護人は、不服申立又は請願の期間が満了するまでの間、前記の便益を享有する。
C捕虜に関する起訴状及び抑留国の軍隊に適用される法令に従って通常被告人に送達される書類は、捕虜が理解する言語で記載して、裁判の開始前に充分に早く被告人たる捕虜に送達しなければならない。捕虜の防ぎょに当る弁護人に対しても、同一の条件で同一の送達をしなければならない。
D利益保護国の代表者は、事件の裁判に立ち会う権利を有する。但し、例外的に国の安全のため裁判が非公開で行われる場合は、この限りでない。この場合には、抑留国は、利益保護国にその旨を通知しなければならない。

第百六条〔不服申立〕
 各捕虜は、自己について言い渡された判決に関しては、抑留国の軍隊の構成員と同様に、判決の破棄若しくは訂正又は再審を請求するため不服を申し立て、又は請願をする権利を有する。その捕虜に対しては、不服申立又は請願の権利及びこれを行使することができる期間について完全に告げなければならない。

第百七条〔判決の通知〕
 捕虜について言い渡された判決は、その概要の通知書により、直ちに利益保護国に対して通知しなければならない。(以下省略)

第百八条〔刑の執行、執行規則〕
 適法に確定した有罪の判決により捕虜に対して言い渡した刑は、抑留国の軍隊の構成員の場合と同一の営造物において同一の条件で執行しなければならない。この条件は、いかなる場合にも、衛生上及び人道上の要件を満たすものでなければならない。(以下省略)

 第三条約の裁判に関する基本原理も、公正且つ自国軍人と同一基準・同一手続の裁判・刑罰です。
 それに加えて、WWU後に制定された第三条約では、明らかに捕虜の資格を有しない者を除き、捕獲した敵対者は裁判によって捕虜の資格を有しないと決せられるまで、捕虜として処遇しなければならないと定められました。(第5条)
 ここで、捕虜資格を有するかどうか疑わしく、暫定的に捕虜待遇が与えられている者については“having fallen into the hands of the enemy”と表現し、捕虜として処遇される「敵の権力内に陥った」“fall into the power of the enemy”者とは区別して表現されていることに注意して下さい
 第5条は捕虜の資格を有するかどうかを判断するために裁判にかけなければならないという規定です。捕虜の資格が裁判で認められなかった敵対者の戦時犯罪について裁判手続が必要かどうかの定めはありません。文民であれば第四条約による保護が与えられますが、交戦者でも文民でもない「無法者」の戦時犯罪に対する処罰は第三条約でもカバーされていないと見るべきでしょう。
 この問題は第一追加議定書で決着しています。
 また第85条において、捕虜となる前の違反行為についても捕虜としての保護が与えられる=公正な裁判が保障されるという規定が追加されています。これは重要な論点となりますので記憶に留め置き下さい。

(4)千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書(議定書T) 第三編 戦闘の方法及び手段並びに戦闘員及び捕虜の地位(以下本ページにおいて以下「議定書T」と表記)

 議定書Tは捕虜となる権利について、それまでの規定に根本的な変更を加えています。
 それに伴い、裁判の権利義務も被捕獲者にとって飛躍的に有利なものとなりました。
 (もっとも、その代わりに交戦時の義務がより細かく規定されています)

第四十四条 戦闘員及び捕虜
1 前条に規定する戦闘員であって敵対する紛争当事者の権力内に陥ったものは、捕虜とする。
( 1. Any combatant, as defined in Article 43, who falls into the power of an adverse Party shall be a prisoner of war. )
(中略)
4 3中段に定める条件を満たすことなく敵対する紛争当事者の権力内に陥った戦闘員は、捕虜となる権利を失う。もっとも、第三条約及びこの議定書が捕虜に与える保護と同等のものを与えられる。この保護には、当該戦闘員が行った犯罪のため裁判され及び処罰される場合に、第三条約が捕虜に与える保護と同等のものを含む

