甲斐武田を探検っ!!

 

東福院

 

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韮崎市穂坂町にある東福院です。少し細い感じの道にはなりますけど、行くときにはあまり苦にはならないはず。かなり、洗練されていないよい雰囲気のお寺。ふらっと寄って歴史ありげな石仏などを見ても楽しめそうな場所です。さて、こちらのお寺ですがちょっとゆかりのあるお寺が興味をひいたのでご案内です!

武田信玄に仕えた、大柴兵部助常澄の子に大柴重左衛門尉という人物がいました。その重左衛門尉がこちらのお寺の開祖をなっています。ガラスにマークされている武田菱は不明です・・・

こちらの東福院は駿河(現静岡県静岡市清水区)一乗寺の末寺となっています。普通、国を越えて末寺になるなどはあまりないそうです。しかも近いってことでもないですしね。

種明かし?をしてしまいますが、開祖大柴重左衛門尉は駿河朝比奈氏と交流があったのだとか。その影響で朝比奈氏と関係の深い一乗寺の末寺になりました。どのような交流かは特に甲斐国志などにも記されていないのですが、このようなことをするぐらいですから、結構な交流があったんだと勝手に考えてしまいます(笑)こういうちょっとした話もいいですよねー

早速行ってきました静岡市の一乗寺。開祖は朝比奈駿河守信置、創建は永禄十二年(1569)となっています。元は今川家臣庵原氏の関係地だったようですね。

朝比奈駿河守信置は享禄二年(1529)生まれの元は今川家臣、その後永禄十一年(1569)12月武田氏に従属し、山縣三郎兵衛尉昌景の相備えとして活躍します。駿河持船城主を務め、天正九年(1581)嫡子信良に家督を譲り隠居しますが、天正十年(1582)武田氏滅亡の際、織田信長の命により信良とともに自害しています。ちなみに信良夫人は、跡部大炊助勝資の娘です。

 <2007/7/26>