甲斐武田を探検っ!!

       玉諸神社

 

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史跡・関係地名:玉諸神社

住所:山梨県甲府市国玉町

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:武田信玄・磯部竜淵斎など

<甲斐三宮>延喜式内社、甲斐三宮「玉諸(たまもろ)神社」です。甲斐一宮は一宮浅間神社、二宮は美和神社で、春に行われる水防祈願の祭「おみゆき祭」は、甲斐一宮・二宮・三宮が三社神社に向かう、古くから(武田氏時代あたりからとも)甲斐に伝わる祭です。貞観五年(863)!?勅願所(天皇の命により地域の無事を祈願する場所)になったのが玉諸神社の始まりだと伝わります。玉諸神社は国玉(くだま)地区の総鎮守として鎮座していますが、国の玉(魂)を祀る神社として、武田氏も代々祈願所とし、厚く保護しました。

 

武田信玄大事典/柴辻俊六編によると、宮司は代々磯部氏が勤めており、武田勝頼の代には磯部竜淵斎(りゅうえんさい)という人物が宮司でした。竜淵斎は弓馬の達人として知られ、武田信虎の代から他の武士とともに出陣していました。しかし、長篠・設楽原における戦いおいて奮戦むなしく討死してしまったと伝わります。

 

天正十年(1582)武田家滅亡の際には織田家により甲斐国内の多くの寺社と同様に、玉諸神社も焼失してしまいます。しかしその後徳川氏により保護され、慶長十四年(1609)徳川家康の命により本殿と拝殿が再建されました。神社には徳川の家紋も光っています。

玉諸神社の場所ですが、駅伝やその他スポーツですっかり?有名になった山梨学院大学の近く。駐車場は拝殿横にあります。

<山を祀る>現玉諸神社とは少し離れますが、甲府盆地の北部を走る山の手通り沿いに玉諸神社拝殿跡があります。ただ実際に山の手通りを走ってしまうと、高低差がある場所で、ちょうどこの跡が隠れてしまっています。その昔、酒折の北にある御室山に社がありこの拝殿から拝んだのだと伝わります。いつの頃か、現在の玉諸神社の地に移ったのだそうです。

甲斐善光寺山門前の道を東(石和方面)にむかって行くと左手にあります。と、いうことは武田勝頼が善光寺で小幡昌盛と今生の別れをしたあと、ここを通って春日居に抜けていったということでしょうか?多分そうなのでは?そう考えると、武田家にとっても重い場所ではないか・・・と思いをふくらませてしまいます。

 

ちなみに説明板が建っていますが、ほとんど拝殿のことには触れられていません・・・う〜む・・・

周辺の甲斐武田氏関係地:甲斐善光寺・落合氏屋敷跡など

参考文献など:甲斐国志・武田信玄大事典/柴辻俊六編・甲斐武田氏/上野晴朗など

<2006/11/13 2011/4/12リニューアル>