甲斐武田を探検っ!!

       香陽山妙善寺

 

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史跡・関係地名:曹洞宗大公寺末香陽山妙善寺・栗原出羽守供養塔・栗原氏屋敷土塁跡

住所:山梨県山梨市上栗原

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:栗原信明・栗原信通など

<栗原氏の系図・・・>甲府盆地東部に大きな勢力を持ち、甲斐武田氏に何度も反抗した栗原氏。その栗原氏と大変縁の深い妙善寺。甲州街道(旧国道20号)から少し北方に入りますが、街道沿いに看板があるのですぐにわかると思います。

栗原氏は武田信成(?-1394)の子、武続が栗原を称したことから始祖とされています。後年、信虎・信玄・勝頼の代に栗原氏が多く史料に名を残しています。

 

 

本堂手前には栗原出羽守信明の供養塔があります。かなり目立ちますね。その供養塔によると、開基は栗原出羽守信明、法名は「妙善寺殿光山存智大禅定門」と記されております。

供養塔によると、慶應三年七月、芦沢良兵衛履武という人物が先祖栗原出羽守信明供養の為に建てました。栗原出羽守信明は栗原氏の祖、栗原十郎武続の三代目。享徳四年(1455)五月二十一日死去したと記されています。芦澤氏は栗原氏の末裔なのですね。

しかし、甲斐国志人物部には「栗原出羽守信通 系図ニ武続ノ男ナリ飯田系図ニ巨海道源ニ作レリ上栗原妙善寺ノ牌子ニ妙善寺光山存智大禅定門康正元年五月廿一日」とあります。康正元年は改元があったので享徳四年と同じ1455年。さらに、甲斐国志の栗原出羽守信明は「同出羽守信明前ノ羽州ノ男宝雲寺宗山滝公・・・一蓮寺ノ過去帳ニ文明七年正月七日珠阿・・・」とあります。文明七年は1475年。供養塔と甲斐国志、どちらが正解でしょうか。系図は武続-信通-信明-・・・と続きますから、普通に死去した年代で考えると甲斐国志が正解なのですが。栗原氏は系図がはっきりしていないので、なんともいえないのが現状でしょうか。

<栗原氏屋敷>妙善寺駐車場横には栗原氏屋敷の名残、土塁跡といわれる竹やぶが見ることができます。

大翁寺から見える竹やぶが近くから見ることができるのですが、土塁跡かどうかは・・・チョットわかりません。甲斐国志などによると、大翁寺から妙善寺あたりまでを含む広大な栗原氏屋敷であったと伝えています。

周辺の甲斐武田氏関係地:大翁寺海島寺など

参考文献など:甲斐国志・武田氏家臣団の系譜/服部治則など

<2012/1/21>