甲斐武田を探検っ!!

       甲沢山牧洞寺

 

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史跡・関係地名:甲沢山牧洞寺

住所:山梨県山梨市上岩下

場所のわかりやすさ:○

駐車場:△

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:武田信昌・武田信虎・岩下越前守・桂岩妙昌大姉(信虎母)など

<武田氏との関わり>臨済宗甲沢山牧洞寺は、山梨県最古の温泉とも言われる岩下温泉の近く。駐車場が見当たらなかったので、道路が少し広めな場所に路上駐車させていただきました。こちらのお寺は至徳二年(1385)創建と伝わります。中興開基したのが武田信虎の祖父、武田信昌です。信虎の生母桂岩妙昌大姉の兄、岩下越前守の屋敷(信虎誕生屋敷)が近くにあり、永正十五年(1518)越前守の菩提(法名は清庵文貞公禅定門)がともらわれますが、その際招かれたのが戦国期の甲斐をさぐる際の史料、「菊隠録」の著者である永昌院二世菊隠瑞譚(きくいんずいたん)です

 

<向嶽寺と牧洞寺>牧洞寺は塩山向嶽寺の末寺であることから、向岳寺と深い関係があります。文亀四年(1504)二月十九日、向嶽寺七十五世天船(てんせん)は開山抜隊得勝(ばっすいとくしょう)の頂相(ちんぞう/禅宗高僧の肖像)を牧洞寺(当時は牧洞庵)に移し、翌日二十日無事開山忌も行っています。向嶽寺内で内紛があったことが原因と伝わります。

さらに享禄四年(1531)二月十一・十二日におこった武田信虎対今井(浦)氏栗原氏飯富氏ら国人層の争いにより向嶽寺の伽藍が焼失しますが、その際向嶽寺の頂相は一時河内地方の瑞応寺に移され、そこで開山忌が行われています。しかし二十二日信虎の命により牧洞庵に移されます。その後頂相は天文元年(1532)に向嶽寺にもどります。

特に目立った史跡などはありませんが、武田氏が多く関わったお寺です。信昌の対守護代跡部氏・信縄対信昌・信虎対国人層など様々な思いをめぐらせてみてもたのしいのではないでしょうか。

周辺の甲斐武田氏関係地:信虎誕生屋敷芍薬塚など

参考文献:武田信虎のすべて・山梨市誌・武田氏年表/武田氏研究会編他

<2010/5/5>