第四十五条 敵対行為に参加した者の保護
1 敵対行為に参加して敵対する紛争当事者の権力内に陥った者については、その者が捕虜の地位を要求した場合、その者が捕虜となる権利を有すると認められる場合又はその者が属する締約国が抑留国若しくは利益保護国に対する通告によりその者のために捕虜の地位を要求した場合には、捕虜であると推定し、第三条約に基づいて保護する。その者が捕虜となる権利を有するか否かについて疑義が生じた場合には、その者の地位が権限のある裁判所によって決定されるまでの間、引き続き捕虜の地位を有し、第三条約及びこの議定書によって保護する。
2 敵対する紛争当事者の権力内に陥った者が捕虜としては捕らえられない場合において敵対行為に係る犯罪について当該敵対する紛争当事者による裁判を受けるときは、その者は、司法裁判所において捕虜となる権利を有することを主張し及びその問題について決定を受ける権利を有する。この決定については、適用される手続に従って可能なときはいつでも、当該犯罪についての裁判の前に行う。利益保護国の代表者は、その問題が決定される手続に立ち会う権利を有する。ただし、例外的に手続が国の安全のために非公開で行われる場合は、この限りでない。この場合には、抑留国は、利益保護国にその旨を通知する。
3 敵対行為に参加した者であって、捕虜となる権利を有せず、また、第四条約に基づく一層有利な待遇を受けないものは、常にこの議定書の第七十五条に規定する保護を受ける権利を有する。いずれの者も、占領地域においては、間諜として捕らえられない限り、第四条約第五条の規定にかかわらず、同条約に基づく通信の権利を有する。

 第44条1項から分かるとおり、議定書Tには“fall into the hands of the enemy”という概念がなく、捕獲される=敵の権力内に陥る、と規定されています。これは、第4項の規定により、捕虜待遇を受ける資格の無い敵対者についても捕虜と同様の保護を義務付けたことにより、“fall into the hands of the enemy”と“fall into the power of the enemy”を区別する必要がなくなった為と考えられます。
 そして「この保護には、当該戦闘員が行った犯罪のため裁判され及び処罰される場合に、第三条約が捕虜に与える保護と同等のものを含む」という規定により、捕虜資格の有無に係らず、捕獲した敵対者を処罰するためには公正且つ自国軍人に対するものと同一基準・同一手続の裁判が義務付けられることになりました

 陸戦規則、俘虜条約、第三条約、議定書Tを比較すれば分かるとおり、条約上では、明らかに捕虜として処遇される資格を持たない者を処罰する際に裁判が必須とされたのは1977年の議定書Tからであり、第三条約も発効していない1937年当時は、捕虜資格が疑わしい敵対者を捕獲した際、捕虜資格の有無を裁判で決しなければならないという規定も存在していませんでした
 裁判が義務付けられていたのは、間諜の処罰についてのみです。

2.学説

次に国際法学者の学説を、当時の我国における代表的な国際公法学者の著書を中心に見ていくことにします。

(1)『戦時国際法論』

 便衣兵処刑に裁判が必要だったとする説の根拠として目にする機会が多いのは、立作太郎博士の『戦時国際法論』から引用された次の一節ではないでしょうか。

『凡そ戦時犯罪人は、軍事裁判所又は交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども一旦権内に入れる後、全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。』

 この一節と同書の次の一節を組み合わせることにより、便衣兵処刑の違法性が主張されることが多いようです。

『・・・・上述の正規の兵力に属する者も、不正規兵中、民兵又は義勇兵団に必要とする後述の四条件〔註:陸戦規則第1条1〜4〕を備へざることを得るものではない。正規の兵力たるときは、是等の条件は、当然之を具備するものと思惟せらるるのである。正規の兵力に属する者が、是等の条件を欠くときは、交戦者たるの特権を失ふに至るのである。例へば正規の兵力に属する者が、敵対行為を行ふに当り、制服の上に平人の服を着け又は全く交戦者たるの特殊徽章を附したる服を着せざるときは、敵に依り交戦者たる特権を認められざることあるべきである。』

