甲斐武田を探検っ!!

       黒戸奈神社(倉科)

 

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史跡・関係地名:黒戸奈神社(倉科)

住所:山梨県山梨市牧丘町倉科

場所のわかりやすさ:○

駐車場:△

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:倉科信広・馬場信春など

<武田氏と倉科>倉科地区の総鎮守、黒戸奈神社。近くには雁坂道監視の拠点である浄古寺城、安田氏の城などがある西保などがある重要な場所。そのことから武田信満は子の治部少輔信広をこの地に配置、信広は「倉科」を称しています。

後の天正十年武田氏滅亡後の徳川と北条の甲斐争奪戦いわゆる天正壬午の乱では、この地に勢力を持っていた大村党は北条氏に属しますが、徳川方に属していた穴山衆を中心とした軍勢と戦い攻め滅ぼされています。甲斐国志によると、その中に倉科左衛門信棟という人物がいますが、信広からの詳しい血筋はわかりません。

 

 

 <倉科総鎮守>黒戸奈神社の創立された年は明らかではありませんが、大宝二年(702)とも言われています。武田氏の頃は戦勝祈願所とされていました。永禄七年(1564)七月馬場美濃守信春寄進の御神鏡が伝わるようです。なぜ、この場所に馬場が?とも思いますが。

毎年四月十二日(明治四十四年以前は二月十二日)に奉納される太々神楽は元禄年間(1688-1703)に始まったとされ、文化財に指定されています。馬場美濃守信春が多く関わったとされることから、太々神楽も古くは武田軍の戦勝祈願の陣太鼓だったのでは?とも言われますが、いかがなものでしょうか。

なお、倉科という地名、「黒戸奈」が変化して倉科になったという話もあるそうです。黒戸奈・・・クロトナ・・・クラトナ・・・クラシナ・・・倉科ですか?

周辺の甲斐武田氏関係地:浄古寺城跡琵琶城など

参考文献など:甲斐国志・現地説明板など

<2011/12/5>