甲斐武田を探検っ!!

 

要害山城跡

 

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左上は躑躅ヶ崎館付近からの写真。ちょっとわかりづらい写真ですね、右上は更に近づいて撮影したものです。

武田信虎・信玄・勝頼が生活した躑躅ヶ崎館。要害山城は躑躅ヶ崎館が有事の際に退避し籠る城、いわゆる詰城として武田信虎により永正十七年(1520)に築かれます。築かれた城の城番はこの麓、積翠寺周辺に所領を持っていた駒井氏がつとめています。直後の大永元年(1521)には駒井昌頼(高白斎の前身では?という説もあります)が、さらに武田家滅亡後には駒井昌直と日向氏などが徳川家康の命により城番をつとめています。このほかにも駒井氏の関わりがみられるようです。

大永元年には駿河今川氏が甲斐に乱入し、躑躅ヶ崎館近くまで軍勢が迫ったので、身重であった夫人などは要害山城に避難、そこで十一月三日信虎嫡子が誕生します。・・・急な山道は身重な夫人にはきつく、麓の積翠寺に退避、そちらで出産・・・という話も「積翠寺由緒覚書」で伝わっています。「嫡子」とはもちろん勝千代、のちの信玄のことです。

 

麓の相川横に自動車を停め、信玄の隠し湯とも言われる温泉を横に見つつ、説明板をじっくり堪能し、イヨイヨ登ります!

 

要害というだけあって急な細い道が続きます。当然舗装などもされていませんので、ご注意ください。ただ随所に竪堀跡や土塁が見られちょっとした説明もされていますので、武田好きであれば気分が萎えることはないはずです。しばらく進むと門跡や小さな郭跡が見られるようになり、その中の不動郭(ふどうくるわ)と呼ばれる場所には江戸時代に建てられた「武田不動尊(高さ292cm×幅120cm×厚さ60cm)」があります。不動尊を眺めつつチョット休憩。ココまで来ればゴールの主郭部までもう少し!

 

連続していた小さい郭も大きいものになってきました。その先には・・・いよいよ主郭部に到着です。

主郭部は土塁に囲まれ思った以上に広く、説明によると庭園があったのだとか。そこに使われたといわれる庭石なども残されているようです。また、「武田信玄公誕生之碑」という大きな石碑が建っています。ここで要害山城制覇の記念撮影をどうぞ(笑)、ちなみに東郷平八郎書だそうです。

山登り?というかハイキングというか。そういうものはホボ初心者な自分と、小学2年生の息子で約30分ほどで登ることができました。当然疲れますが、「甲斐武田氏」をかなり近くで感じることができるひとときです。

 

木々の間から見える甲斐府中がきれいですが、足元が小石や落葉などで滑りやすいので細心の注意を払いお帰りください!

甲斐府中防衛の要所、一条小山(現甲府城跡)、愛宕山(当時甲斐奈山)湯村山、要害山。めぐって見るのも面白いかもしれません。躑躅ヶ崎館と府中周辺の地理状況がよく把握できます。

<2006/8/11 2008/11/13修正>