甲斐武田を探検っ!!

 

湯村温泉郷

 

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甲府の温泉街といったら、湯村?甲府駅北口から、山の手通りに出ていただき、そのまま甲斐市方面に走ると右手に出てきます。左の写真が北側からみたメインストリートですが・・・写真だと、ものすごく寂れた感じ。もう少し盛ってます。

鬼の湯伝説がこの地に残っています。江戸時代の武士、多田三八がちまたで評判の湯村の湯に向かっていたところ天狗に襲われます。しかし彼の豪勇により天狗は翼を切られ逃げていきます。後日、三八が湯村の湯に浸かっていると、一人の背中に大きい傷のある僧が入ってきます。他の旅人との話で「多田三八という人間と戯れて負った傷だ」。そう僧がいうと、三八は僧の正体を天狗だとわかり切りかかりますが、相手もさすが。飛んで逃げていったそうです。

天狗も傷を癒しに来る温泉、ということでしょうか?また、「三八」は武田信虎・信玄時代に佐久攻めの夜襲などで大活躍した多田淡路守満頼だといわれています。伝承されている時代の中で、時代がちょっと誤伝されたんだとか。

ちなみに多田淡路守満頼(1501-1563)は美濃出身で、信虎に仕えそれから足軽大将として活躍をするようになります。武田二十四将の一人にも数えられ、さらに足軽大将衆五人衆(原美濃守虎胤・横田備中守高松・小畠山城守虎盛・多田淡路守満頼・山本勘助)にも数えられています。最後は病におかされなくなったそうです。

こちらの温泉郷は「信玄の隠し湯」としても有名で、天文十五年(1546)上田原の戦いの後、信玄が傷を治すため30日あまり滞在したとか、信玄が胸の病をここで癒したということが言い伝えられています。

さらに、中央の写真ですが湯村温泉郷のすぐ東には、湯村山があります。ここには湯村山城(かつては湯ノ島山城)があり、狼煙台として使われていたんだとか(写真は南方から湯村山の写真を撮っています)。身近なハイキングコースとして、結構整備されているそうです。高白斎記によると、大永三年(1523)信虎が躑躅ヶ崎館、詰め城の要害山城に続き見張りの城として湯村山城を造ったそうです。山頂からは抜群の眺望が満喫できるとか!ゼヒ、どうぞ・・・いや、体力ない自分はいってないんです・・・口先ばかりですみません!

温泉郷を北に行くと、塩澤寺(えんたくじ)が。毎年2/13〜14に行なわれる、「厄除け地蔵尊」が有名で、湯村の通りがとてもにぎわいます。

 <2007/3/1>