甲斐武田を探検っ!!

       大野砦

 

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yn042

史跡・関係地名:大野砦

住所:山梨県山梨市大野

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:大村三右衛門・大村伊賀守など

<天正壬午の乱の激戦地>天正十年(1582)三月武田家が滅亡し、六月には織田信長が本能寺で倒れると旧武田領国は周辺戦国大名の草刈場となります。甲斐は北方と東方から北条氏、南方から徳川氏が侵攻し、各地で合戦が行われます。ここ大野砦は北条方に属した大村党の大村三右衛門、大村伊賀守が六月中旬頃に入ります。しかし、甲斐国志に「大村三右衛門伊賀守父子北条家ノ招ニ応シ大野城ニ拠リテ相拒ク穴山ノ陣代穂坂常陸介有泉大学等急ニ攻撃シテ三右衛門之ニ死スとあるように武田旧臣の穴山衆が先頭に立った徳川勢と激戦の上、壊滅したと伝わります。

 

現在、大野砦の遺構は残されていません。周辺河川の度重なる氾濫などもあって流されてもいるのでしょう。よって、どのような規模・形であったのかも詳しくわかっていません。

 

しかしながら、唯一残されているものが、高台上に設けられた稲荷社でこの場所は砦の南東部であったといいます。

  

さらに「山城探訪」では在地土豪の屋敷を修築したものではないかと記しています。この稲荷社周辺に元となった屋敷があり、それを拡張した・・・としています。

あまり知られていない、北条方についた武田旧臣達。徳川方につき先方となった武田旧臣達と、戦場でどのような気持ちで向き合ったのでしょうか。

周辺の甲斐武田氏関係地:三十六塚など

参考文献:甲斐国志・図説山城探訪第十六集/宮坂武男・天正壬午の乱/平山優他

<2012/4/30>