甲斐武田を探検っ!!

       蔵富山正因寺

 

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史跡・関係地名:曹洞宗蔵富山正因寺/穴山友勝菩提寺

住所:山梨県笛吹市御坂町八千蔵

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:穴山友勝・穴山信永など

 

<正因寺と穴山氏>笛吹市御坂町八千蔵にある曹洞宗蔵富山正因寺。「山梨県史」、「御坂町誌」などによると、穴山友勝の菩提寺。友勝は穴山伊予守信永の子なのですが「友勝」と「信永」、ともに聞きなれない名前かもしれません。

「穴山武田氏」によると、穴山伊予守信永は穴山信君(梅雪)で有名な穴山氏の分家として、小山城と周辺を領した人物。どうやら河内地方のほかに、小山城周辺に穴山氏の所領があったようです。しかし大永三年(1523)、南部某に急襲され近くにある常楽寺で自害。常楽寺には信永の墓が残されています。信永の子、友勝はどういう状況下で亡くなったのか不明なのですが、永正八年(1511)18歳で死去、こちらのお寺に葬られたのだとか。法名は「正因寺殿泰安浄永大居士」と伝わっています。ちなみに友勝死去の翌年、信虎は躑躅ヶ崎館を造り川田から新しい館に移っています。甲斐国内は国人の反乱が多く発生しており、まだまだ不安定な時期の出来事です。

正因寺敷地内には友勝の墓碑などは見当たりませんでしたが・・・「穴山」さんのお墓はありました。友勝と関係あるかどうかはわかりませんが。なんとなく「穴山」を感じることができます。ちなみに信永を自害に追い込んだ南部氏は奥州で大名となった南部氏と同族。甲斐河内地方から奥州に移住した南部氏ですが一部は残り、南部氏領地であった場所に新たに入ってきた穴山氏と抗争を繰り広げていたようです。

<穴山氏>穴山氏の系図ですが、わかりやすくすると・・・信懸-甲斐守(信風・信綱とも)-信友-信君-勝千代(信治)となります。信永は信懸の子、甲斐守は信永の兄弟と伝わります。信永と甲斐守、どちらが兄かは明確にはわからないそうです。甲斐守が穴山宗家を継いだので恐らく甲斐守が「兄」かな?なお「信懸の子」といわれている人物がいます。事績などは全く伝わっていませんが穴山信尭(基信とも)なる人物で、南部町の常安寺に墓所が伝わります。

周辺の甲斐武田氏関係地:小山城跡美和神社など

参考文献:武田信虎のすべて・甲斐国志・御坂町誌・御坂百話/弦間耕一・穴山武田氏/平山優など

<2008/1/31 2011/2/25リニューアル>