甲斐武田を探検っ!!

 

養安寺 栗原伊豆守信友墓所

 

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栗原院養安寺(ようあんじ)です。こちらのお寺は栗原氏の館跡である大翁寺近くにあります。入口には養安寺の由緒など記された石碑ありますよ。

境内には保育園があります。平日などに行くと、保安上入りにくいかもしれません。もしかすると敷地内に入れないのでは?お寺の入口が閉ざされていそうです。自分が幼い頃は良くも悪くもほったらかしでしたからね。今はとても物騒です、仕方のないことですよね。寂しい世の中です・・・

「甲斐国社記・寺記」によると、養安寺開祖は栗原伊豆守信友、彼は天文二十一年(1552)に亡くなりこちらに葬られました、法名は「養安寺殿零山道廓大居士」。時間がなかったので、さらっと探したんですが栗原信友の墓所らしきものは見当たりませんでした。また機会見つけていきます。ところが、左衛門尉信盛の墓所はありました。墓碑?に法名記されていたのでなんとかわかったのですが、この信盛寺記では「信友・・・其男・・・信盛・・・」とあります。信友の子ということでしょうか?まったくわかりません(笑)あぁ、勉強しなきゃ。

その伊豆守信友ですが、油川氏・大井氏・今井氏などと武田信虎に反抗。うまく連携はとれていなかったらしく、信虎に敗れていきます。信友も屋敷の南方、都塚という場所で信虎軍と戦いますが、信虎直属の足軽衆などの活躍によりあっけなく敗れ去り、秩父に逃亡したと言われています。その後、信虎の許しを得て帰国しています。享禄四年(1531)韮崎河原辺で討死した栗原兵庫は、同一人物かその子?とも言われています。

伊豆守信友館跡ともいわれている養安寺でした。

 

 

栗原左衛門尉信盛墓

寺記によると寛永八年(1631)死去となっています、法名「栗原院殿芳譽連西信盛大居士」。亡くなった年でみると、武田氏の下で活躍した信盛(詮冬)とは違いますよね・・・ちょっと不明です。

 <2007/2/25>