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天神社(窪八幡神社末社)

 

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 山梨市北地区の窪八幡神社。ここにある谷を上っていくと太良峠にいきますが、その途中に窪八幡神社の末社、天神社があります。ちょうど谷の入口に窪八幡が位置し、その谷の一番奥に天神社が位置する格好になっています。

 

窪八幡神社は貞観元年(859)近くを流れる笛吹川中州の大井俣に勧請され、後に現在の窪の地に移されたと伝わっています(大井俣窪八幡神社の由来です)。

天神社は康平六年(1063)、窪八幡造営に関わった大工達により創建、周囲には大工が数多く住むようになり、大工村の地名の起こりとなったと伝わっています。

 

この二つの神社には武田信虎・信玄が深く関わっています。窪八幡神社境内には天文年間(152-1555)に信虎・信玄が造営した数多くの建造物がありますが、天神社本殿は大永二年(1522)武田信虎の命により建立されたと言われます。本殿の一部は江戸時代に修築されているそうですが、そのほかの部分は室町時代後期の姿をよくとどめています。

また、窪八幡神社と天神社の間の区割りですが、中心線が両神社を結ぶ線となっており、その周辺には綺麗な条理制区割が残されていて、現在でもそれは確認できます。源氏に関係深い八幡神社。武田家ももちろん源氏です。その辺を強く意識し、窪八幡神社と天神社境内の建造物造営、そしてその周辺地域の区割を行ったのでしょうか?

 

天神社の駐車場ですが、多分拝殿横にあるとは思うのですが、道が荒れている?様子でしたので、無理はせず、鳥居付近に駐車しました。あまり人気を感じさせない境内。拝殿近くに説明板がありますので、ゼヒそれを確認してみてください。

<2008/10/24>