甲斐武田を探検っ!!

       小原氏屋敷跡

 

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史跡・関係地名:小原氏屋敷跡・八日市場跡

住所:山梨県山梨市小原東

場所のわかりやすさ:○

駐車場:×

説明板:△

売店:×

地図:

関係人物:小原下総・小原丹後など

<八日市場>江戸時代に栄えた八日市。甲斐府中から生活必需品が運び込まれ大いに賑わったのだとか。しかし時代の移り変わりに衰退、明治時代初期には廃止されています。現在では石碑と道祖神などに名残がある程度です。

さて八日市場跡付近、甲斐国志によると小原氏屋敷跡であったのだとか(東分ニ小原氏ノ居址存セリ古事ハ原八日市場トテ駅店ヲ置キシ処ナリ/甲斐国志)。当時賑わった八日市場付近なので、遺構などは恐らく確認できないはず。また、こちらの八日市場跡が小原氏の内の誰の屋敷跡か?そこまでは現在わかりません。

 

 

 

<勝頼付侍大将の一人>小原氏というと小原下総・丹後兄弟が有名ですね。彼らは元信濃高遠諏訪氏家臣で、永禄五年(1562)高遠城主となった勝頼を支えるために付けられた八人の家臣の内。勝頼が甲府に入った後も丹後は有力側近として勘定奉行を行なうなど活躍、信濃伊那地方にも影響力を持ち続けたようです(武田勝頼のすべて)。兄下総の詳細な働きはよくわかっていません。前記した勝頼付八人は小原下総・丹後兄弟、秋山紀伊守、跡部九郎右衛門昌忠、阿部加賀守、小田切孫右衛門、竹内与五左衛門、向山出雲守です。

<小原氏その後>天正十年(1582)武田勝頼らは織田・徳川軍に攻められ、田野にある現在の景徳院付近で自刃したと伝わっています。多くの家臣・側近らが逃亡・寝返りを謀るなか、下総の子惣六、丹後の子忠五郎をはじめとする小原一族は勝頼とともに田野に散っていきます。現在景徳院、甲斐国志に残される小原下総法名は空岸東海居士、小原丹後は鉄岩恵船居士となっています。先に紹介した八人のうち小原兄弟、秋山紀伊守と阿部加賀守は田野で戦死。跡部昌忠は徳川家に仕えて甲斐の奉行として活躍しています。

周辺の甲斐武田氏関係地:清白寺城伊庵屋敷跡万力林など

参考文献:甲陽軍艦・甲斐国志・武田勝頼のすべてなど

<2011/2/8>