甲斐武田を探検っ!!

         武田氏館(躑躅ヶ崎館)跡

 

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史跡・関係地名:国史跡 武田氏館(躑躅ヶ崎館)跡

住所:山梨県甲府市古府中町(武田神社)

場所のわかりやすさ:◎

駐車場:◎(周辺と神社内)

説明板:◎

売店:◎

地図:

武田神社入口から南方の眺め:

    

    

関係人物:武田信虎武田信玄武田勝頼武田義信など

<武田氏と躑躅ヶ崎館>永正十六年(1519)八月十五日、武田信虎は自らの館を石和(川田)から躑躅ヶ崎に移すべく鍬立の儀を行い、同年十二月二十日には新館に移り住みます(高白斎記)。館を移した理由についてははっきりしていませんが、石和は洪水が頻繁に起こっていたことが大きな理由の一つではないかと言われてます。移り住む際には家臣・有力国人衆などにも転居を強硬に推し進めたので反感を招き、翌年五月栗原氏・大井氏・今井(浦・逸見)氏が新府中を退去して信虎に叛旗を翻します(高白斎記)。しかし信虎により反乱は鎮圧、武田信虎により甲斐が統一され、その後も信虎・信玄・勝頼の館となります。

武田氏館、当初は二町(一町は約109m)四方の主郭部のみでしたが、時代を追うごとに郭が増えていきます。特に、天文十年(1541)信虎駿河追放の後、天文二十一〜二十二年(1552-1553)武田晴信により、結婚した嫡男義信の新居として西曲輪が造営されています。その際、主郭部堀や土塁などもより堅固なものにされたようです。その後、主郭北の御隠居曲輪(大井夫人の住まい)・味噌曲輪などが増設されます。

信玄が亡くなったのが天正元年(1573)四月十二日。後を継いだ勝頼は当初躑躅ヶ崎館に住みますが、天正九年(1581)十二月二十四日、韮崎の新たな城「新府城」に移り住みます。家臣・商人なども全て新府に移して新たな甲斐の府中を造ろうと考えており、躑躅ヶ崎館に火をかけ、韮崎に移っていったといわれます。それまで、62年間甲斐武田氏とともに歩んだ館でした。

武田氏が天正十年三月に滅亡すると、同年四月には織田信長を迎えるための仮の御殿が武田氏館に造られています。その後、徳川家臣平岩親吉から豊臣の羽柴秀勝・加藤光泰・浅野長政もここを本拠としています。

<武田氏館(躑躅ヶ崎館)跡>通称躑躅ヶ崎館と呼ばれる武田氏館は武田信虎〜勝頼まで居住した場所であり、もちろん甲斐の政治の中心でした。館の北方には詰城である要害山城、西には支城の湯村山城、館から南に城下町が発展していました。館跡は武田神社になっていますが、敷地内外には堀・土塁・石垣・虎口(武田氏特有と言われる枡形虎口)、もちろん大手門跡、曲輪跡などが残されています。館跡を散策するだけでも様々な発見ができると思います。なお、館跡は発掘調査が引き続き行なわれており、今まで見つからなかった(躑躅ヶ崎館にはないと言われていました)三日月堀が大手口(現神社の東側)にあったということがわかっています。しかし、武田氏が滅びたあとの甲斐の統治者、加藤光泰かそれ以前に三日月堀は埋められ、その上により強固な大手口が造られています。浅野氏以降は、甲府城(現在の甲府市街地)を造り、市街も甲府城を中心に発展したため躑躅ヶ崎館周辺は武田氏時代の区割りがしっかり残り、中世の町づくりを知る上で貴重な場所となっています。また、館周辺に存在する家臣屋敷跡ですが、遺構などは残りません。それでも各箇所に説明板がありますので、より広い地域の散策も十分楽しめます。

<武田神社>武田神社の御祭神は武田信玄公。大正四年武田信玄公に従三位追贈されたのを機に、武田神社創建の気運が山梨県内で大いに高まり、大正八年社殿が完成、創建したという新しい神社です。四月十二日の信玄公命日が例大祭となっており、甲府駅前などを武田信玄公から二十四将まで武者行列が行進します。

神社のご利益ですが、武田信玄公は「甲斐守護」「勝運」の神のみだけでなく、「産業経済」の神としても崇められます。とはいえ、山梨県民にとっては英雄の武田信玄公、ご利益云々はあまり関係なく、なくてらならない神社となっているようです。私の子供もお宮参り・七五三などは武田神社で済ませています。なお、現在の神社の入口は元々あったものではなく、神社を造るにあたり武田氏館跡の土塁を壊し新たに造成したものです。

<宝物殿など>拝殿東には宝物殿があり、大人(高校生以上)300円・小人(小中学生)150円で9:30〜16:30まで入館できます。甲斐武田氏に関する様々な遺品、資料が展示されていますのでこちらもお楽しみください。ちなみに、日本100名城スタンプはこちら宝物殿の入口にあります。

拝殿の向かって右横には神符授与所があり、そこでお守りや書籍などを手に入れることができます。個人的なおすすめは、甲斐国武者鑑・躑躅ヶ崎館古図・武田二十四将像の三点セット。それぞれ和紙に印刷されており、500円で手に入れることができます。額などに入れて飾るとナカナカ雰囲気があってよろしいかと思います。

なお、神社敷地外に土産物店があります。こちらには武将グッズから山梨県特産品など豊富に取り揃えていますので、きっとイロイロ欲しいものが出てきてしまうはず。

大手口三日月堀跡(2006/10/14撮影)。現在は公園として整備され豊臣系の大手口になっています。

主郭と西曲輪を繋ぐ場所の石垣、武田氏当時のままと伝わっていましたが、2006年の豪雨により一部崩壊。(2006/10/14撮影)。

 

 

2009年4月12日武田神社例大祭:国内最大級の武者行列と称される信玄公まつりとは違うものです。

  

周辺の甲斐武田氏関係地:要害山城湯村山城円光院武田信玄火葬塚など

参考文献など:新府城と武田勝頼・新編武田信玄のすべて・武田一族のすべて・武田神社HP

<2006/8/11 2010/2/9リニューアル>