 便衣兵は交戦法規違反者だから戦時犯罪人である、戦時犯罪人は裁判所で審問せずに処罰してはならない、よって便衣兵を無裁判で処刑した14日〜16日の掃蕩は戦時国際法違反の虐殺だ、という理屈です。
 しかし、この理屈は「然れども一旦権内に入れる後」という留保を全く考慮していません。確かにこの留保は改版によって付け加えられたもので、初期の版には存在しないものですが、この学術書の履歴を考慮すれば、初期の版に無いから無視して良いというものではありません。(『戦時国際法論』は1931年初版が発行され、以後事実上内容が見直されること無く増刷され、1944年の立博士遺稿に基づく本格改訂によって漸く1931年以降の研究成果が反映された形となっています(山田三良博士序文参照)。従って、1932年第一次上海事変以降本格化した中国軍便衣兵に関する論考が包含されたものとして参照できるのは1944年の版のものであり、1937年の南京攻略戦に関する立博士の学説として採用できるのもこの版のものです。)
 「権(力)内に入れる」とは、議定書T以降においては捕獲することと同じ意味ですが、議定書T成立以前は単に捕獲しただけの状態と「権(力)内に入れた」状態が区別されていたのは、第三条約に関する論考で既に見て来たとおりです。『戦時国際法論』の中でも「権(力)内に入れる」という表現は捕虜にする、非戦闘員として保護する、自国主権領域内に置く、占領統治下に置くという文意で使用されています。そして、「権内に陥る」と「捕えられる」を下記のように区別して使用しています

『(甲)軍人(交戦者)に依り行はるる交戦法規違反の行為  交戦法規違反の行為に関して国際法上国家が責任を負ふ以外に於て、違反に関係する軍人が対手国の権内に陥るときは処罰を受けるのである。』

『(乙)軍人以外の者(非交戦者)に依りて行はるる敵対行為  軍人以外の者(即ち私人)にして敵軍に対して敵対行為を行ふ場合に於ては、其行為は、精確に言へば国際法規違反の行為に非ざるも、現時の国際法上、戦争に於ける敵対行為は、原則として一国の正規の兵力に依り、敵国の正規の兵力に対して行はるべきものにして、私人は敵国の直接の敵対行為に依る加害を受けざると同時に、自己も亦敵国軍に対して直接の敵対行為を行ふを得ざるを以て、敵対行為を行うて捕へらるれば、敵軍は、自己の安全の必要上より、之を戦時犯罪人として処罰し得べきことを認められるのである。』

 交戦者は捕獲=「対手国の権内に陥る」、非交戦者は「捕へらるれば」と表現されただけで「権内に陥る」という用語が使用されていないことが分かります。

 前述の佐藤和男名誉教授は『南京事件と戦時国際法』の中で第三条約第5条に関し、

『・・・・一九四九年捕虜条約は、一九二〇〜三〇代の捕虜に関する国際法規に比較して飛躍的に進歩した内容を示していて、もちろん支那事変当時の関連諸問題に直接影響を与えるものではないが、少なくとも右の第五条に見られる「敵の手中に陥った者」のことごとくが「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者とは限らないことを示唆している点において、注目に値しよう。』

と論じています。
 他方、足立純夫氏は第三条約第五条第二項の“having fallen into the hands of the enemy”を「敵の権力内に陥った者」と解釈し、第三条約の規定も議定書Tと同様に
『・・・・戦場で捕獲した敵の要員は一応すべて捕虜とするが・・・・』
(足立純夫『現代戦争法規論』)
とする立場の国際法学者ですが、同書の中で

『1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていたが、1949年条約はその考え方を根本的に修正し、敵要員を捕獲した瞬間から最終的にそれらの者が解放送還されるまでの間、捕虜の待遇を与えるよう、その始終期を判然と定めた(第5条第1項)。』

と論じています。
 このように、第三条約第5条第2項“having fallen into the hands of the enemy”を「敵の権力内に陥った者」と解釈する立場の国際法学者も、「敵の手中に陥った者」と解釈する国際法学者も、1937年当時においては捕獲された者が即捕虜としての保護を受けられた訳ではないという点において、見解が一致しています。

