甲斐武田を探検っ!!

 

天満宮 大熊備前守朝秀屋敷跡

 

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大河ドラマ「風林火山」かなりのお気に入りです。内容的に陰のあるつくりが人間臭さを感じ、多彩な登場人物のそれぞれの役割?に毎週喜んでいます(笑)史実云々のことを言い出すとつまりませんから(笑)ドラマとして純粋に楽しんでいます!

そのなかで、「大熊備前守朝秀」がいますね。彼は長尾家(上杉謙信)の重臣です。大熊朝秀は越後国内の領地争いに巻き込まれ家中で孤立、その際武田氏の調略をうけ弘治三年(1557)武田と通じます。しかし、長尾家からの攻撃を察知した大熊氏は越後を脱出。その後の永禄六年(1563)武田家に仕えます。同じく越後の城氏も大熊氏と行動を供にしたらしく、彼らは永禄三年(1560)武田家に招かれ足軽大将となったのだとか。

今回ご案内している、甲府市天神町の天満宮。もともとこのあたりに大熊朝秀の屋敷があり、こちらの天神様はその屋敷の鎮守でした。そして現在の天神町という地名もこちらの天満宮からきているのだととか。特に遺構や案内板などはありませんが、住宅地の中にたたずむ天満宮がちょっとしたいわれがある・・・いいですよね!

ちなみにココは住宅地で道も狭いし・・・ということで、ちょっと離れた場所に車を停め(自分は山の手通り沿いにある某ローカルスーパー)、歩いてココまで行きました。

 

 

その後朝秀は上野箕輪城攻めなどで活躍し、武田家中でも信頼を置かれます。上杉謙信が死去し発生した越後国内の内乱(御館の乱)の際は、古くの人脈を買われ上杉景勝との交渉に当たっています。彼の妻は小畠(小幡)山城守虎盛の娘で彼女は甲府市元紺屋町の妙遠寺の中興開基となっています。ちなみに妙遠寺は小幡氏・大熊氏の菩提寺だともいわれています(甲斐国寺記社記)。

武田氏の命運も尽きた際、朝秀は田野で殉死したとも信濃で殺されたとも言われていて定かではありません。嫡子である長秀は上野国の一族の元に逃れ出家。しかし長男の常光は真田家に仕え、旧武田家臣として優遇。そして子孫は松代藩の家老を務めています。

今回の天満宮では、

広報こうふ とびだせ!市民レポーター

を参考にさせていただきました。甲府市の広報ですが、かなりいい情報が満載で、毎月楽しみにしています(笑)

こちらのHPも一度ご覧下さい!

 <2007/10/26>