甲斐武田を探検っ!!

 

瑞龍庵跡 小山田左兵衛尉信茂顕彰碑

 

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天正十年(1582)三月十一日、武田勝頼は織田軍に追い詰められ、嫡子信勝などとともに田野の地で自刃し、甲斐武田氏は滅亡します。甲府に入った織田信長嫡子信忠の誘いで郡内地方の領主であった小山田信茂は甲斐善光寺に出向きます。しかしながら、信玄の息子である葛山信貞、ほかに武田信堯、小菅五郎兵衛などとともに処刑されます。

処刑された小山田信茂は善光寺北に葬られたと言われますが、「山梨県の武田氏伝説/笹本正治」によると、従僕が信茂の首を持ち帰り、かつてこちらにあった詳雲山瑞龍庵(随龍庵とも)の住職が葬ったとも言われています。甲斐国志によると小山田古墳といい、小山田氏を葬ったといわれる場所があったのだとか。しかし瑞竜庵は明治四十年の水害により流失してしまいます・・・

 

武田二十四将などにも数えられる極めて著名な人物の関係地です、これはゼヒに!ということで行って見ました!!

国道20号(甲州街道)を走らせると道路沿いに看板「首塚」が見えます、かなり小さめですが(笑)左上の写真です。看板通りに細めの道を入り、しばらく行くと右手に新たな小さめな看板、右上写真です。ここから、JR中央本線の下をくぐっていくのですが、看板の後ろを良く見ると「一般車両通行禁止」。ならば!ということで、ちょうどこの看板手前に駐車スペース?がありましたのでそちらに駐車。そこから徒歩で線路下を通り、そのまま進み一つ目の交差点を右に。すぐ橋ですので、その橋を渡り左に行く小道を入りますと到着です。ちょうど左下の写真です。

 

敷地内はちょっとしたスペースがあり、小山田古墳はありませんが、小山田信茂の顕彰碑。昭和六十一年に建てられたものです。横には説明板も建てられていますので、ぜひご覧下さい。

瑞龍庵は小山田氏菩提寺である桂林寺と関係のあるお寺でした。また明治四十年当時、瑞龍庵はこの場所から南方(山の中ですね)200mにあったのだそうです。前述の通り水害で流され土砂に埋まり、今はすっかり山になっています。

 

小山田左兵衛尉信茂

厳しい評価がイロイロありましたが、郡内地方を織田軍から守ったことは事実。

菩提寺桂林寺過去帳の法名「青雲院殿武山長文大居士」。

 <2008/11/24>