 それでは、『戦時国際法論』の
『凡そ戦時犯罪人は、軍事裁判所又は交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども一旦権内に入れる後、全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。』
という一節はどのような意味を持つものなのでしょうか。
 これは、交戦者以外の者に捕虜の待遇を与えるケースを論じた、同書の次の論述と合わせて考えれば自ずと答えが出る問題だと思われます。

『(註)或は俘虜たることは交戦者の特権にして、交戦者に限りて俘虜たるを得ると説く学者ありと雖も、交戦者が俘虜となることを以て権利と称せらるるは、敵対行為の為に戦時犯罪として処罰を受けず、又戦時法規の俘虜に関して定むる一定の取扱を受くるの利益の享有を認めらるる点より言ふものにして、交戦者以外の者に俘虜の待遇を与ふるを許さざるの一種の独占的特権を有するの趣意を含むこと無きものと為さねばならぬ。・・・・』

 この註釈は、交戦者以外の者であっても一旦捕虜の処遇を与えた以上は、最初から捕虜として処遇される資格を持つ交戦者と同様の保護を与えなければならないということを意味しています。
 「一旦権内に入れる後」、つまり一旦捕虜として収容した者は、本来捕虜となる資格を持たない戦時犯罪人であっても、交戦者の捕虜と同じように裁判にかけなければならない、というのが「一旦権内に入れる後」という留保の意味するところだと考えられます。
 逆に言えば、捕虜として収容していない、交戦者の特権を有していない敵対者を審問を行わず処罰することまで禁じてはいないと解釈できます。そうでなければ、「一旦権内に入れる後」という留保がつけられていることの説明がつきません。

(2)『上海戦と国際法』

 便衣兵の活動が特に問題視されるようになったのは、第一次上海事変からと言って良いでしょう。信夫淳平博士は、第一次上海事変における便衣兵問題について、『上海戦と国際法』において詳細に論じています。

