甲斐武田を探検っ!!

       武田八幡神社

 

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史跡・関係地名:武田八幡神社(武田八幡宮)

住所:山梨県韮崎市神山町北宮地

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:武田信玄・武田勝頼夫人など

 

武田八幡神社にむかう参道途中に現れる高さ7mの韮崎市指定文化財の木造鳥居(ニの鳥居)。創建は不明ながら元禄十四年(1701)再興、寛政元年(1789)再々興と記録に残されています。

<甲斐源氏とともに>「西の武田八幡、東の窪八幡」そのように称される武田八幡です。駐車場も完備しているので、自動車でも安心です。境内などはもちろん、鳥居付近にも説明板が設置してあります。うっそうと木々が茂る森の中に鎮座する武田八幡はじっくり見て・読んで・感じる事のできるすばらしい空間です。

この八幡神社、山梨県内最古の八幡神社だとも言われており、社記によると往古の昔より武田王を祀る宮社があったところへ、弘仁十三年(823)嵯峨天皇の勅命で九州宇佐八幡宮を歓請し合祀したことが武田八幡神社の始まりだと言われています。後に甲斐源氏からも厚い尊崇をうけ、この地に居を構えた武田信義(甲斐武田氏の祖といわれます)は氏神としていたのだとか。その後も甲斐武田氏から代々保護をうけ続けます。

 

総門前、高さ2.69mの石鳥居(一の鳥居)も県指定の有形文化財となっています。

  

本殿は天文十年(1541)武田晴信(信玄)が造営したもので、室町時代の建築様式を繁栄したもので、国の重要文化財にしていされています。さらに末社の若宮八幡神社本殿も室町時代後期から江戸時代初期を色濃く反映している建築であり、こちらは県指定の有形文化財。

<甲斐武田氏滅亡直前の祈り>見事な建築物が多く残される武田八幡神社ですが、それらとは異なり、また戦国期の願文として有名なものがあります。内容は武田勝頼夫人(北条氏娘)の武田家戦勝を訴えた願文なのですが、天正十年穴山武田氏などが離反していくなか、切々と勝頼の戦勝を訴えた願文・・・。最近になり、天正十年当時のものかどうか?ということも言われていますが、そういうものが今日まで伝わってしまう「武田八幡」なのです。なお、当然というか当たり前なのですが、その願文の「ホンモノ」はその場では見る事はできません。しかし、それを写した石碑が境内にあります。石碑をながめて感傷にひたるのもよろしいかと思います。願文写しは武田神社宝物館で購入することも可能です、こちらも時間に余裕があるようならばご覧下さい。

武田神社駐車場からは、国史跡白山城跡が望めます。武田八幡周辺地域地域は、甲斐武田氏発祥の地とも言われるだけあり、甲斐武田氏・甲斐源氏の史跡が多数あります。信玄・信虎以前のものが多くなりますが、時間の許す限り巡ってみてはいかがでしょう。

周辺の甲斐武田氏関係地:白山城跡願成寺など

参考文献など:甲斐国志・甲斐国社記寺記など

<2006/9/27 2012/2/6リニューアル>