甲斐武田を探検っ!!

 

光明寺 城氏菩提寺

 

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山梨市上神内川にある浄土宗天長山光明寺。古くは東漸寺といったそうです。甲斐国志によると、いわゆる武田三代の頃この地周辺は城氏の領地でした。また城氏菩提寺だとも伝えられています。

 

 

武田氏に関係する、それも比較的有名な人物が関わっていると伝わるお寺です。早速行ってきました。特に説明板などはありませんが、墓所などを散策させていただきますと・・・。城伊庵の名が刻まれた墓誌を見つけました!夫人の法名も刻まれています。裏面には城氏のいわれなどが刻まれています。現在山梨県内には「城」という名字はほとんど見かけませんが、その理由のひとつがわかりました。

さらに近くの墓地には三科氏の墓誌?があり、そこでは三科肥前(伝右衛門・形幸とも)の名が刻まれていました。漢文でしたのでチョットわからなかったのですが、三科肥前に関係する御子孫の方がいらしたということがわかり、とても嬉しいです。漢文も頑張って解読したいな・・・

 

城伊庵墓誌

中央下付近に「城伊庵入道」とあります。その左横が「伊庵室」となっています。城(じょう)氏は越後出身。訳あって武田家に足軽大将として仕え、多くの戦功をあげています。子孫は徳川家に仕えます。城伊庵法名は照連社明譽意安比丘、夫人は光雲院続閑妙照大姉と刻まれています。

 

三科氏墓誌

三科氏の墓所にありました。この右上に「三科肥前」と刻まれています。この地域の人物なのでしょうか?

三科肥前は板垣信方山県昌景・井伊直政に仕え、山県昌景はもちろん、信玄・勝頼・徳川家康からも広瀬郷左衛門らとともに一目置かれた人物です。

甲陽軍鑑には、三科・広瀬・曲淵などの武辺者の興味深い訴訟話が納められています。

 

 

甲州八十八所霊場のひとつにも数えられている。光明寺です。

駐車場完備していますが、保育園が併設されていますので、平日にお邪魔するとご迷惑をおかけしてしまうのかもしれません。また、周辺道路は少し細めとなっていますので、一応ご注意下さい。

城氏の墓誌はうっかり間違えて写真の画素を荒くしてしまいましたのでチョット中途半端な紹介になりました。また調べて紹介します!

 <2009/5/4>