『不正規兵の取締りに関しては、1874年の交戦法規制定に関するブルッセル会議に於て討議に上りし若干の原案中に、これに触れたる一二の条項を有するものがあった。特に露国の提案は、
第一 軍隊の外左の条件を具備する民兵及び義勇兵は交戦者たるの資格を有す。(1)責任を負ふ者その頭にあり且本営よりの指揮の下に立つこと、(2)遠方より認識し得べき明瞭なる或徽章を有すること、(3)公然武器を携帯すること、(4)交戦の法規、慣例、及び手続に従って行動すること。以上の条件を具備せざる武装隊は交戦者たるの資格を有せざるものとし、之を正規の敵兵と認めず、捕へたる場合は裁判に依らずして処断するを得
第二 交戦国の軍隊は戦闘員及び非戦闘員にて編成す。前者は交戦に能動的且直接的に従事し、後者は軍の一部を成すも、布教、医務、経理、司法、その他の軍隊編成の各種部門に属す。非戦闘員は敵により捕へられたる場合には、戦闘員と均しく俘虜たるの権利を有し、且軍医官、野戦病院補助員、及び布教師は中立人たるの権利を有す。
第三 敵に依り未だ占領せざる地方の住民にして自国の防衛のため武器を執る者は交戦者と見做し、之を捕へたる場合には俘虜として取扱ふべし。
第四 既に敵国の権力の下に置かれたる地方の住民たる私人にして武器を執りて敵に対抗する者は司法官憲に引渡すべく、且俘虜として取扱ふべき限りにあらず。
第五 前記第一項及び第二項の条件を具備せざる私人にして或時には独立して交戦に従事し、或時は平和的業務に服する者は交戦者たるの資格を有することなく、捕へられたる場合には軍律に依りて処断せらるべし。
 このブルッセル会議の露国案が換骨奪胎せられ、特に第一項の末段と第四項及び第五項、即ちまさしく便衣隊に該当する所の条項が削除せられて海牙議定の陸戦法規慣例規則の第一条乃至第三条となったものである。
 故に現行交戦法規の上に於ては、軍隊と離れて独立的に敵対行為を為す所の私人の交戦上の資格如何は、尚残されたる一の未決問題で、随って斯かる私人即ち便衣隊の如きものに就ては、現行交戦法規の上に於ける交戦者資格限定の精神と既往の戦争に於ける先例とを按じてその性質及び擬律を判定するの外ないのである。然るに便衣隊は、陸戦法規慣例規則所定の交戦者資格を有せざる者であることは、前述の如く当該条項の文字及び精神に照らして何等疑を容れない。この点は問題ないとし、次に之を過去の先例に徴すればどうであるか。
 正規兵に非ざる一種の便衣隊を戦線の内外に使用することは、古来幾多の戦争に於て珍しからぬことであるが、近代に於て之を盛に利用したのは1870年の普仏の役に於ける仏軍である。仏国側にてはメッツの敗績後、新に『第二徴募の国防軍』と『自由狙撃隊』なるものを編成して独兵狙撃の任に当らしめたが、その国防軍なるものは敢て制服を着するのでなく、普通の民服を装ひ、武器は匿して之を携へ、多くは森林に身を潜めて敵を狙撃する。故に之を捕へたる独軍にては俘虜として遇するを拒み、悉く之を銃殺した。自由狙撃隊は制服着用の者もあったが、多数は便衣で、特定の徽章は帯ぶるも、遠方よりは認識し得ず、且自由に取外しの能きるものであった。独軍にては固より之を適法の敵兵と認むるを肯んぜず、当時メッツ駐屯第二軍司令長官は特に『正規の仏国軍隊に属するに非ずして自由狙撃隊その他の称呼の下に武器を携帯する敵の私人を発見したるときは反逆罪を以て問ひ、他に拘置して審問するを須ゐず、之を捕へたる現場に於て銃殺又は絞殺に処分すべし』との布告を同地城外に掲示し、尚ほ軍令を以て、独軍にて仏国の兵と認むべきものは固着の且射弾距離に於て認識するを得べき徽章を有する制服を着し、且仏国軍隊所属のことを証明する書類携帯の者に限るべく、この条件を具備せずして独軍に敵抗する者は十年の禁固に、情状重き者は死刑に処すべく、而して自由狙撃隊にして独兵を狙撃したる者は情状重き者と見做す、と律定したものである。独軍にては之を励行し、狙撃隊にして捕へられて銃刑に処せられたものは数知れず、剰さへ之と連累ありと認められたる都市村落にして巨額の贖金を課せられた所もあった。
 1899年開始の南阿の役に於ても、ボア側には便衣隊類似の者がかなり活躍した。英軍は軍律を以て、苟も組織ある隊伍に属する非ざる者にして敵抗行為に出づる者は死刑に処すと規定し、この類の捕虜を之に依りて処断し、中には懲罰として犯人の家宅田畑を破壊したなどもあった。当年の役を叙せる一記事に『若し英軍にして、凡そ英国領土内にて捕虜となれる武装人にして南阿共和軍に属することを標示すべき或常用的の且容易に認識し得べき制服なり徽章なりを有せざる者たるに於ては、之を土匪として取扱ひ、何等手続を経るなく之を銃殺すべし、といふ声明を当初に出すありしならんには、蓋し顕著の効果を奏したことなるべく、即ち陸戦の法規慣例に関する海牙条約に完全に遵由しつつ以て能く敵の侵入を鈍らし、又は喰止むるを得たりしならん』といふのがあるが、これで見ると、便衣隊類似のボア人に英軍は大分悩まされたものと見える。
 1898年の米西戦争に於ても、米軍のキュバ征討の折に西班牙側の土民便衣隊は高き樹木の上に身を潜め、行進中の米国兵を狙撃し、甚しきは軍医官や担架上の負傷兵などにも狙撃を加へたといふ話である。
 我国は明治三十八年の日露戦役の末期に於て、一種の便衣隊を露兵の間に見出したことがある。即ち同年七月我軍が薩哈嗹を占領したる所、ウラヂミロフカ邑には制服を纏はず指揮者もなく、普通の村民として識別し難き輩が村民の間に伍し、或はピストルを放ちて我兵を狙撃し、或は槍や斧を手にして山野に待伏せするなど、まさに露国式の鷹揚な便衣隊であった。我軍の之を虜にせるもの百六十を算し、中にありて情状の重きもの百二十名ほどは、交戦法規の容認せざる、即ち交戦者たるの資格なきに敢て交戦行動を執りて我軍に敵抗したとの理由の下に、軍事法廷に於て之を銃殺の刑に処した。
 しかも日露戦役の初期に於て露軍に捕へられて壮烈な最後を遂げたる我が横川沖の両志士も、その性質に於ては矢張り便衣隊であったのである。勿論両志士の行動は憂国の至情赤誠に出でたもので、専ら金銭で働く日傭い式の支那便衣隊とは発端に於て雲泥の差あること論を俟たぬが、法的性質に於ては均しくこれ便衣隊たるを失はない。露軍の両志士を銃殺に処したのは間諜と認めたが故と記せるのもあるが、これは誤った見方である。当時露軍にして果して爾く判断したものとせば、そは誤断である。間諜の一条件――最も主要の条件――は情報蒐集、敵情偵察にある。然るに両志士の目的は鉄道破壊にあった。敵情をも偵察する考も或は有ったであらうが、そは副たる任務で、主たる使命ではなかった。鉄道破壊は敵抗行為の一種で、それを交戦者たる資格なき者が行へば便衣隊を以て論じ、戦時重罪犯を以て擬律し、概ね銃殺に処する。両志士の忠烈義勇は別とし、その行動を法的に観れば、やはり便衣隊たるに相違なきものであったのである。』

