甲斐武田を探検っ!!

 

境館(弾正屋敷)

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

tr006

「境館(弾正屋敷)」は史進さんのHP「城逢人」を参考にしました。史進さんのHPは様々な地方の城郭などを紹介しています。自分もいつも楽しく拝見しています。皆さんもゼヒどうぞ!

郡内小山田氏の本拠であった都留市。その中の境地区に境館または弾正屋敷と呼ばれている区画があります。

ここはかつて小山田弾正という人物が居を構えていました。現在、ほぼ遺構は残されていません。北東側に若干堀跡っぽい名残がある程度でしょうか(左写真)。住宅地の中にありますので、敷地に入って行く訳にもいきませんので遠目から観察。中央(北西側)・下(南西側)ともに区画の写真ですが、名残っぽいものはわかりませんね。南東側なのですが、個人宅敷地になっていて、なにかありそうな雰囲気はありました。

さて小山田弾正という人物、郡内小山田氏の一族?血縁?であったようです。代々「弾正」を名乗りました。また、境の弾正ともよばれていたのだとか。

勝山記によると、天文四年(1535)相模の北条氏綱が24000といわれる兵力で甲斐の山中(現山中湖付近)に侵攻。北条氏は今川氏支援のための出陣でした。武田信虎は今川氏と甲斐・駿河国境などで交戦中でしたので、信虎の弟で郡内地方の監視役を担っていた勝沼信友・郡内の小山田越中守信有らが2000あまりの兵力で応戦します。しかし極端な兵力の差もあり、8月22日武田勢は完敗。勝沼信友・小山田弾正などが討死しています。

その後、近くの境天神天正二年(1574)棟札に倉見・境の主平朝臣有誠とあるようなので、山中で討死した小山田弾正家は断絶せずに、その後継が引き続きこの地に住んだようです。

天正十年(1582)武田家、さらに郡内小山田家も滅びると、小山田弾正家は相模の北条家に仕えたと言われてます。

 <2009/7/21>