甲斐武田を探検っ!!

 

躰寺 武田竹松菩提寺

 

史跡一覧へ

人物一覧へ

トップへはこちら→

kfm024

甲府の市街地にある尊躰寺(そんたいじ)です。街中のお寺なので、駐車場どうかなぁ・・・と思って行ってみましたらばっちり!ありました。お寺の前に着きましたら、素直に山門くぐっていただければ駐車場があります。ただし周辺道路ですが、甲府は人口流出している!といえども県庁所在地ですから、朝夕と土日は混みます。注意してください。

永正十四年(1517)、武田信虎に長子が誕生し竹松と名づけられます。ちなみに武田信玄は1521年生まれです。竹松の生まれた年は、ちょうど大井夫人(瑞雲院殿)が信虎に嫁いできた年で、尊躰寺の由緒書には側室の子と記されているそうです。

竹松は大永三年(1523)11月1日に7歳で死去してします、法名は「源澄院殿天誉尊体智光大童子」。そのため信虎は長子竹松の菩提寺を現武田3丁目に創立します。その後、武田家が滅亡して現在の場所に移転してきたのだそうです。特に竹松のもの・・・というのは見当たりませんでしたが、大久保長安の供養塔があります。武田竜宝の遺児を擁立し、幕府を転覆させようとした!などとイロイロいわれている人物です。

 

大久保石見守長安供養塔

もとは武田家臣。主家滅亡後徳川家に仕え頭角をあらわします。様々な奉行・年寄などをつとめ、幕府を牛耳るほどになりますが、長安死後(1613)、生前に不正があったとのことで、遺児は全員処刑、関係のあった大名らも連座して処分をうけます。

実際は徳川幕府内の本多・大久保氏の派閥争いに巻き込まれた、ともいわれています。

 <2006/11/19>

「金幣稲荷大明神」。こちらにかつて尊躰寺がありました。神社敷地内には読みづらかったですが、石碑が建っています。

また、甲斐に入国した徳川家康の本陣としてこちらは使用されているのだとか。場所は、周辺が細いのでわかりづらいかも知れません(自分は徒歩で探しています)。

 <2007/1/11 追加>