 ここでのメインテーマは便衣兵(隊)の交戦者資格ですが、検討すべき先例として挙げられた事例の中で、便衣兵の処刑に軍事法廷を開いたと明示されているのは日露戦争における日本軍の事例だけです。
 もし、日本軍がロシアの便衣兵を軍事法廷により処罰したことによって便衣兵処罰に裁判を必要とするという慣習法が形成された、と主張する人がいるとしたら、それに対して私は、日本軍の軍事法廷開催の史実によって慣習法が形成されたなら、日本軍の便衣兵掃蕩の史実によって裁判を必要としないケースもあるという慣習法が形成されたとお答えしておきます。
 引き続き同書より引用します。

『・・・・然るに便衣隊は交戦者たる資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから、明かに交戦法規違反である。その現行犯者は突如危害を我に加ふる賊に擬し、正当防衛として直ちに之を殺害し、又は捕へて戦時重罪犯に問ふこと固より妨げない。
 ただ然しながら、彼らは暗中狙撃を事とし、事終るや闇から闇を伝って逃去る者であるから、その現行犯を捕ふることが甚だ六ヶしく、會々捕へて見た者は犯人よりも嫌疑者であるという場合が多い。嫌疑者でも現に銃器弾薬類を携帯して居れば、嫌疑濃厚として之を引致拘禁するに理はあるが、漠然たる嫌疑くらいで之を行い、甚しきは確たる証拠なきに重刑に処するなどは、形勢危殆に直面し激情昂奮の際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも、理に於ては穏当でないこと論を俟たない。・・・・』

 ここでは、現行犯の便衣兵(隊)は即時殺害で構わないが、現行犯でなければ即時殺害することは不穏当だ、と述べられています。
 では、南京で摘発された便衣兵は現行犯と言えたのでしょうか。それとも、現行犯とは言えなかったのでしょうか
 今度は同じく信夫博士の著作から、『戦時国際法提要』の一節を引用してみます。

