甲斐武田を探検っ!!

       夕狩沢

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

yn026

史跡・関係地名:夕狩沢

住所:山梨県山梨市上岩下

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:△

売店:×

地図:

 

関係人物:武田信昌・跡部景家など

<守護と守護代の抗争>康正元年(1455)、武田信虎の祖父武田信昌は病弱であった父信守の死去により、9歳で甲斐武田十六代当主となります。しかし父の代より守護代を務める跡部氏が甲斐国内の実権を握っており、幼い信昌の代になってもそれは変わりませんでした。

甲斐国内の実権を握っていた守護代は跡部明海・景家親子ですが、彼らは信濃出身。他国の人間ということもあり、甲斐国内の武田氏一門などは反発を強め、跡部氏と衝突。当主の信昌も成長しながら反発を更に強めていたようです。

寛正六年(1465)、信昌は19歳。すでに死去している跡部明海に変わり実権を握っていた跡部上野介景家勢と、ここ夕狩沢で戦い、打ち破ります。その後、跡部景家はこちらの近くの小田野城で自害しています。

しかし後年、信昌は自らの決断により再び武田一族内での争いを巻き起こしてしまいます。これは嫡子信縄と次子油川信恵との間の後継者選定の争いなのですが、この争いは根が深く、信昌の孫である信虎の代まで続くことになります。

夕狩沢ですが、フルーツラインという道路沿いに説明板が建っています。それ以外、古戦場という痕跡などはありません。しかし地名として、この周辺で争いなどがあったであろうと思われるものが多く残されています。駐車場はありませんが、広い道なので路肩に車を停めてください。

周辺の甲斐武田氏関係地:兜山烽火台信虎誕生屋敷など

参考文献:甲斐国志など

<2008/9/25 2012/7/15リニューアル>