甲斐武田を探検っ!!

       伝 山本勘助墓所・屋敷跡

 

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史跡・関係地名:伝 山本勘助墓所・屋敷跡(宅地であり、現在は公開されていません)

住所:山梨県北杜市高根町蔵原

場所のわかりやすさ:○

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:一般のお宅であるため、自主規制とさせてください。

関係人物:山本勘助など

  

<山本勘助とは>武田家臣のなかで一番の知名度といえば、山本勘助ではないでしょうか。2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」の主人公としても注目されました。江戸時代の軍学書「甲陽軍鑑」に見られ、その活躍から現在でも多くの人々に知られています。彼は板垣信方の推挙で信玄に召抱えられ、足軽大将として活躍。永禄四年(1561)九月十日第四次川中島合戦で討死したと伝わります。しかし、「甲陽軍鑑」自体の年代などの誤りの多さから、山本勘助の存在は否定されていました。しかし、昭和四十四年(1969)北海道で、古文書(市川文書)を発見。その文書で信玄の使者としてに「山本菅助」という人物が登場したことから、「山本勘助」実在?いや、「菅助」と「勘助」は別人ではないのか?という指摘もあり、議論が高まっています。そんな彼の屋敷跡と墓所と伝わる場所が、ご子孫を称される方の敷地内にあります。元々山本勘助自体の存在が否定されていた時期があるので(今も完全に肯定されてはいませんね)こちらの家の方は、静かにお守りしていたのだとか。ある機会に専門家に見てもらったところ、少なくとも「典型的な戦国豪族の屋敷跡」だということです。

<屋敷跡>こちらのお宅には土塁はもちろん、古井戸も残っています。敷地内には馬頭観音などもあり、さらに御子孫と言われる家の御仏壇にはかなり重厚な趣の位牌が。そこには山本勘助法名と伝わる「天徳院武山道鬼居士」が刻まれています(写真撮りましたが自粛・・・)。御仏壇には山本家の家紋である「三つ巴」が描かれています。なお、「山本」をもじったものを「家紋」と紹介している書籍などを拝見したことがあるのですが、それは映画の悪影響なのだとか。山本勘助の家紋は「三つ巴」です。ちなみに勘助の生家と言われている静岡県富士宮市の吉野家も同様の家紋だそうです。 

<墓所>こちらの屋敷跡といわれるお宅の裏手には木々が生い茂っており、そこにこちらのお住まいの方代々の墓所があります。その中に「山本勘助の墓」があります。丸みを帯びた墓石がなのですが、こちらにも「天徳院武山道鬼居士」と刻まれています。

 

<風林火山ブーム・・・>大河ドラマ当時は大変注目され、かなりの人が訪れたのだと思います。しかし2008年、群馬県で「山本菅助」の名が記された「真下文書」が発見されました。その文書で菅助と勘助の共通点が見出され、菅助以後の系図もある程度見えてくると、嫌な言い方ですが見向きもされなくなり、「確かに高根には勘助の屋敷跡と墓所と伝わっている場所がある、伝わっているという事実は否定しません」程度になってしまいました。確かに実在が疑問視されている「山本勘助」は、現在に至る系図すらわからないなどあるので、「伝」で片付けられてしまうのでしょうが、現地の方にすれば「あんなに持ち上げておいて、今さらそんな言い方・・・」と思うでしょうね。見学ツアーなどもあったのに、いいように煽られてしまった・・・。

ブームになるのはかまいませんが、その際とその後の対応の仕方。チョット考えさせられる事柄でした。

周辺の甲斐武田氏関係地:光村寺鎧堂観音など

参考文献:山本勘助 (講談社現代新書)新編 武田信玄のすべて など

注:こちらのお宅は、現在一般には開放されていません。ご注意ください。

一時期一般公開されていたときに撮影した写真を使用しています。

<2006/8/11 2010/7/1リニューアル>