『・・・・更に敵軍の退却兵を殺傷することは如何。それ既に兵器を捨て又は自衛の手段尽きて乞降する敵兵を殺傷するを得ずとすれば、戦場に利を失って退却する敵兵を殺傷するも無慈悲と云へよう。殊に逃ぐるを追て殺傷するなどは、卑怯なことと云へば云へるであろう。
 然しながら他の一面から見れば、敗績の敵軍をして捲土重来の機会なからしむるには、退却の敵兵を迅速に追跡して迅速に止めを之を刺し、之を殲滅せしめて禍根を戦場に絶つといふことは、蓋し作戦上の須要たるに相違ない。故を以て近代の戦術に於ては、退却兵に対しては或は騎兵を駆って之に追撃を加へ、或は砲弾を背後より、爆弾を上空より、洩れなく浴せかけて弥が上に退却兵の潰滅を計るのが、殆どその定石となってある。退却兵中乞降を欲する者はその欲せざる者と隊伍を別にし、能ふべくんば退路をも別にし、白旗を掲げつつ逃走すれば、或は何程か助命の機会を得られんも、退却の混雑中にありてはそは至難なるべく、殊に萬一身が追撃の敵手に落ちて殺され、又は運好くして俘虜とならんよりも、逃げ得る限りは逃ぐるに若かずと考ふるのは自然の情であらうから、逃走中に白旗を掲ぐるなどは稀に有らんも常に無く、會々助かりて俘虜となるは落伍の負傷者位のものに過ぎまい。それすら砲弾爆弾は猛威を揮ふに取捨識別を加へない。要するに退却の敵の殺傷は、理論に於ては非人道なるにしても、強てこの理論を徹底せしめんとすれば、退却兵は再び戦闘に参加するを得ずとでもいふ一新条規を立てた上のことにせねばならぬが、そは到底能きぬ相談であって見れば、右は謂ゆる作戦上の必要という見地に於て、明かに之を適法と認むるの外ないことになる。・・・・』

 潜伏と逃走が性質の異なる行為であると強弁する人は、まさかいないと思います。
 この様に、逃走中の敵は適法な攻撃対象であり、逃走中はまだ交戦状態が続いているのです。実際に交戦状態に至っていない便衣兵を摘出するだけであれば現行犯とは言えないかも知れませんが、間違いなく交戦状態にあった守備軍が便衣兵となって市中に潜伏している状態は、便衣兵となって交戦を続行している状態と言えます。
 つまり、信夫博士の説を採用するなら、初期掃蕩戦における便衣兵摘出は、交戦状態続行中の、現行犯の便衣兵摘出なのです。従って、『その現行犯者は突如危害を我に加ふる賊に擬し、正当防衛として直ちに之を殺害し、又は捕へて戦時重罪犯に問ふこと固より妨げない』が適用されます。
 この、逃走する敵に対する攻撃は適法であるという考え方は、現代の交戦法規にも採用されています

議定書T 第41条 戦闘外にある敵の保護
1 戦闘外にあると認められる者又はその状況において戦闘外にあると認められるべき者は、攻撃の対象としてはならない。
2 次の者は、戦闘外にある。
(a)敵対する紛争当事者の権力内にある者
(b)投降の意図を明確に表明する者
(c)既に無意識状態となっており又は負傷若しくは疾病により無能力となっているため自己を防御することができない者
ただし、いずれの者も、いかなる敵対行為も差し控え、かつ、逃走を企てないこと(does not attempt to escape)を条件とする。
(第3項省略)

 この議定書T第41条第2項但し書きがこれに該当します。ここでは、例え投降の意図を明確に表明する者であっても、逃走を企てる者は(未遂であっても)「戦闘外にある」とは認められず、「攻撃対象としてはならない者」から除かれると規定されています。

 なお、『戦時国際法提要』においては、「理に於ては穏当でない」という判断は削除されていることを付け加えておきます。

3.現実の運用

 では、戦時犯罪者を処罰するには裁判にかけなければならないという理念は、当時、実際にはどのように運用されていたのでしょうか。
 既にお読みいただいた通り、俘虜条約において、捕虜を裁判にかける際には、公正且つ自国軍人と同一基準の裁判でなければならないと定められていました。従って、裁判にかける義務とは、形式的に裁判を行うだけでは足りず、俘虜条約の課した条件に合致する裁判を行わなければならないというものです。
 ここで、山下裁判の事例横浜裁判伊藤ケースの事例を見てみることにします。
 と言っても、多弁を弄する必要はありません。

