甲斐武田を探検っ!!

       武田金吾屋敷

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

yn040

史跡・関係地名:武田金吾屋敷・天台宗大日山光福寺

住所:山梨県山梨市東後屋敷

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:栗原信宗・栗原信由など

<武田金吾>甲斐国志によると、東後屋敷にある光福寺は武田金吾の屋敷跡で、六十間(約109m)四方に土塁・堀があったとされ、本尊の大日如来は武田金吾のモノであったと伝わります。

 

早速光福寺に伺いましたが、どうやら無住の模様。広い敷地に古いお堂がポツンと建っています。周囲にも土塁や堀らしい跡はなく、屋敷跡は地割りで確認できる程度ではないのでしょうか。

 

 

「武田金吾」という人物がわかりにくいためか、取り上げられることも少ない屋敷跡ですが、さて「金吾」とは誰なのでしょうか?

「戦国大名武田氏と甲斐の中世/岩田書店」に「国人領主栗原氏の武田氏被官化過程/秋山敬」という論文が掲載されており、武田金吾について記載されています。論文によると、金吾とは左衛門尉の唐名であり、さらに引導院過去帳・一蓮寺過去帳・菊隠録などから、武田金吾は引導院過去帳に記載される武田左衛門尉信宗であり、信宗の長子は同過去帳に記載される新五郎信由であることがわかります。引導院過去帳によると永正六年(1509)四月に信宗は死去しており、その後信由が跡を継いだようです。また一蓮寺過去帳には永正六年四月栗原金吾が死去と記されている事などから、武田金吾=栗原左衛門尉信宗=栗原金吾であろうとされます。

そのような事から、「武田金吾屋敷」は甲府盆地東部に巨大な力(領地)を持った栗原氏一族の屋敷跡であったようです。本家は現大翁寺に居を構えたとか。しかし栗原氏は甲府盆地東部に影響力を持つまでに強大化、その強大さから武田氏より警戒され、粛清されるなどして力を削がれていきます。反武田信縄として戦った、栗原信遠の兄弟であった信宗。秋山氏によると、永正十七年国人衆が武田信虎に反抗し府中退去した後合戦になりますが、その際の国人側大将であったのでは?と推定された信由。しかし、信由以降は金吾の家系がどうなったのか不明となっています。

人物がわかってくると、またじっくりと光福寺周辺を歩いてみたくなりました。

周辺の甲斐武田氏関係地:清白寺大翁寺など

参考文献:甲斐国志・戦国大名武田氏と甲斐の中世「国人領主栗原氏の武田氏被官化過程/秋山敬」・武田氏研究40号「府中今井氏の消長/秋山敬」など

<2012/2/14>