甲斐武田を探検っ!!

       上野氏屋敷

 

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yn041

史跡・関係地名:上野氏屋敷

住所:山梨県山梨市東

場所のわかりやすさ:○

駐車場:△(駐車場はありませんが)

説明板:×

売店:×

地図:

私有地なので自粛させてください・・・

 

関係人物:上野左近丞・上野忠容など

<有力土豪上野氏>有力土豪層屋敷跡として山梨県史資料編に紹介される「上野氏屋敷」。山梨県史によると元亀二年(1571)の武田家朱印状に「上野左近丞」の名が残され、更に天正十年(1582)には徳川家から所領安堵されるなどしています。甲斐国志には上野左近丞直忠、そして直忠父九左衛門忠容が記され、現上野氏との関連を述べています。このように比較的由緒?がハッキリしている屋敷跡です。

 

屋敷は、ほぼ100m四方であり、西方・南方・東方は果樹園が囲み、更に外側には石塁が屋敷を囲んでいます。この石塁は中世土塁であったものを近世なり石積みにしたものだと考えられています。

  

  

東方から北方の石塁はしっかり見ることができます。写真のように石塁は厚みがあり、土塁を想像できます。,賄貶からの写真、△亘姪貶面から南東方面を撮影したものです。

 

北側の屋敷入口には食違い虎口が。現在の民家にこのようなものが残されていると思うと、より一層興味深くなりますよね。しかし山梨県史は、虎口自体は中世のものではなく近世になって造られたものであろうと指摘しています。

 

上の三枚の写真は屋敷西方のもの。特にこちらの石積みが中世を色濃く残しているようです。山梨県史によると、現在の屋敷西方にはかつて隠居屋敷、屋敷南方には家臣屋敷があったといいます。

ちなみに「山梨県の武田氏伝説」によると、上野氏は天文年中この地を領し、屋敷を構えたのだとか。これを信じると、天文年間から今も子孫の方が住まわれている「上野氏屋敷」。歴史を直に感じます。現地には微妙に地割り程度があるのか・・・と思ったのですが、土塁跡が見事な屋敷でした。当然私有地なので、勝手に敷地に立ち入るのは避けてください。しかしながら周辺を散策するだけでも十分楽しむことができるはずです。

周辺の甲斐武田氏関係地:信盛院金光寺など

参考文献:甲斐国志・山梨県史資料編・山梨県の武田氏伝説/笹本正治など

<2012/3/5>