『・・・・一九四五年十二月二十日、最高裁(※引用者註:アメリカ連邦最高裁判所)判事たちは、山下将軍の救済を求める申し立て書を検討した。・・・・
 ・・・・一九四六年二月四日、最高裁はその判定をいい渡した。・・・・ストーン主席判事が書いた多数意見は、むしろ短いものであった。・・・・
 ・・・・しかしジュネーブ条約第六十三条に明らかなように、山下は米軍人と同じ訴訟上の権利があり、その米軍人は軍法会議法の保護規定の適用を受けるのである。すなわち、「戦争捕虜に対する判決の宣告は、彼を抑留する軍隊に所属せる者が裁かれるのと同じ裁判所により、かつ同じ訴訟手続きに従って行われる」
 ストーンはこの障害物を、『不思議の国のアリス』的論理で片づけてしまった。彼によれば、この条項は、戦争捕虜であった間になされた犯罪に対してのみ当てはまるのである! 全くなんらの法律的あるいは歴史的な根拠もなしに、彼はこの条文の明確な意味を、一方的にねじ曲げてしまったのだ。・・・・
 ・・・・最後にストーンは、日本の代理国たるスイスが、裁判の通告を受けなかったという弁護側の主張に対して、またもやこう強弁した。ジュネーブ条約の諸規定は、戦争捕虜であった間に犯した犯罪によって裁判にかけられる者にのみ適用されるのであると。・・・・』
(ローレンス・テイラー著 武内孝夫・月守晋訳『将軍の裁判』)

『空襲軍律そのものが国際法に違反していたか否かについての検事の主張は実はあまり明確ではない。オカナー検事が、冒頭陳述において「国際法違反」であると明確に指摘しているのは、斬首したこと、九〇日以内に死刑執行はできないのに執行したこと、および執行する場合は中立国に通知しなければならないが通知しなかったこと、の三点についてだけなのであり、伊藤らがこれらの手続を怠ったことが、これらの手続の遵守を要請している一九二九年ジュネーブ条約に違反していると主張しているのである。・・・・』
(横浜弁護士会BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会『法廷の星条旗―BC級戦犯横浜裁判の記録』)
〔※伊藤法務少佐が、名古屋空襲後捕獲された米軍機搭乗員に対し、空襲軍律に従って非戦闘員に対する無差別攻撃の国際法違反容疑で死刑決定を下し、これが執行されたことに関するものです。〕

 このように、ほとんど同じ時期――全く同じ時期と言っても差し支えないでしょう――に同じ国によって行われた戦犯裁判において、戦勝国に都合が悪ければ捕虜となる前の行為について俘虜条約は適用されないと主張され戦勝国に都合が良ければ捕虜になる前の行為について俘虜条約を適用しないのは国際法違反と主張されています
 立証にはこれだけで充分だと思います。
 戦時犯罪人を処罰する際に裁判にかけなければならないという理念は、戦勝国の都合次第で否定されたり肯定されたりする程度の、未成熟な代物だったのです。
 こんなご都合主義は流石に拙いと考えたのでしょう。
 日本人に対する戦犯裁判が終結した翌年に制定された第三条約の第85条には
『捕虜とされる前に行った行為について抑留国の法令に従って訴追された捕虜は、この条約の利益を引き続き享有する。有罪の判決を受けても、同様である。』
と明記されています。
 この第三条約第85条により、戦時犯罪人を処罰するには裁判にかけなければならないという原則は、ようやく明確なものとなりました。それ以前においては、学説的には合意が形成されていたとしても、現実の国際政治・軍事・司法の中では、あやふやでいい加減で到底国際慣習として確立されていたとは言えない状態でした。
 疑いなく捕虜としての資格を持っていた日本人戦犯容疑者に対してすらこの有様です。
 捕虜としての処遇を受ける資格のない便衣兵の処分において、裁判が必須だったという主張は、少なくとも史実の中では肯定され得ません


〔 戻 る 〕