甲斐武田を探検っ!!

       金龍山光善寺

 

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yn039

史跡・関係地名:曹洞宗妙善寺末金龍宇山光善寺

住所:山梨県山梨市上栗原

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:栗原信遠など

<民部大輔生害の真実は?>山梨市上栗原は栗原氏ゆかりの寺院などが多い地域。こちら光善寺(無住)も栗原民部大輔信遠開基と伝わっています。なお、一蓮寺に伝わる彼の法名は「蓮阿弥陀仏」、引導院には「皎庵道光」と伝わっています。

 

栗原氏の系譜は明確になっていないのですが、民部大輔信遠の父は信明、子は信虎に反抗し戦った信友と伝わっています。武田氏年表によると、信遠は明応元年(1492)七月二十二日、穴山信懸と衝突しています(市川合戦)。これは当時、甲斐守護武田信昌が推す信昌次男油川信恵対信昌長男信縄の後継者争いの代理的なものでなかったかと考えられており、栗原信遠は信昌側ではなかったかと思われています。明応七年(1498)に対立していた信昌と信縄は和睦してますが、明応十年(1501)二月二十七日に栗原彦次郎・小曲美濃・駒井周防らと死去(生害)しています。同日に同族であろう栗原式部大輔に騎馬二百騎が預けられていることから、信遠はかつて信昌側であったことから当時の甲斐守護信縄により粛清されたものだとしています。

上記のような事を頭に入れて、無住のお寺にお邪魔するのも楽しい時間となります。「民部大輔生害」の真相は一体どのようなものだったのでしょうか。

周辺の甲斐武田氏関係地:大翁寺妙善寺など

参考文献など:甲斐国志・武田氏年表-信虎信玄勝頼-/武田氏研究会・穴山武田氏/平山優・甲斐国社記寺記など

<2012/1/23>