甲斐武田を探検っ!!

       陽徳山竜泉寺

 

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yn037

史跡・関係地名:臨済宗恵林寺末陽徳山竜泉寺

住所:山梨県山梨市牧丘町倉科

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:大村伊賀守・倉科信棟など

<真言宗から臨済宗へ>山梨市牧丘町倉科地区、小学校近くに竜泉寺があります。駐車場所は本堂裏の墓地に数台でしょうか。こちらのお寺はかつて平沢という場所に真言宗としてありましたが、元亀年間(1570-1574)大村伊賀守が現在の場所に移し快川国師を開山に、大村伊賀守は開基として臨済宗恵林寺末として開かれました。大村氏は武田氏の代、大村党ととして主に雁坂道警護の任についていました。しかし、武田氏滅亡、そして本能寺変後は北条氏に通じ、徳川軍の先方である武田旧臣穴山氏に敗れて歴史舞台から姿を消してしまっています。その大村氏の館跡は同じ倉科地区内に残されています。

 

 

<小尾街道(穂坂路)を見張る城>墓地にまわると、倉科氏の系図?が記された石碑がありました。倉科氏は武田信満の子信広が倉科の地(琵琶城)に住んで名乗りました。在地国人衆の大村氏などと姻戚関係を結ぶなどしていますが、甲斐武田氏滅亡、さらに本能寺変後の、旧武田両国における徳川と北条らによる争い、いわゆる天正壬午の乱の際、当時の倉科棟広は大村氏とともに北条氏につき守将として浄古寺(中牧)城を守備しますが、没落してしまいました。石碑によると、後に「向山」姓を名乗って現在にいたっているようです。

周辺の甲斐武田氏関係地:大村氏館(間瀬屋敷)浄古寺城(中牧城)跡など

参考文献など:甲斐国志・天正壬午の乱/平山優・牧丘町誌など

<2012/01/01>